第41話 呪縛
「失礼します!!」
焦げ茶色の扉の前で声を張り上げ、ランバーズはその剛腕で取っ手を掴む。
「入れ」
中から声が聞こえたと同時に、ランバーズはギコっと扉を引き、中に入る。
本棚やテーブル、椅子などが几帳面に揃えられた部屋の奥には、眼鏡を掛けた老齢の男が鎮座していた。
彼の名はデイトナ・オーミッド。ハインゲア王国における議会、貴族院の中核議員である。上流階級出身であり、彼の祖父が大臣を務めた経験から、世襲政治家として貴族だけではなく、民衆の間でも名を馳せている。
ランバーズはデイトナの指示で部屋の中央にある応接ソファに腰かけると、彼を振り向き手にした紙を覗きながら話始める。
「えぇ……エルフの里の一件で我らの騎士任務に協力した者二名に表彰状を無事、手渡しました」
「そうか、騎士団については」
「それがですね、国王との謁見を許してくだされば、約束には必ず応じると……」
ランバーズが言い放った言葉に、デイトナはピクリと眉根を寄せる。
「約束、とは……騎士団の結成か?」
「えぇ」
「して、なぜ国王との謁見を」
デイトナに問いかけられるが、エーリカが理由を話さなかったことで、ランバーズはうまく言葉を繋げられずに口ごもってしまう。その間にも、デイトナはその双眸を一層強めてランバーズを睨む。
吹っ切れたランバーズは、もうありのままを話そうと口を緩め、
「理由は言えない、とのことで」
「はぁ……理由も不明瞭なのに国王陛下との謁見を許諾するわけにはいかないな」
「ですが、約束を呑んでくれれば必ず騎士団を結成するとおっしゃっているんですよ」
「そうか、またその者たちが騎士団を結成してくれねば、こちらも困ってしまうのが問題だな」
「別段、数分程度なら許してしまっても構わないんじゃないですか?俺の眼から見ても、彼らは信頼できる人物ですよ」
「君は自らの勘に絶対的な自信を持っているのだろうが、そうもいかないのが現状なんだな」
「ほう、そうもいかないというと?」
「君も知っているだろう、エルフの里での騒動に、アヴァロニカ帝国が関わっていたことを」
「……っ!」
その瞬間、ランバーズは凛々しい風貌を強張らせた。
昨日、中央神殿から立ち去る馬車の中で、金髪の女騎士が突如として切り出したその話を、自分は今も鮮明に覚えている。
「我が騎士団のアリッサ・クライメットから、そのような話を聞かされました」
「私たちにその話を講じたのも彼女だ。全く、なんてことになってくれたんだ」
「ですが、その話と彼らに何の関係が……」
「その一件でね、私たち議員の間で、彼らがアヴァロニカの工作員だと根も葉もない噂が立ってしまったんだ。実際にアヴァロニカが関わってしまっている分、彼らが身の潔白を証明できない限りは国王と顔を合わせることは控えた方がいい」
「そうですか……」
ランバーズはデイトナの言葉にそう声を漏らすと、うぅんと腕を組んで考え込む。
どうにかして彼らの身を潔白を証明する方法はないものか。
だが、ランバーズはデイトナの発言で自分も彼らを本当に信頼していいのかと不穏な思考が頭をよぎってしまう。
と、どこからか唸り声が聞こえランバーズが振り向くと、デイトナは頭を抱えてデスクに身を乗り出していた。
「アヴァロニカめ、レディニアを滅ぼした次は我らを攻め入るつもりか」
「大丈夫です!そんときは、俺らが何とかしますので」
ランバーズがニカっと笑いながらそう語るが、デイトナの顔は浮かないままだ。
「よくもそうのうのうと言っていられるな。第一、君の騎士団は、全五騎士団のなかで一番信用が希薄なのだぞ。第二叙勲のまま昇格できない理由を忘れたとでも言うのか?」
デイトナからそう釘を刺されるとランバーズから笑みが消え、ビシッと背筋を伸ばしてデイトナに一礼する。
「心得ております。過去の失態は未来で返す。それが我が騎士団のモットーですから」
「モットーか。はぁ……現キュオレ騎士団の一人が問題行動を起こし謹慎中なのを忘れたのか?全く、私が上にカマをかけ続けているからこそ、君たちは第二叙勲でいられているんだぞ。私に感謝して欲しいくらいだ」
「その節は、大変お世話になっております!」
「君は物事を楽観視しすぎなのだよ」
「いやいや、少なくとも、今回のアヴァロニカ帝国の介入は楽観視などしとりませんよ。そういえば、ひとつ思い出したことがありまして」
「思い出したこと?」
ランバーズがそう切り出したことに、デイトナは首を傾ける。
「はい。どうやらエルフの里の一件でアヴァロニカ帝国を退けたのは、協力した者のひとりだそうですよ」
「本当かね?」
「えぇ、俺の記憶だとアリッサはそう言っていた気ぃします」
「曖昧な記憶で言葉を述べて欲しくないものだ。一応、他の騎士を動員させて彼らに聴取させる。もしアヴァロニカの工作員だった場合、いつまでも彼らを王都に居座らせるわけにはいかないからな」
そう話すと、デイトナはさぁ帰った帰ったとランバーズに退出を促す。ランバーツは失礼しましたとそれに応え、席を立ち部屋を出ていった。
ガチャリと扉が閉まる様子を、デイトナはただならぬ様子で見つめていた。
(君は分かってないよ。その失態が、王国に何をもたらしたのか、がね)
デイトナは沈着した気分を紛らわせるため席を立ち、ランバーズが応接テーブルに置いていった羊皮紙を手に取り、再び席に戻った。
*
「う、うぅ……」
目を開けると、視界いっぱいに激しい光が入り込んでくる。
目をこすりながらその身を起こすと、そこはピンク色のカーテンで仕切られた小さな空間だった。
自身が眠っていたベットのすぐ左壁には大きな窓があり、そこから木漏れ日が差し込んでいた。
ベットは簡素に作られており、自分の腹の上にはタオルケット一枚が掛けられている。
「どこだぁ……ここはぁ……」
「おや、ようよう起きたんやな」
「あ?」
その声と共に突如バサッとカーテンが開き、見慣れない桃色の髪の少女がちらりと顔を出す。
二房のおさげを携えた少女は、顔にはそばかすがあり、全身黒のこれまた物珍しい服を着用している。
と、その脇から見慣れた茶髪の少女もひょっこりと顔を出した。
「あ、レイズさん起きたんですね!」
「うちはミレーユ・フレイと言いますぅ。よろしゅうな~」
「俺はレイズだ!おめぇおもしれえしゃべり方すんなあ」
「そう?うちの地元はこがなしゃべり方が普通なんやよ。うちの地元は自然が美しゅうてなあ、所かしこで牛が放し飼いに……」
「ミレーユさん!それ絶対長くなるっす!」
「ミレーユその話はあとにしてくれ!!」
と、ミレーユが快調に話を始めた途端、カーテンで見えないが奥から二人の甲高い声が聞こえて来た。
「兄妹に揃って話遮られてしもうたわ」
しゅんと顔を俯いてしまったミレーユに、エーリカは「後で聞きますから教えてください」と微笑む。
そんなエーリカに、ミレーユは「アンタ優しいなあいいお嫁さんになれるんやない」と口を漏らすと、エーリカの頬が急激に赤く染まった。
「つーかここはどこだよ?」
「ハインゲア王国の王城セントレアよ。あんた、ずっと寝てたから実感はないだろうけど」
やがて、ミレーユがカーテンを全て開けると、中央の赤いソファに座って足を組んでいたリリアが視界に入り込んできた。
「なんで王城なんかにいるんだよ」
「表彰ですよ表彰!忘れちゃったんですか?」
「おっ、そうだった!エーリカまずいぞ早く準備しろ!!」
「アンタが寝てる間に、とっくのとうに終わったわよ」
「なんだとコラ」
「な、なんでそんなムキになるの……?」
「くそ!俺も表彰されたかった……!」
キィィと悔げにベットをドンと叩くレイズに、リリアは糸のように細めた瞳で見つめる。
「んじゃしょうがねえ!もう一回表彰受けに行くか」
「なんでそうなるのよ」
「なぁ、君がエルフの里でアヴァロニカ帝国の騎士を倒したという話は本当なのか?」
「あ?」
レイズとリリアの話を遮るかのように、厳格な表情をしたオルナーが会話に入ってきた。
レイズは少し考えると、朗らかに声を上げる。
「あぁ、そうだぜ!」
「本当なのかそれは!?」
「あっ!?」
突如、オルナーが激しい足取りでレイズに近づき、鬼の形相でレイズの肩を掴む。
レイズはそれに動転し、威勢を荒げてしまうが、
「失礼、気を取り乱してしまった」
「ねえ、どうしたの?さっきからあなた変よ?」
オルナーの動揺した姿を後ろから眺めていたリリアから、そんな声が垂れてくる。
「……アヴァロニカ帝国がハインゲア王国の領内で虐殺行為を行う事は、両国の外交問題に発展する。我が国が永久中立国に関わらず、いや仮にその肩書が付けられていなくとも、他国の国民を虐殺するなど言語道断だ。騎士として見過ごせるはずがないだろう」
「いや、分かるけど、レイズに突っかかった理由はそれじゃないでしょ」
リリアの鋭い指摘に、オルナーは顔面蒼白になる。
「あなたが追求したい理由は、レイズがアヴァロニカ帝国の騎士を倒したってことよね?」
「……!そうだな、すまなかった」
オルナーはコホンと咳払いすると、改めてレイズに問いかける。
「本当に。貴公はあのアヴァロニカ帝国の騎士をその手で倒したのか?」
「そうだぜ!」
「一体、どんな風に……!?」
食い気味に迫るオルナーにレイズは若干後ずさりしつつも、言葉を述べる。
「あいつら、他人の命をその辺の塵みてえに扱ってたからよ、ちょっとしごいただけだ」
「いや、あんたエーリカのためって言ってたじゃない」
「おうそうだ。エーリカは他人の命が弄ばれることをよく思ってねえ。だから、俺はエーリカの意志を踏みつける奴が許せねえんだ」
「レイズさん……」
レイズの話を聞き、オルナーはどこか哀しげな表情で顔を俯かせる。
「そうか、奴らの根本はやはり変わっていなかったか……」
「根本?いやそれより」
オルナーの言葉に、何か含みを感じたリリア。それはまるで、アヴァロニカ帝国が昔からそうなのだと、知っていたかのように。
「変わっていなかったって……」
「お前たちに、俺とアリッサの出自を伝えるべきだな」
「兄貴、いいんすか?」
語り始めようとしたオルナーを重い顔つきをしたアリッサが引き留める。
しかし、オルナーは顔を縦に振り、
「ああ、どうせ隠すこともないだろう。それよりかはこの惨劇をみなに知ってもらうべきだと、俺は思う」
「そっすか」
オルナーの応えに、アリッサが俯き気に呟いた。
その華奢な肩を、ミレーユがトンと手を乗せて摩る。ミレーユの顔も、どこか哀し気だ。
そうして、聞く耳を持った三人にオルナーは言葉を紡ぐ。
「俺たちはもともと、南の王国ガルラン出身でな、その中でも厄介な魔法を解除するために……」
「それはもう話したっす。あ、エーリカさんには後で話すっすね」
「は、はい」
「何?そうか、なら話は早い」
その時、レイズとリリアは、エルフの里の集会場でアリッサが話したことを思い出す。
『魔術師の中にはいるんすよ。自分が発動した魔法術式を解除せず、そのまま立ち去ってしまう迷惑な輩が。その術式がいつまでも放置されたせいで、ある場所が立ち入れなくなったり、村が丸ごと滅んでしまったり、とにかく大惨事を引き起こしてしまったんです。アタシらの一族は、そんな厄介な術式を解除するためだけの魔法を一から叩き込まれたエリート集団なんすよ』
「確か、エリート集団って……」
「そんなこと言ってたな」
リリアの呟きにレイズがコクリと頷くと、二人の顔色を窺いオルナーが口を開く。
「エリート集団……俺たちの一族はな、数年前、アヴァロニカ帝国によって滅ぼされた」
「え?」
「うそ……!?」
愕然。エーリカとリリアは、オルナーが発したその言葉に、酷く心を揺さぶられ言葉を失った。レイズでさえも、顔を強張らせ唖然としている。
「アタシたちは、アヴァロニカ帝国から命からがら逃げて来たんす。ある人に助けられて」
「だが、その時に起こった一件で、妹はアヴァロニカ帝国という言葉を聞いただけで焦燥し、最悪失神してしまうようになってしまった。お前たちがアヴァロニカ帝国の騎士なるものと戦った時、妹はまるで使い物にならなかっただろう。それが原因なんだ、どうか許してほしい」
「兄貴だって女性恐怖症になったのはそれが原因じゃないっすか」
「そうだったな」
思い出したくもない。村中を焼き払われ、人々がその命を失っていく中、一人の女騎士が人体実験と称し、村中の女子供をつるし上げ、腹を裂き、内臓を抉り取っていたその光景。その時の人々の悲鳴が、二人には嫌なほど耳にこびりついている。
確か、紫の髪をした長身の女だった。重い鎧を装着し、取り出した臓器に笑みを浮かべながら、その者が死に絶えるのを待っていた。
幼い頃のアリッサとオルナーはその光景がどれだけ苦痛だったのかは、今でもその記憶を鮮明に覚えていることから証明できる。
「分かんない。アヴァロニカ帝国は何故そんなに酷いことをするの?」
じっと押し黙って話を聞いていたリリアが、掠れた声で本音を漏らす。自分もアヴァロニカ帝国に大切な人を失った。だから、二人の喪失感は十分に分かっている。
なぜ、アヴァロニカはこんな残虐な行為を繰り返すのか──
「分かりたくもない……!!あの女の憎たらしい程の笑み、今でも忘れるわけがない!!王国騎士として成りあがった今、すぐにでもその女をこの手で葬り去りたいことだ!!」
「兄貴……」
「ダメですよ!復讐をすれば、必ずそれが連鎖して、多くの人が死にます!」
「き、君はアヴァロニカ帝国を容赦するとでもいうのか!?なら、亡くなった同胞にどう弔いをすればいいのか……君にはわかるのか!?」
「……!!!」
「す、すまない。声を荒げてしまった」
「い、いいんです……私もオルナーさんの心情をよく知らないで……」
我を取り戻し、エーリカに深く頭を下げたオルナー。エーリカも手を振っていやいやと謝り返す。
その光景を見ていたリリアは、かつて大地の巫女セレスに掛けられた言葉を思い出した。
『リリア、そなたはこの戦いで何を学んだのですか?復讐に心を染め、ただ人を殺めては、再び怨嗟を生むだけです。あなたが騎士たちにすべきことは、復讐などではなく導くことですよ。そう、レイズとエーリカがあなたに行ったように』
(オルナーとアリッサは、自分の家族を殺したアヴァロニカ帝国を憎んでる。私だって、アヴァロニカ帝国を今でも恨んでいないと言えば、それは嘘になってしまう)
リリアは、自分の小さな拳をじっと見つめる。
(私に、彼らを導くことなんてできるのかしら)
すると──
「おう!今帰った……なんだ?部屋の空気がすげぇ重っ苦しいぞ」
「団長……」
扉を開けて入ってきたランバーズは中にいる者たちの顔色の悪さを伺いそう呟いた。 が、オルナーやアリッサ達から返事は帰ってこない。
「アリッサがこうもくたばってるっつーことは、あのことを彼らに話したのか」
「団長はいつもアタシの事をなんだと思ってるんすか」
ランバーズの言葉が気に障ったのか、呆然としていたアリッサが口を尖らせる。
その髪を、アリッサに向かってきたランバーズはわしわしと摩った。
「がはは!ガキか?」
「だから痛いっすよ!」
ひとしきり触り終えたランバーズは、レイズ、リリア、エーリカに顔を移しこう口を開く。
「まぁ、その、なんだ。いつも楽天的なそいつらだが、凄絶な経験をしてるってゆうことは理解してやってくれ」
「そいつらに私も含まないでもらえますか?」
「お前も十分楽天的じゃねえか!!」
「楽天的なのは団長ですよ」
がははと笑いながら豪語するランバーズに、冷淡な声で反応するオルナー。
ひとしきり笑うと、ランバーズはオルナーとアリッサにこう呼びかけた。
「よし、じゃあ稽古行くか」
「え、今っすか!?」
「おう、悪いがミレーユ。三人をよろしく頼む!」
抽象的過ぎる頼みを残して戸惑うオルナーとアリッサと共に部屋を去るランバーズ。
ミレーユはため息をつきながらも、傍にいるエーリカに話しかけた。
「あらら、行ってしまったなあ」
「私たちはどうしましょう」
「ほな、ウチが王都見学でもさせちゃろうか?」
エーリカの疑問に、ミレーユがにんまりとそう提案する。
「え?いいんですか?」
「えぇよ。どのみち案内されるつもりやったんやろ?」
「っしゃあ、じゃあついでに表彰もしてもらおうぜ!」
「アンタはどんだけ表彰してほしいのよ」
相変わらず表彰好きのレイズに、リリアはため息を吐く。
が、直ぐに表情を強張らせると、先程の二人の哀しげな表情を思い返す。
知らなかった。あの二人が、アヴァロニカ帝国の犠牲者だったなんて。
なぜ、そんな惨い事を繰り返すのだろう。
そんなの、今のリリアに分かるわけがない。




