16.君の想い Side:ルーシャス
「あなたではルーシャス様には釣り合わないのではなくって」
俺の隣のパトリシアにそう言ったのは、まもなく我が国へ留学することになっているという、隣国の公爵令嬢である。
俺の隣国の友人が頭を抱えているのが目の端に映った。
俺は思わず殺気を出しそうになるのを抑えて、公爵令嬢を見た。
ここで殺気を出せばパトリシアが怯える…それに多少の隣国との外交問題にも発展するかもしれない。が、まあ問題行動を起こしているのはあちらだからそれはまあいいか。だがパトリシアを怯えさせるわけにはいかない。
俺はパトリシアの腰に腕を回して引き寄せた。
「私にとってパトリシアは唯一なのですよ」
殺気を隠して笑顔で公爵令嬢に言葉を返す。
「そうでしょうか?私でしたら更にルーシャス様を輝かすことができると思いますわ」
公爵令嬢が世迷いごとを言いやがる。
そろそろ殺してもいいんじゃないか?一瞬そう考えたが、パトリシアの前で実行するわけにはいかない。俺は公爵令嬢に言い返す。
「パトリシアがいなければ俺は闇に沈んでしまいます」
「まあ、ご冗談ばかり。では一度離れてみてはいかがかしら。きっと更に輝けることに気づけるでしょう」
頭を抱えていた俺の隣国の友人がこちらに近寄って来ようとしているのが見える。
だが、彼は呼び止められてなかなかこちらまで来ることが出来ないようだ。
そうなるとやはり俺がこの女の息の根を止めるしかないか。
俺が思案していると、俺たちから離れたところから声が上がった。
それはさほど大きな声ではなかったが、静まっていた会場では耳によく届いた。
「むしろ美しいパトリシア嬢に、あの男では釣り合わないのではないか?」
声の主は、友人らしき話し相手に言葉を止められて、あたふたと隅へと離れていった。
しかしその声が呼び水となって、ざわざわとパトリシアを称える声が聞こえた。
「パトリシア嬢はいつも隙のない装いで、どこから見ても美しい」
「パトリシア嬢のヴァイオリンは、あの美しさに負けない音色で、出来れば独奏で聴けないものかといつも願っているのだ」
「卒業式での代表挨拶をするパトリシア嬢は美しいだけではなく品位に溢れていた」
「首位で卒業されたパトリシア嬢の頭脳は今後、国の役に立つだろう」
「あの男が凄くないとは言わないが、しかしパトリシア嬢の方が未来があるだろう」
聞こえる声には全力で同意を返したい。
しかし反面、俺だけが知っていたパトリシアの魅力を知ったふうに語られる苛立ちも同時に感じた。
思わず聞き耳を立てていたが、今一番重要なことは目の前の女と叩き潰すことだ。
改めて女をどうしてくれようかと考えた俺の横でパトリシアが口を開いた。
「ルーシャス様は素晴らしい方です!」
群衆に向けて話し始めたパトリシアに俺は目を瞬かせた。
「私の装いはルーシャス様に頂いたアクセサリーやドレスを整えているだけです。ルーシャス様が私に輝きを下さるのです。ルーシャス様に頂いた髪飾りは私の髪を彩るのにこれ以上は考えられないくらいの品なのです。頂く度にこれほど私の髪に合うものをどうしてルーシャス様は見つけられるのかと不思議に思います。私はその頂いたものを最良の形で身に着けたい。そう思っているだけなのです。アクセサリーも、ドレスも、ルーシャス様が見立ててくださるからこそ、私はルーシャス様の隣に立てるように美しく装えるのです。ヴァイオリンも私の演奏は本当に凡庸です。しかしそんな私の演奏が人の心に届くとしたら、それは私の音楽がルーシャス様に捧げられたものだからです。ルーシャス様の麗しさを胸に音を奏でることで私の音は深みを帯びるのです。ルーシャス様がいなければ私の演奏など、とても音楽と言えるようなものではないでしょう。私を卒業式で支えてくれたのもルーシャス様のお心です。私のような凡庸な婚約者を真っ直ぐに想ってくださるお心が、私を立たせてくれたのです。それに、私が首位で卒業出来たのもルーシャス様がいなければ成し得なかったでしょう。私のルーシャス様への想いが学びを通して、私をルーシャス様のかつて見たであろう景色を見せてくれることに繋がったのです。学院で勉強している時も私は常にルーシャス様を感じておりました」
「パトリシア…」
呆気に取られたようにパトリシアを見ていた群衆も、終わらないパトリシアの言葉に徐々に目を逸らし、関わりを避けるように少しずつ距離を取っていった。
俺たちの周りからは人が随分と減った。
寒々しい空気を感じる者もいたかもしれない。
目の前の公爵令嬢は頬を引き攣らせている。
しかし俺の心は感動でいっぱいだった。
こんなにもパトリシアが俺を想ってくれていたとは。
もちろん俺はパトリシアに好かれていると感じてはいた。しかしパトリシアはすぐに婚約の解消を提案する。だからこれほどまでの彼女の想いを聞くことがあるなどと、俺は想像すら出来なかった。
もう公爵令嬢どうでもいいんじゃないか?
俺がそう思ってパトリシアと移動しようかと彼女の腰に回した手に力を込めた時、パトリシアが公爵令嬢に向かって言った。
「仰る通りです。こんなにも素敵な方と私が婚約しているなどと許せることではありません」
そしてパトリシアはするりと俺の腕から抜け出すと歩き出した。
「やはり私との婚約は解消いたしましょう。私は修道院に入ることにします」
歩き去るパトリシアの美しさにうっかり俺は見惚れてしまい初動が遅れた。
ハッと意識を戻して慌ててパトリシアを追いかける。
「パトリシア!待ってくれ!」
これで四度目のパトリシアからの婚約解消の申し出だ。
俺は今回もパトリシアを逃すつもりはない。
待ってくれパトリシア。俺には本当に君しかいないんだから!
勢いだけで書き切った「愛の天秤」最後までお付き合いありがとうございます。