第44話 そういうお年頃なのよ
太陽が沈み、辺りが暗闇に包まれた王都は、帰路へ着く人々の奔流で溢れかえっていた。レイズ達がいる王城セントレアの大門前の大通りにも、人の波が滞ることはなく、
「じゃ、本日はこの辺で終了やね。おつかれさん」
「ありがとうございます!ミレーユさん」
礼をするエーリカに、ミレーユはニコリと笑みを浮かべて手を振るう。
一方、レイズはぐっと硬くなった背筋を伸ばしながら藍色に染まった空を見つめていた。
「はぁーもう夜かぁ。どうりで腹減ってきたわけだ」
「あんたの胃袋はどうなってんの?」
「私もお腹空いてきました。食事にしましょうか」
「ほな、ウチはここで」
そう大門の中に消えていくミレーユを、三人は手を振り返しながら見送る。
「それもいいけど、今の時間帯は混みあいそうで怖いわ」
「だな。どこかの人見知りにはちょっくらきちぃな」
「人見知りで悪かったわね」
「じゃあ、路地裏の知る人ぞ知る名店みたいなところに行ってみますか?」
「チンピラのこと忘れたの?先に宿屋を取りましょ」
「そ、そうですね」
そう言って、じゃあ行こうぜと人の波に飛び込んでいくレイズと慌ててそれに追随するエーリカ。
リリアは多少息を呑みこみながらも、大丈夫!っと自分に言い聞かせ、首を振って二人についていく。
夜の王都は、街灯や建物の明かりが調和し、見惚れてしまうほど綺麗だ。
エーリカはその景色に思わず恍惚としてしまい、レイズですらも人の合間から辺りをぼうっと眺めている。
そんな中、リリアは一人前を行く、又はすれ違う人をキョロキョロと見まわし、多少息が詰まりながらも、気付いたことを口にした。
「確かに……私以外に亜人は誰も見当たらないわね」
「クルー……あの人が言ってたことですか」
「えぇ、おかしいわ。仮にも王都なんだから歩いてたら二、三人くらいはすれ違うと思うのに」
「つーかリリアはなんで亜人がいなくなったことを知らなかったんだ?」
「エルフの里に来てからずっと、剣術修行や魔術鍛錬をそこでしてきたから。あんまり外に出ることはなかったのよ」
「ようするに引きこもってたってことだな!そりゃ人見知りでも納得だぜ!」
「うるさいわね。その首跳ねるわよ」
物騒な物言いをしたリリアの腕をいけませんよとちょこんと手を当てたエーリカは、道の先の宿屋の看板を見つけ二人に知らせる。
「あ、ありましたよ。行きましょうか」
「よっしゃ!じゃあついでに飯食えねぇか聞いてみようぜ!!」
「え、えぇ、そうね」
レイズの陽気な提案にコクリと頷いたリリア。
そのまま三人は人の合間を縫って宿屋まで移動する。
石煉瓦の建物が立ち並ぶ一角にある小さな宿屋は、中に入ると真っ先に木目調の床が目に入った。
入り口の目の前にはこじんまりとした受付台が、その横には大きめのソファに囲まれる形で炎がゴウゴウと燃える大きめの暖炉がある。
さらに、反対側には食堂があるようだ。
三人は中に入るなり受付台に向かい、頬杖をついていたちょび髭の店主にエーリカが話しかける。
「えっと、二部屋お願いします」
「はいよ三人で、25バールね」
「ちょうどです」
エーリカはスカートのポケットにしまっていた巾着袋から、銅貨を数枚取り出すと店主に手渡す。
そうすると、店主から二部屋分の鍵が渡された。
「部屋はそこの廊下に入ってすぐの階段で二階に行った手前だよ。幸い空室だったからから隣同士だね」
「そうなんですか。ありがとうございます」
「んじゃ、俺とエーリカで同室な。わりぃがリリアは一人で寝てくれ」
「どうしてそうなるんですか!?二人部屋にした意味分かってないんですか!?」
「……?レマバーグでは一緒の部屋だったじゃんか」
「あ、あれは仕方なく……」
レマバーグのイシュタリア邸では、エーリカが屋敷の主であるステラに迷惑をかけたくなかったからと一部屋で済ませていた。
しかし、ここは普通の宿屋だ。相応の金さえ払えば、二部屋借りることに躊躇する必要はない。
だが、レイズはエーリカと同室がいいと言い張ってしまい、エーリカは頭を悩ませてしまった。
レイズの思惑はエーリカにもよく分かる。
あの日、滅びゆくレディニア王国を背景に契った約束を、レイズは今も実践しようとしているのだろう。
それと同時に、レイズは男女の関係など微塵も感じていない。
ただ同じ人間として自分を接してくれていることも、エーリカには痛いほど理解している。
だから別段同室になろうとも、何の問題もないのだ。
だけど、エーリカにとっては……
「あのね、流石に男と女ってのがあるでしょ。あんたがエーリカに邪な感情はないってことは私も知ってるけど、エーリカはそういうお年頃なのよ。エーリカの気持ちも分かってあげなさい」
レイズとエーリカの言い合いを脇で傍観していたリリアが、話が長引いていたことを見兼ね、口を挟む。
「そ、そうですね……」
「ダメだ!俺はエーリカを護らなきゃいけねえ。もし俺とエーリカが違う部屋で、夜な夜な刺客が襲ってきたら護り切れねえだろ!!」
「私を狙う刺客なんているんですか……?」
いや、いないことはないだろうが。少なくともレイズは、エーリカを護るためにそこまで真摯に考えてくれていることは分かった。
エーリカを護る。この一点になると、レイズは途端に真剣質になる。
今現在、エーリカと同室にしてほしいと必死に反駁する姿がその証拠だ。
なぜそこまで自分に執着するのかは見当もつかないが、それが王国を、大切な家族を失ったエーリカにとってどれほど幸せな事かは、紅潮してきた頬と、じわじわと胸の中に感じる熱い想いで自覚できた。
だけど、裏を返せばそれは過保護というものだ。
「そんな刺客いるかは分からないけど、あんた。今朝私が言ったこと忘れたの?」
「言ったこと?」
リリアにそう諭され、レイズは今朝王都を見学した時の記憶を思い返す。
あの後、食べ過ぎで寝てしまったためおぼろげにしか覚えていないが、リリアが本音を漏らした後、自分とエーリカに言い放った言葉のことだろう。
『あなたと一緒にエーリカを護らせて』
それが何を意味するのかは、レイズにも理解できる。
「……っ」
「あんたは、私を信じてるかどうかわからないけどさ、私はエーリカを護り抜くってしつこい程自負してるあんたを信じてる。だから、私もあんたに信じるって言ってもらえるように絶対エーリカを護りたいの」
「俺は、お前を信じてないなんて……」
「大丈夫、例え寝てる時にエーリカを襲撃する奴が現れたとしても必ず私が守り抜くから、レイズは安心していなさい」
そのキリッとしたマリンブルーの瞳に、レイズは圧倒されてしまった。
エーリカを護れるのは、ずっと自分一人だけだと確信し、同時に覚悟していた。
いyや、未来永劫現れることはないとすら……
だけど、共に旅する新たな仲間がそう名乗りを上げたのだ。
その仲間がどれだけ信用に足る人物かは、今朝の彼女が漏らした本音と、エルフの里の一件で十分すぎるほど証明できている。
ならば、その役目を仲間に託してもいいかもしれない。
「あ、ああ。分かった」
「あんたはもう、大袈裟過ぎなのよ。エーリカになると」
「えへへ、でもそれが嬉しいです。レイズさんと一緒に旅ができて、私は幸せですから」
すると、受付の向うから掃けることなく騒いでいた三人を眺めていた店主から口が漏れた。
「青春だねぇ~」
「あ、すすすみません邪魔でしたね!!お部屋行きましょうか」
「いやいや、久しぶりに私の若い頃を思い出せた気分だよ」
「そうだおっちゃん!この店で飯食えるところねえか?」
「あぁ、それならそこの食堂で何か食べれるよ。今は夕時で混んでるから時間はずらした方がいいよ。それまで大浴場にでも入ってな」
そう言って店主は食堂を指さすと、そこはガヤガヤと人が飲み食いしていた。
「だ、大浴場もあるんですか!?」
「そこの廊下を曲がった奥にね」
「リリアさん。あとで行きましょうね!」
「う、うん」
なにやらリリアは怪訝そうな顔つきでレイズを凝視している。
「どうしたリリア?」
「自分で言った手前、や、やっぱり心配になってきた……ねえ大丈夫?一人で寝れる?家具壊したりしない?」
「リリアさんはレイズさんを何歳だと思ってるんですか?」
「一人にしないでとかほざいてたやつに言われたかねー」
「わ、悪かったわね。ちょっと心配になっただけよ」
「なんかリリアさん。レイズさんのお母さんみたいです」
心配性なリリアにふふっと微笑したエーリカ。それはどこか、今は亡き母に似ていた。
受付を後にした三人は、受付の左横から続いている廊下の目の前にある階段を登り二階に上がる。
その後、階段から直ぐの部屋の前でうんしょと重いリュックサックを降ろしたエーリカは、部屋の鍵を開けた。
扉が開くのを見ると、リリアはすぐ横の部屋で鍵を開けているレイズに話しかける。
「じゃあ、お部屋で荷物整理したら私たちは大浴場行ってくるから、あんたも行くんだったら、その後食堂に集合ね」
「応!」
「ではレイズさん、また後で!」
そう言って二人は、部屋に入って行った。
*
客室はシングルベットと小さな机と椅子が置いてあるだけの簡素な部屋だった。
レイズは特に荷物もないため、部屋に入るなり柔らかいベットにゴロンと横になる。
しばらくはひたすら無心で、木目天井とランタンを眺めていたが、何かが吹っ切れると自分の髪をくしゃくしゃと触り、ガバッと起き上がり、ベットの上で堂々と胡坐を掻いた。
「ンアァァ!!!やっぱエーリカの傍にいないと落ち着かねえ!!」
エーリカを護る。それがレイズの宿命であり、課された役目なのだ。
それが果たせない今の状況では、胸の奥がむずむずして仕方ない。
気分転換に部屋の窓から外を見ると、相変わらず石畳の大通りには人の波が渦巻いていた。
「くそっリリアの奴に先を越されちまった」
ならいっそ、大浴場の外で見張りでもしているか。
いや、先程の話を聞いていた手前、それはエーリカが嫌がるだろう。
なら諦めて自分も大浴場で疲れを癒そうか……いいや、そんなのはいつでもできる。
「今はこの状況でどうやってエーリカを護るかだな」
エーリカの圧力に屈して、結局リリアに護衛を託してしまったが、やっぱりリリアに先を越されるのは癪に障る。
今朝リリアと交わした約束を鑑みても、だ。
だが、レイズ自身エーリカの嫌がることもしたくない。
レイズの意志とエーリカへの配慮が衝突しううんと唸ったレイズは、おもむろに窓から少しだけ延びだした赤煉瓦の屋根を見つめる。
「それにすっか」
レイズは窓を開けると、縁に両足を乗せて窓枠に膝立ちする。そして目の前の屋根に向けて一気に跳躍した。
両手で屋根の先端を持ち、くるりと一回転したレイズは、屋根の上にスタっと着地し、そのまま王都の街並みを眺める。
「俺がリリアが倒す前にここから迎え撃ってやるよ」
夜は冷気が皮膚に障り凍えるように寒い。加えて他に障害のない屋根の上は、どこからか吹いてきた冷風が直に身体と接するため、寒さは尋常ではない。
だが、そのような戯言を垂れているようでは誰かを護ることなど不可能だ。
レイズは足場の悪い屋根に棒立ちしながら、無言で周囲の景色を探り続ける。
その時だった──
「なんだ、あれ?」
レイズが注視していたのは、宿屋から東の方向にある路地裏。
そこでは、今まさに男二人が小さな子供を無理矢理引っ張って移動している姿が見て取れた。
その男たちはレイズにはよく見覚えのあるチンピラで、
「あいつら……」
その時、レイズはクルーガーの言葉を思い返す。
子供をよく見てみると、子供の頭頂部には二つの動物の耳らしきものが、
「……っ!!」
瞬間、レイズは勢いよく跳躍し、弧を描きながらその路地裏まで飛び上がる。
「なっ!?」
「なんだ!?」
そして男達の目の前に着地すると、その射るような眼刺しを向けた。
二人は突然レイズが降ってきたことに動揺し、足をすくんでしまう。
と、スキンヘッドの男がレイズの顔を思い出したようで、
「こ、こいつは!?」
「あ、兄貴!?」
と、サングラスを掛けた男も遅れて気づくと、身体を小刻みに震わせた。
「なあ、てめぇら」
「「……!!」」
「そのガキをどこに連れて行くつもりだ?」
あくまで冷淡な口調で、レイズはチンピラに問いかけた。
だが、二人は口を噤んで一向に応える素振りはない。
やがて、サングラスの男がちっと舌打ちしたと思えば、小さく言葉を漏らす。
「こ、こんな時に……!!」
「だ、大丈夫だ……俺らはあの人から武術を習ってんだ……あんな奴位造作も……」
「習ってるってまだ始めたばっかりじゃねえかよ!?」
「なぁ、応えろ。そのガキをどこに連れていくつもりだ?」
再びのレイズの尋問。しかしその口調は、一度目よりはるかに高圧的である。
チンピラに腕を掴まれている子供は、その声音に思わず嗚咽を漏らしてしまった。
「うっ、うわあぁぁぁ」
「こ、コラ泣くんじゃねえ!!」
サングラスの男が必死に子供の口を塞ぐ。
直後、俯いていたスキンヘッドの男がポケットからナイフを取り出し──
「うおおおおお!!!」
半ばやけくそ状態のまま、男はレイズに向けてナイフを突きつける。
レイズはあくまで冷静なまま。男の動向を探り、近づいてきた男の腕を受け流そうと、
「……!!」
「ぐっ!!」
ナイフはブラフだったのだ。男は突如、持ち前の長脚を伸ばし、レイズの後頭部に足の付け根を掛け上げる。
そして勢いのままレイズを倒さんと力をかけた。
だが、レイズも直前に男の腹に拳を入れ、男を吹き飛ばした。
「ぐはっ!!!」
「兄貴!!!」
「てめぇらはこれで終わりだ。おとなしくそのガキを離せ」
「や、やっぱ……無理だったんだ……」
「っ!?」
すると突然、男が震え出したことに、レイズは目を丸くした。
「俺たちに、子供を攫うなんて……くそっ、あのじじぃに……殺される……」
「あのじじぃって、誰の事だ!?」
「ひぃ……!!」
「おいおい、そいつらは鍛錬途中なんだ。大目に見てくれないか?」
「……!!」
その声は、レイズの背後から聞こえてきた。
振り返ると、そこにいたのは現代風な服装をした赤髪の男。
「なんだてめぇ?」
すぐさまレイズは男に振り向くと、男は薄笑いを浮かべながら応える。
「なんだって、こいつらの師匠」
「師匠?」
レイズがそう問いかけた、その瞬間、
「ほら、殺るなら今だぜ」
「……!!」
男は促した。レイズではなくその背後のサングラスの男に。
「おあああああああ!!!!!」
ナイフを構えた男は、レイズに振り向く暇を与えず──ナイフを突き刺した。




