第67話 逆夢
リリア・キャンベルは夢を見た。ミレニア王国の小さな村で、家族と平穏無事に暮らす「もしも」の夢。
リリアの容姿は、齢十二歳の自分と瓜二つ。同年代の村の子供なら、まだ“世間”を覚えたばかりの時期だ。
しかしリリアは、十歳を迎えた後に心無い人間によって家族を失い、村を焼き尽くされ、自らの命も絶たれる寸前であった。そこがリリアの運命の分岐点。
もし自分の辿った運命を「地獄」と称するならば、目に見えている虚空は「天国」なのだろう。
風が吹き、草花が揺れ、雲一つない晴天が広がる空。
ふと遠くの丘の上を見やる。そこにはリリアと似た一人の少年がいた。
現実では、見たいとさえ願えないはずの少年──八歳のセルト。
彼は仁王立ちで呆然とするリリアを見つけ、駆け足で此方にやってくる。
「お姉ちゃん!」
「セルト」
感情の整理がつかない。リリアはただ、繰り返し繰り返し少年の名を呼ぶ。
やがてセルトは、リリアの目の前でスタッと立ち止まった。
リリアと同じ純白の尾を元気いっぱいに振り回しながら、セルトはリリアに告げる。
「お母さんが呼んでたよ!お昼にしようだって。今日のお母さん、記念日だからって張り切ってたんだよ。いっぱいお料理作ってるんだろうなー。楽しみだね」
その言葉に、リリアは応えることはなかった。否、応えられなかった。
応えてしまえば、自分がこの夢の中に永遠に囚われてしまう。そう悟ったからだ。
「おーい。お姉ちゃんどうしたの?僕の声聞こえてない?」
リリアの心情も知ることなく、セルトは怪訝そうに尋ねる。
セルトの問いかけに、リリアは息詰まった。
「もしや。お父さんが人間のみんなと仲良く話ししてて全然構ってくれないからって拗ねちゃったの?」
「え?」
セルトの言葉に、リリアは思わず目を丸める。
「聞いて!僕も朝から村中探してるんだけど、お父さんどこにも見つからないんだよ!お父さん相当忙しいんだねー」
「そ、そうなの……」
「でも仕方ないよね。にんげんとのいぶんかこうりゅう?っていう仕事、たしゅぞくかんのこんごのかんけい?に凄く大事って昨日お父さんが言ってたもん」
リリアが望み、父がリリアのために叶えようとした理想の世界。
セルトはおもむろに、川の向うのあぜ道に視線を移す。
そこでは人間の乗る大勢の荷馬車が、一つの方向に向かい列を成していた。
道の先にはリリアの住む村がある。どうやらこの馬車列は、ずっと向うの村にまで続いているようだ。
「いつもはこんな通らないのに、今日は人間いっぱいいるよね。みんなこうりゅうさいに参加するのかな」
幼少期のリリアであれば、このような馬車の列であれば、興奮冷めきらずに目の前の川に落ちていたことだろう。けど今は、そんな気は起きなかった。
「これが、姉ちゃんが望んだ景色だよね?」
セルトは純真無垢に言う。
そうだ。自分の目的は、
平和な世界──亜人も人間も、皆が幸せ暮らせる平和な世界を創ること。
そのためにエルフの里を抜け出し、仲間になった二人の人間と旅を始めたのだ。
では、何故自分は今更、こんな夢を見ているのだろう。
「行こ、お姉ちゃん」
ふいにセルトは、手を差し伸べる。
リリアは何故と尋ねることもなく、その手を握ってしまった。セルトの手は、とても温かかった。
二人は無言で走り、草原の向うの丘に登る。
丘の上からは、村の活気を一望出来た。
左手のあぜ道には、荷馬車がずっと遠くから長蛇の列を成している。
村の大通りでは露店が構え、ゴマ粒ほどの人間と亜人で賑わう光景。
目を凝らすと、リリアの見知った人物が見受けられた。
父、母、レメリー。村長や、リリアと同年代の子供もいた。
みんな笑顔で、人間と談笑している。
抑えきれなかった。リリアのマリンブルーの瞳から、涙が濁流のように溢れ出た。
「うぅ、うっ……」
「お姉ちゃん?」
「私、この世界にいていいかな……」
リリアは涙ながらに口漏らす。
「セルトと一緒に、このままずっと、ここで暮らしてもいいかな……」
「それは、みんなに聞いてみないとね」
セルトは村を仰ぎ見ながら、そう言う。
草原に吹くそよ風が、二人の白い髪を揺らした。
うんと頷き、リリアとセルトは村へと向かう。
丘を降り、村が間近に迫る村道に入る。
不思議と、そこで枯れていた涙が再び溢れてきた。
“向うの世界”のこの場所で最期にリリアが見たのは、炎に包まれた村の残酷な運命。
偶然なのか、そこには皆の姿があった。
その中の一人はリリアとセルトの姿を一瞥すると、元気に言葉を垂らした。
「帰って来たか」
「お父……さん」
リリアは思わず呟く。
そこにいたのは、自分がずっと背中を追ってきた──父リルトの姿。
「お……父さ……ん」
リリアは震える声で、リルトの名を叫ぶ。
「お父さん!!!」
そして勢いのあまり、リルトに突進した。
「リリア」
リリアは涙を散らしながら父に手を伸ばした。リルトの顔も、皆の表情も、リリアの視界には映ることもなく。
「お父さん!!!!!」
「リリア」
この世界は真実ではない。リリアが無意識の内に作り上げた虚像だ。
必然的に、目の前の人物も、リルトも、セルトも、リリアの中の「もしも」の世界の住人にすぎない。
しかし、それでもなお、
リルトの胸の中に包まれたい。リリアはそれだけを想って、リルトに飛び込んだ。
だが──
「えっ……?」
そんなリリアの華奢な身体を、近くにいた子供が突き飛ばした。
気付いた頃には、リリアは村の外にいた。
リリアは事に動揺することもできずに放心した。
「忌み子だ!忌み子が来たぞ!!」
気付くと、そんな声がリリアの耳に突き刺さった。
それを筆頭に、村の方角からは次々と罵声が飛んでくる。
「お前がいるから我らが穢されるのだ!!」
「獣人の名折れめ!!」
「忌み子は村から出ていけ!!!!!」
遂には、出てけ出てけ、と村人たちが連呼し始めた。
「なん……で……?」
この世界は、リリアの望んだ世界のはず、
「エルフもどき女はこの村から出てけ!!」
人間も亜人も、平等な世界のはず、
「異端児は此処には必要ない!!!」
みんなが幸せに暮らせる、平和な界のはず、
──なのになんで、自分だけが除け者されるの?
「セルト……?」
顔を上げると、四つん這いになる自分の前にセルトが立っていた。
リリアは涙目のまま、セルトの顔を見やる。
「……っ」
その目は、蛆でも見つめるかのようにリリアの身体を冷徹に射貫いていた。
「お姉ちゃんは、僕たちとは違う」
乾いた声で、セルトはそう漏らす。
「違う……セルトはそんなこと言わない……」
身体を支えているリリアの両腕が震える。
リリアは首をぶんぶんと振って否定した。
こんな光景が、リリアの望んでいた世界なはずがない。
同胞であるはずの村人が、自分だけを突き放すわけがない。
なにより、自分だけが否定されるはずがない。
「本当にそうかい?」
背後からそんな声が聞こえた。
立ち上がって振り向くと、そこにはリルトがいた。
「お父さん……」
「君の同胞とされる者たちが、幼い頃の君にした仕打ちを、よもや忘れたとでもいうのかい?」
「……っ!!」
思い出したくもなかった。しかしリルトに言われ、その記憶が滝のようにリリアの脳髄に流れ込んでくる。
『レメリー……?その女と何をやってる?』
『えっ……?』
『あっ』
村長に、親友と一緒にいるところを見られてしまった。
村長はリリアとレメリーを見るなり、憤慨し怒号をあげた。
『この野郎!レメリーから離れろ!」
『い、いや!』
『やめてよ!父さん!』
『レメリー!お前もこの女に関わるなと何度も釘を差したはずだぞ!』
その後、リリアは村の若人から酷く暴行された。
『あの、これ二つください』
エルフがこの村を訪れるようになったある日。リリアは母に頼まれ、村の果物屋にお使いに行った。
『はい。二つね。これ……』
店主の老婆はリリアの声に誘われリンゴを二つ掴み取る。しかし、顔を上げリリアの顔を見た瞬間。
『アンタ、なんでここに』
『えっ、お母さんにお使いを……』
『帰んな汚らわしい!!』
老婆に手を払われ、リリアは店から追い出されてしまった。
帰り道、村の大通りを歩くリリアを見て、通りかかる村の物たちが口々にリリアを貶した。
『お、忌み子が来たぜ』
『おーい。ここはお前の来る場所じゃないぞ?』
『エルフでも獣人でもねぇ。半端な奴がなんでこの村に住んでるんだ?』
「君が助けたがっていた者たちは皆、君を仲間外れにしたはずだよ」
「いや……!いやぁ!!!!!」
リリアは頭を抱え、記憶を抹消しようと叫び散らす。
「出て行って!!私の中から出て行って!!!」
しかし、叫んでも叫んでも、その記憶の渦がゴボゴボと記憶の淵から湧き上がってくる。
腰には、いつの間にか愛剣が携わっていた。
リリアは記憶の氾濫を食い止めようと死に物狂いになり、
その剣で、自らの尾を斬り捨てた。
「があっ、あああああぁぁぁぁぁ!!!!!」
身体を蝕んだのは身を抉るような痛苦。それでも、記憶に蓋をすることができなかった。
「やめて……っ、もうやめて……」
痛苦に耐えながら、リリアは必死に記憶を消去しようと喚き散らす。
悶絶するリリアの隣から、リルトはこう言葉をかけた。
「私を、一人にしないで……」
「もういいじゃないか」
「……っ」
「亜人を救いたい、か……君にはそんな夢のような理想に見合う理由は、持ち合わせていないんじゃないか?」
己惚れていたのだ。人間と亜人が仲良くなれば、それでいいと思っていた。
最初から考えるべきだった。人間と亜人が平等になったところで、自分がその中に入る余地はなかったのだ。
「……っ!!!」
「君は本当に、亜人を救いたいと思っているのか?」
その言葉に、リリアは愕然としてしまった。
*
「……ア……さん……?」
「……ぅっ」
「リリアさん……?」
目を覚ますと、視界にはリリアを憂わし気に見下ろす茶髪の少女がいた。
「エーリカ?」
「大丈夫ですか。凄く魘されてましたよ?」
リリアがスッと身を起こすと、エーリカはベット脇の小テーブルに置かれていたマグカップをリリアに手渡しながら尋ねる。
「何か悪い夢でも見ましたか?」
リリアはマグカップを手に取ると、微笑しながら応える。
「へ、平気。ちょっと昔の夢を見ただけだから」
そう言うと、マグカップの水をぐびっと飲み干す。
そうしてふうと一息つくと。
「少し、落ち着いたわ。ちょっとお手洗いに行ってくるわね」
リリアはベットから足を降ろすと、エーリカもそれに追随して丸椅子から立つ素振をする。
「そ、それなら私も!」
「子供じゃないんだから。それくらい一人で出来るわよ」
だがリリアに肩を掴まれ、エーリカはしげしげと丸椅子に座り直した。
「そ、そうですよね」
リリアは顔に微笑みを浮かべがら、その場を立ち去った。




