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三度目の満月

作者: 占波夜宵

まわりに無関心だった主人公が、鬱病のせいで不眠症になり、奇妙な隣人と触れ合うことに。ちょっと変な女だと思いつつ寂しさから、交流を持ち徐々に癒されていく経過を描きます。

一九九九年七の月ハルさんの大切な世界は壊れてしまった。



世界的には外れてしまったノストラダムスの大予言だったが、ハルさんには的中したそうなのである。空から恐怖の大魔王が見えないエネルギーを送って来て「突然、世界を変えられてしまった」と言っていた。


ハルさんの夫は、たった一歳半の子供のいる妻を「好きな人が出来た」という一言で捨ててしまったそうだ。



月々お金を二十万入れてくれる約束をしてくれたが、購入したマンションのローンや借りてる駐車場はそのままで、マンションの名義変更や今後の子供の養育などの話し合いは一切出来ないらしい。


離婚届も届かないそうだ。





ハルさんは僕の隣人で、お互いに弱っていたので、引きあってしまった。


僕はブラック企業で働きすぎて鬱になり仕事を辞めて、傷病手当てで暮らし始めたばかりだった。忙しかったので今まで隣人に興味もなければ話もしなかった。そんな僕らが知り合ったのは三ヶ月前の1月のベランダだ。



ベランダで煙草をふかしていたら、夜中にベランダで空と道路を交互に見ているハルさんを見た。僕はハルさんに声をかけた。


「良い月ですね」


「月なんて見えないわ」


「えっ」


月は煌々と明るい満月だ。


「ねぇノストラダムスの大予言って知ってる?」


「なんとなく」


「今、恐怖の大王が降りて来て精神的混乱を撒き散らしているのよ」


「はあ」 


「アタシんち来て飲まない?」


かなりヤバイ人かもと思って、躊躇した。ハルさんは僕の心を見透かしたように言った。


「大丈夫だよ。子供いるから。ヤバイことにはなんないよ。ま、おいでよ」 


「はあ」


長いことずっと不眠症でねむれなかったので、夜の十二時だったけど隣に家のビールを持って行った。ヤバイ人だったとしても誰かと話したかったせいもある。


インターフォンを押してドアが開くのを待つ。 


ドアを開けて、ぽつんと缶を持って立つ僕をハルさんが見る。 


「あっ、ビール持って来てくれたの? 悪いね。アタシひとりに慣れてなくてさ。子供は居るけどさ、寝ちゃうとひとりじゃん」


「旦那さん、お仕事ですか?」


「半年前に出て行った。多分二度と帰らないと思うよ」


僕は何もいいようがないから黙っていたら、ハルさんがニッと笑った。


「ま、上がって上がって」 


「おじゃまします」


玄関から入るとうちとは間取りが違い、入ったらすぐダイニングキッチンだった。正方形の真っ白なテーブルの上にふたつ小皿とグラスが置いてある。


イカ燻の袋とうずらの味付けの真空パックもあった。空いている椅子に腰掛けてビールを置く。 


「チューハイもあるけど、持ってきてくれたビールから行こうか」


グラスがあるのにふたりともプルトップをプシュっと開けて缶のままビールで乾杯した。


乾杯した時には既に相当酔っていたハルさんは「ノストラダムスの大予言」と自分に起きた不幸について語り始めた。話が行きつ戻りつしたが、カンタンにいうと「男に捨てられた」話だ。



僕に言わせれば「ノストラダムスの大予言」は全然関係なく、ハルさんが単に男を見る目がなくロクでもないやつに引っかかって逃げられただけのことだ。


でもハルさんは僕がブラック企業で鬱になって辞めた話を聞くと「やはり空から見えない恐怖のエネルギーが」とますます意味もない言説を強める。



最初は呆れていたが、自分のありふれた不幸を歴史と世界を巻き込んで語られるのになんとなく気持ちが落ち着いてきた。

鬱になったのはブラック企業のせいでもなく、もちろん僕のココロが弱いわけでもなく、「恐怖の大魔王」のせいなのだ。 


「アタシはさあ。冷たい男だけど好きだったんだよねえ」


ハルさんは壊れているわけではなくて、ちゃんと自分に起きたことは理解していた。その上で「恐怖の大魔王」のストーリーで恨みや憎しみを相手に持っていかず自分の苦しみを無意識に軽くしているのだろう。


僕たちはその日あった酒を全て空けるほど、盛大に飲み「ノストラダムスの大予言」を褒め称え「恐怖の大魔王」は人間の見えない残虐さのエネルギーに働きかけるということにしておいた。


ハルさんはダイニングキッチンの隣にあるリビングへ行き、ソファベッドで寝てしまった。


僕は失礼だと思ったが寝室に入って行き、寝ている子供を見つつ、毛布をとってハルさんにかける。子供はスヤスヤと寝ていた。


居間にある額のような鍵ケースに掛かったハルさんちの鍵を勝手に使い鍵をかけて、玄関扉に付いている新聞受けに入れた。


そして隣の自宅へ帰って寝た。仕事を辞める前からずっと鬱々としてよく眠れなかったのに「ノストラダムス」説のおかげかグッスリ眠れた。








僕もハルさんも無職だったので、それから行き来が増えた。僕は暇だし、ハルさんは子育て中で料理や風呂掃除をする時やどうしてもひとりで出かけねばならぬ時「ちょっと子供を見てくれるだれか」がいると助かるそうだ。



ハルさんが急に「ものもらい」になって病院に行く時、僕は子供を預かったり、逆に子供が熱を出した時に僕が代わりにハルさんちの買い物に行ったりした。



毎日ではないが週に半分以上、夕飯も一緒にした。夕飯の支度中は僕が子供を見ていた。


ハルさんちはベランダが広いのでベランダにテントを出して子供をテントの中で遊ばせながら本を読んでいる姿を隣のベランダから昼ビールを飲んで眺める。


他所から見れば平和そうだったが、お互いに大きな未来の心配を抱えている。その心配を考えたり、動き出したくなくてとりあえず日々を過ごしているのだ。


僕は仕事をいつからしようか、何の仕事をしようかずっと悩んでいたし、恋人がいたのに自然消滅しかけていた。


ハルさんは弁護士に頼むなり調停に行くなりして、離婚を成立させないと、子供の保育園も決まらないし母子家庭年金も出ない。

ハルさんは旦那さんから強引に離婚して欲しかったようだが、女がいるのに、その女と結婚がしたくないためこのままにしているらしいと言う。


「何で弁護士頼まないの?慰謝料で弁護士料支払えそうじゃない」


「あんまりにも心が痛くてさ、弁護士に事情を説明してアタシにも非がないか、さらに痛いことを調停や裁判で言われたらと思うと怖くて動きたくない」


気持ちは分かった。僕も労組に行けば会社を訴えられそうだったが、自分がしんどいのにあれこれ過去をほじくられるのはいやだった。恋人と疎遠なのもいろいろ聞かれるからだ。


僕らふたりは隣同士だというだけで知り合ったのに「困ったことを抱えて動きたくない」ということで一致していた。だからどちらも相手を急かしたりしないのが丁度いい関係だった。


診断書を出すと僕は二年間傷病手当が降りることになったのでしばらくは余裕がでた。


ハルさんはマンションの駐車場を解約した。車は夫が持って行ったから駐車場は必要ない。


さらに彼女は大学の後輩に頼んでデザインの仕事を一枚一万円で貰ってきた。一ヶ月7〜8枚くらい仕事があるらしい。仕送りとそれがあれば生活出来ると言っていた。








ハルさんは週に四、五日子連れで何処かへ出かけるので、よくそんなに行くところがあると思い聞いてみた。


「ついて来る?」


聞かれて、もちろん僕は暇なのでついて行くことにした。


ついて行った場所はものすごく汚い古本屋だった。ほったて小屋のような店の外に三冊百円の本や絵本などがあり、本自体はきれいだが並べ方はすごく汚い。子供をベビーカーから下ろして中に入る。 


太った人は通れないぐらい棚と棚の間がギチギチだった。天井まで本がある。店主はご高齢でハルさんと子供が来るとうれしそうだ。ちょっとした挨拶程度の会話はするが大して話もしない。でも居心地のいい優しい空気が流れていた。


ハルさんは毎回ここで小説を三冊百円で買い、絵本も買う。千円も買わないが年中来て買ってくれるいい客なのだろう。店主は自店に置きたくないロマンス小説や絵本でもアニメっぽいのを袋に入れてハルさんに無料で渡していてびっくりした。


僕はサティのCDを買ってみた。



ベビーカーを押して歩いて行くのでいい運動になる上、時間も一時間くらいは消費する。そのまま歩いて道を二つ渡り、今度は図書館へ行く。図書館は結構遠かった。


図書館には児童コーナーがあり、床にクッション材と子供が外に出れない様な柔らかい四角い枠があり、ハルさんはそこに子供の靴を脱がせて入れた。


ちょうど、ボランティアの読み聞かせが始まる時で子供たちはみんな前のめりに話を聞いている。僕も離れて聞いていたらハルさんが自販機でコーヒーを買ってきた。僕らは読み聞かせからちょっと離れた椅子に座る。  


「今日は図書館が終わったら帰るけど、毎日児童館や公園。ひと月に二、三回市の会館に子供を預けてコンサートが聴けたり、映画も観られるんだよ」


「子供のいる人はみんなそんなに情報をもっているものなの?」


「どうだろう?アタシは市報読んで知ったり、役所で掲示板見たり、あと児童館でポスターが貼ってあったり。子供の健診に行くと教えてもらえることもあるし。こないだなんて『お母さんのメイク講座』に行ったよ。全部無料から二千円なんだよ」




こういう情報収集力は個人差があると思った。情報が行き渡っていたら子育てが楽になるのではないだろうか。

夫がいなくなってワンオペで「よく明るくしていられるな」と思っていたが、人の手を借り息抜きをする方法を知っていたら気分が違うだろう。読み聞かせは三十分くらいで終わり、またベビーカーに子供を乗せ連れ立って歩いた。


「やっぱあともう一ヶ所行こう」


まだあるんだ。細い道をクネクネと入っていくと洋品店と陶器屋があった。洋品店はおしゃれなものではなくダサい服と子供服が売っていた。ベビーカーで入れるほど通路が広く、商品は段ボールに入っており、おそろしく安かった。千円以上のものが少ない。ハルさんは子供に何枚か着やすそうな服を買う。


隣りの陶器屋はなんと手作りでろくろが奥にあった。四十代くらいの女性が作っているようで僕は入ったがハルさんはここでは店に入らない。外の箱にある百円から三百円の品を見る。傷があるB品を売っている様だった。小皿を四枚選んで入り口でお金を払った。


もう少し先には無人の野菜売り場がありそこで野菜も買う。


「ハルさんの生活は豊かで平和だねえ」


彼女は相当に驚いた顔をして、僕のことを見て金魚のように口をぱくぱくする。


「アタシが平和!夫に捨てられて未来も見えないアタシが豊かで平和!ショーゲキ驚くわ」


「そんなに好奇心を持ってあちこち出かけられるのは才能だと思うよ」


「そうかあ〜いろいろと思い出しては悔しくて情けない気持ちになるから外でウロウロしているだけだけど」


「そんな気持ちでも、まだやる気があるのがすごいと思うよ」


「やる気なんてないよぅ…何言ってんだよう」


ハルさんは急に無言になって考えこみ、そのままベビーカーで寝てしまった子供を押して坂道をふたりで登って行く。買ったものはベビーカーの下に収まり、その機能性にも感心した。


「ま、あんたがいるのも助かっているよ。アタシひとりなら図書館でコーヒーは飲めないんだよ。さすがに目が離せないからね」


「そう言って貰えるとうれしいよ。会社で役立たずだったから。必要とされるのはしあわせだね」


僕たちは並んでゆっくり歩く。ハルさんは歌を歌い出した。キリンジの「エイリアンズ」だった。最近近所のコンビニでよく聴くので僕も覚えていた。


「まるで〜僕らはエイリアンズ、禁断の実ほうばっては、月の裏を夢見て〜」


サビのところだけ一緒に歌った。世界に誰も味方がいないようで、自分がひとりぼっちだと思う時に沁みる歌だった。


「キ〜ミが好きだよ、エイリアン、この星の〜この僻地で〜魔法をかけてみせるさ〜」


歌っているうちにマンションに着いた。エレベーターがない古いマンションなのでハルさんが子供を抱き、僕がベビーカーを荷物ごと持って三階まで行った。


「夕飯、今日も一緒にしよう。明日、雨じゃなかったらとっておきの場所に一緒に行こう。またあとで夕方にね」



隣り同士で一旦別れて部屋に入った。僕は自分の家に入りすぐに買ってきたサティのCDをかけた。そして、最低の最悪で人生詰んでいる自分の不幸を今日は一度も考えないことに気づいた。気持ちが緩やかになっていった。



昨日ほとんど満ちていたので今日は満月だ。僕らが出会ってから三度目の満月。


正確に言うとまだ三ヶ月も経っていないことに安心した。


十五時だったので夕飯まで時間がある。


心地よい疲れがあり、そのまま眠りに落ちた。




 <了>



淡々とした物語ですが、後日談が聞きたくなりそうな作品を今後も書いて行きます。ゆっくりペースです。

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