第38話 リリア・キャンベル 友
ハインゲア王都セントレア。旧名コスモス・シティ。人口は180万人ほどで、ハインゲア王国の中では当然ながら一番の大都市だ。王都中に軒並み連なる建物群は石煉瓦を積み込んだダリア・フォールと同じような造りが多いが、決定的な違いはその活気さにある。
ダリア・フォールの通りにも、誘拐事件が起こっていたとはいえ腐ってもそこは観光地。人の往来の多さはハインゲアの町の中でも群を抜いている。しかし、そんなダリア・フォールですら小村のように思えるほど、王都の大通りには人であふれかえっていた。
群衆、群衆、例え裏通りに入っても絶えることない人の群れ。流石は王都と言わんばかりに、セントレアの町は栄えている。
そんな王都の光景に、馬車を降りたばかりのエーリカは一目見ただけで脳髄が焼け焦げていた。
「あわわわ、人だらけです」
「エーリカ動揺しすぎじゃない?」
「だ、だってこんなに人の波が途切れずに……あわわわわわ」
「つーか、お前もレディニアの王都に住んでたんなら、こんな光景日常茶飯事じゃねえのか?」
「ねえ、王族のエーリカを王都に住んでたなんて言うのレイズくらいじゃない?」
エーリカの素性をあたかも一般人のように話すレイズに、リリアは細い目を向けた。
「そうですね、それでも人通りが違いすぎます。流石はハインゲア王国」
「人が多ければその分ひったくりもいるわ。気を付けなさいよ。特にエーリカ」
「大丈夫です!お財布はしっかりこのポーチの中に入れてますから!」
「あなたが背負ってたどでかいリュックサックどこにいったの?」
「え?へぁ!?あれ、いつのまに!?」
「冗談よ。さっき馬車に乗せて王城まで運んでもらったの忘れたのかしら」
黒葬の魔獣モザ=ドゥーグを倒したことで王都の騎士から事情聴取を受けた後、王都へ帰還する騎士の馬車に同乗させてもらったエーリカたちは、途中、中央平原に建てられた休憩所で一夜を明かし、王都へ到着したのは明朝だった。その後、王都の景観に目を輝かせたエーリカは町を観光したいと無理を言い出し、意外にも馬車を引く騎士が了承してくれたため、荷物だけを王城に送ってもらい三人は王城の正門で馬車を降りた。
「そ、そうでした。びっくりさせないでくださいよぉ……」
「ふふっ、案外いじりがいあるわね」
「そういうリリアは何でもの陰に隠れてんだ?」
「え?」
レイズとエーリカの背後の建物の陰でこそこそ隠れながら、エーリカを揶揄っていたリリア。
そんなリリアに、レイズは子供のような瞳をして問いかけた。
「そうですよ。ここはダリア・フォールじゃないんですし堂々と出てくればいいじゃないですか」
「……えっと、ほら、私ってずっと人間を恨んで滅ぼそうとしてたわけじゃない?だから、こうやっていざたくさんの人間を垣間見ると……変に体が強張っちゃって」
「ようするに人見知りってことだな!」
「そゆこと……」
へらへらと言い切るレイズに、リリアは顔を俯かせながら小さな声でそう言葉を返した。
「で、これからどうしますか?」
「お、王城へは十時に戻ればいいから、それまでアンタの好きなところに行けば?」
「え、私ですか?お二人はどこか行きたいところとか……?」
「観光したいって言ったのはアンタでしょ」
「そうですけど、私は三人で楽しく王都を散策したいんですよ!レイズさんは!?」
エーリカはキラキラと輝かせた瞳で、レイズに顔を近づけそう尋ねる。しかし、レイズはいつもと特に変わらない表情で、
「俺はエーリカの言うところならどこでも行くぜ!」
「そう言うと思ってました」
いまいち盛り上がっていない二人の反応に、エーリカは頬をぷくぅと膨らませ渾身の怒ってますアピールを敢行。が、それでも二人は眉根一つ動かさないため、諦めたエーリカは嘆息を漏らすと、強引に二人の手を握り引っ張った。
「ちょっと何するのよ」
「本当にないんですか?」
「な、ないけど……」
手をつないだまま食い気味に迫まるエーリカに圧倒されたリリアがそう口を漏らすと、今度は反対側の手を握るレイズに話しかけた。
「レイズさん、お腹減ってませんか?パン食べたいですよね!?」
「まあ、朝から何も食べてねえしな」
「私さっき美味しそうなパン屋さん見つけたんです!」
そう言ってふふんと息を漏らすエーリカに、レイズとリリアは目を合わせ、
「随分上機嫌だなエーリカ」
「えへへ……私、王族だからあんまり友人と呼べる方がいなかったので、一度でいいからお友達とデートしてみたかったんです!」
「と、友達……?」
唐突に友達宣言されたリリアは、頬を赤く紅潮させ、無意識に尻尾がピンと伸びる。
そんなリリアに、エーリカは上目遣いで尋ねた。
「違うんですか?」
「え、いや……ていうかエーリカ、デートの意味わかってる?」
「お父様から好意を持った同士でどこかに遊びに行くことがデートだと教わりました」
「いやまあ間違ってはないけど……」
満面の笑みで話すエーリカに、リリアは本当のことを話すのもやぶさかだと口をつぐんだ。
「それにしてもこの通りはカップルの方だらけですね。沢山遊んだ後に告白しちゃうのでしょうか。あわわ」
「えぇ……まあいいけどさ」
「あの仲睦まじいお二人に負けないよう、私たちも楽しんじゃいましょう」
「え、ちょ……引っ張らないでよ!」
エーリカは足をすくんだままのリリアとレイズを引っ張り、そのまま石畳の大通りを駆けだした。
「に、人間がそこら中に……」
「大丈夫です!次期に慣れますよ。心配しないでください!」
人ごみを抜けるように走るエーリカと、手を繋がれエーリカに引っ張られたまま渋々と後を追うリリア。そしてエーリカの幸せそうな姿を見ることができご満悦な様子のレイズ。
しかし、運動神経皆無なエーリカは少し進んだだけではあはあと息を吐き立ち止まってしまう。
「つ、疲れました……」
「そんな子供みたいに走ってるからよ」
雑踏も忘れ、大通りの中央にでれんとへたり込むエーリカに、リリアは苦笑する。
「よっしじゃあ俺がおぶってやるから早くパン屋に行こうぜ!腹減っちまった!」
「ありがとうございます。レイズさん」
そう言ってレイズが背中を向けてエーリカの前に屈むと、エーリカは重い腰を下ろして立ち上がり、ひょいとレイズに飛び乗った。
「レイズさんの背中あったかいです。思わず寝ちゃいそ……」
「っしゃあ!このままひとっ走りだ!」
「えっ?あの、レイズさん。ゆっくり、ゆーっくり行きまひょひゃあああああああ!!!!!」
背中にエーリカを乗せたまま地面を蹴ったレイズは、そのまま尋常じゃない加速を見せ、砂埃を立てながら駆け抜ける。
「あの二人ほんと仲いいわね……」
その速度に、大通りを通る人々は思わず立ち止まって通り過ぎるレイズを一瞥する。リリアは注目を集めてしまっていることにあちゃあと額に手を当てつつ、これまた凄まじい加速でレイズを追いかけた。
「れ、レイズさん……もっと、ゆっくり、で、お願いしま、げふっ」
「なあ、エーリカが見つけたっつうパン屋ってどこにあるんだ?」
「うぅ~速すぎて見失っちゃいました」
「まじかよ!?」
レイズの背中に身を任せげんなりとそう口にするエーリカ。そんなエーリカの応えにレイズは驚愕の表情を向けた。
「確か、そこの路地を曲がったところに……」
そう言ってエーリカが指さしたのは、どう見てもガラの悪い輩が跳梁跋扈してそうな薄暗い路地裏。
「ちょっと二人とも、裏路地はチンピラの巣窟よ。絡まれるくらいならおとなしく迂回した方がいいわ」
「んでもエーリカが言ってんだからこっちだろ」
「え?ちょっと話聞いてた!?」
後から追いついたリリアの指摘も耳に入れず、エーリカを背中に乗せたレイズはずんずんと路地裏に入って行く。
リリアも全くっと嘆息を吐きながら路地裏に足を踏み入れた。
するとどうだろう、少し広めな裏路地には案の定ガラの悪い男二人が仁王立ちしているではないか。
「おいおい、なんだなんだ?女おぶって俺様の縄張りに入るなんていい度胸してるじゃねえか」
「ぎゃははは!!やっぱここにいりゃいいカモが釣れるぜ!」
男たちは裏路地に入ってきた男女三人組を嘲笑いながら言葉を吐く。
「こ、怖い人たちです……」
「言わんこっちゃない」
と、サングラスに薄汚いタンクトップを着た男が、レイズに背負われたエーリカを一目見て、もう一方のスキンヘッドの男に言葉を漏らす。
「なあ兄貴、男に背負われてる茶髪の嬢ちゃんすげぇ可愛くね?じじぃんとこ持っていけばいい報酬くれるんじゃねえの?」
「くくっそうだな、後ろの獣人もかなりいい線いってるし、こりゃ高値が付きそうだ」
「いいな!男ボコして獣人女も纏めて売っちまおうぜ!」
「これだから人間は……」
物騒な言動をへらへらと嘲笑しながら言い合うチンピラ達に、リリアは軽蔑の目を向ける。
思えば人間のこんな側面があったからこそ、自分は人間を恨むようになったのだと、今更になってリリアはそう自覚する。
──と
「なあリリア」
「何?」
エーリカを背負いながら男の話に耳をそばだてていたレイズが、急に首を激しく振り出しリリアに尋ねた。その行動にリリアの脳内に疑問が溢れそうになるが、気を紛らわせてレイズの問いかけに応えた。
「あいつら何言ってんだ?」
「さ、さあね、レイズを倒してエーリカを身売りするとかじゃないの?」
(私も含まれてるみたいだけど、エーリカの単語を出せばレイズは動くはず)
哀しげな表情でそう考えを巡らせるリリアに、レイズは口を緩ませ、
「でもあいつ獣人女もって言ってたじゃねえか」
「え?」
「んじゃ、二倍守らねえといけねえな」
そう言ってエーリカを降ろし、レイズはニッと笑いながら両拳を合わせる。
「レイズ……」
(忘れてた、レイズも人間だった)
──自分を、絶望から救ってくれた。
リリアは瞳を潤ませると、本日二度目のため息を吐く。
「無理、しないでくださいね」
「応!」
エーリカにそう声を掛けられると、レイズはエーリカにそっと拳をかざし、男たちを振り向く。
「とりあえず、彼氏ちゃんは有り金全部と女置いてってくれれば見逃してやるぜ?」
「愛するハニーと自分の命、どっちが大事かなぁ?」
「ぷっくくく」
「あっ?何笑ってんだ獣人女」
「いや、アンタたちに同情しちゃって」
「「あっ?」」
リリアの言葉の意味を感じ取れなかったチンピラに、薄笑いを浮かべたリリアはこう言葉を付け足す。
「喧嘩売る相手間違えたみたいね、可哀そう」
「なんだこのアマ……へぶし!!!!!」
「あ、兄貴!?」
サングラスの男が言い切るより早く、レイズの拳が男の側頭部に命中。男はその攻撃に受け身を取る暇もなく地面に倒れ気を失った。
「てめえ、殺してやる!!」
憤慨したスキンヘッドの男は腰からダガーを取り出しレイズに反撃を試みるが、
「殺されるのはてめえらだよ」
「……!!」
「これ以上エーリカに手ぇだせば、俺がぶっ殺してやる」
これ以上ない鬼の形相でそう言葉を放つレイズに、ひるんだ男がダガーを弧を描くように振り回す。しかし、レイズはそれをひらりと躱し男の腹部に一撃を放った。
「ぐへっ!!」
「ついでにリリアもだ」
(ついでって……)
男は腹からビリビリと広がった激痛に耐え切れなくなり、鮮血を吐き出して地面に屈みこんだ。
「ざまぁないわね。有り金全部奪っちゃいましょうか」
「リリアさん。それはこの人たちとやってること同じですよ」
「冗談よ、ちょっと言ってみたかっただけ」
そう言ってリリアは腹を抑えて悶絶している男にスタスタと歩み寄り、男と同じ目線にまで身を屈める。
「な、なんだよ……!?」
「レイズはアンタたちを行動不能にするくらいで済ませたけど、もし私なら──心臓、貫いてるから」
「ひっひぃぃぃぃぃぃ!!!!!」
その途端、顔を青ざめ地面に伏してしまった男の様子にふふふと微笑したリリアは、すかっとした顔立ちでエーリカの元に戻る。
「あーすっきりした」
「リリアさん、正直怖かったです……」
「レイズがチンピラしごいた時の爽快感がたまらなくてね」
「なあ、こいつまだエーリカの死霊術効いてんじゃねえの?」
辛い事などどこかに飛び去ってしまったような晴れやかな顔で言い放つリリアに、戻ってきたレイズは奇怪なものを見る目でツッコミを入れた。
そして、レイズは再び悶絶中の男の元に行くと、リリアと同様に男の視線まで腰を曲げる。
「こ、今度は何だよ!?」
「なぁ、この辺にパン屋ねえか?」
「へ?この路地裏を抜けた左手……」
「応!ありがとな!」
そう言ってその場を去るレイズに、男はぽかんとしてその背中を見ていた。
「あなた自分がしごいたチンピラによくもそうへらへらとパン屋の場所尋ねられるわね」
「自分の眼で探すより聞いた方が早ぇだろ?」
「そうだけどさ……」
「では、一悶着済みましたし早速行きましょうか!」
「エーリカもエーリカで楽観的すぎない?」
二人の軽すぎる言動にリリアは脳がショートしそうになるが、気を紛らわせてその場を立ち去った。
「うぅ、くそっ」
レイズ達が去った後、再び静寂を取り戻した路地裏でスキンヘッドの男は腹をさすって立ち上がった。隣には、未だに白目をむいて地面に倒れているサングラスの男。
「裁きの刻までにあと二人連れて来いって言われてんのに……このままじゃ俺たちおしまいだ」
男の脳裏に映り込む、黒い前髪をくねらせた老齢の男。その容貌は、この男たちから見ても悍ましいの一言で解決できる。
なぜなら、その男を思い出した途端、激しい嘔吐感に襲われたのだから。
スキンヘッドの男は胃の中からこみ上げてくる胃酸を四つん這いで地面に吐き出し、顔を上げた。その時──
「おいおい何やってんだよお前ら」
突然、声がしたと思えば、レイズ達が入ってきた方向からすらっとしたシルエットが現れる。
次第に姿が見えてくると、赤髪の男がこちらに向かってゆっくりとした足取りで向かってきている姿が見て取れた。
「お、おめえは!?」
その男の姿を見るに、腹を抱えていた男はガクブルと震えあがる。
「お前ら、俺が教えてやった体術もう忘れちまったのか?ちっちぇえ脳みそだな」
白いTシャツに赤チェックのカーディガンを羽織り、藍色のチノパンに手を突っ込んだ現代風な男。
「う、うるせえ、おめえには関係ねえだろ!」
「力が欲しいのか?」
「あ?」
「どうみても、困っています助けてくださいって表情してるじゃねえかよ」
男は機会に光る紅き双眸でサングラスの男を見つめる。
その言葉を聞いたサングラスの男は、先程までの威勢はどこ行ったのか、赤髪の男に跪いた。
「頼む!俺たちこのままじゃ殺されるんだよ!!」
「人に物を頼むときは敬語を使え。チンピラども」
「お、お願いします!!」
地面に額を付けてまで懇願するサングラスの男に、赤髪の男は歯を軋ませる。そしてにやりと笑い、
「いいぜ、たっぷりしごいてやるよ」
その言葉に、サングラスの男は顔を上げ表情をぱぁっと光らせた。




