第70話 阿呆ですか?
客室の大窓から、朝の斜陽が差し込む。
大通りを通る人々の賑やかな声が聞こえる宿の客室。エーリカはベットで寝息を立てるレイズを揺さぶって起こす。
「レイズさん、起きてください。朝ですよ」
「うぅ……ぐっ」
レイズは寝ぼけ眼のまま、上体を起こしエーリカを見つめる。
エーリカの服装はシンプルな白のノースリーブブラウスにスカーレッドのフレアスカート。上にはスカートと同じ色の外套を羽織っている。一目でいつでも外に出られる格好だ。
「エーリカ……か」
「すみません。レイズさんが起きないものですから、心配になってお部屋に入ってしまいました」
「いや、俺こそ寝坊して悪かった」
レイズは強めに自身の頬を殴り覚醒するとベットから飛び降り、傍のデスクチェアに掛けられた衣服に目を移した。
エーリカはそれを見ると、一礼して部屋を出ていく。そして廊下側から客室の扉にもたれかかり、話を続けた。
「仕方ないですよ。夜明けまで、リリアさんを探していたんですから」
エーリカは俯きながら、悔し気に漏らす。
扉の向こうのレイズからは言葉が返ってこない。きっと着替えながらも悄然としてしまっているのだろう。
リリアが忽然と姿を消した。
エーリカが見守っていておきながら、少し気を許した隙にリリアはどこかへ消えてしまった。
いなくなる前にリリアが見た《《夢》》が関係しているのだろう。
その後、キュオレ騎士団の面子と共に王都中をくまなく探し回ったが、リリアの姿はどこにもいなかった。
もしそれが、ネザの洗脳系魔法による後遺症の影響だとすれば。
そしてリリアが亜人排斥思想に呑まれ、今現在ネザと接触しているのだとしたら。
エーリカは沸き起こる負の妄想により、自らの手をぎゅっと握った。
「罪悪感に呑まれるなよ、エーリカは悪くねぇんだ。それだけリリアを信頼してた結果だろ」
エーリカの心情を感じ取ったのか、中のレイズからそんな声が聞こえてきた。
「ですが……私がもっとリリアさんを信頼していれば、リリアさんの心の変化に気づけたはず……」
「泣き言はリリアを見つけた後だ」
「わっ!」
突然、寄りかかっていた扉が力強く押され、エーリカは前のめりに倒れかかる。
「さっ、行こうぜ!」
いつもの姿のレイズがニヤつきながらエーリカに催促する。
「はい。リリアさんが自分を見失ってしまう前に、必ず見つけましょう」
固く決意し、エーリカはレイズと廊下を抜け、階段を降りる。
それは、宿屋のフロントにやって来た時だった、
「明後日の祝賀会楽しみだな!」
陽気に話す男の声が聞こえてくる。エーリカは直ぐに食堂で会話を交わす男たちに耳をそばだてた。
「だよな。大通りに大規模な露店が出るらしいぜ」
「それと、トリにはモザ=ドゥーグを倒したっつー英雄が王都中で凱旋するらしいぜ」
「マジかよ!?その英雄って俺らみたいな一般人なんだよな!」
「えっ?騎士じゃねぇのかよ!?一度顔でも拝んどきゃな」
「どうした?エーリカ」
レイズが尋ねるも、エーリカは颯爽とフロントに行くと、宿屋の主人に話しかけた。
「あの、祝賀会ってどういうことですか!?」
「し、祝賀会!?あぁ、明後日の英雄祭の事かい?」
いきなり尋ねられた主人は動揺しながらも、思い出したかのように応えた。
「え、英雄祭?」
「商工会が名付けた祝賀会の名称だよ。なんでも盛大な祭りとなるらしいから、王都中が今お祭りムード一色だよ。うちも何か出店を構えたいね」
「一刻も早く中止してください!!!」
「ちゅ、中止!?私にそんな顕現ないでしょ!?」
突拍子もない発言をしたエーリカに店主は声を張り上げる。
エーリカはすぐさまレイズを振り向き、声をかけた。
「レイズさん、行きましょう!」
「応!」
二人は導かれたように、宿屋を飛び出した。
*
「え?馬鹿なの?」
国王ノースーンと彼を取り囲む護衛騎士前であっけらかんと暴言を吐くクルーガー。
そんな尊敬の念も微塵のないクルーガーに、隣の隻眼の騎士ランバーズは思わず冷や汗を垂らした。
「国王に向かって馬鹿とはなんだ馬鹿とは」
「失礼ですが国王陛下、今のお言葉は“真”、という事でしょうか?」
「真実も何も、決定事項だ」
一切の迷いなくそう言い切るノースーンに、クルーガーは眉を寄せる。
「なんでよりによって“裁きの刻”が予告されている頃合いで祝賀会なんてものを開くのですか?商工会の最高幹事であるシルヴァルード家の当主はアヴァロニカ軍のトップだとは何度も説明したはずなのですが?」
「証拠がないだろうが証拠が!!」
「証拠ならあなたの眼が潰れるまで散々見せたでしょう!?」
平然さを突き通していたクルーガーでさえも、国王の発言に声を荒げてしまった。
それもそうだ。クルーガーとヴィカトリアの二人がかりでのシルヴァルード邸の家宅捜索の後、クルーガーは持ち帰った証拠品をキュオレ騎士団と国王に献上した。それはシルヴァルード邸当主、ネザの者と思われる日記帳。
クルーガーは詳細な補足を交えてまで信頼の置けるノースーンに事の全容を説明したはずだった。しかし、
「だから私はその証拠が帝国による陰謀の可能性があるだと申しておるのだ!私だけではなく議員団も同意見だ!!」
シルヴァルード家は王国とも親交深い貴族だ。よもやそんな貴族がアヴァロニカ帝国の手先とは信じることが無謀である。
秘匿にせよとクルーガーが告げ口したにもかかわらず、議会にまでその情報を漏らし、やはりあり得ないという全会一致の意見で証拠を否定してしまった。
そもそも仮にこの証拠が帝国による陰謀だとしても祝賀会を開くのは些か無理があるのだが、議会は問題ないと会を強行したようだ。
クルーガーの推察の通り、王国の内部にアヴァロニカ従属軍の密偵が潜伏しており、会が予定通りに動くように根回ししているのだろう。すべては“裁きの刻”を効率的に王都で起こすために。
「もしや国王は、どうしようもない阿呆ですか?」
「宮廷魔術師殿!!!」
流石のランバーズでさえも、クルーガーの名を呼ぶ。
それでも、クルーガーの勢いは衰えることなく。
「だってそうですよね?こんだけ証拠が揃ってるのにアヴァロニカ帝国の陰謀だーとかふざけたことを抜かすなど相当阿呆か国王と議会がアヴァロニカ帝国に乗っ取られたぐらいしか思えませんよ?ええ僕は当然国王陛下を信頼しきってますので後者はありえないとしてやはり阿呆で……」
「ここここれ以上私の悪口をべらべらと吐くようならば、
ここで貴様の首を斬るぞ!?」
暴言ばかりを吐くクルーガーに憤慨し、ノースーンはクルーガーを指さして忠告した。
「ええ首斬りをも覚悟のうえで申し上げさせていただきます。祝賀会は即刻中止してください」
はっきりとしたクルーガーの言葉に、国王は息を呑む。
しかし数舜の思考の後、ノースーンは首を横に振り静かに告げた。
「シルヴァルード家には逆らえん。ハインゲア五十年の復興の歴史は誰が先導したと思っているのだ」
その応えに、クルーガーは反論できなかった。
ハインゲア王国におけるシルヴァルード家は、中流階級の貴族と言えど、庶民から他の貴族に至るまで彼らを英雄視する者が多い。
それは五十年前に起こった悲劇の後、全壊した王都の復興に先陣に立って尽力した功罪の対価だ。
一時は当主の年収による階級区分を撤廃し、彼らの功績を重視して上流階級に引き上げようとする動きが議会で見られる程。今回のモザ=ドゥークですらも、一般人討伐したと情報が出回るまでは、騎士を否定し、シルヴァルード家の者が打ち砕いたと噂を広める者までいた。何処から情報が漏れたのか皆目見当もつかないが。
つまり、王国民からしても彼らがアヴァロニカ従属軍の長、延いてはアヴァロニカ帝国の手先とは“ありえない”の一言なのだ。
隣で頭を垂れるランバーズでさえ、怪訝な表情でクルーガーを横目で眺めた。
「アヴァロニカ従属軍はそなたら王国騎士団がなんとかしてくれると期待している。ハインゲア王国騎士が一騎当千の者たちということは私が一番理解しているのだからな」
「いい話風に纏めていますが、どさくさに紛れてこんな大事責任転嫁しないでもらえます?」
「……ぐぬぬ。ま、まあ、アヴァロニカ軍が内乱を起こそうが、もし仮にだぞ?仮にアヴァロニカ帝国が我が王国に派兵したとしてもだ……く、クローセルが王城に帰還すれば何とかなる……」
「彼らは今長期遠征中でしょうが!!」
ハインゲア王国唯一の王子、クローセル・リーザ・ハインゲア。王国騎士の長も務める彼が率いている第一叙勲“クローセル騎士団”は、王国最強の諱がつく騎士団だ。
しかしながら、彼らは半年前からミレニア王国に長期遠征中のため、何時帰還するかも分からない状態。重要任務故、簡単に帰還することも望み薄なため、彼らに助けを乞うのは不可能と言える。
また、戦力としてハインゲア王国には全種族の頂点とも言える大地の巫女セレス、またはカルテット商会商会長のヴィカトリア・カルテットも挙げられるが、前者は基本的に他種族間の争いには手を出さず、後者はアヴァロニカ帝国とも貿易を行っているため、“頼みづらい”が勝ってしまう。なにより、今回の一件でクルーガーはヴィカトリアにさんざん迷惑をかけたことを自覚しているためか、余計に“戦力”としての彼女への要請は躊躇ってしまう。
つまり、もし仮に祝賀会中に“裁きの刻”なるテロが起こった場合、それに対処するのは王都に駐留する王国騎士の役目だ。
最悪の場合、アヴァロニカ帝国が派兵してきたとしても。
「私は公務が忙しい!後は頼んだぞ!」
ノースーンは一方的に討論を締めくくり、抵抗するクルーガーとランバーズを追い出した。
王宮からの帰り道、王城の廊下をコツコツと音を立てて歩くクルーガーとランバーズ。
「やはり国王は阿呆だ」
クルーガーはボソボソとノースーンへの暴言を吐き散らし、ランバーズがそれを宥める。痩躯な冴えない男を隻眼の巨漢がまあまあと宥める何とも珍妙な光景だ。
落ち着きを見せたクルーガーはふと、隣にいるランバーズに目を向けて。
「付き添い感謝します。今回の一件で信頼できるのはあなたたちの騎士団だけですので」
「いえいえ、こちらこそ宮廷魔術師殿に信頼されるのは我が騎士団にとって誉です」
そう言いながらも、何かを言おうか言うまいかと口をもごもごとさせているランバーズ。
筋骨隆々な巨漢に何とも似つかわしくない仕草に、クルーガーは不貞腐れ気味に、
「何か言いたいことでも?」
「いえ、その、大変口達者でおられて」
「はっはっはっ、国王とは幾度となく口喧嘩を繰り広げてきた仲ですから」
「そろそろ御身の方も気にしたほうが」
「それで、獣人少女の行方はどうです?」
自分に不利な会話を強引に逸らし、クルーガーは話を切り出す。
リリア失踪の情報は、クルーガーの耳にも入っていたのだ。
「少年らと我が騎士団総出で捜索中なのですが、依然として、彼女の動向は掴めておりません」
「そうですか。もし、彼女が地下の廃坑に潜ってしまった場合。地上から彼女を探すのは無理ですね。地下を捜索するとしても、相当な数の兵を揃えないといけません。なんせ、地下にはアヴァロニカ従属軍が潜伏している可能性があるのですから」
アヴァロニカ従属軍の構成員は皆同じくしてネザの魔力の波動を体内に有している。これは、クルーガーが日記帳を調べつくして得た情報だ。しかし、クルーガーが王都中を魔力探知したとて、そのような者は一人も見つからなかった。
逆に、地下の廃坑を調べようとした時、魔力探知を阻害する結界に弾かれてしまった。そうなると、構成員は地下に潜伏しているのは明白だろう。
騎士を総動員して地下を叩くという手段もあるが、密偵、基内通者の存在が危険視される中、不用意に騎士を廃坑に送ってしまえば共倒れになってしまうだろう。
そうなると、内通者疑惑で筆頭候補に立つほどの、事情聴取で荒ぶりを見せた第四叙勲の騎士長に探りを入れるのが先決だとクルーガーは結論付けた。
そう考えたクルーガーは、おもむろにリリアの存在について語り出す。
「彼女がこちら側にいたのは戦力的にもかなりありがたかったのですが、万が一向うの手に渡ってしまえばどうなるか」
「宮廷魔術師殿」
考えたくもない事態を口ずさんでしてしまったせいか、クルーガーは自らの口を封じる。
「冗談ですよ」
「いえ……それは、少年らが許さないでしょう」




