第50話 罪
王都セントレアのとある通りで出会った白髪の少女。
その少女はエルフの里の暗い牢の中で、エーリカが数時間だけ共に時を過ごした少女だった。
エーリカはその少女との再会に思わず胸が張り裂けそうになり、慌てて自らを落ち着かせて冷然と言葉を返す。
「お久しぶりです、お元気でしたか?」
「えぇ、あの時よりだいぶふっくらしたでしょ?」
少女は牢の中のやつれた姿とは違い、今はすっきりした顔立ちになっていた。
「よかったです。また会えて」
「ええそうね、私もあなたに会ってお礼を言いたかったの」
そう言って少女は公衆の面前にも関わらず、着ていたスカートの裾を持ち上げ淑女のような礼を敢行する。
「あの時は、本当にありがとう」
「や、やめてください!!」
「あなたは、絶望で未来すら望めなかった私を鼓舞してくれた。命の恩人よ」
「いえ、私もあの時極限状態で……すいません、罵ってしまって」
「ふふふ、あなた見かけのわりに口が達者なのね」
少女はあの時の仕返しと言わんばかりに揶揄い気に、口に手を当てる。
しかし、その所作一つ一つは牢で傷心していた少女とは見違えるほど健気で美しい。
「すすすすいません!!!ええと」
「改めまして、私はミルザ。ミルザ・ローゼンよ」
「私はエーリカと言います」
「エーリカ、いい名前ね」
二人が互いに名を明かしたところで、ミルザは小声でエーリカに提案する。
「ねぇ、お礼と言っちゃなんだけど、よろしければあなたを私の家に招きたいの?どうかしら?」
「え?いやそんな悪いですよ」
「いいえ私がしたいことなの……いいでしょう?あなたのお仲間さん……も……っ!」
そう言いつつ、ミルザは脇にいるエーリカの仲間らしき二人に目を凝らす。
だが、その一人にミルザは仰天して目を見開いてしまった。
「あなたは……」
「えっと、その……」
ミルザを直視できず、俯いてしまうリリア。その様子を一目見たミルザはエーリカの手をぎゅっと掴み、
「なおさら招きたくなったわ!さあ、行きましょう!!」
「えっ!?あの、ちょっと!!!」
「あーあー行っちまった?俺たちも行くか?」
「う、うん。あの人レイズと……どういうわけか私も誘ってたようだし」
それを聞いたレイズは「じゃあいこうぜ」とエーリカについていく。しかし、一歩踏み出せず立ち竦んでしまっているリリアを見兼ね、直前で止まり振り返った。
「どうしたんだ?早く行こうぜ!エーリカが見えなくなっちまう」
「ご、ごめん。私はやっぱりいけない。行く資格がない」
「資格がどうかはお前が決めることじゃないだろ。ほら!」
「ちょ、ちょっと!!」
立ち止まるリリアの腕をレイズの剛腕が握り締め、そのまま二人は大通りを駆け抜けた。
「やめてよ。一人でも走れるから!!恥ずかしいって」
「んだよ!!手ェ離したらお前行きたくねェって愚痴吐いて止まっちまうだろ!!!」
「止まらないから!離して!!」
徐々に頬を赤くするリリアに、レイズは観念したように手を放す。
いいや、リリアの決心づいた瞳を感じ取ったのだ。
リリアも若干歩調を弱めてしまうものの、黙然とレイズの跡を追った。
しばらく通りを進み十字路を左に曲がった石畳の道を歩く。
そしてその先にあったのは──
「でっけぇ!!!」
レイズがその建物を仰ぎ見て、感嘆に声を膨らませる。
そこにあったのは、イシュタリア邸を彷彿させるほどの豪邸だった。
「ここが私の家よ」
「ミルザさんは貴族の方だったんですか?」
「えぇ、中流だけど」
「中流……なかなかの名家じゃないですか!!」
「そんな、ウチはまだまだ新米貴族よ」
エーリカは驚きのあまり、驚嘆してミルザを凝視する。
ハインゲアの貴族は下流、中流、上流の三つの階級に分かれており、上流に行くほど身分や権威が高くなる。
中流はその中でも中間階級に属するが、古来よりハインゲア王国に従事する由緒正しい貴族によっては上流と同じような扱いを受ける名家もあると、元王族であるエーリカは知っていた。
一方、後ろでぽかんとしていたリリアだが、唐突にランバーズから放たれた言葉を思い出す。
『俺もこんなことは初めてだ、なんでも被害者の一人が中流階級の貴族らしくてな。金ならいくらでも払うから、彼女を許してやれって聞かないんだとか』
(中流階級……もしかして……)
だが、その疑念は早々に「ありえない」と結論付けてしまう。
ミルザは、リリアが誘拐事件を企ててから真っ先に誘拐した少女。
当然、牢獄に幽閉されていた時間はエーリカよりも長大である。
そんな少女が、情けをかけてくれるなどある筈がないと一蹴したのだ。
「さぁ、入って」
「は、はい」
そう言って、ミルザは黒色の城門に構える衛兵の傍により、開扉を求める。
衛兵はミルザの顔を一目見ると、大扉を力いっぱいに押して扉を開けた。
それを見るなり、ミルザは「入って」と三人に促す。
「うわぁ」
中には、イシュタリア邸も顔負けするような豪華絢爛な中庭が広がっていた。
中流階級ということは、イシュタリア邸よりも格下であるのに、なぜこんな豪華な庭園が造れるのだろうか。
背後ですげぇと暴れているレイズは放っておいて、エーリカはそうキラキラと瞳を輝かせる。
「綺麗でしょ。お父様の趣味がガーデニングなのよ」
「そうなんですね」
「全部私のためだって、笑っちゃうわ」
「すっげ!!なんだこれ!?」
「ちょっと騒がないでよ!!!」
屋敷へと続く純白タイルの道で綺麗さのあまりバク転やら宙返りではしゃぐレイズ。
そんなレイズをどうどうと落ち着かせようとするリリア。
(あんなに童心に帰ったレイズさん、久しぶりに見た)
その姿を見て苦笑いするミルザに、エーリカは「すみません」と詫びる。
「あの金髪の男の方が、エーリカが牢の中で信じていた人なの?」
「えっ?まあ、そんな感じですね」
エーリカが苦笑いで応えると、ミルザはふふっと微笑する。
「あなたはすごいわ」
「え?」
「いくら絶望の淵を彷徨っていても、必ず助けに来てくれると誰かを信じてる。そんなの、あの冷たい牢の中ではあなたしかできなかった」
「そんな……私は、信じることしかできないですから……」
「あの方は、あなたがずっと信じれていられるほど大切な人なの?」
「はい、私を絶望から救ってくれた人です」
「ふふっなんとなく関係が分かったわ」
「か、関係!?違います!!」
「あら、私は何も言ってないわよ?」
「えっ!?」
ミルザは再び揶揄い紛れに微笑むと、エーリカは言葉が切れてしまう。
そんなエーリカを他所に、ミルザは話を続けた。
「そして、かつて私たちを誘拐し、絶望の淵に追いやったはずだった冷酷無比な女の子が、あなたの傍であんなに感情的な表情をしている」
「き、気付いてたんですね……」
そう言って悪戯に口を緩ますミルザ。
別段エーリカは隠してはいなかったものの、早々にリリアの正体を看破されてしまったことに感嘆の息を吐く。
「当然でしょ、忘れるわけがないわ。いろんな意味で」
「成り行きは、いろいろありまして……」
「聞きたいわ。あとで教えてね」
「はい」
「でも彼女の絶望も、あなたが救ってあげたのね」
立ち止まり、哀愁込めた表情で遠くのリリアを見つめるミルザ。
その視線を感じ取ってしまったのか、レイズを鎮静化させていたリリアはふとミルザを振り向き、ことさらに視線を逸らす。
「救えたのかどうかは、私にもわかりません。でも、それが私の役目でしたから」
「その役目であなたはあの獣人ちゃんを含め、多くの人を救ったのよ。誇りに思いなさい」
「……っ!」
にこやかな笑みを浮かべ口にするミルザ。
その一言に、エーリカは胸の内がじんわりと温かくなるのを感じ、両手で押さえつける。
「さぁ、入って。わがローゼン邸へようこそ!」
気が付くと、もう豪邸の入り口の前にたどり着いていたようだ。
燈を基調とした外壁に、白い玄関の大扉。
その扉をミルザががばっと引くと、ギリリと軋む音を鳴らしながらゆっくりと開いていく。
「お、お邪魔します」
「頼むから中では暴れないでね!?」
「応!それくらいの常識は備わってるぜ!」
「だったら庭でも暴れないでよ!」
へらへらとするレイズに口を尖らせるリリア。
そんな二人に笑みを漏らしながら、ミルザは豪邸の中に入る。
エーリカも続いて足を踏み入れ、レイズ、リリアが後を続いた。
*
屋敷の豪勢な廊下を通り抜け、ミルザは三人を応接間に招く。
広々とした部屋の室内には、長方形の細長いテーブルがある。
ミルザは座ってと離れた三つの席に三人を促し、自身は窓側の席に移動する。
途中、レイズが「テーブル長げえ!」と目を輝かせその上に騎乗と試みたが、なんとかリリアが大声で食い止めた。
「ちょっとレイズがいつにも増して子供じみてるんだけど!?」
「しばらく辛い事が多かったので、こういう日もあっていいじゃないですか」
「そうだぜ!リリアも寛げよ」
「こんなところでく寛げるわけ……」
未だに一人部屋の扉に佇んでいたリリア。
そんなリリアに、一旦は席に座ったはずのミルザが迫る。
そして真剣な表情で正面に立ったミルザに、リリアは圧倒され目線を下げてしまうが、
何とか、言わないと。伝えないと。リリアは胸に残っていた責務と対峙する。
──償い
だが、思うように言葉が出てこない。それくらい、自分の犯した罪が重すぎたのだ。
本当なら、眼前の少女と同じように、王国の堅牢の中に収容されていたはずだった。
しかし、何故か容赦されこうして自分が連れ去った相手と対面している。
だからこそ、言わなければならない。
自身が犯した罪と、向き合わなければいけない。
リリアはそう、己に言い聞かせるが。
「本当に、ごめん」
出てきたのは、それだけだった。
リリアは恐る恐る、ミルザの顔色を伺う。
が、視線が合う前に、ミルザは思いもよらないことを吐いた。
「口を吐いたかと思えば、第一声はそれなのね」
「……っ!!」
突き放したようなミルザの発言に、リリアの瞼がジンジンと重くなっていくのを感じる。
エーリカも、怪訝そうな顔で二人のやり取りを見守っていた。
「やっぱり、私の犯した罪は許されるものじゃなかった。私は裁かれるべきだった……」
悲愴に暮れ、ぽつりとそう呟いてしまうリリア。
そんな時だった──
「っ!!」
ミルザは、ぎゅっとリリアを抱きしめた。
「なに……を……?」
「そうやって悲観的になるのが許せないのよ!あなたはなんのために私たちを誘拐したの!?」
「えっ……?」
ミルザから放たれた予想外の発言に、リリアは絶句してしまう。
「あなたは、私を地獄の底に突き落とした極悪人のはずだったのに……」
「……」
「聞いたわよ。あなたの出自を……泣いちゃったわよ。あなたの壮絶な運命を聞いて」
「ぇっ……」
「私たちの同胞がそんなことをしていたなんて、のうのうと生きてきた私に知る由もなかった」
「……っ」
「だからね──私にあなたを罰する権利なんてない」
「もしや、あなたが……」
ミルザはリリアを抱擁しながら純粋無垢な瞳で言葉を紡ぐ。
その一言一句は、僅かな掠れ声も孕んで。
「でも、あなたは罪を犯した。たとえ、あなたにどんなが哀しい過去があっても、その事実は変わらない」
冷淡に告げたミルザに、リリアは涙ぐんでそう返す。
「知ってる……そんなの知ってる」
「だからあなたはあなたなりに、償い方を考えなさい」
「分かってる……」
「そして私は知るわ。人間が犯した罪を償うために。亜人に強いてきた、残酷な結末を」
「……っ!!」
そうしてリリアから離れると、ミルザは改まってリリアに手を差し伸べた。
「だからね。私から償い方のヒントをあげるわ」
「ヒン……ト……?」
「私と、友達になりなさい」
「……っ!!!!!」
何度、恨んできたか。何度、憎しみをぶつけてきたか。
その結果が、リリアに罪を犯してしまった。
その罰は、未来永劫、自分に纏わりつくと、思っていた。
でも、違った。
罪に永遠などない。いつか、晴れる日がやって来る。希望が来る。
リリアは涙ながらに、ミルザから差し伸べられた手を受け取った。
「よろしくお願いします。ミルザさん」
「ミルザでいいわよ。あなたの名は」
「リリア……キャンベル」
「リリア。覚えたわ。もう一生忘れないから」
二人は再び、短くて熱い抱擁を交わした。
*
「よかったですね。リリアさん」
「よくはないわよ。まだ自分の罪を償いきれてないんだから」
「それはこれからの旅のお楽しみってことだな!!」
「お楽しみではないけど」
快活に言い切るレイズに、苦言を漏らすリリア。
その中を割り入って、エーリカが話し始める。
「そういえば」
「何よ」
「リリアさんとミルザさんって結構似てますよね。髪色とか、性格とかも」
「そ、そんなの烏滸がましいって……」
自身の罪を察し謙遜してしまうリリアだが、ミルザは一切躊躇せず言い切ってしまう。
「あら、確かにそうね。まるで異母姉妹みたい」
「ミルザさんはおいくつで?」
「私は一九よ」
「年上……」
すると、コンコンと扉が開き、中から大きめのお盆を持った執事が現れた。
「失礼します」
「来たわね」
執事は椅子に座るレイズ、エーリカ、リリアの前に紅茶のティーカップと数種類のお菓子が入ったバケットを置いた。
「すげぇ!丁度腹減ってたんだよ!!」
「もうあんたの底なしの腹事情は慣れたわ」
「い、いいんですか?」
「歓迎のしるしにってね」
自分の前に置かれた紅茶を一口啜りながら、ミルザはエーリカにウィンクする。
「じゃあエルフの里からここまでの、あなたたちのお話を聞きたいわ。話してくれる?」
「そ、そんなに大層なことしていませんけど」
話のハードルを下げようとするエーリカだが、その前にレイズが素っ頓狂な声を上げる。
「モザ=ドゥーグぶっ倒したぞ!!」
「ブフォ!!!嘘!?あなたたちが!?」
唐突に明らかになった衝撃の事実にミルザは思わず紅茶を吹き出してしまう。
失敬とハンカチで口を拭いたミルザ。
「もう、モザ=ドゥーグを倒したという事実は広がっているんですね」
「当たり前よ。それだけハインゲア王国民にとってモザ=ドゥーグは脅威的な存在だもの。なんでも、近々王都の商工会が大規模な祝賀会を開くそうよ」
「そうなんですね……って、今なんて言いました?」
「モザ=ドゥーグはハインゲア王国民にとって脅威的な存在」
「違います、その後です」
終止真顔でそう尋ねるエーリカに、ミルザは数舜の間放心してしまう。
「商会総出で祝賀会を……」
「や、やめたほうがいいんじゃないでしょうか……」
「な、なんで?」
きょとんとしてしまうミルザに、エーリカは重たい面持ちに変わり言葉を続ける。
「最近、王都で亜人が見かけなくなっている事件を御存じですか?」
「知ってるわよ。だってそれを最初にあなたに話したの私じゃない」
「あっ、そうでしたね」
「でもそれってリリアが人間を滅ぼすっていう計画を企てていたからじゃないの?」
「それが違うようなんです」
エーリカの応えに、ミルザは途端に胡乱な表情に変わる。
「違うってどういうこと?」
「つい昨日、路地裏のチンピラが獣人の子共を誘拐している光景を、レイズが見かけたの」
「え?」
エーリカに変わり、リリアから放たれた言葉にミルザは目を丸くする。
「本当の話なの?」
「あぁ。だが結局、俺はその子供を取り戻すことができなかった。連れ去られちまったんだ」
「そんな……」
「そいつらは子供を攫わないと“じじぃ”に殺されると言ってた。恐らく、”裏の住民”っていうのか?そいつらの裏で手を引いているヤツがいる」
「なにそれ初耳なんだけど」
そこまで聞いたミルザが、不安げに話を要約する。
「つまり、亜人がいなくなっている原因は、その裏で手を引いている人間によるものってこと?」
「恐らくな、そしてそいつはアヴァロニカ帝国の手先っつぅ可能性もある」
「アヴァロニカ帝国……」
「ですからその事件が解決されていない今、大規模な祭事を開催してしまえば、誰かが同じように連れ去られてしまう危険性があります」
「分かったわ。私のお父さんも祝賀会の幹事の一人なの、ちょっと釘を刺してみる」
「ありがとうございます」
礼を述べたエーリカに、ミルザは考え込みながら尋ねる。
「でも、アヴァロニカ帝国……?かは分からないけど、なんでその人間は亜人を誘拐してなんか……」
「分かりません。ですから、私たちは今その事件を調べているんです。でも行き詰ってしまって」
「行き詰った?」
「裏の住民は結束力が高いうえに、王都には数多くの路地裏がある。なので、何処から手を付けていいか、せめて土地勘に詳しい方がいればいいんですけど」
「そんな、ならここにいるじゃない」
発言の意味が分からず、ミルザを凝視したエーリカ。
ミルザは紅茶をテーブルに置くと、立ち上がって自身の胸に手を当てた。
「私よ。生まれも育ちも王都だし、お父さんの職業も……とにかく、いろいろと手伝えることはあるわ」
「い、いいんですか?」
「えぇ、人間の手によって亜人が生きづらい世の中になるなんて見過ごせないわよ。私も手伝わせて」
そう言って胸を張るミルザ。そんなミルザに、リリアは胸を焼かれて声にならない声を零す。
「ありがとう」
「それじゃあ、決まりね。亜人を誘拐する不届き者に、罪の重さっていうものを教えてあげようじゃない!!」
そう言って、ミルザはビシッとガッツポーズを決めた。




