幕間3-1 ジェフィ・ノールド2
アヴァロニカ帝国、レディニア侵攻部隊の本拠地──フローラ村。
広場にある本部から少し西に進んだ先、白い布と衝立で建てつけられただけの簡素な修練場にて、木剣を持つ影二人。
一人は眼鏡を掛けた黒髪細身の青年だ。青年は体中から流れる汗を、着用する茶色いスウェットの袖で拭きとり、はあはあと荒い息を吐いている。
ボロボロに裂かれたスウェットの奥からは、血が滲んだ線状の傷が伺える。
一方、青年と向かい合うのは、一回り小柄なクリーム色の髪の少年。
少年の着込んだ龍柄のTシャツには一切の傷はなく、息一つ漏らさず余裕そうな笑みを浮かべ仁王立ちしている。
青年は、ジンジンと痛む体の傷を片手で押さえながら、もう一方の手で木剣を少年に向け構える。そして──
「氷結の鎖!!!」
青年は傷を押さえつけていた手をすぐさまに少年にかざし、詠唱することなく少年に魔法を放つ。
瞬間、少年の足元から大量の氷が現れ、少年の下半身を拘束。だが、青年は微動だにせず。数秒後、地面を蹴り飛ばし、剣を振りながら慣性のままに駆け抜ける。
だが、少年は木剣一振りで氷を粉砕、青年に向け剣を構え、
「フリージング・インパクト!!!」
青年がそう言葉を吐くと、周囲に鋭利な氷塊が無数に出現。その全てが瞬くまに少年に向け射出される。
少年も剣を振り、その氷塊に迎撃を試みるが、
「っ!?」
なぜか振ったまま剣が動かない。よく見ると、剣の先端が腕ごと凍り付いていた。
(遅延詠唱っ!)
青年は一つの魔法詠唱に二つの意味を紐付けた。
一つは、足元を凍らせる。こちらはブラフだ。
そして二つ目は、剣を握られた上腕ごと凍らせる。
二つ目は、少年が氷塊を射出する際に同時に発動するよう、わざと遅らせた本命。
なぜ青年はここまで周りくどいやり方をしたのか。
青年は、目の前の少年が氷の拘束魔法を木剣で粉砕する姿を何度も見てきた。
それがいかに魔力を消費し、より鋼のよう強靭にしようとも、少年が放つ一閃で青年の放った氷魔法はたちまち粉粒と化してしまう。
だからこそ、魔法を強固にするのではなく、魔法を放つタイミングを選んだ。
少年が木剣を振るうより早く、一撃を放てるように。
青年の予測通り、少年の腕が拘束されたまま、氷塊は至近距離まで到達。
「はああああああ!!!」
その後方からさらに、青年が剣を構えて接近する。
これで──貰った!!!
だが──
「っ!?」
パキンという破裂音が鳴るとともに、氷塊が粉々に舞い散った。少年が剣を振っていないにも関わらず。
「俺の魔法が、剣を振らないと発動しないと思った?」
「なっ!?」
青年が思考を巡らせる暇も取らせず、少年は拘束されたはずの腕を振るい、木剣を青年の腹に一閃する。
「ぐはぁ!?」
木剣の先端は青年の皮膚をいとも簡単に抉り取り、そこから鮮血が溢れ出た。
青年は木剣を放り投げ、痛む腹を抑えながら地面に膝をつく。
「あっごめんね?痛くなかった?」
少年は、ニカニカと笑みを浮かべながら座り込んだ青年に尋ねた。
その応えを、青年は少年の握る木剣を眺めながら漏らす。
「もう痛みなんて感じませんよ……なんどもこの痛みを受けましたから」
「そっか。よかった」
少年の木剣には、これまで何度も傷つけられたジェフィの血が所々にこびりついている。
そう、木剣にだ。青年の持つそれと同様、鋭利さの欠片もない代物に。
「術式装填はもう完璧だね。さっきの氷塊、全弾がいい感じに形整ってた。今のはもう少し射出時間が早かったら俺も危なかったね。魔力も大丈夫?」
「はい。今の詠唱でもかなり魔力消費を抑えられました」
「そっか、すごいねジェフィは。俺と修練はじめてまだ三日でしょ?それなのに術式装填までマスターするなんて」
「そ、そうですかね」
「うんうん、だって過去に俺が診た騎士は三日も持たなかったよ」
軽快に言い放つオスカーに、ジェフィーは多少動揺しつつも言葉を返す。
「私自身、氷系統の魔法が自分の手になじんでいる、というのもハンデになっているかもしれませんが……なにより、三日三晩のオスカー様のご指導の賜物です」
「おだてるなよ。照れちゃうじゃん」
と、オスカーに賞賛を与えつつも、ジェフィの気分は億劫だった。
いつ殺されるか分からない。その恐怖が、ジェフィの思考を魔法上達一点に縛り付けている。
現にこの三日間、何度もオスカーの一撃で命を落とす寸前にまで陥ったことが数回あった。
オスカーは加減を知らない。卓越したオスカーの剣才で、魔法を放つ隙すら与えられず、身体の傷を増やされる始末。
それだけでは劣らず、剣を交える度に放たれる悍ましい殺気。最初はそれがジェフィを委縮させ、一本取られることもしばしば。
このオスカーという男は天才だ。そうジェフィが、この男の印象をその言葉一つで決定づけた。
他人の命を奪うのに、一切の迷いがない。修練相手のジェフィにさえ、容赦なく命を切り捨てんとする精神。
『誇り高きアヴァロニカの騎士に、人の心など持ち合わせてはならない』
レマバーグの街で、領主ネヴァンを斬り捨てたヴァンが、ジェフィに放った言葉。
目の前の少年は、まさにその言葉を体現したような人物であった。
「さて、まだやる?」
ジェフィを見下ろしながら、へらへらと言い放つオスカー。その奇怪な藍色の眼光が、ジェフィを恐怖のどん底へ突き落す。
しかしジェフィは傷口を抑えつつ、木剣を地面の支えにして立ち上がる。
「もちろんです」
如何に修練相手が常識が欠如した狂人であろうとも、尊敬する上官のため、自分は強くならなければならない。
その考えは、ジェフィに修練を止めるという選択を許さない。
それによって、ジェフィの心を無下に破壊されようとも、
立ち上がったジェフィがオスカーに顔を向けた時、オスカーが何かを思い出したように人差し指を掲げる。
「あっ、そういえば一つ言わないといけないことがあったんだ」
「な、なんでしょう……」
「俺、明日には帝国に戻らないといけないんだよね」
「えぇ!?」
突如伝えられたその宣告に、ジェフィは思わず喉の奥から声を張り上げてしまう。
オスカーはそのまま言葉を続け、
「俺、ハインゲア王国でいろいろする予定でさ、そのために騎士団の面子と話し合わなきゃいけなくって」
「そ、そうですか」
ということは、今のようにオスカーと修練ができるのも一旦は今日までということだ。
ジェフィは安堵とほんの少しのやるせなさが混じる、複雑な感情で唾を呑み込んだ。
すると、オスカーがニヤニヤとにやけながら口を開く。
「そこで俺がいない間、ジェフィに特別課題を与える!」
「特別課題、ですか……?」
オスカーがジェフィの肩をパンパンと叩きながら口から漏らしたその言葉。ジェフィは意味が分からずぽかんと小首を傾ける。
「そうそう、ちょっと難しいと思うけど、術式装填までマスターしたジェフィならできるって信じてるから!」
「は、はぁ……して、その内容とは……?」
相変わらずオスカーの真意を掴み取れず、ジェフィはそう尋ねるが、
「カルテット商会会長、ヴィカトリア・カルテットを殺せ」
「……は?」
絶句。
オスカーが呈した課題に、ジェフィが取れる反応はそれだけだった。
だが、オスカーは顔に不気味な薄笑いを浮かべながらそれ以外の言葉を口に出そうとしない。どうやら本気のようだ。
しばらくして、正気を取り戻したジェフィが口から投げつけるように言葉が吐き出される。
「はぁ!?なぜなのですか!?」
「俺たちの計画にちょっと邪魔だから、ね」
「計画……ハインゲア王国でする予定、という」
「そそ」
「な、何を行う予定で」
「それはここに戻ってきたら話すよ。でも、それまでにジェフィには商会長を殺してほしいんだけどね」
「でで、ですが!?カルテット商会の会長を殺したという事実が広まれば、他国からどのような批判が出るか」
「おっと、ジェフィは一つ大事なことを忘れているようだね」
そう指を立てるオスカーに、ジェフィは首をかしげる。
「は、はぁ……」
「カルテット商会がいかに巨大組織といえど、現在交易をおこなっているのはスカンジア大陸の国のみ、そして、レディニア王国は滅び、ミレニアとガルランはアヴァロニカ帝国の実質的支配下にある。あとハインゲア王国だけど、アイツらは永久中立国っていう不便な立場とってるから、仮に批判はできてもその先の一線までは越えられない」
「つ、つまり……?」
「会長を始末しても大丈夫なんじゃないかな」
オスカーはそう平然と言ってのける。
しかし、ジェフィにはその意味が汲み取れずに動揺したままだ。
「……!?ですが、ヴィカトリア様の実力はオスカー様もよくご存じで!実際我が騎士団も……はっ……!」
瞬間、ジェフィは自分が放った言葉を自覚し、両手で口を覆い隠す。その言葉を放ったせいで、自分の仲間だった者たちはオスカーによって命を絶たれた。それほど、その者に敗北したという事実は重い枷となっているのだ。
だからこそ分かっている。カルテットの商会長がジェフィにとって如何な人物だったかという事を。
あの時、金髪の少年の助力があったとはいえ、商会長の内に秘めた力は嫌なほどジェフィの身に染みわたった。
人知を超えた、人にして人ならざる者の魔力。そしてあの大地の巫女にも匹敵するような魔法。おそらく、金髪の少年がその場にいなくとも、あの少女に白旗を上げさせることは不可能だっただろう。
暗殺にしても、とても特別課題という範囲には収まりきらない相手だ。
しかし、オスカーは──
「ああ、もちろん。でもジェフィはそんな商会長にも達するほど強くなった。だって、俺と三日も修練したんだから」
「……!?」
自分は強くなった。あの商会長と互角に渡り合えるほどに。
信じられない。あの商会長にだぞ?たった三日で?
だが、オスカーがそう口にするのだから、
ジェフィは何度も何度も心の中で思考を繰り返す。その言葉が真か嘘か。
しかし、オスカーはジェフィの思考に結論を出す時間も与えずに、
クリーム色の髪をたくし上げ、ジェフィに尋ねる。
「ま、仮に負けたとしても死ぬことはないと思うよ。助けてくれるから」
「それはどういう……」
「やってくれるよね、ジェフィ。これも、敬愛する団長に、並び立つ存在になれるため、だよ」
「ぎ、御意……」
断れなかった。断れるはずがなかった。もし断れば殺される。そう、オスカーの藍色の眼が物語っていたのだから。
だが、もし命令通りに動いてたとて、商会長の圧倒的な力の前に無残にも命を落とす。
いや、仮にこの命を救われたとしても、オスカーの元に戻り敗北を告げれば、仲間たちのように殺される。どうあがいたとしても──死は免れない。
「さ、続きやろうか」
「はい」
オスカーが再び木剣を構え、ジェフィが虚ろな瞳でそれに応じる。
強くなるか、死ぬか。それがジェフィに突き付けられた運命の選択肢だった。
*
陽が沈み、町一帯が暗くなった頃、ジェフィは修練場の近くにある木箱の簡易ベンチに腰を下ろし、血豆のできた己の掌を見つめる。
三日だ。たった三日の修練で、自分にこれができたのだ。胴体に刻まれた傷の数は、もうジェフィは数えることすら諦めた。
それよか、あの修練でよくここまで生き永らえたことか。始めたての頃は、死すら自覚していたはずなのに。
ジェフィは体に重しのように降りかかる疲労で、瞼を瞑りかけていた。その時──
「貴様は……」
どこからか、重低音な声でそんな声がした。ジェフィはとっさに瞼を開くと、
「パイモン……騎士団長……」
いつの間にかジェフィの目の前に、青髪の美形な騎士が鎮座していた。
パイモン・ハルバード。オスカーの側近である、アヴァロニカ帝国における序列七位 《ハルバード騎士団》の団長だ。
パイモンはその美しい容貌を酷く歪め、ジェフィを凝視している。それがなぜかは、放心状態のジェフィでも容易に分かり得ることだ。
「……っ!」
パイモンはジェフィの胸倉を掴み、強引に引っ張り上げた。
修練の疲れでジェフィは抵抗すらできず、重たい顔のままパイモンと顔を見合わせる。
「貴様、その傷はオスカー様との稽古で刻まれたものだな?すでにその光景を目撃したという騎士からも言質は取れている。どう弁解するつもりだ?」
「オスカー様から……許可は頂いております……」
「たわけ、貴様のような下級騎士がオスカー様に修練を請うこと自体が無礼であると、貴様が気の抜けた狼藉者でなければ分かりきっていることだろう!!!」
「心得て……おります」
そう言葉を返すジェフィの声も、既に掠れてうまく聞き取れない。
「反省の色が微塵も見えんな。ならば、ここで貴様の首切り捨てて誅といたそう」
そう言ってパイモンは力なきジェフィを投げ飛ばし、腰から長剣を引き抜く。
ジェフィは木箱に体ごと衝突し、だらんと項垂れた。
疲労が極まり、立ち上がることさえ叶わない。
その間にも、パイモンはゆっくりとした足取りでジェフィに間合いを詰める。
そして、剣先を項垂れたジェフィの顔に突き付け──
「最後に言い残すことは」
「わ……た……は……」
うまく声が出ない。いや、声を放つ気力さえ虫の息なのだ。
「そうか、口を利く態度すら見せないか、不埒者め」
パイモンは剣を天に掲げ、
「ならば、その贖罪を背負い、我が帝国の成就を天から祈っていろ」
そのまま、パイモンは、剣をジェフィの心臓に突き落とした。
「ふっ!!!」
「……あ……ま……」
「……っ!?」
だが──
心臓を突いたはずの剣が、ジェフィとの身体すれすれで凍り付いている。
「……貴っ様!!この期に及んで抵抗する気か!!!」
パイモンは纏わりついた氷を粉砕しようと剣に力を籠めるも、その氷が割れる気配は一向にない。
「貴様……!!」
とうとう剣を手放し、籠手でジェフィの顔を殴りつけようとするパイモン。
その時だった……
「パイモン殿」
「……?」
後方から、冷淡な声が聞こえ、パイモンはその先を振り返る。
そこにいたのは、白髪を交えた老齢な騎士。ヴァン・グラスト。
「その者は我が騎士団の部下でございます。罰は上官である私が下しますので、パイモン様はどうかその身を引いていただきたい」
「貴様、彼奴がオスカー様にどのような無礼を働いたか分かっているのか?下手をこけば貴様の首も飛ぶのだぞ?」
「はい。そのため、上官である私が厳正な処置を下すのです。貴殿も配下が同じような行為を行えば、自らの手で処遇を下すでしょう」
パイモンに向けられたヴァンのまっすぐな瞳に圧倒されパイモンはげんなりと拳を下す。
「ジェフィ、もういいぞ」
「……は……ぃ……」
瞬間、剣を覆っていた氷がパキンと砕けた。それを見たパイモンは目を見張るも、すぐさま帯剣しヴァンに口を尖らせた。
「貴様……せいぜい死すら望む厳しい罰を与えるのだな」
そう言って立ち去るパイモンを見届けると、ヴァンはやつれはてたジェフィに肩を貸し、立ち上がる。
ジェフィは言葉も発せず、無言でヴァンも見つめていた。
「心が散ったのか。無理もない。オスカー様との稽古で、これはまだましな方だ」
「……ぁ……ぁ」
「強くなったな、ジェフィ」
オスカーはジェフィに聞こえるはずのない声を漏らす。
ヴァンは分かっていた。かつて、オスカーに稽古を請うた何人もの騎士を。
その騎士たちは三日以内に──全員がオスカーによって斬り殺されていたことを。




