第52話 償いに奮う
「ハインゲア王国は、アヴァロニカ帝国に服従を!!!!!」
街を行く人の潮流に向かい、高らかに叫び散らす男。
その様子を、リリアとミルザは建物の物陰に身を隠すように静観していた。
「かれこれ一時間くらい経つけど、あの男、終止同じ台詞しか吐かないわね」
「ほうへ」
「それなのにまばらだけど聴衆がいるなんて……一体どういうことなの……」
「ほれふらひはヴぁほりは派に支持者がひるっへ……ことなんじゃないかしら」
「……ねぇ、どさくさに紛れて何食べてんの?」
「近くの喫茶店で買ってきたドーナッツよ。リリアもいる?」
微動だにせずひたすら男の様子を監視しているリリアに、ミルザはさり気なく半分に裂いたドーナッツを渡す。
「いるって……いつの間に買ってきたの!?」
「張り込みには食料が必須でしょ♪」
能天気なミルザにうんざりしながらも、リリアは渡されたドーナッツをはむっとがぶりつく。
口に入れた途端、小麦とチョコレートの芳醇な香りが口の中に広がる。焼きたてのようで温かく、外はサクサク、中はふわふわだ。
「でもさ、ずっとあんな感じで演説してたらどうするの?私も夜までは付き合えないわよ?」
「流石にそろそろ退くと思うけど」
と、リリアの推測が暗示となったように忽然と男の声が途切れる。
見ると、男は演台を持って撤収作業をし始めていた。
しばらくして周囲にばら撒かれていた荷物を両手で抱え込んだ男。
「動いた」
それを好機と捉え、男が動いた後をリリアとミルザは移動する。
気配を探られないように人の流れに紛れ込み、大通りを歩く男の跡を追う。
「これ、ください」
「はいよ三十バール」
「ありがとう」
だが、男は途中でいくつかの露店に寄りながらも特に目立った行動は一向になく。
「今日も演説かい?」
「そうそう。いつも大変だけど、これもお国に分かってもらうためさ」
「最近は日中と言えども冷え込んできたから気を付けてね」
「分かってるよ。おばさんこそ、体調に気を付けて」
むしろ店の女店主に陽気に話しかける様は、二人に気さくな人物という印象を植え付けた。
「さっきまで“アヴァロニカに服従を”だとか騒いでた男が、あんな親しみやすいおじさんだったなんてねぇ」
「表面上の人格だけで結論付けない方がいいわ。むしろ、怪しさが増しただけよ」
青果店で数個の果物を買った男は、片側に演台を、そしてもう片方には手提げのバケットを持ち大通りをひた進む。
それでおしまいかと思いきや、その後もベーカリーや菓子店に寄り続け、リリアが気づいた時には男の両手にはパンパンの買い物袋が下げられていた。
「あんなに買って全部一人で食べるのかしら」
「“裏の住民”達への差し入れだったりして、ね」
その時だった──
「おっと」
突如男が人の波を外れ、暗い路地裏へと姿を消したのだ。
「確定演出と言ってもいいわね」
「どうする?このまま追う?」
「いいえ。素直に尾行すれば“裏の住民”には間違えなくバレるわ。ここは上から」
「う、上?」
きょとんとリリアを見つめるミルザだが、リリアは「ちょっと来て」と、ミルザを路地裏とは反対の小路に促す。
少し歩き、たどり着いた先は人のいない広場だった。
「こんなところで何をする気?」
「尾行するのよ」
「び、尾行って……」
リリアは、ミルザの屋敷で王都の全景図を見渡した時からその存在を頭に入れていた。
大通りから少し外れた小道に、小さな広場が周期的に点在していることを。
広場を含めた王都の形が花の模様になぞらえており、恐らくこの広場は古代の魔導建築士が形を成す為に敢えて造ったのだろう。
リリアはあらかじめ大通りから脇の小道の存在を確かめ、男が路地裏に入った直近の小路の先に広場があるという事を確信していたのだ。
全ては効率的に尾行を行うために。
「ちょっと、早く追わないと逃げちゃう……」
「うん。だから、誰かに見つからないうちに追うわよ」
「追うって、え?」
ふとリリアは両腰に帯剣していた二本の剣のうち、粗雑な黒い剣を取り出す。
そして剣を空中に放ると、重力に反して剣が空中に浮いた。
「これって……」
「さぁ、行くわよ」
「ちょっとまって、てっええええええ」
リリアは足元まで高度を下げた剣に飛び乗り、ミルザを両手に抱え空中に浮遊する。
「落ちる!!落ちるってえええぇぇ!!」
「大丈夫、私を信じて!!!」
そう言って徐々に高度を上げ、軒並み連なる建造物群を上空から突き進む。
向かう先は、男が消えた路地裏の周囲に建った煉瓦造りの建物の上。
「まだ歩いてるわね」
リリアは片側の建物の屋上に着地する。
そのままミルザを解放すると、息を枯らして地面に尻込みした。
「大丈夫?」
「私、乗り物慣れてないのよ」
「初めてあなたを乗せた時も、酔いまくって大変だったわ」
疲れ果てたミルザを一瞥してリリアは微笑する。
初めてとは、リリアがミルザを連れ去った時のことだ。
「ふふっ。まさかもう一度乗ることになるなんてね。しかも今度はちゃんとお姫様抱っこされて」
「さ、追うわよ」
リリアとミルザは建物の間を伝い、眼下を歩く男の動向を監視する。
途中、建物の間を飛び上がる際にミルザが度々落ちそうになるが、なんとかしてリリアが支え二人は猥雑な路地裏を奥へ奥へと空から行く。
「見事に人がいる通りを避けてるって感じね。これは確信犯だわ」
「えぇ、しかもそれだけじゃない」
奥へと進むにつれて、裏路地にはガラの悪い輩が屯している様子が伺える。
「ここまで来たのは初めてだけど、まさかこんな所だったなんて」
「到着みたいね」
その先には、建物がぽっかりと途切れている空き地があった。
エルフの里のギャップのようだ。しかし、この場所は魑魅魍魎として薄暗い。
「ここが、“溜まり場”」
「ミルザの言ってたこと。本当に正しかったんだ」
「正しいかどうかは、あいつらとの話を聞かなくちゃね」
男の先には、三人のチンピラが待ち構えていた。
男はその三人と対峙すると、青果店で買った果実を渡し談笑しだす。
だが遠すぎるせいか、その内容までは聞き取れない。
「降りた方がいいかしら?」
「下を見た?多分今降りたら、真っ先に見つかる」
その後も動向を探るが、互いに笑い合ったり肩を叩きあったり、どう見ても世話話を繰り広げているようにしか見えない。
「やっぱり、話の内容だけでも聞いた方がいいんじゃない?」
「そうね、だったら私が降りるわ」
「う、うん。がんばって……ねぇ」
「どうしたの?」
リリアが振り向くと、ミルザは呆然と談笑に浸る男を見つめていた。
「あの人、こっちに指さしてない?」
「え?」
ヒュッ
「「!?」」
瞬間──リリアの頬を、一筋の雷撃が掠め取った。
「間一髪ね」
「ちょ、どういう……!?」
「どうやら、尾行はバレバレだったみたい」
「バレバレって……わざわざ空から追ってたのに!?」
途端リリア達がいる建物の屋上に、チンピラ達が飛来してきた。
チンピラは両翼の生えた飛行魔導具から屋上に飛び降り、二人に武器を構える。
二人が状況の把握に努めるも、既にその周りを武器を持ったチンピラが囲んでいた。
リリアはすぐさまミルザを自身の背後に隠し、銀色の長剣を引き抜いた。
「おいおい、俺たちの会話を盗み聞きしてたのが女二人だったなんて、舐められたみてぇだな」
「しかも、片方獣人じゃねえか!あの人に手渡せばいい金もらえるんじゃね!!」
(あのチンピラと同じようなことを)
「ねぇ、何あの武器」
ミルザはチンピラが手にする独特な形の武器を見つめ、おもむろにリリアに問いかける。
「あれは魔導具。大して魔法が使えなくとも、道具一つで魔法が放てちゃう優れ物よ」
(弱そうな部下に魔導具を支給させる余裕があるなんて……恐らく、尾行がバレた原因も周囲の人を探知する魔道具か何かを所持している。ボスは手ごわそうね)
「まさかリリアに護られるなんて、ね。言っとくけど、ちゃんと償いなさいよ?」
「えぇ。此処に来た時から、それは覚悟の内よ」
その瞬間、リリアはミルザに聞こえないくらいに小さく口を動かす。
リリアを囲むチンピラの前に立った彼らのリーダー格の男──それは先程まで陽気に会話していたアヴァロニカ派と呼ばれた男だった。
男は嘲笑交じりにリリアに煽動する。
「わりぃが俺たちを尾行した奴らは女だからって容赦はしねえぞ?この瞬間が、人生の最期だと嘆きな!!」
「だったら私はこう言わせてもらうわ?獣人と戦うことになった不運を恨みなって」
「なんだとコラ!?おちょっくってんじゃねぇよ。放て!!」
気さくな姿とは正反対に言葉を荒げる男。直後、後退した男の指示により、チンピラ達の持つ武器から一斉に雷撃が照射された。
雷撃の稲妻は一直線を迸り、リリアへと瞬時に到達する。
しかし──
「なっ!?」
チンピラ達が放った稲妻は、全てリリアの持つ銀色の長剣に吸収されてしまった。
長剣は、紫色の電流を帯び、剣先を静電気がバチバチと伝う。
「あらかじめ剣に電気吸収の術式を付与させておいたのよ。あんたたちに聞こえないほど小さな詠唱でね」
「くっ!!続けて撃……」
「はぁ!!!」
男が命じる前に、リリアが剣先から電流の咆哮を撃つ。
燦爛たる光を放った電流は、その射程範囲内のチンピラを容易に感電させた。
「ちっ!!」
「リリアって強いのね」
「これが私の本気だと思わないで」
電流を帯びたまま、リリアはチンピラたちに突っ走る。
「くっ!!やれ!やれぇ!!!!」
なおも男は声を荒げ、チンピラ達はリリアに突撃していく。
リリアは腰のポーチから小剣を放ち、宙に放り投げた。
流星剣
小剣は魔力を帯び、近くにいた一人に蚊のように纏わりつく。
「うわっなんだこれ……くっ!!!」
その当惑を突き、リリアは剣を横薙ぎの一閃。剣閃の一撃と合わさった電流により、男は気絶し倒れ伏した。
だが、寸分の隙を差し、リリアに向けて雷撃が放たれる。
その寸前、リリアは雷撃を撃たんとする男に向け浮遊した小剣を放ち、自身も軌道を描いて急接近する。
「っ!?」
そして再び一閃。
「ぐわ!!」
「怯むな!!!畳みかけろ!!」
リーダー格の男の指示により、チンピラ達が一斉にリリアへと迫る。
だが、リリアは凄まじい機動力でチンピラの電流砲を避け剣で薙ぎ払う。
「ぐっ……なんだこいつ!!!」
「許しを請うなら今のうちだけど?」
襲い掛かるチンピラを剣で薙ぎつつ、歯を噛み締める男に余裕の笑みで話しかけるリリア。
「くっ!!!獣人の相手はいい!!あの非力な女を捕まえろ!!!」
そう命じると、チンピラ達の視線がリリアから後方のミルザへと変わった。
「相変わらず卑怯なのね」
「女を助けたかったらおとなしく投降しろ!!!」
「それはミルザを捕まえられたら言う台詞じゃないかしら」
「あっ……!?」
「私の罪の重さを、甘く見ないで」
ぽかんとするリーダー格の男。その間にも、ミルザを数人男達が囲む。
「大人しくしろ!!」
「抵抗すんじゃねえ。殺すぞ!!」
だが、ミルザは動じぬままだった。
「これをやるのは初めてだけど」
──信じている。リリアが己を助けると。
「期待に応えるわ。ミルザ」
天を仰ぎ、そう誓うリリア。
《一次詠唱:砕け、砕け、砕け、人の鞍を剥け、神へと肉体を昇華せよ》
その詠唱で、天の恵みが降りリリアに神気が纏う。
人の形で、高次元の魔法を詠唱するための準備だ。
《ありがとう》
天に感謝を告げ、次の段階へ移行する。
《二次詠唱:賢者は、遍く世界の狭間で己の叡智を確信しました──天・地・海、全ての大地は我が掌上にあり》
刹那──リリアの周囲に爆風が立ち込めた。
「なんだこれ!?」
徐々にその規模を増し、天に昇る竜巻と化した風。
男はその規模に後退ってしまう。
もはやリリアの姿は伺えない。竜巻に呑まれてしまったのだ。
「セレス様より賜ったこの魔法で。お前たちの息の根を止める」
嵐の中、リリアはすっと手を掲げ、握られた撒菱を零す。
撒菱は風に呑まれ、渦を巻いて天空へと昇る。
「──高次元絶唱:世界一天」
それはすべての次元を超越した、高次元の神域魔法。
全ての風を支配し、全ての空気を我が物とする。現象支配術。
エルフにも限られた者しか──いや、リリアにしか扱うことは不可能。
そしてリリアの号令と共に、天空へ延びていた竜巻は畝り、ただ一つの場所へと落とされる。
その先は、ミルザだ。正確には、ミルザを囲むチンピラ達と言った方が正しい。
「な、なんだよあれ……」
こちらに降りかかってくる巨大な災害に、チンピラ達は成す術なく立ち尽くしたまま。
ミルザでさえ、その現象に眼を焼かれてしまう。
そのまま竜巻はチンピラ達に直撃。チンピラ達は巻き込まれ、流れる撒菱にその身を抉られる。
ミルザだけが台風の目に立ち入るように竜巻の中心で立ち尽くした。
上空から、ふわりとリリアが舞い降りてくる。
「リリア……」
「これが私の第一歩」
パン!!!
直後、竜巻がバシュっと弾け飛び、気絶したチンピラ達がバタバタと落ちてくる。
後に残ったのは、砕けて瓦礫と化した建物の屋上だけ。
よく内部まで崩壊しなかったものだとミルザは苦笑い。
「手加減したつもりだったけど……ちょっとやりすぎちゃった」
「ちょっとの次元じゃないわよ!!!なんなのよ高次元絶唱って!?絶対ゴロツキ相手に使っていい魔法じゃないでしょ!!」
「ちょっと高揚しちゃって、ミルザを護れるんだなって」
呆れたミルザがリリアの胸をつつく。
そうして向かい合い、互いににやりと笑った二人は同時に振り向き、びくびくと尻ごむリーダー格の男を見やる。
「な、何者なんだよ……お前らは……」
ただ一人生き残った──残らせた男に、表情を鋭くしたリリアが近寄る。
「さぁ、教えてもらおうかしら、あんたたちの目的を」
*
同時刻。王城の城門から、天空へ延びる竜巻を唖然と見つめていた無精髭の巨漢ランバーズ。
「なんだあれ……」
「団長」
そこに、黒髪の青年──オルナーが城門から出てくる。
「おうオルナーか。どうだった?」
「一応、要請は伝えました。しかし」
「しかし……?」
「門前払いでした。やはり情報の出どころが彼らだったからでしょう」
「そうか、概ね予想通りか」
「団長の方は?」
オルナーが尋ねると、ランバーズが渋々と首を横に振る。
「同じくだ。各騎士団は信憑性に足らんとの結論で早々に議論はハネられた」
「やはり、情報元は伏せた方が……」
「いやかえって怪しまれるだけだ。ただでさえ《《俺たち》》だからなぁ」
「そう、ですよね」
そう感嘆の息を吐くオルナーの肩をランバーズの大柄な腕が摩る。
「しゃあない、この一件は俺たちの騎士団だけで調査する」
「御意」
「おい!!!」
そこへ怒鳴るような切羽詰まった声が飛び込んできた。
振り向くとそこにいたのはレイズとエーリカだ。
「あなたは……」
「大変なんです!!!」
焦燥気味にエーリカがオルナーに口吐く。
「た、大変……?」
「その、なんて話せばいいか」
*
「そうか、アヴァロニカ派が動いたか」
「あいつらは、自分たちのことをアヴァロニカ従属軍と名乗っていた」
「アヴァロニカ従属軍……そうか、奴らは前々から目を付けていたのだが、なかなかその生態が掴めなくてな。いつの間にそんな組織を結成していたとは」
一息ついたランバーズは、レイズに頷く。
「分かった。本日夕刻、俺らの騎士団を王都内で巡回させる」
「え?他の騎士は?」
「すまない。俺たちの力不足だ」
深く頭を下げるランバーズに、エーリカは察した。
「す、すいません。私たちのせいで」
「だが、何か大掛かりなことをするとは違いない。それを止めるために、俺たちも最善を尽くそう」
『明日夕刻。我らが偉大なる長があなた方を試しに参ります。裁きの刻への出演に足る器かどうかを。是非、お忘れなく』
「何をするつもりだ、アヴァロニカ従属軍」




