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私は秘密を持っている  作者: つっちーfrom千葉
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私は秘密を持っている 第二話


 人権さえも無視するような、ぎゅうぎゅう詰めの満員電車にようやく乗り込むと、名目上は特別な地位にあるはずの自分も、しょせんはしがない一般人の一味に過ぎないのだと、気づかされることになる。自分こそは特別な人間だと思っていたいのだが、運転手付きのリムジンに迎えに来てもらえる地位には、まだ到達していないらしい。もちろん、そこには政府の思惑もある。特別な扱いをすれば、『あいつは重要人物だぞ』と世間に知らしめることになる。それは余計に危険な事態を招くことになろう。周囲の乗客たちにとっても、それは同様だ。彼らは皆、顔を真っ赤にして、他人から加えられる圧力から、何とか自分だけを守ろうと必死である。隣でつり革につかまっている私が、この国を代表する要人であることにさえ、全く気づかない様子である。先程までのマスコミとの競り合いを思うと、心はふと寂しく、どこか損をしたような心持ちにさえなる。そんなとき、私は我が身に迫っている異変に気がついたのだ。ふと、隣に立っていた黒いスーツの男が、こちらの耳元にその顔を寄せて、囁いてきたのだ。


「まずは、簡単な自己紹介をさせて頂きます。私はある財閥系の企業に雇われた者です。どのような職業の人間かは、あえて申し上げるまでもないでしょう。私はあなたが大きな秘密を握っていることを知っているわけです。ええ、それが一番重要なことです。実をいいますと、私の雇い主はこの国の経済界では、かなりの権力者の一人です。主はあなたの隠している秘密を非常に高額で、ええ、あなたが一生働かなくても済むような大金にて、ぜひ、買い求めたいと仰られてましてね。あなたがもし、秘密の重さに耐え兼ねて、これを手放したいのだと、少しでも思っておられるのでしたら、今この瞬間こそが、私どもに売りに出す、いい時期だと思いますよ。いかがなされますか?」


 男は柔らかい口調で、まるで妖女の誘惑のように、そう囁いてきた。私にとっては、珍しい体験ではなく、これまでにも何度となく、こういった怪しげな誘いを受けてきたわけである。駅の内部にある小さな公衆トイレの中で、飲み屋から出た先の裏路地で、または、勤め先の受け付けにまで怪しげな団体の人間が押しかけて来ることもある。しかし、相手の旨い話に耳を貸したことは一度もないし、大金にも美女にも、我を忘れて飛びついたことは一度もない。


「今、仰ったのはいったい何のことですか? この平凡なる私の経歴の中に、いったい、何の秘密が隠されていると言うのです? 私の人生のどこをほじくり返しても、そこはやはりしがない一般人。どこの組織の利益になるものも、隠されてはいません。調べたいのなら、いくらでも調べてくれて結構ですよ。家宅捜索をしなさい。私を寝かしつけて噓発見器にかけなさい。メスカリンを使用するのも良いでしょう。それで、何が見つかるというのですか? いや、例え私の中にこの国を揺るがしかねない秘密があるとしたって、それは私個人のみの話ではないでしょう。万人に共通する問題です。現代は個人個人のすべての情報がコンピュータによって制御された、いわば情報化社会と言われています。つまり、この広大な社会はあらゆる側面において秘密の宝庫です。政治・経済・外交、軍事、いずれも庶民の目には晒すことのできない秘密を持っている。いまさら、その証拠などをあげていくまでもないでしょう? ケネディ暗殺、ロッキード事件、三億円事件、Marilynの怪死、ロマノフ王朝の滅亡。すべての大衆とマスコミが、今でもそれらの真相を知りたがっているはずです。ですが、黒い靴の底で踏み消していく人間たちがいるおかげで、未だにそのすべてが謎のままです。この社会は、警察組織がその総力をあげても、まだ、奥底が見通せない事件事故で溢れかえっている。マスコミや警察がそういう古い事件を、いちいち時効ギリギリまで追っていけないのは、決して捜査に飽きたからでなく、限られた人員では、次々と生まれくる新しい事件に、到底対応しきれないからです。つまり、現代では、何としても秘密を暴いてやろうと追いかける者より、本来ならば、大多数の国民に知らされて然るべしの秘密を何とか守り通そうとする、狡猾な人間たちのやり口の方が圧倒的に優れていると、そう言えるわけなんです。本丸に迫り得る情報はとにかくひた隠しにして、捜査の期間を出来るだけ引き延ばす、事件の関係者を任意聴取で引っ張るには証拠が足りない、証言や物的証拠が少ないから無理だと、テキトーな言い訳を付けてね。捜査が足踏みをして幾らかの時間が経てば、最大の鍵を握っている証人や証拠には次第にモザイクがかかっていきます。関係者と思われていた人たちの証言すらも、記憶の劣化と共にあやふやになっていくわけです。


『君はあの忙しない状況の中で、本当に犯人の顔を確認できたといえるのかね?』


『何しろ、辺りはすでに薄暗かったので、絶対に間違いなくその人なのか、と問われれば、返答に困ってしまいます……』


『今思い返すと、事件現場に停まっていた車は、必ずしも黒とは断定できません……。濃い青だったのかも……、それとも、濃緑だったかな……』


 そんな曖昧な証言たちが飛び交うようになってくる。次第に募りゆく検察側の焦燥は察するに余りありますが、この国の頂きから眺めている首謀者たちは密かにほくそ笑んでいるわけです。


 そこからさらに、半年ほどの時間が経過してしまうと、捜査している側にも、お上から『もう、捜査は中止していいから』と御達示がきます。この厳命にあえて逆らおうとする有能な刑事たちは、皆容赦なく左遷されてしまう。心ある人ほど成功しないわけですね……。これは権力者側が期待していた通りの結末です。社会の隅の薄闇の中から、ある日、どんな冷や汗ものの事態が出来しても、こういう展開にさえ持っていければ、結局のところ、どんな秘密だって、暴かれることはないんです」


 私は強気な態度をいささかも崩さずに、いつもやっている通りに、そう説明してやった。アリバイを完全に崩されたはずの殺人犯が、主役の名探偵を前にして、自分を逮捕することは出来ない要因を得意げに演説しているようなものだ。いや、実に気持ちが良い。それでも、隣に佇んだまま、静かにこれを聴いていた黒いスーツの男は、少しも引き下がらずに、口元だけを一度ニヤッと歪ませて、再び話を続けた。


「そう、まさに、仰る通り、確かにそういった問題の一つすら解決しないのであれば、この世は不思議なことだらけですね。陰謀説があちこちで囁かれていても、少しも不思議はない。マスコミは自分たちに解けない謎は、そのすべてを大事件として報道する……。しかしですね、あなたの持っている秘密は、その中においても一級品です。間抜けな現金輸送車が襲われて、多額の紙幣が奪われただの、企業から賄賂を贈られた閣僚級の政治家が次々に取り調べを受けただのといった、現在の新聞を賑わしている他の秘密とは、まったくわけが違いますよね。あなたが今例えで挙げられたような事件は、そもそも、事件の領域に対して、何のツテも持ち合わせない、一般の大衆でさえも、薄々とですが、その真相に気がついているではありませんか。真理に到達するためには、街の本屋に所狭しと並ぶ、数々の暴露本があり、少しでも興味をそそる事件であれば、テレビで何度となく特集番組が組まれているでしょう。何も政府関係者だけじゃない、一般の社会人や学生の間にも、そういった過去の大事件の真相が憶測を交えつつあちこちの街角で囁かれているわけです。不可解な事件ではあるが、結局のところ、真相はこんな感じだろうと、誰もが携帯電話を口に当てて、ひそひそ語り合っている。OLたちは勤務の合間の休憩時に、甘ったるいコーヒーを飲み、漫画や雑誌をめくりながらでも、この国の心臓部にまで、想像を巡らせている。


『あの事件は、ことの詳細を調べていくうちに、お上にとって何か都合の悪いことが見つかったらしい』


 放課後の喫茶店においては、刑法の何たるかでさえも学んでいないはずの学生たちが、どうにかして暇を潰そうと、背伸びをして、難しい社会問題に手を伸ばそうとしている。権力に手の届かない位置にいる人々ほど、ある種の話題には病的なほどに興味を持ち、ひそひそと噂しあっている。しかし、あなたが胸に秘めていらっしゃるのは、内心においていえば、誰もが真相に迫りつつある、そんな筒抜けの機密情報とはわけが違う。この一見平和に映る社会の裏側に、ケネディ暗殺事件よりも確実に世界を揺るがしかねない陰謀が、あるいは大量の思想犯を捕らえて、おざなりな裁判の末に処された、中世のギロチン処刑よりも、遥かに恐ろしい現実が存在する。それは、我が国の行く末を根底から揺るがし兼ねない、目を覆うような現実なのか、それとも、まったく取るに足りない、ただの空虚な幻想に過ぎないのか。その判断が下されるのは、おそらく、我々が天命をまっとうした後のことになります。『真実を知りたい』と、どれほど強く願ったところで、我々のか弱い命は、それを目にすることはない。どれだけ手を伸ばしても、真実である闇の奥にまで到達することはないわけです。知ることが出来なければ、後世に伝えていくこともできない。よって、真の情報はすべて大気の中に溶けるように消えていく。政府関係者はこれ幸いとばかりに、すっかり口を閉ざしてしまう。企業家たちはとりあえずの己が利益を確保するためなのか、早くそれを知りたいと躍起になっている。しかし、どこまで隠し通せるものですかね。国民の誰もが薄々ながら、今の仕組みを根底からひっくり返すほどの秘密が、裏社会のどこかに、いや、もしかすると、自分のすぐ身近にも、存在することを知っている。昼間は日銭を稼ぐことに懸命な正直者たちが、何の不満も無さそうに闊歩する大通りにある高級飯店では、陽が落ちると、夜な夜な黒ずくめの官僚たちがカメラには映らない高級外車を乗りつけて来て、額を寄せ合って悪巧みをしている。


『ようやく、わかってきたぞ。どうやら、あそこには、秘密があるらしい』


 外国籍の二重スパイ同士のカップルが、その外見的魅力により、お互いをうまく騙しながら、ベッドの上では夜通し語り合っている。


『あなたもようやくそこまでたどり着いたのね。そうよ、どうやら、この国にはすごい秘密があるらしいわ。ね、これからもよろしくね』


 しかし、これだけ多くの人間たちが交わりながら、演じる探り合いの中で、いまだに誰ひとりとして本丸にはたどり着けていない。なぜなら、今回ばかりは政治家の黒幕や、石油ファミリーや経済界の重鎮が、この真っ当に見える社会の裏の裏で、それを握っているわけではないからです。上に挙げたような、誰しもがその存在を知る、超の付くような著名人が秘密を隠し持っている場合には、話は実に簡単なのです。心細い薄明かりの中で、その怪しく狭い部屋に忍び込み、カーテンの裏にまで足を忍ばせて、そっと近づいていき……、その顔は黒いスカーフで隠したまま、袖の下にて札束をやり取りしたり、娼婦街へと息を潜めて出かけていき、そういう有名人のお気に入りの女を買収してみたり……。何しろ、権力者というものは、緊張に包まれた重要な会議を終えて、ネクタイと責任感を外してしまえば、その内側はほとんど隙だらけであり、高級ホテルの一室のベッドで、高いウイスキーと、その白く細い身体に一矢纏わぬ、とびっきりの金髪美女が、もしいるのならば、まるで別人のように、それこそ、一晩中、どんな危険なことでも語ってしまいますからね。こちらから『もう十分です。今夜のところは、このくらいでお開きにしましょう』と申し出ても、まだ、しゃべり続けます。買収という手段は容易である、というよりも、むしろ、この広くて狭い秘密の世界は、買収を前提に造られているようにさえ思えます。


 しかし、今度ばかりはその手は使えないでしょうね。何しろ、私が知る中で、もっとも重大な秘密を持っているのは、その存在自体には何の重みもない、一般人のあなただ。しかも、調べれば調べるほど、買収にきわめて有効な、物欲や金欲がほとんど持ち合わせていないときている。日頃のストレスを癒し、性欲を満たすために必要とする、特定の女性もいないらしい。家系を江戸時代の彼方まで詳しく調べていっても、たかが知れている。そのくだらない血統を、どこまで辿っていっても、出てくるのは百姓とガラクタばかりだ。そこで、どうしても貴方の秘密を暴きたいと願う企業家たちは、私のような裏社会に生きる、薄暗い人間に大金を握らせて、仕事の依頼をしなければならないというわけです。まあ、これはもう、カネと腐敗と犯罪の哲理なのです」


 男はその 顔を数センチの距離にまで近づけたまま、押し殺すような独特の声で、淡々と事情を説明していくのだった。私をただの一般人と見立てて、少しは脅かすつもりもあるようだが、こんなことで、世界中がその手に引き寄せたいと願う、最高級の情報を引き出せると思っているのならば、それは、勘違いも甚だしいと、言わざるを得ない。


「なるほど、あなたの方の事情はよくわかりました。この人混みの中で、よくそんな危険な話題について喋りまくったものです。しかし、やはりね、この秘密はそんな安っぽい脅し程度では渡せませんね。いや、最後までお聴きなさい。実を言いますと、私の秘密は構造自体が、やや入り組んでいましてね、意を決して、これを社会全体に向けて発表したところで、いったい誰が得をするのか、誰が被害を被るのか、雲の上のお偉いさん方から秘密を託された、この私自身にも、よくわからないのです。何しろ、これまで人類が目にも耳にもしたことのないような、衝撃的な秘密を含んでいるわけなんですからね。あなたが先ほどひとつの例として挙げられた、政治家や企業家たちなんて目じゃありません。もし、これを知らされたら、路上で手マリをついて遊んでいる、小学生の女の子から、物価が下がったために、利益がすっかり消え失せてしまい、半ばむきになって、キャベツとトマトの投げ売りを行っている場末の八百屋の店員まで、みんなが目を丸くして驚きます。『何だって! この平和な国にも、まだ、そのような機密情報があったのか!』ってね。あなただって、今はこの私とこんな近距離で向き合っても、顔色も変えずに冷静にしていられますが、この秘密をその耳にぶち込まれたなら、驚くという表現では済みませんよ。野生の猿のように両手で頭を掻きむしって、『なんてこった。そんな凄まじい秘密であるなら、かえって明かさないで欲しかった』ぐらいのことを言い兼ねませんよ。刃渡り20センチの本物の刃物を今まさに心臓に突きつけられたなら、裏社会で稼業を営む人間ほど見苦しい振る舞いを見せるそうです。この秘密を追いかけていれば、あなたの身にだって、いつの日か、後悔は訪れるんですよ。つまりは、天国などという便利なものなんてこの世界には存在しない、という真実を賢明にも知っているのならね、何事においても、知らぬが仏というやつです」


 私はわざと意地悪な態度で、そう言い放ってやると、後は一瞥もくれず、その男の手を力強く押しのけると目的の駅で電車から颯爽と降りた。


ここまで読んでくださってありがとうございます。2021年夏に書き直しています。

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