森エルフのモーニング
おじさんはお客さんがいない時は休憩しています。
おじさんはお客さんがいない時に食事をすることがあります。
おじさんのお店はあくまで喫茶店です。
悪魔の森。その中心部にはとてつもなくうまい飯屋がある。その森に住む者でもその存在を知っているのは一部の限られた者だけであった。
『カランコロンカラーン』
ドアベルの音が薄暗い店内に鳴り響く。
「いらっしゃいませ」
カウンターテーブル席に座り黒い板を眺めながらトーストをかじっていた男は来客に気付くと歓迎の声を口にして席から立ち上がる。
「おはようマスター。いつものモーニングセットちょうだい」
透き通るような白い肌をした耳の長い女性。
森エルフのミスズはいつものようにカウンター席に座り注文する。
「今日はガーライオンの魔石を持って来たわ。でもこの石はちょっと小さいかも」
そう言いながらカウンターにこぶし半分程の大きさの魔石を置いた。
悪魔の森の沼地に生息するガーライオン。
一見すると大型のワニだが首元にライオンのような鬣を持つモンスターである。
顎の力がとても強く、ミスリル鉱石でもかみ砕いてしまうと言われるこのモンスターもミスズにとってはちょっとだけ厄介だと感じる程度の敵でしかなかった。
「討伐お疲れさまでした。それでは魔石を鑑定させて頂きます」
男はそう言うと右手に持っていた黒い板の表面を何度か指先でなぞってから魔石にかざした。
『……カシャッ』
小さな光と不思議な音が黒い板から発せられる。
「いつ見ても不思議な魔道具ね」
ミスズはこの光景を何度も見ていたが、つい正直な感想が口に出てしまっていた。
彼女は見た目は二十代だが、すでに百歳を超えている歴戦の戦士である。
長い年月を生き、魔道具にも造詣が深いミスズですら今まで見たことの無いアイテム。
どうやら魔石の価値を鑑定する類の物であるという所までは分かったが、それがどのような仕組みで動いているのかまでは分からなかった。
「すいません、前にも言いましたがこのタブレットについては詳しいことはお教えできないんです。……あ、今日は4000ポイントですね」
「いいわよ、誰にも言えないことはあるから。マスターも私の年齢は聞いちゃ駄目よ。でも毎日タダでモーニング食べさせてくれるなら教えてあげてもいいかも」
そこには人差し指を唇に当てながら微笑む美人の姿があった。
◆◆◆
ひと月前の事。突然森の中心部に一夜にしてログハウスが現れた。
エルフの村の長老は森の異変に気付き、村でも優秀な狩人であるミスズとその妹であるフィノにすぐさま調査を命じる。
調査の結果二人はこの場所にログハウスが建っていることを確認し、その周辺では一切の魔法が使えなくなっている事に気付いた。
「……ミスズお姉ちゃん、私こんな結界魔法見たこと無い」
「フィノ、落ち着いて。周りへの警戒を怠らないで」
魔法をキャンセルする魔道具であればエルフの里にも設置されている。
しかしエルフである二人はこのログハウス周辺が魔道具ではなく結界魔法によって守られていることに気付いたのだ。
「魔法がキャンセルされてるだけじゃなくて、肉体的にも一定以上の力が出せないように制限されるみたいね。もしこの場所でゴブリンと戦えば互角って所かしら」
「そんなの危ないじゃん。モンスターが来る前にここから離れないと」
ミスズよりも若く経験の浅いフィノは慌てて逃げようとする。
「いえ、多分大丈夫よ。聖の魔力を感じるからモンスターは結界には入って来れないわ。多分世界樹の結界と同じ仕組みね。いえ、それよりも強いかも」
「ええ、それってすごいことじゃん。家の中に神様がいるの?」
「そうね、最低でも伝説のハイエルフ様以上の存在はいるでしょうね」
ここまで強力な結界を展開し続けることができる存在とはいったい何なのか?
期待と不安の中、二人はその存在を確かめるためにゆっくりとドアを開けた。
◆◆◆
『ジュワァー』
ミスズはフライパンでベーコンを焼く音を聞きながら、始めてこの喫茶店に来た時の事を思い出していた。
「いつ聞いても良い音ね」
「ええ、ベーコンはカリカリに焼くのがウチの店のベーコンエッグですから」
男はそう言うとフライパンの中で焦げそうなほど焼かれたベーコンの上に三個のタマゴを割って入れた。
そしてそのまま蓋をして火を弱めたフライパンの前から離れ、食パン二枚をトースターで焼き始めた。
「そのパンを焼く魔道具便利そうね。私も欲しいわ」
「すいません、この店の中にある物は外に持ち出せないんすよ。入り口で弾かれてしまう魔法?みたいなモノがかかってるみたいで」
「いいわ、そんなつもりじゃないから。多分ドワーフに頼めば似たような物を作ってくれると思うし」
「へぇ、エルフさんだけではなくてドワーフさんもいらっしゃるんですか。さすがファンタジーの世界ですね」
ファンタジーと言う言葉はよく分からなったが、ドワーフがいることを知らないという男の言葉を聞いてミスズは一部の限られたエルフのみに伝えられている言葉を思い出していた。
『魔力の無い人間はこの世界では生きることができず、すぐに死んでしまう。もし魔力の無い人間が生き続けていればそれは神の使い、使徒である。使徒は人間以外の種族が存在しない世界から神によって召喚される。そのため、人間以外が使徒となることは無い。使徒とは普通の隣人として接せよ。媚びる態度、威圧的な態度を見せてはならない。使徒を利用してはならない。また敵対してはならない。なぜならそれは神を利用すること、神と敵対することになるのだから』
ミスズはパンが焼ける香ばしい匂いを嗅ぎながら、始めてこの喫茶店に来た時の続きを思い返していた。
◆◆◆
『カランコロンカラーン』
ドアを開けるとベルの音が店内に鳴り響く。
そこには男が一人佇んでいた。
エルフである二人は出会った瞬間に目の前にいる男が魔力を一切持っていないことに気が付いた。
「……うそ」
「お姉ちゃん、この人魔力が無いよ。おかしいよ」
フィノが不安そうな声でミスズに話しかける。
一方のミスズは使徒の伝承が頭を過り言葉が出てこなくなってしまう。
「お姉ちゃんどうしたの?お姉ちゃん」
そんなミスズ達に男は優しく語り掛けた。
「いらっしゃいませ。ここは喫茶店です」
◆◆◆
『チーン』
店内に響き渡るトースターの音でミスズの意識は現在に戻る。
気が付けば皿の上に綺麗に盛り付けられたボリュームのあるベーコンエッグと大き目のグラスに入ったアイスコーヒーがカウンターの向こう側にすでに準備されていた。
手慣れた手付きで焼けたパンが皿に盛られベーコンエッグと共にカウンターに運ばれる。
「お待たせしました。モーニングセットです」
「うわぁ。いつ見ても美味しそうね」
ミスズはそう言うとアイスコーヒと一緒に遅れて運ばれてきた小皿の上に置かれていた二つのバターを、アツアツの二枚のトーストの上に一つづつ乗せる。
バターが溶ける姿を見て楽しむのと同時にナイフとフォークを使ってベーコンエッグを一口サイズに切り分けた。
「うぅん。塩味の効いたベーコンがパリッとして、それに胡椒の効いた半熟の黄身が絡み合って最高」
ベーコンエッグを一口楽しんだその次はトーストだ。
エルフの里ではお祭りの時くらいしか食べることができ無い柔らかい白パンが、贅沢にも厚く切られている。
普通のパンをこの厚さに切ると噛み切るだけでも一仕事なのだが、この白パンはあまり力を入れなくても『サクッ、モチッ』と簡単に噛み切ることが出来るのだ。
「カリッとした表面と、パターが浸み込んだしっとりとした表面二つの食感を同時に楽しめるなんて贅沢。それにアイスコーヒーの苦みが口の中を良い感じでリセットしてくれるのも良いわね」
二口パンを楽しんでから一口ベーコンエッグを食べる。
それに挟んで無糖のアイスコーヒーを飲むというミスズのローテーションは、あっという間に終わりを迎えた。
「ああ美味しかった。これで500ポイントなんて信じられないわ」
森エルフは菜食という訳では無く普通に人間と同じ味覚をしている。
ただ、森の中で農業を行うのはどうしても難しいため、普段の食事は森の恵みに頼った物が自然と多くなっていた。
その中でもミスズは百年生きているうちに人間の街だけではなく、ドワーフ、魔族の街で食事した経験もありエルフの中でも舌が肥えていた。
そんな彼女をも唸らせる魅力が、このモーニングセットにはあったようだ。
「まだ、3500ポイント残っているわね。次はオニギリのモーニングセットにしようかしら」
ミスズは以前食べたライスを丸めたふしぎな食べ物のことを思い出し静かにお腹を鳴らす。
胃袋にはまだまだ余裕がありそうだ。
「おにぎりセットですか。そういえば昨日フィーノさんはセットでは無くおにぎりを単品で20個食べて行かれましたよ」
「うそ、オニギリはモーニングセット以外に単品でも注文できるの?」
「はい一個100ポイントで、ツナマヨ、梅、おかか、こんぶ、鮭の中からお選び頂けます。おにぎりだけじゃなくその他メニューに無い物でも相談には乗りますので何かリクエストがあればおっしゃってみてください」
「じゃ、じゃあとりあえずオニギリ全種類お願い」
「はい、かしこまりました」
男はそう言うと調理にとりかかる。
『使徒とは普通の隣人として接せよ』
ミスズはこの言葉を守り、男とは友人の人間冒険者と同じように接していた。
男の目的がどうやら魔石を集めることだと分かったため、今まで以上に狩りに精を出し魔石を集めるようにしていた。
そうすれば魔石を対価として、今まで知らなかった美味しい料理を食べることができるからだ。
『使徒を利用してはならない』
この伝説を信じ、メニュー外の注文するのはもしかして失礼なことではと遠慮していた自分が馬鹿みたいだなとミスズは後悔していた。
その後遠慮が無くなったミスズの数多くのリクエストによって、店の裏メニューが増えていくのは別の話である。
おじさんがかじっていたトーストは後でおいしく頂きました。
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