表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私は秘密を持っている  作者: つっちーfrom千葉
4/16

私は秘密を持っている 第四話


 体内に潜んでいる秘密というモノが放つ、圧倒的な重みにより、次第に疲れてきた私は、約三ヶ月ほど前から、最寄りの精神科に通うようになった。人が羨む地位にある者が、必ずしも幸せではないということの証明である。今日立ち寄ったときも、精神科医院の先生は、『私にゃあ、悩み一つないんですよ』とでも言いたげな笑顔で迎えてくれた(もちろん、患者を受け持つ立場の彼が、顔を真っ青にして、思い悩んでいるようなら、この世界は救われないだろう)。彼の頭部には、残念ながら、ほとんど髪の毛は残っておらず、人の良さそうな丸い輪郭に、それ以上に丸い眼鏡を装着して、白い髭をたくわえているのだ。駅前で大混雑中の待ち人の中に混ざっていても、こいつはおそらく医者だろうと判別できるような外観ではないだろうか。


「どうしました? また秘密とやらが悪さをするようになりましたか?」


『自分には悩みなどまるでありません。毎日が楽しくて仕方ないです』とでも言いたそうな、明るい声色で、彼はそう尋ねてきた。


「いえ、もうこれを体内に仕込んだ人間たちでさえ、忘却に陥るほどの、長い長い期間に渡ってですね、このやっかいな問題と正面から向き合ってきました。そりゃあ、埋め込みの手術を終えた当初は、誇らしい気持ちにもなりましたよ、当時は『真っ黒な秘密を植え付けられてしまった』などという苦痛は微塵も感じませんでした。


『どうだ、この広い世界で、俺だけが、こんな立派な秘密を持っているんだ。俺はこの瞬間にもっとも存在意義のある人間になったんだ。どんな人間の心をも、ズバリと言い当ててみせる、きわめて優秀な心理学者だって、俺の秘密を知ることは出来ないわけだ。自分の本心をすぐに見破られる人間がいるとしたら、そいつらは偽者だ。どんな大権力の追求からも情報を守っていける男だけが本物なんだ』


 世間に向かって堂々とそう叫び、胸を張って暮らしていたわけです。そもそも敵が生まれる余地など絶対にないと思い込んでいたので、怖いものなど、まったくありませんでしたよ。


 ですが、近頃はそう楽観的にもなれなくなってきたのです。なにしろ、一生爆発させてはならない巨大な時限爆弾を、自分の胴体のどこかに抱えながら生活しているようなものですからね。この異質な爆弾は世界でただひとつきり。しかも、どうやら、この秘密は、少しずつ成長していっているようなんです。最初は理解に苦しみましたが、どうやら、私の個人的な悩みや孤独感やストレスをも吸い取って、それをエネルギーにして肥大しているようなのです。では、私はこの事態にどう対処すればよいのでしょう? 家族にも友人知人にも、この苦しみは決して理解できないはずです。先生、あなただって、どんな苦しみ聴かされても、すべては他人事だと思えているから、まるで、一人娘から誕生日プレゼントを受けとったときのような、生き生きとした笑顔を浮かべておられる。そんな浮かれた顔で、もがき苦しむこの私と向き合っておられるわけですが、これがもし自分のことだったとしたらどうです? ある日突然、身体の中に無理矢理秘密を埋め込まれたのが、もしあなた自身だったとしたら……。それでも、そんなに無邪気な笑顔を浮かべていられますかね? いったい、何が可笑しいんです? もし、私の深刻な訴えを聴きながら、深刻な悩みのすべてを他人事にして、それを餌にして、そうやって幸福感を味わえるのだとしたら、あなたは真っ当な医者とは呼べない。完全にペテンではないですか!」


 私は心の奥底から湧き出てくる痛みと苦しみの極まった表情により、そのように伝えた。先生はその訴えにある程度の共感を示して深く頷くと、白衣のポケットから取り出した聴診器を、私の胸にようやくあてるのだった。


「なるほど、そこまでおっしゃるからには、虚実渦巻くあなたの秘密とやらも、いよいよ抜き差しならぬところまで育ってきたのかもしれませんね。そうなりますと、市販の飲み薬だけでは、ほとんど効果は見られないでしょうな。一番効果的な治療薬とは薬局などでは買えないものです。大学病院の保管室でしか見られません。その存在自体が秘密と似通っています。あなたの症状を見るにつけ、いよいよ、我々医療スタッフの動き出すときなんでしょう。それでは、一度、高性能なレントゲンを用いて、心の内部の様子を見てみましょうか?」 


「レントゲンですって? ここは精神医療の病院なのに、秘密が読み取れるほど高性能なレントゲンが置いてあるというんですか?」


 医者はそれを聞いても、そんなことは至極当然だといわんばかりに、自信たっぷりに頷いた。その余裕の笑みからは、その機材を扱うことで、これまでにも、かなりの稼ぎがあったことが伺えた。


「重篤な病気に対して、最新鋭の医術を施すのは当然なんですよ。患者の悩みを聞いて、『それは大変ですね。では、少しばかりの安定剤を出しておきましょうか。調子の悪いときと寝る前に、二粒ずつ飲んでみてください』としか言えないような医者は、この段階において、すでに二流だと判断できるわけです。この厳しい競争社会において、それほど長く勝ち残れるものではありません。私としては、億単位で年収を増やしていって、やがては、ドバイのど真ん中に高層ビルを建てるくらいに稼ぎ出したいのです。欧米の研究施設から伝わった最新の医療では、患者の心を放射線で素通しすることで、心に眠る秘密、(まあ、あなたの持っている輝かしい秘密に比べれば、他の患者の内心などは、どれもくだらないガラクタばかりですが)それを見事に探し当ててみせてから、治療の方針を定めることがままあるわけです」


 精神科の先生は、青い小さな扉を隔てて、その隣にある、放射線検査室へと私を案内した。そこは四方の壁一帯が、透き通るように青いタイルに覆われた清潔そうな部屋であった。その上で、手術室や集中治療室のように細々とした機械が所狭しと並べてあった。患者の精神状態の様態や変化を瞬時に鮮明に示す巨大なモニターが、いくつも並べられていた。


「上着を脱いでから、その中央の台の上に横になって下さい」


 医者は簡潔にそう命じてから、助手となる看護婦をひとりだけ部屋の中へ呼び込んだ。なるべく、少人数で秘密裏にというその手法にはインドの密法のような趣きがあった。


「これからね、全身のレントゲンをなるべく詳細に撮っていくからね。この患者さんは、なんでも大変な人間不信に陥っておられるそうなんだ。心の奥の奥に、人にはなるべく伏せておきたい、たいそう大きな秘密を持っておられるのでね。ここでそれを写してみて、秘密とやらが口先だけのモノであれば、酒の席でのよい笑いネタになるわけだし、本人が言うほどの深刻なモノであるのなら、いざというときの脅迫材料とも成り得る、興味深い情報を得られることになる。とりあえず、どちらに転んでもOKというわけだ。私としては、なんとか、内心を暴いてやろうと思っているわけだがね」


「わかりました、それでは、重症患者様用の高性能なレントゲン装置を、これから起動して参ります。何しろ、この煩雑な操作を要する装置を動かすのは、十年ぶりですので、内部の精密機械が錆びついているかも知れず、若干不安ではあります。しかし、この装置を使えば、その秘密が本当に存在するのか、有るのならば、今現在、どの程度まで大きくなっているのか、どの程度まで患者の心を蝕んでいるのかまで、はっきりとわかると思います」


 仕事慣れした若く冷徹な看護婦は、それだけ言い残すと、足早に操作室の内部へと消えていった。彼女がこの検査室から出ていってしまうと、初老の医者は手持ち無沙汰になったのか、どうでもいい独り言を聴き取りにくい音量で何度か呟きながら、部屋の電気をやや薄暗くして、レントゲン装置の起動に備えていた。


『長年に渡り肥大を続けてきた、自分の秘密をもろに見てしまったゆえに、大きなショックを受けて、その苦しみのあまり不安障害を発症したり、あるいは、精神錯乱に陥ったり、その場で卒倒してしまい、呼吸が止まってしまう方もいますのでね』


 どこかで聴いたことのあるようなマニュアルそのままに、その医者は淡々とした口調でそう述べると、いっさいの身動きが出来なくなるように、私の手足を複数の頑丈な金具によって、台の上にきつく縛り付けた。私は頭上にそびえる、レントゲンの起動装置、その非常に込み入った大掛かりな機材を初めて見るに至って、急に不安になってきた。そこで、仰向けに寝かされた姿勢のままで、今なら、なんとか指が届きそうな、先生の白衣を右から掴んで、ぐいぐいと何度も引っ張ってみた。


「何です? 急に臆病風に吹かれたのですか? 誰しも、自分の内部を見せられるのは嫌なものです。そこには、自分自身でさえ知り得なかった暗さや見苦しさ、気持ちの悪さがあります。精神に影響を来たす前に、やめたくなったのなら、いつでも言ってください」


「先生、そうではないんです。私はずっと自分の意思に反して、いつの間にか、半ば強制的に秘密を持たされたのだと思って、これまで長いこと生きてきました。しかし、実際には人間の脳は実地的体験を得ずとも、記憶を独自に作り出すこともあります。例えば、幼なじみとの恋愛の仕方であるとか、お金の上手な使い方などを、幼い頃に記憶のひとつとして刻み込んだ時期を、正確に示すことのできる人間は数少ないと思います。そもそも、生きていく上で持ち合わせて当たり前の知識というものは、その本人でも知らぬ間に着実に備わっているものです。『両親や友人たちが眼前に突きつけられた失敗や挫折を、単純なマイナスではなく、さらなる糧にしているところ』をその目にすることで、人は自分の体験したこと以上に成長していくわけです。ですが、今になって、ようやく思い至ったことは、実際には、そうとも言えないのかもしれない、ということです。


 凡人として生まれた私が、自分が何とか持ち合わせている唯一の特徴について、深く深く思い詰めて考えているうちに、最近は心中において、まったく逆のことも考えるようになってきたわけです。つまり、私がここ数年以上にわたり体験してきたはずの、秘密を巡る一連の馬鹿騒ぎは、すべて私自身の脳みそが創り出した誇大した妄想であり、本当は何の才能も価値も持ち合わせていない、可哀そうな、アル中の将来だけは約束された、ただの一般人に過ぎないのではないかと。社会の片隅において、効率のいい歯車の潤滑油となって働く、うだつの上がらない男が、浮世の冷たさに腹を立て、著名人たちの才能に嫉妬を重ねていき、自分自身のつまらない失敗や同僚たちからの嘲笑に対して、日々ストレスを募らせていき、ある日を境に、『ならば、自分は特別な人間ではないだろうか』という空想を働かせるようになったのではないかと。それはまったく貯まっていかない貯金通帳を開くたびにぐんぐんと膨張していきます。もちろん、それは真っ当な医学者の口から出れば、精神病と呼ばれるものです。自分の背負ってしまった、あまりに過酷な現実とこの先に確実に訪れるべき未来が、少しでも軽く楽になるようにと願って生まれたものです。ええ、手っ取り早くいえば、敗北続きの現実世界がすでに嫌になり、テレビとパソコンだけを背負って想像の世界に逃げ出して、そこにのみ居場所を求めるようになったわけです。社会の裏に隠秘された情報を求めて、自分の背後を執拗に追ってくるマスコミ記者や、私に媚びへつらって傷ついた心を満足させてくれるはずの上司や同僚などは、そのすべてが他人を見下して生きたいがための、私自身の想像の産物なのではないかと。本当は誰しも私のことなど、道端に生えている、馬糞や泥を引っ掛けられ、最悪の境遇に生まれついた雑草のように、まったく気にはしていないのです。大都会の雑踏に紛れる、ポケットに財布の入っていない、ボロのコートを羽織っただけの夢追い詩人でしかなかったのです。結論をいえば、私の半生の中には、他人に誇れるような重大な秘密など、最初からどこにも存在はしていない。自分で言ってて悲しくなりますが、そういう結論ではいかがでしょうか」


 医者はそれを聞いて、白い口髭に一度手を伸ばして、それを触って意識もなくなでながら、約二十秒ほど、何か思いを巡らせていたが、やがて、考え深げに首を横に振った。


「前提として言わせていただければ、確かにそういう患者さんも、少なからずおられますけどね。誇大妄想症とかいいまして……。若い頃に頭の中に理想として思い描いていた通りに生きることの出来ない、自分自身への不満を募らせる余り、ある日を境に、待ち受けている冷たい未来が頭から離れなくなり、正常な思考すら出来なくなってしまい、まるで、自分のことを宇宙人や大統領や人気ロック歌手だと思い込んでしまう。あるいは思い通りにならぬ怒りにまかせて、周囲にいる誰彼かまわず暴言をぶちまけていくようになる。そのような生活を続けた結果として、ある日、意思の疎通さえ取れなくなってしまい、日常生活自体が完全に崩れてしまうこともあります。あまり世間一般には知られていない病気ですが、さすがによくご存知ですね。暇を見つけて国立図書館に籠って、小難しい本でも読まれてきたんですか? あなたが仰られている、そういう治療困難な病気は確かにあるでしょうね。社会の底辺にはびこる病(自由な生活や挑戦に事欠かない富裕層には無縁でしょうね)、いわゆる現代病ですね。成長しきった文明社会が生み出した、階層社会のひずみ……。しかしですね、あなたの病状の場合を語らせて頂くと、おそらくは、空想や妄想の類いではないようです。残念ながら、あなたが背負っている重い現実は、本物だと思われます。すべての医学的な知識を総動員して、あらゆる方向から考えたところ、心の内のどこかに本物の秘密があるのだろうと結論付けられます。たった一人で、歴史書に残ってしまうほどの、重大な責任を背負わされて、非常にお苦しいのはよくわかります。ただ、この世界において、存在すると推測される唯一の秘密を、自分の身体の内部に隠し持つという、このきわめて重苦しい現実から、今さら逃げることなど、許されないでしょうな」


「先生、それを聞いて少し安心しました。例をあげるならば、少しの体調の悪さから、自分は重い癌ではないか、と思い込んでいる患者さんがいたとして、彼は最新鋭の大掛かりな医療機器において、数日がかりの精密検査をすることになったとき、『癌でなかったら、助かるのだが……』と強く願う気持ちがあるのは、人として当然なんですが、実際には、それと同じくらい大きな割合において、『家族や親戚も引き連れてやって来て、ここまで金のかかった大掛かりな検査をするのだから、癌ではないにしても、それ相応の病気にはかかっていないと面子が立たなくて困る』という微妙な心理が働くものなんですよね。自分の病状の詳細が他人から注目されている、という気恥ずかしさが先に立つのでしょうかね。ここ数日体調が悪いことにより、自分は重病ではないかと大騒ぎして、身内の人間たちをしこたま驚かせておいて、実際は何の病気でもなかった、では収まりがつきませんものね。もちろん、検査入院の段階で、それなりのお金もかかっているわけですし……。逆に言いますと、癌が発見されてしまったとき、ほとんどとは言いませんが、ある一定の患者さんの心理には、『ああ、実際に癌があって良かったなあ』という気持ちも、少なからずあると思うんですよね。自分の推論が適確に当たっていて、ほっとする気持ちですよね。もちろん、その後の治療については大変な覚悟も必要になるわけです。私としても、今はそういう類いの神経質な患者さんと同じ気持ちなんです。ですから、自分の心中には本当に重大な秘密があるのだと、先生から残酷な宣告をして頂けて、かえって良かったくらいです」


「では、心も決まったようなので、そろそろレントゲンを撮影しましょうかね。上にある撮影レンズを見て、身体の力を抜きます。私が合図をしましたら、一度呼吸を止めてみてください」


 数秒後、ガシャン! という小気味よい音が辺りに鳴り響いて、撮影自体は無事に終了したらしい。問題はこの後宣告される結果である。願わくば、目が当てられる程度のモノであってくれれば……。ベッドの横に設置されている、大型のモニターには、無事に映写されたと思しき、私の身体の内部の状況が、頭部から足の先に向かって、徐々に映し出されてきた。上半身のすべてが映し出された頃、突然、「ああ!」という大きな叫び声を発して、傍で見ていた看護婦さんが突然口を抑えたまま倒れ込み、床にその両手をついて泣き崩れた。後で聞いたところによると、このナースさんは、今どきの自由闊達な娘さんには珍しく、ハリウッド製作のマフィア映画でさえ、一度も目の当たりにしたことがなかったという。おそらくは、テレビから飛び出してくる幽霊や世界有数の大型船舶の沈没映画でさえ見たことはないのであろう。私が胸に隠し持つ黒い秘密を目の当たりにするには、彼女は余りに純朴であったということか。こんなに残酷で致命的なレントゲン写真を、これまでの半生において、見たことがなかったらしい。彼女はハンカチで口をふさぎ、自然に湧き起こる涙の粒を何とかこらえながら、ベッドにもたれながら立ち上がり、そのまま、足早に部屋から飛び出していった。


「すいませんね、あの子はまだレントゲン操作の経験が浅いので、このような職に就いていながらも、本当の秘密というものを、これまでに見たことはなかったわけです。あなたの体内にかくまわれていた、真っ黒で粘着質で汚らしい秘密の芯の部分を、その両目でまともに見てしまい、ショックを受けてしまったわけです」


「先生、それで、わ、私の秘密は、どういうモノなんです? どれほどの大きさに成長しているんですか? まだ、何とか助かりそうですか? 臓器の働きを狂わせたりはしていませんか?」


 結果はすぐ目の前にあった。私は悪魔のような漆黒をこの目で見る羽目になった。我ながら、逃げ出したくなるのは当然だった。現実を凝視することが、すっかり怖くなって、声を震わせながらも、そう尋ねてみた。


「そうですね、これを見る限り、右胸の上部の方に、大きくモヤがかかっているのが分かりますね。まるで、魔界の霧にでも覆われたかのように黒一色です。肺の姿が左右とも全体的によく見えません。おそらく、この辺りのどこかが埋め込まれたという秘密になっているんでしょうね。ええっと……、推測になりますが、あなたが当局によって拉致された当初は、肺のやや下の辺りに、手術によって、強引に埋め込まれたと思われるクスミがあるのです。それがあなたの日々の自尊心の増長と共に、徐々に大きくなっていきまして、今ではもう、およそ取り返しのつかないほどに成長を遂げております。説明するまでもなく、現代の医療技術では解決不可能です。いやいや、長年に渡り、患者が少ない時間帯の退屈を紛らわすために、この仕事に従事しておるわけですが、ここまで立派な秘密は、未だかつて見たことがありません。ほとんど手の施しようもなく、まさに末期的です。下手に胸部を切り裂いて取り出そうとすると、あなたの身体はそれに耐え切れず、秘密が持つ悪意に否応なく敗れてしまい、心身ともに破綻することになるでしょうね。隠し事がこのような最高ランクにまで肥大してしまいますと、今からでは、吐き出すことすら叶わないのでしょうね。もちろん、あなたもそれを望まないでしょうけど……」


 医者はモニターのあちこちを指さしていきながら、丁寧に説明をしてくれた。上半身を持ち上げて、自分の眼で再びモニターを見ると、確かに右の肺の辺りに紫色の大きなクスミが付いていた。最初に見た印象は不気味で、人の肉体としては不自然でもあった。自分の身体の内部に(おそらくは悪意からであろうが)このようなモノを平然と埋め込む人間たちが、この平和な国を仕切っているとは、容易には想像がつかなかった。


「これは選択肢の一つとしてですが、例えば、有名な大学病院などで専門の治療を受けることにより、なんとか、摘出していただくことは叶いませんかね? それがダメでしたら、軍部の研究施設などでの、法律的には許されない手術であっても、こちらとしては一向に構わないのですが……」


 私は医師の目を見つめながら、強い意思を持って懇願した。しかし、彼の視線や反応はきわめて冷たく、この難題を解決へと導く妙案を提供してくれることは、まったく期待出来ないように思えた。


「これを医療機関の手によって体外に排出してしまいたいと仰るわけですか? 少し厳しいことを言わせて頂きますが、秘密というものは悪性の腫瘍などとはまるで違います。それを持っているからといって、決して、寄生主に対して悪さをするわけでもありません。もちろん、味方にもなりませんがね。つまり、秘密を持つ本人の行動や態度や意思の表明によって、秘密の良し悪しの多くが決まってくるわけです。自分が秘密を持っていることを、ある種の気まぐれによって、世間に対しておおっぴらにしてしまいますと、後で必ずや後悔することになるでしょうな。マスコミや野次馬からの熱い視線が、最初は心地よく感じられたとしても、時の経過によって、次第に煩わしく感じるようになります。周囲の人はすべて秘密を覗きに来る敵ではないかと感じられるようになり、人間の弱い精神力では、孤独と寂漠感に堪えられなくなるわけです。しかし、体内において、ことの成り行きを見守るそれは、決して、企業社会や裏世界に溢れる、ありふれた情報などではなく、この世で唯一無二のものであるという特性自体は、これもまた、疑いようもない事実です。秘密情報というものは、いわばそれを握る個人の存在価値を高めるためのものです。これ一つを持つだけで、高貴な家柄も才覚も持たずに、国家を代表する要人と肩を並べることが出来る可能性を秘めているわけです。平凡な家庭に生まれ育った、あなたの名誉のためには、案外これは良い結果なのかもしれませんよ。何しろ、世界を広く見回してみても、これほど大きな秘密は、そうざらにありませんからね」


「実は、私も最近まではそう考えていました。自分は特別な人間なのだから、隠し持つモノを持たない人間たちに比べれば、ずいぶんと責任と重みのある立場にいられて、それは言い換えれば、幸せに繋がることなのだと安易に考えていました。しかし、もう少し慎重になって考えを進めていきますと、今、この胸の中に潜み、私の肉体を半ば支配している秘密が、本当に自分の遠い未来にとって、プラスに働くモノなのかどうかは、すでに判断がつかなくなってきたわけです。サングラスやつば付き帽子で顔を隠さずに、街中を悠々と歩いていますと、職業や男女を問わずに様々な人たちが、馴れ馴れしく近づいてきます。テレビで活躍するほど有名な人も特殊な魅力のある人でさえも、この秘密に引き寄せられ、私という人間に興味を抱いてくれます。しかし、それは私の才能や外観に惹かれているわけではなく、あくまでも、この心中にあると思われる大きな秘密に半歩でも近寄りたいという、この一点だけなんです。


 私はまるで玉ねぎのようです。手先の器用な料理人の手を借りて、秘密という薄っぺらい皮を、最初は一枚ずつ、次第に速度を上げて、何百何千と延々とむいていっても、結局のところ、中には何も残りません。何十日もかけて面倒くさい捜索をして、ようやく、中央の部分を覗いてみれば、何の取り柄も持たない、単純なひとりの凡人が佇んでいただけという、つまらない芯(真)がひょっこり顔を出すわけです。心中の至るところにへばりついてしまった秘密が、私という本来の存在を、まるでわからないモノ、世間的な評価でいえば、まったく未知数なものにまで置き換えてしまっているのです。先生、どうか願いを聞いてください。私はもう誰かが知らぬ間に埋め込んだ秘密には飽き飽きしました。秘密を持たない頃の、元の素直で純朴な自分に戻りたいと思うようになったんです」


「あなたのお考えはよくわかりました。莫大な地位や財産を受け取るも放棄するも、その人の自由ですからな。そこまで苦しみが大きいのであれば、ちょっとは名の知れた医者の一人として、それを取り除く努力を為すべきかもしれません。では、この不思議なポリ袋を使ってみましょう」


 医者はそう言うと、引き出しのひとつから、おもむろに半透明の大きな袋を取り出した。袋の表面には中央の大変目立つところに、真っ黒な禍々しいドクロのマークが刻印されていた。


「この中にあなたの秘密を思いっきり吐き出してみましょう。ご覧のとおり、これは実に単純な手法であります。知恵のまわる子供でも、この仕組みには気づくでしょう。しかしながら、このような解決不能にさえ見える、深刻な問題には、もっとも分かりやすい手法を用いるのが効果的であります。オッカムの剃刀という言葉も存在します。成功率はソコソコというところでしょうが、うまくいけば、秘密などとは、金輪際付き合わずに済みますよ」


 私はその説明をすっかり鵜呑みにして、半ば奪い取るようにして、医者の手から袋をひったくった。行きたくもない遠距離バス旅行で、すっかり体調を狂わせて、胃の中のモノをすべて吐き出す直前の病人のように、袋の入口に口を当てて、そのまま大声で呪文のようを唱えるように叫んだ。


「この世界のどこか、すぐ近くに、一般の人間の眼では、決して見てはならないモノが、秘密を奪おうと画策する愚か者どもをすっかり食い殺すために、私という存在をエサにして……。そこには、殺すも殺されるも、善も悪もない……。ただ、反射的に敵に喰らいつくだけ……、考えてみれば、どいつもこいつも汚ねえ野郎ばかりだ! だが、いつの日にか、この世界の裏の棲み処から、善悪構わず、懲罰を下すために飛び出してやろうと、じっとこちらを伺いつつも……、今はただ、息を潜めて……、あの仄暗い牢獄の中にじっと潜んで……、いる!」


 医者はというと、この文言の内容を絶対にその耳に入れないように、私が野獣のように叫んでいる間、しっかりと耳を塞いでいたことは言うまでもない。私は何度か同じようにして、袋の内部に向けて、必死の形相によって、その秘密を叫んでみた。しかし、身体の外へと吐き出そうとしても、秘密は胸の内にしっかりと絡みつき留まったままで、正月にお年寄りを死の際のあと一歩まで追い詰める死神のように、なかなか外へは出てこなかった。まるで、大型の船舶を岩壁に係留するための、イカリのような形状をしていて、喉に絡み引っかかってしまうのか、それとも、生まれ出てから、あまりに長い年月が経過するうちに、秘密そのものが赤茶色の錆となって、私の心の内の障壁と一体化して、牡蛎のようにこびりついてしまったかのようだった。こうなったら、お風呂のタイル用のカビ取り洗剤でも落とせない。隣の診察室では看護婦が苦しそうに、むせび泣いている声が、いまだに聴こえてくるのだった。秘密の詳しい内容すら理解できないでいるくせに、まだ立ち直れないでいるのか。それとも、重い秘密を背負い切れず、こんなに苦しんでいる私に対して、多少の同情の念が、湧いているのかもしれない。


「袋に閉じ込める際に、なるべくなら、具体的に語った方がいいと思いますよ。広い世間に向けて、すべての人が納得できるように、明瞭に発表されない限り、秘密を明かしたことには、ならないわけですから」


 医者は一度自分の耳から手を離して、親切心から、そうアドバイスをくれた。本当のところは、彼とて、すでに逃げ支度を始めているはずだ。


「だめだ、誰が聞き耳を立てているかも知れない、こんな場所で、そんなに詳しくは語れない。秘密を具体的に話すと、あなたたちを、この厄介な問題に不必要に巻き込むことになるし、何より、それでも外へ出すことが出来なかったときのリスクが計り知れない。自分の中に恐るべき秘密を残したまま、今度は秘密を打ち明けてしまった罪悪感にも悩まされることになる。つまり、単純に苦しみは二倍になる。私の事例の場合、『病気の治療に失敗しました』では済まされないのです」


「そうですか、それでは私どもが施せる施術は、もはや、これまでですね。あなたは、今後は自分ひとりで解決策を考えねばなりませんから、今回の治療によって、さらに、追い詰められてしまったことになります。お代はいりませんから、このままお帰り下さい」


 医者は少し不機嫌そうに、それでも、私をこれ以上怒らせないように、なるべく丁重に扱うつもりで、自分の手で出口のドアを開いた。もしかして、彼が治療を断念した唯一の案件なのかもしれない。その苦悶の表情を眺めていると、ふと、そんな思いが頭をよぎった。扉の隙間からは、私の灰色の心とよく似て、薄曇りの空が少しずつ開けてきた。マスコミかあるいはロシアのスパイか、そのどちらかがドアの外に張り込んでいるかと思っていたが、病院の外の細い道には、人通りはまるでなかった。私は靴を履いて、安心して外へ踏み出した。


「あなたのこれからが、どのような結末を迎えたとしても、私はこのことを、あなたが今してくれたことを、絶対に忘れませんから!」


 後ろからは、先ほどの線の細い看護婦が、そう叫ぶのが聞こえた。私がこの先でどんな恐ろしい目に遭ったとしても、そのこと自体が、彼女の未来にとっては、そこまで大袈裟なことにはならないはずなのだ。


ここまで読んでくださってありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ