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花子

作者: 92コ

 「かあちゃん!」

 「かあちゃん!」けたたましい声がした。

 「かあちゃん。はなちゃんが落ちた!」


 私は、騒がしい声をいつもの事と気にも留めずにタライの中の洗濯物に力を込めていた。

 この洗濯が終わっても汗だくの子供達が戻ってきて着替え、新たに洗濯物が生まれる。ずっとおねしょをしなかった満男が、ここ連日のようにおねしょをする。

 この生活は、いつもで続くのだろう。満男が4歳になり、少しずつ子育てが楽になって来たと思っていたのに数か月前、花子が来た。

 突然。

 「正子が花子を育てられなくなった。 ここで育ててくれ。

うちは、坊主ばかりだから、うれしいだろ。」


 その花子と言えば人見知りをして可愛げがなかった。

 こんな子が来たから満男はおねしょをするようになり、上の二人の夏休みの宿題ははかどらない。 私のストレスの根源は皆この花子にあるんだわ。 何でこの子を私が育てなきゃならないのかしら。



 「お母様。お母様! はあちゃんが2階から落ちました。」 と8歳の長男が大声で 花子を抱いて連れてきた。 やっとその声で現実に戻された私は 慌てて花子を抱いた。

 「あっ。」

 「お母様、僕が走って山田先生に行ってますから。」

 「ああ、そうだね。そしておくれ 母さんもすぐ追い掛けるから。

和也、手ぬぐいを濡らして持ってきておくれ 花子の頭を冷やすからね。

満男やお腹がすいただろ3人であんパンを一個ずつお食べ。みんなに言うんだよ。みんなで食べるんだよ。」と言い、泣きじゃくる花子を抱いて外に出た。


 「はあちゃん。はなちゃん。ごめんね。ごめんね。

 どこが痛い?どこ?」


 夏の暑い時、顔に出血のある花子を抱いて走った。火の玉のように熱い身体 だった。


 とんでもない事になった。 私が産んだ子供ではないが 夫には、大事な子供であった。 帰宅するとまず花子を抱き上げて可愛がる夫であった。

 「やっぱり女の子は、いいだろう。」とよく口にしていた。

 その花子の顔に傷が残ってしまったらどうしよう。 もう夫は私のことを愛してくれなくなってしまうだろうか。またあの女のところに帰ってしまうのだろうか。そんな不安でいっぱいになった。

 「先生、 花子の顔に傷が残らないようにお願いします。

どうかお願いします。うちのたった一人の女の子です。 顔には、傷を残したくないです。 大丈夫でしょうか。どこが痛むのか分からないのです。」

 そう言うとたくさん涙がこぼれた。



 いつものように仕事を終えて帰宅するとどんより淀んだ空気の中 、妻のみつが目を赤くしてうずくまっていた。

「あなた申し訳ありません。 花子の顔に傷がついてしまいました。」 と手をついて頭を下げた。

驚いて 寝かされている花子の顔を覗き込むと包帯が巻かれていた。みつの方を振り向くと長く泣いていたらしく目が腫れ上がっていた。長男勝太郎を見ると

 「お母様は泣いてばかりいました。」と言う。 ほかの子どもたちも お腹を空かして畳に座り込んでいた。

 みつが花子を快く思っていないのは知っていたので どういう状況だったかと子供達に聞くと 風呂場でみつが洗濯をしている隙に 子どもたちだけで二階で遊んでいて花子が手すりから落ちたことがわかった。

 花子は、私の愛人正子に生まれた子で先月ここに引き取ってきたのだった。



 私が21歳の時 母が他界した。父は私に結婚するように勧めた。 役所務めの私には、弟が二人いる男所帯。

 当時の日本は食糧難の時代だったそんな時代に女手は必要だった。 近所の世話好きのおばさんが持ってきてくれたお見合い話でみつと結婚した。

 父に言われた事に従わないわけにはいかなかったし、この家全員に歓迎されての女手だった。 病身の 母との暮らしと変わり若いみつが家族に加わり明るい風が入った気がした。

 翌年すぐに男の子が誕生して皆が喜んだ この戦争が勝つようにと思い勝太郎と名付けた。 間もなく終戦を迎え、その後続けて男の子に恵まれた。

 

 三男の満男が生まれた頃の日本は、 町が少しずつ活気づいた今までモンペばかり履いていた女性がスカートを履くようになってきた。

 しかし三人の息子たちを育てるのに手いっぱいだったのか、みつはいつもモンペだったし、髪を整えているようには思えないし、化粧もしているところを見たことがなかった。

 職場に行くと若い女性は、お給料日の翌日必ず目新しい服を着てきた。そんな中でも正子は、ひときわ目立っていた。 そして自分の考えを持ち仕事にも積極的に意見が言える 新しい時代の女性を感じ 私は恋に落ちた。


 事の成り行きでした結婚生活より自分で選んだ正子との恋の方が数段に楽しく たまに身の回りのものを取りに帰る我が家は三人のいたずら小僧達が喧嘩をしていたり誰かが泣き叫んでいたりしてみつが叱りつけている。正子との生活とは、まるで違い、そんな中に 長くいる気はなかった。 正子との楽しい生活は、 永遠に続くと思った 。

 

が、 数ヶ月前 父の死を機にこの家 私は戻ってきた。



 義父は倒れて床の上で何度も夫の名前を呼んだ。 日頃は 女の家に入り浸っている夫に対して非難めいたことを言っていてもやはり親子だから会いたかったのだろうと思い私から 電話をした。

 「 あら~。髪もとかさない正妻さん。

お宅のご主人様と今お風呂に入ろうと思っていたところよ。お待ちいただける。」 と正子が電話口で 笑っているのが聞こえる。


  その夜 慌てて帰宅した夫を待って義父は、 息を引き取った。 そのまま夫と話し合うこともなく 葬儀を済ませ徐々に以前の生活を取り戻して行った。 特に責めるつもりは、 私には無かった。責めればまた女の所へ行ってしまうことは分っていたので 毎日夫の好みの食事を用意して帰宅するのを待っていた。夫が毎晩帰ってくるようになり少しずつ私の心の痛みも薄れていった。



 義理の弟たちが心配をしてくれた。

 「なんだ兄貴の態度は。」 

 「自分勝手なことをしておいてよく平然としているよな」

でもこれでいい。


 いつも私は自分に言い聞かせていた。 私が何も言わなければ波風も立たないし夫にとっても 忘れてしまうような女だったのだろうと考えるようにしていた。 ところが先月になって もう 過去のこと心も癒えてきたのに 突然花子が現れた。

 すぐに近所の噂になった。 あからさまに

 「あらお嬢ちゃんもいたのでした?」 と声をかけてくる人もいた。 ちょっと買い物に出てもすれ違う人が みんな私を見て噂をしているように思い花子を連れて歩かないようにした。


 「 お母さん」とも呼ばないし呼ばれたいとも思わない。

洋服を洗濯してもなるべく目立たないようなところに干すようにしていた。 男の子ばかりのこの家に桃色の服は目立って仕方がない。 あの女はなんでこんな派手な 服を子供に着せていたのだろうと力を込めて洗っている時に花子が2階から落ちたのだった。


 考えてみれば、 かわいそうな子供だ。 母親らしいことのできない正子は、親戚の家をたらいまわしにしてこの子を預けていたらしい。 しつけらしいことを知らないまま育っていたので食事も上手にできないし、思うことも表現できない。 怪我で病院に連れて行ったが泣くことだけだった。 他に痛いところはないかと聞かれても指をさすことすら出来ないままだったこの子を守ってあげられるのは、やはり夫と私だけなのかもしれない。

花子には罪がない むしろ被害者だ。  という事に考えがかわりそっと顔をのぞきこんでみると日中とは違った可愛らしい寝顔だった。

 闇の中 柱時計が2時を打ったその音と共に私も眠りに落ちて行った。



 49日の法要が終わり私は弟を連れて久しぶりに飲んだ。

 「懐かしいなあ。」

 「この店は親父が連れて来てくれた店だね。」

 二人で店内を見回した。変わったところもあるし、テーブルやイスは、思い出のままだった。

少し思い出話が続いた。

 「兄貴は、このままあの家で暮らすのかな?

 兄貴の女に会ったことある?すごく目立つ女だったと聞いたよ。」

 「お前、聞いたか?兄貴の女、死んだそうだ。」

 「えっ。」

 「自殺だって。詳しくは、知らないが。兄貴がこっちに戻ったろ、だから暮らせなくなったみたいだ。」

 「子供がいたらまず仕事がないからな。義姉さんの和裁は、そこそこ金になってたけどな。」

 「だからって、死ぬことないだろ。子供は、捨てたんだし、なんだってよけりゃ仕事あるよな。」

 男兄弟、久しぶりに二人でもりあがった。



 暑い日、ままちゃまと手をつないで知らないと街を歩いていた。

 「ままちゃま~」

 「暑いね。もうすぐよ。ぱぱちゃまに会いに行こうね。しばらく会ってなかったものね。」

 「ぱぱちゃまに会えるからね。」

 何度も「会えるからね」と言い聞かすように言っていた。道端で大きな風呂敷包の上に座らせて

 「はぁちゃん。いい子だね、ちょっとここで待っておいで。」

 それが最後の言葉だった。

分らないままずっと風呂敷包みの上に座っていた。

 「ぱぱちゃま~。ままちゃま~。」言ってみた。

何の返事もなかった。

 気づくと数人の前掛けつけた小母さんが、私の顔を覗き込んでいる。

 「どこの子だい? 見かけない子だね。」

 「お嬢ちゃん名前は?」

 「大きな風呂敷だね。」

 小母さん達が集まってきたことに驚き泣き出した私。知らぬ間に小母さん達が、風呂敷を開けて

 「満男の妹の花子です」と簡単なメモを見つけ出した。


 「みつお」

 「捨て子かい?」

 「大きな声で言うんじゃないよ。聞こえるじゃないか。」

 「満男って誰だっけ?」声の数が多くなってきた。

 「かあちゃん。だれ?」

 「みつおって知ってる?」

 「勝兄ちゃんの弟だよ。」

 「そうだね。そうそう。」

 小母さん達の話がまとまり、連れてこられたこの家だった。

 大人たちの話は、さっぱり分からなかった。

汗まみれの好奇心できらきらした目の男の子達が走り寄ってきた。

怖かった。

夜、ぱぱちゃまに会えた。



 時が流れた。


 その写真には、きれいな花嫁になった花子とその隣には、まだあどけなさが残るすこし頼りない新郎が立っていた。

 その写真をみつは、先程からもう1時間も眺めている。テーブルに載っている紅茶は、とっくに冷めていた。

 みつには、花子が結婚を決めた時に言った言葉が聞こえてくる。

 「まだ、 19歳と言うけれどお母さんだって19歳で結婚してお父さんと今でも仲がいいでしょ。私だって彼と絶対に幸せになるわ

『若い時の苦労は買ってでもしろ』って言うじゃない。彼も私も今のお母さんから見た頼りないだろうけれどこれからのことを一緒に考えた方がきっと強い絆ができると思うの。』大丈夫よ。」


 写真の中の花子の顔には、あの時の怪我の傷痕などなかった。

 「お母さん、ここまで育ててくれてありがとうございます。お母さんがわたしのお母さんよかったわ。」

 そんな花子の声が、みつの耳にはいつまでもこだまし、幸せ色した花子がみつの幸せでもあった。



  ☆ ~ ☆ ~ ☆ 

少し前の時代の女性ですね。

今の若い方には、理解しがたい考え方の女性だと思います。

でもこの状況で『みつ』は、一生懸命生きたと思います。


まだ、2作目です。読んでいただきありがとうございます。

 

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