第63話 逆襲者《後編》
「お、お待たせしましたぁ!」
額に汗を垂らして、執事が早足でティーポットとカップを載せたお盆を持ってきた。
「何かありました?」
「い、いえ窓の外に巨大な竜巻が見えたもので、少々震え上がってしまって」
「竜巻?」
二人は揃って目を見合わせる。
「外は晴天のようですね。本当に竜巻が?」
「本当です!!西の方から」
と、証拠を探すのに夢中ですっかりと脳内で処理しなくなっていた監視映像の一つを垣間見る。
そこには、白髪の獣人少女が周りを囲んだガラの悪い男たちを一掃している映像が映し出されていた。
「本当のことですね。どうやら害もないようです」
「そ、それならよかった……いやよくないですよ!!」
ほっと一息ついた執事は、ハンカチで額から流れた汗を拭いクルーガーとヴィカトリアに紅茶の入ったカップ渡す。
それを啜りながら、ヴィカトリアはクルーガーに視線を移した。
「今の情報は信用に足るもので?」
「えぇ、詳細を存じ上げることはできませんが。心配しなくとも結構ですよ」
「心配していませんよ。クルーガーさんのことなので深追いもしません」
「ありがたいです」
「そ、それで何かわかりましたか!?」
切羽詰まった様子で執事がクルーガーとヴィカトリアに問う。
二人は一度互いに目を見合わせるが、
「一度、扉を閉めてもらえますか?」
「え、えぇ」
クルーガーの要求に頷き、執事は扉を閉める。
「そ、それで」
「どうやらそちらの主殿は、裏で亜人を奴隷として取引していたようですよ?」
「え、えぇ!?」
クルーガーの言葉に、執事は部屋中に響き渡るほどの素っ頓狂な声を上げた。
二人は騒音もいい所の声音に耳を塞いでしまい、
「その表情を見る限り、初耳、ということですね?」
「もちろん!?そんなこと主様から言われたことは一度も!?」
「そうですか。このことは他言無用でお願いします。勿論、奥様にも」
「り、了承しました!!」
「では、証拠探しをしたいので出て行ってもらえますか?」
「は、はい」
そう言って、執事はそそくさと部屋を出て行った。
「言っても良かったのですか?」
「えぇ、彼に口外できるほどの度胸はないでしょう。一応、使い魔を送っておきましたが」
「行動が早いですね」
一息置いて、ヴィカトリアはクルーガーに尋ねる。
「で、これからどうします?」
「ハインゲア王国では奴隷商を全面禁止しています。これが真実なのであれば、早急に何か対策を練らなければ……ですね」
「私も手伝いますよ」
「お心遣いはありがたいのですが、ヴィカトリアさんの場合、あまり手を出し過ぎてはアヴァロニカ帝国との貿易に支障が出るのではないですか?」
ハインゲア王国で起こっている事件の捜査にヴィカトリアが加勢してくれることはこの上ない戦力だが、アヴァロニカ帝国とも武器貿易を行っている以上、ヴィカトリアの貿易戦略にも危険が及ぶ可能性もある。ガルランとミレニアすらアヴァロニカ帝国に屈してしまっている以上、アヴァロニカ帝国に背を向けてしまうのは商会存続の危機となるだろう。
だが、ヴィカトリアアッシュブロンドの長髪を振るい、
「私、悪の権力者、大っ嫌いなので」
「随分と、年齢相応とした答えですね。見た目ですが」
「見た目年齢のことはもう気にしないでもらえますか?」
「失敬」
そして──
「こればかりは商会長としての私ではなく、一個人として調査に協力させてもらいます」
「心強いですね」
「さっ、引き続き証拠となるものを探しましょう」
相変わらず飄々としていたヴィカトリアだが、先の発言には僅かに感情がこもっていることを、クルーガーは見抜いていた。
しばらくして、
「あの」
「なんですか?」
「先程の手記に、隠れていた新たなページを見つけました」
「はい?」
「こ、これです」
ヴィカトリアは恐る恐る、クルーガーにそのページを見せつけた。
「肉体改造の……黒魔術……?」
*
時は経ち二時間後、空はうっすらとオレンジみかかってきた頃。
屋敷の正門前の通りで、クルーガーとヴィカトリアは屋敷の全景を眺めていた。
「結局、証拠となるのはこの手記だけでしたか」
「えぇ、ですが大した証拠です。僕が預かっておいてもいいのですか?」
「はい。クルーガーさんなら、何か他の証拠を見つけてくれると思って」
「そうですか。どのみちあなたの元に置いておくのも危険なので、僕が持っていますね」
そう言って、クルーガーは手記をローブの内に仕舞う。
「この後は何か?」
「一応、王都での用事を全て終えたので、今回の出張報告のためガルランにある商会本部に帰ります」
「そうですか」
クルーガーは数舜黙り込み、呆然としているヴィカトリアに告げる。
「送りますよ。こちらには色々と借りがあるので」
「べ、別に構いませんが、馬車は王都の城門前に待機させておりますので、そこまででしたら」
「では行きましょうか」
そう二人が立ち去ろうとした、その時──
「待ってください!!」
声のした方向を振り向くと、屋敷の中から小太りの女性が走ってきた。
「彼女は?」
「カーラ・シルヴァルード。ネザ殿の夫人です」
「あの方が……」
カーラは二人の元に辿り着くと、はあはあと息を荒げながら立ち止まり、ばっと深めに頭を下げた。
「夫を、よろしくお願いします」
カーラの身体は、ガタガタと震えていた。その肩に、クルーガーがそっと手をやる。
「ご安心を。もちろん、ネザ殿は必ずや我々が見つけ出します」
「あ、ありがとうございます!」
「では……!!」
立ち去るクルーガーとヴィカトリアの背中を、カーラは影がなくなるまで見つめていた。
*
王都の通りを少し歩き、二人は王都の大通りを抜け、巨大な城門の構える王都の正門にやって来た。
そこには、ヴィカトリアの馬車が停められていて、
ヴィカトリアが御者台に乗り込んだのを見届けると、クルーガーは餞別代りの挨拶を交わす。
「ではここで。また何かありましたら私を呼んでください」
「えぇ、遠慮なく連絡させていただきます」
すっとクルーガーを見上げたヴィカトリアは、クルーガーの目線が下を向いていることに気付いた。
「どうしました?」
「今回は僕の強引な誘いで予想以上の長旅をさせてしまいましたね。謝罪を」
そう言って、首を下げた。その所作に、ヴィカトリアは若干驚きつつも、ふっと微笑して、
「えぇ、あなたには毎回迷惑を掛けられていますね。今回も私を随分と困らせていましたが……つまらないものではなかったとだけは、言っておきましょうか」
「恐縮です」
そう言ってヴィカトリアは手綱を引くと、馬車がゆっくりと発車する。
クルーガーに手を振ってクルーガーから離れていく。
ガタガタと音を立てながら影が小さくなるヴィカトリアの馬車。それをクルーガーは憂いを込めた瞳で見つめていた。
(さて、ヴィカトリアさんにはお伝えしませんでしたが、僕も動くとしますか)
そう心中で呟き、その場を離れようと馬車を一瞥したクルーガー。
その時──
「……っ!?」
瞬く間もなかった。眼前の空に、巨大な氷塊が生成されたのだ。
それは徐々に重力の圧を受け、地上に降り注ぐ。着地点は明らか。
「ヴィカトリアさん!!!!!!!」
氷塊の真下には、ヴィカトリアの馬車があった。咄嗟にクルーガーが叫ぶも、時は既に遅し、
氷塊は一秒もせずに、馬車目がけて落下した。
「くっ!?」
クルーガーはすぐさま落下地点に転移魔法で移動する。
駆けつけると、キャビンの中心から御者台にかけてが、氷塊により無残にも潰されていた。
「ヴィカトリアさん!!!」
クルーガーは必死にヴィカトリアの名を叫んだ。だが、返事はない。
その瞬間、最悪の事態をクルーガーは想定した。
『私、悪の権力者、大嫌いなので』
まさか、そんなはずはない。あのヴィカトリアが──
クルーガーは震撼し、恐怖に顔を覆い隠す。その時だった。
「っ!?」
氷塊の中心から亀裂が走り、一瞬でバラバラと砕け散った。
氷片が辺りを舞うなか、小柄なシルエットが見えてくる。
「ヴィカトリアさん!!」
景色が鮮明になっている。シルエットの背後には、血塗れで倒れる馬車馬が、
そしてその前には、無傷のヴィカトリア──
「あーあ、私の十年来の愛馬が、こんな様に」
そう言って、ヴィカトリアは息絶えた馬を見つめる。
「もっと、コイツとはこの広い大地を駆けめぐりたかったのになぁ……」
やるせない落胆を、言葉に吐き出す。
「ヴィカトリアさん……」
そして、ヴィカトリアはパチンと馬を鳴らす。すると馬は、宙を浮かびながらあぜ道の脇にそっと着地した。
「キミたちの魔法技術なら、コイツも生き返らしてくれるのかな?」
その瞬間──
「なっ!?」
クルーガーは絶句した。砂埃が舞う、ヴィカトリアの上空。
そこに、無数の氷の矢が出現したのだ。
「流石のキミたちも、死霊術師の芸当は真似できないよね」
そして、それらは一斉にヴィカトリアへと降り落とされる。
「でも、私に奇襲をかけるとはいい度胸じゃない」
「ヴィカトリアさん!!!」
ヴィカトリアは己に降り注ぐ氷矢を見上げると、パチンと指を鳴らす。
すると、氷矢すべてが跡形もなく消えた。キラキラと、破片がヴィカトリアの周囲を舞う。だが次には、それらは集合して膨大な氷山と化し、ヴィカトリアもろとも氷漬けに──
「ヴィカトリアさん!!!!!」
クルーガーが急いで駆けつけようとした。しかしクルーガーが駆け付ける寸前、その氷山はガラガラと轟音を発し、崩壊する。
ふぅと息を吐くと、ヴィカトリアは濡れた身体のまま指を鳴らし砂埃を飛散させる。同時に、上空からヴィカトリアに落下してきたのは……
眼鏡を掛けた、黒髪の騎士──
「その度胸に免じて──正当防衛、してあげる」
ヴィカトリアはすっと、口元を緩ませた。




