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私は秘密を持っている  作者: つっちーfrom千葉
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私は秘密を持っている 第十一話


「そんな単純な事案については、とっくの昔に理解してくれていると思っていたがね。君が先日体験した、おぞましい一連の出来事が、まさにそれなんだよ。いいかね、現代はどこの馬の骨とも知れない、しがない一般市民であっても、膨大な空き時間と興味さえ持ち合わせていれば、著名人がひた隠す、スキャンダラスな情報をひたすらに追いかけ回す権利を有する時代であるということくらいは、いくら強情な君でも、概ね賛成してくれると思う。何しろ、君自身が毎日の生活の中で繰り返し体験している通りだからね。コンビニでの長時間の立ち読みに飽きた、よれよれのTシャツを着た野次馬たちは、ある意味マフィアや新聞記者などよりも恐れを知らない、この上なく厄介な存在なんだ。交番から手の空いている警官を三名ほど派遣して、片手箒ですいすいと履いてしまうようなわけにはとてもいかない。こちらが強硬な態度に出れば出るほど、そういった人種はムキになって反抗してくるからね。『権力者どもは知る権利を守れ』などと、署名集めされる程度で済めばまだいいが、そういったイカれた人種が雲霞のごとく集まって、デモ行進がテレビ中継などされてしまったら、この種の情報うわさは際限なく拡がっていくことだろう……。そういう理由から、君がどんなに不快な思いをしようと、こちらからは助け舟を出すことは出来ない。明日からの毎日においても、これまでの日々と全く同じように、道を歩く誰もが、君の顔を無礼な視線によって覗き込んでいくだろう。そう、秘密の影を微かにでも感じようとしてね。どんな重要人物だろうが、どんなつまらない人間であろうが、君の行動や判断の全てには、興味を持たざるを得ない。汚れたカラスでさえも顧みてくれない、自分のちっぽけな人生の虚しさを少しでも紛らわすために、この国の最大の暗がりにある疑惑を、雨戸のほんの隙間からでも覗き見てやろうと、首を突っ込んでくるものなのさ。俗物というのは、心をくすぐる知的好奇心には到底逆らえないものだ。他人の影を覗き見たいその衝動をひた隠しにして生きるなど、出来ないものなのさ。


 え、なぜ、国民の大多数が、そのような大衆的な思考に陥ってしまうかって? それも簡単なことさ。人口の多いこの都市国家に、なぜか無知で無能なる平民おちこぼれとして生まれついてきた、大多数の人間にとってはね、自らの人生の年表の中には、生を受けた瞬間から、老いて荼毘に伏して棺桶のなかで焼き尽くされた後の未来においてまで、それこそ、新開発されたばかりの超高性能顕微鏡でも、研究室の棚の奥から、よいしょよいしょと引っ張り出してきて、それを用いて、どんなに懸命に探してみたところで、結局は、その無駄に長いだけの自分史のどこからも、がらくたやちり紙のような事件やイベントしか拾ってこれないものなのさ。二十年以上も実直に勤めた仕事場を、リストラされて追い出される際になって、ようやく、若い綺麗な女子社員から花束を渡されるくらいの手向けのイベントは、場合によってはあるのかもしれないがね。下層社会においては、ほとんどの勤め人が、三十代だか四十代になる頃には、自分の残りの人生の中に起こりうるであろう、小豆のようなイベントへの期待や希望など、ほとんど捨ててしまっているわけだ。見目麗しい財閥の令嬢のパーティーに連日のように招待される日々、あるいは、目も眩む札束の山を眼前に積まれて、大企業の幹部達と、これからの政界や財界・法曹界への金の流れを、薄暗い部屋の中において、少しほくそ笑みながら、声を潜めて密談するような、悪徳の沼の一番底に埋もれたような、偽善と虚言のカーテンの裏側に隠された、ゾクゾクするような快楽の日々。遺憾ながら、大多数の国民の人生には、それらのイベントはまったく用意されていないわけだ。


『自分は実直、無欲な人間でありますから、そのような上流階級さながらの呼び物には、一切の興味を持っておりません』


 そんな陳腐なセリフを臆面もなしに口に出来る人間に限って、自分の狭く汚ない部屋の何処かに、高性能な望遠レンズを隠し持っているものなのさ。


『いつか、これを使って貴様らの弱みを写して白日の下に晒しだしてやる。自分が生涯泥にまみれる存在だと思い知らされた、この憎しみ、払さでおくべきか……』


 もちろん、こういう輩は自分の手の届きそうにない秘密を追いかけるだけでは到底満足できまい……。日々積もっていくストレスを発散させることが可能で、自己の欲情を満たせそうなモノにならば、どんなものにでもレンズを向けていく。


『なんですって! お巡りさん、若くてスタイルのいい女性の住む窓を狙って、この私がシャッターを何度となく切っていたとそう仰るのですか? そんなことは決してありえない……。そもそも自分は純真な子供たちの笑顔にしか興味の持てない人間でありますし……。いったい、誰がどんな目的で通報したんだろう? この自分が嵌められた? これが陰謀というものなのだろうか……? 品行方正な私が犯罪だなんて、まったくあり得ませんぞ! どんな、嫌らしい人間に覗きなどという行為が出来ると……。そう、私がどういった人間かといえば……、ほら、その建物の手前の松の枝に可愛らしいスズメが一羽留まっているではありませんか。私はあの小鳥を写真に収めてやろうと、この場から狙っていただけでして……』


 ふん、まあ、恥の上塗りになっても構わないので有れば、言い訳は何とでもしてみればいいがね。普段は(自分には決して身につかない)社会道徳やマナーとやらを盛んに振りかざしている、綺麗好きな人間であっても、何もかもが輝いて見える、著名人の人生の影に覆われた部分については、どうしても覗いてみたくなるものさ。隣の庭の花は、まるで、絞り出されたばかりの鮮血のような色で、鴨肉のステーキの上に飾られたトマトのように、異様なほどに赤く見えるってやつさ。だから、マスコミ記者なんてのは、分厚い辞書を片手に、頭の痛くなる文章を延々とまとめるだけの机仕事なんて、真面目にやらなくとも、会社から借りた一眼レフカメラを片手に、どでかい秘密を持つと噂される人物の背後を、なるべく影を踏まないように追いかけていくだけで、立派に飯を食っていけるのだろう。そう、人は汚い仕事場に浸っているうちに恥も外聞もなくなる。筋肉増強剤を飲んでからボールを打ったって、ボールがスタンドまで届いていれば、立派にホームランと判定されるのさ。編集者の判断でファールにされるリスクはあるがね……。まるでどぶネズミのような醜い行為だって、それで飯を食っていけるなら、誰もが欲しがる能力さいのうのひとつになるのさ。


 ただね、どんなに箔をつけてみたって、怪しい人間はどう考えても怪しいものさ。巻頭グラビアに身の程知らずな水着アイドルが載っているような、安っぽい週刊誌なんかを、人目のない場所を選んで、微笑みながら読み耽って、それが飯のタネになり得る有用な知識だとか、これこそ政治や外交知識の情報源だと言い張れるような腐りきった人間たちは、さしたる重大イベントに恵まれなかった、自分のつまらない人生のうっぷんを、他人の秘密をなるべく多く暴いていくことで、多少なりとも負け戦の憂さ晴らしに使いたいだけなのさ。見も知らぬ他人の人生が、今まさに港を出て大波に乗り出し、その行く末が燦々と輝き出したところでも、山の頂上付近においては、思わぬ小石に蹴つまずいて、そこから一気に地下の地下まで転げ落ちて行く瞬間であっても、彼らにとっては一向に構わない。彼らにとって、著名人の身に起こる事象なんてものは、幸不幸どちらでもいい。とにかく、今、もっとも注目を浴びている人間の隠れた部分、人気者本人が懸命になって隠そうとしている部分を、人生の前半部分においては、金や地位にはいっさい恵まれなかった誰もが、精霊てんしからの最後のしずくを求めるかのように目にしたがり、知りたがっているものさ。人に話せるような資産は何ひとつ持っていない。充実した趣味も、職業的な楽しみも、従順な彼女も、自分の歴史の中に持っていない連中は、自分でレアと思える情報を執拗に追いかけていくことでしか、自分の欲求を満たせないものなんだ。


 見も知らぬ他人の姿を追いかけ回すなんざ、毎日ブロンド美女を片手に抱いて、古びた高級ワインを飲みながら、本革のソファーに座り、優雅にパイプを吹かせる人間たちには、到底理解できないような、醜く嫌らしい趣味だろうさ。だが、脳のつくりがそもそも平凡な奴らにとっては、暇な時間をとにかく金銭に変えていくことこそが何より重要だ。不祥事が発覚したばかりの政治家や企業幹部を、ここぞとばかりに追いかける。莫大な財産を積み上げ、それを会見後で公表した投資家の背後をひたすらにつけていく。ほんの少しの甘い蜜がエルメスの小さな穴からでも漏れ出すかもしれないからね。もしかしたら、その一滴を舐められるかもしれない。そうかと思えば、今度は人気女優との恋愛がパパラッチされた、有名スポーツ選手を、間髪入れずに追いかけていくわけさ。その人物の半生に、本当に興味があるわけじゃない。普段は政治のニュースなんてまったく見てないし、スポーツだって、真剣に見ているといえるのは、数日に一度くらいなんだろう。白昼夢と戯れる代わりに、庭に咲いたヒマワリに水をあげているようなもんさ。ただ、マイクを向けられると、自尊心の塊になり、ありったけの見栄を張りたいヒーローたちの隠し事を、酒のつまみにでもしたいだけなのさ。自分の人生には柿の種ほども存在しなかった、煌めくカーバンクルのような宝石を、他人の人生の中に、何とか追い求めているだけなんだよ。マスコミ記者なんて、自分の人生の入り組んだ迷路の内部を探しに探して、どこをどう掘り出しても、石油どころか泥炭すら出てこないような連中ばかりだからね。昼間の貴重な時間に、薄暗い部屋でビール缶を片手にバラエティー番組を見て、少し不機嫌にもなり、時折ほくそ笑むだけの自分の姿に、いい加減飽き飽きしたんだろう。


 ただね、政治家のお偉いさんも、毎日重要な試合のあるスポーツマンも、そんな薄給の暇人たちの思惑に、いちいち付き合ってはやれない。ちょっと可愛い娘を捕まえて、喫茶店で十数分のお茶を飲むたびに、マイクを持った記者たちに取り囲まれていたら、どんなに我慢強い人間でも、さすがに鬱陶しく感じるだろう? 本当のところをいえば、国家に貢献している人物については、私生活における、ある程度のチョンボくらいは、すっきりと見逃して貰いたいんだよ。なにせ、彼らのような超有名人たちのおかげで、この国の経済は回っているのだからね。なあ、そうだろう? 彼らの私生活は一般と比べて忙しいし、有名人ほどプライベートを大切にしたいものなのさ。舞台本番前のほんの一時間、あるいはたった二十分程度であっても、その一分あたりの価値は、常人のそれと比べて、桁違いに大きいわけだからね。毎朝、まだベッドの上で、恋人とゆっくり抱き合っていたい時間帯に、朝刊でも読もうかと、うっかり家の外へと出てしまい、壁の外で見張っていた、図々しいことこの上ない、新聞記者やカメラマンに見つかってしまい、その顔面に不作法にマイクを向けられたり、追い回されたりするのは真っ平ごめんってわけでね。そんなつまらない事で、彼らが機嫌を壊したりしたら、様々な業界人が頭を悩ますことになるわけだろう? そのスキャンダルが勃発するタイミングによっては、世界中に衝撃が走ることになるかもしれない。わが国の名誉にだってヒビが入りかねない。隣国から嘲笑されることだけは、我慢がならない国民性だ。現政権の支持率だって揺らぎかねない。


 そこで君の出番が来るんだよ。敵の密偵に暴かれてしまった秘密の本丸から、ひょっこり飛び出すネズミ小僧ってわけさ。マスコミの群れにすっかり取り囲まれてしまった、悪事の城から、ポンと飛び出したのが、黒装束に身を包み、秘密という玉手箱を小脇に抱いた君の姿なんだ。連中は君の行く先に騙されて、やれ、ついに秘密が飛び出したぞ、とむきになって予定していない方向まで追いかけ回すわけさ。飛び出してきたのが、本当に目も眩むような秘密に値するのかはさておいて、取りあえずは取材しておいて、コメントのひとつもとって、写真の一枚でも残しておかなければ、ライバル他社に先行を許すことになるからね。どうせ、これも無数の罠のひとつだろうと頭では理解していても、もし、この疑わしげな男を逃げるがままにしておいて、男が胸に抱いていたのが本当に国家の重要機密に関わるようなことだったら、後になって、どれだけ後悔しても追いつかないからね。君がよく目立つ赤い旗を掲げて『おおい、こっちだぞ』と、飛び出していったことによって、どんなにしつこいマスコミ記者だって、政治家やスポーツマンたちからは、一時的にせよ目を離さざるを得ない。富裕層の豪邸の周りが何事も無かったかのように静寂に包まれるわけだ。いわば、君が国家のお偉いさん方の風よけになってくれているわけなんだ。まったく、これはいい目くらましさ。君ってやつは、本当に、妬みたくなるほどに、いい仕事をしてくれているよ。高級官僚の中にだって、君ほど忠実に役目をこなしてくれる人物はそうはいないだろう。先日起こった凄惨な事件だって、まさにそうなのさ、あんな凶暴なギャングの群れが、国家の懸案を大量に抱える大物政治家や、一日何億円も稼ぎ出すような有名スポーツマンを付けていくとする。そして、思うに任せず、背後から襲ってしまう場面を想像してみたまえ。ちょっと考えただけでも、背筋が凍りつくだろう。万が一、彼らの才能をこの世から失うようなことになったら、これは国家的な損失だ。省庁のトップが記者会見で頭を下げたくらいでは絶対に許されない。我々だって事務次官や大臣に顔向けできないわけだ。さりとて、全国に数万人以上もいる、有名人本人や家族や親戚のすべてに対して、厳重な警護をつけることも出来るわけがない。予算も人員もまるで足りていないからね。だが、その点、狙われているのが、もし、君だけであるのなら、それはOKだ。君がどんなに付け回されようが、凶暴なギャングに鋭利な刃物で襲われようが、ドラム缶に詰められて、どこかの漁港へ連れて行かれようが、国家的な見地では何の痛手にもならない。言葉は悪いが、まったく予期せぬタイミングで射殺されたとしても、我が国の政治や経済の運営に与えるダメージは、ほとんど皆無に等しい。いくら体内に秘密を埋め込まれていると言ったって、しょせんは、ただの一般人なんだからね。代わりはどこからでも湧いてくる。『時給800円でいいから、俺にやらしてくれ』と、飛びついてくる連中が腐るほどいる。我々が作り出した不景気だから、それは良くわかる。つまり、反社会的な悪の組織の内部に、腕利きのスナイパーでもいるのなら、どんどん狙ってくれってわけさ。できるなら、こちらの方から、大金を支払ってでも、頼みたいぐらいだ」


「ひどい! それでは、私はただの使い捨てカイロではないですか! 国家の首脳が少しは自分の価値を認めてくれていると思っていたからこそ、その昔に、この危険な任務を引き受けたというのに!」


 私はすっかり腹を立て、拳を握りしめて机の上を叩き付け、書記官に反論した。とっくの昔に牙を抜かれた自分に、こんなに熱い気持ちが残っていようとは思っていなかった。


「しかしね、そのことも、例の手術の際に納得してくれていると思っていたがね。なにせ、本来ならば、誰の相手にもされない、マスコミになんて生涯取り上げられることのない君のような凡人が、悪者にちょっと襲われたくらいで、省庁の幹部会議で、これだけ大きな扱いを受けるわけだからね。他の省庁の書記長も事務次官もみんな真っ青な顔をしていたよ。たっぷり余裕があったのは、私くらいだった……。


 まったく、秘密様々というやつだよ。先日の一件についてだが、我々はあの凄惨な結末を必死に隠したつもりだったのだが、実は、一部の週刊誌の記者に嗅ぎ付けられてしまって、『T氏、ついにギャングに襲われる! 長年隠されていた秘密、ついに暴かれたか?』と、大見出しを打った雑誌もあったくらいなんだ。もちろん、我々が背後で動いて、連中の懐に大金をばら撒くことで、すぐにその火を消したがね。今回に限っては、相当金を使わされたよ。猛獣に襲われて、殴り倒され、すっかり気絶してしまった君の全身像を写真に収めてしまった記者だっていたんだ。まったく、ああいう命知らずのカメラマンというのは、他人の身の危険にかまけて、自分の命がどうなってもいいとでも思っているのかね? フィルムを高値で買い取る交渉をして、そのすべてを揉み消すのは、実際、大変な作業だったんだ。だが、正直なところはどうだい、一般大衆紙に身分不相応に取り上げられ、騒がれるってのは? けっこう、気持ちのいいものだろう? 君が何の秘密も持たないで、人生の道を歩んでいたとしたら、仕事中にどんな大きな手柄を立てたところで、それは上司やその家族が一晩喜ぶ程度で終わり、新聞の記事には一生ならないだろう。ちょっとした臨時ボーナスくらいは出るかもしれんが、それだって、貧乏人の一生を激変させるような金額じゃあない。恋人と日本海にそそり立つ岩壁から海に飛び込んで、心中でもしてみせるなら、社会面に空きがある場合に限り、数行の記事にはなるのかもしれんが、自分の命までかけて、その程度じゃ逆に嫌になるだろう? しかも、魂が死んだ後じゃ、どんなに騒がれたところで、当人にとってはまるで意味がないわけでね……。寂しい話だが、海辺に漂う泡を掴もうとするものさね。


 ところがだ、あの秘密を持たされた途端に、今の君の輝き方といったら、どうだい? まるで国家の重要人物のようだ。毎日のように新聞雑誌のデスクが君の様子を書き立てる。街を行く若い女性は、みんな君のことを噂をしている。


『あの人が例の秘密を持っている人よ、誰も知りもしないことを、その胸に秘めているなんて、なんて素晴らしいんでしょう!』


 みんなが羨望の眼差しで君の横顔を見ているわけだ。会社にいても、ひとりでアパートにいても、君はヒーローのままだ。他社に先駆けて、新製品を開発して大ヒットさせた研究者だって、君ほどはモテていない。いずれは、大企業の幹部にでも、なりたいのかい? それとも、地方テレビの三流俳優か……、まあ、好きにしたらいい。だがね……、もし、万が一、君がその秘密を捨ててしまうことになったら……。もちろん、我々の力でそう仕向けることも出来るわけだが、そういう事態に陥ったら、その瞬間から、君は元の無価値な自分に戻ってしまうんだよ。赤いマントを剥ぎ取られたスーパーマンになってしまう。それでもいいのかい?」


「それは困ります! 私にだって、この国最大の秘密を守っているというプライドがある」


 私は顔を真っ赤にして即座に反論した。悔しくて仕方ないが、すべては彼が述べた通りだった。秘密を持たない私には、誰しも何の価値も認めてはくれないのだ。場末のカレー屋の隅の席に居座り、スポーツ新聞を読みながら、誰にも声をかけられず、一人寂しく夕飯を食べる生活に戻るのは、まっぴらごめんだった。


「以前にも、この場で同じことをお聞きした通り、秘密を独り占めにするということの素晴らしさについては、私も十分にわかっているつもりです。長年、内臓の奥に仕舞い込んで、これ見よがしに持ち歩き、周囲の凡人たちの鼻先にぶら下げてやり、多少はちやほやされてきましたからね。虚栄心と嫌らしさを剥き出しにしながら、ここ数年を過ごしてきました。ただ、他人の本心は、彼らが私を見つめる視線というのは、いったい、どうなんでしょう? 例えば……、これは例えばの話ですよ? 初春の美しい花々の咲く道端で、それは、ふとした出会いから発展します。こんな私に愛を告白しようと試みる純朴な少女がいたとします。彼女は厳しい戒律のもとでこれまでの半生を歩み、未だその肉体は汚れを知りません。まるで聖女の卵のような存在なのです。しかしですね、彼女の本心というものを、私はどのように掴めばいいのでしょう? 運よく出会えたこと自体に、どんなに幸福を感じてみても、相手方の本性がまったく見えなければ、その愛を受け入れようもないのです。


 例えば、顔も普通、性格も普通、社会人としての才覚もごく普通の、これといって取り柄のない、一介の本屋のアルバイト店員に、通りがかりの美貌の女性が突然に走り寄って、恥じらいを秘めた眼差しで、両手に抱えたバラの花束を手渡して、胸に抱えていた恋を告白したとなれば……、疑いようもなく、この片想いは本物といえるでしょう。女性の視力が使用に耐え得る程度に確かならば、少なくとも、外見や才能や資産目当てではあり得ないわけです。人生の航路に迷い迷って、一時の金策に目を眩ませたわけでもない。月給十二万の安売り私立探偵でも、それくらいの判断はできます。まあ、結婚した後の生活において、多額の生命保険金を賭けられてしまうくらいのことは、起こり得るのかもしれませんが、そのくらいの愛らしい裏切りなら、人生最大の伴侶を手に入れた反動としては、十分に我慢の範疇でしょう。


『よし、君と君の企みを完全に許そう。では、たった今から、この全身から、谷川の静水のごとく溢れ出ている僕の魅力は、すべて君のものになったのだ』と言い放って、青年は喜んでその告白を受け入れるわけです。完全に盲目の愛です。言うなれば、自殺志願書にサインをするのとほぼ一緒です。道徳理論がすっかり破綻してしまった現代の恋愛劇。ただ、本人たちが『いや、何も言ってくれるな、これでいいのだ』と主張しているのなら、周囲の人間たちが余計な口を挟むべきではない。焦げ臭くなってきたなら、不用意に眺めるべきでもない。望遠レンズのピントは徐々にぼかしてしまってよいでしょう。


 しかしですね、私の人生においては、通常の恋愛劇と同じようには語れません。なぜなら、私の才能や外見や純資産のすぐ前には、常に秘密という高い壁が敢然とそびえ立っています。秘密という冷酷な障壁が、いわば、半透明のガーゼとなって、私の身体全体をくまなく被っているわけです。その薄く曖昧な膜が、私の姿を懸命に見据えようとしている健気な女性たちの目を、必要以上に曇らせるわけです。この姿を必要以上に輝かせているわけです。なるほど、私はその特殊な障壁によって鮮やかに生まれ変わり、まるで、ハリウッド映画俳優のように魅力のある男に見えてしまうことでしょう。秘密というエナジーによって、男としての魅力が、それまでより、数千倍にも跳ねあがったわけです。これでは、世にはびこるほとんどの異性は、私の存在を放っておけないでしょう。まるで、宝の山なんですから。恋愛対象となり得る、若く無邪気で、しかも、美しい女性たちにとって、私の元々の才能や性格なんて、そもそも、どうでもいいわけです。彼女たちの水晶の如く輝く綺麗な瞳には、秘密自体の放つ怪しげな輝きしか見えていないのです。私をこの地方で最も魅力的な、最も妖艶な魅力を持った紳士として捉えている。私とお近付きにさえなれれば、この世で最も大きな秘密と付き合っていける、という期待感しか頭にないわけです。さて、ここで私の根本的な性格に、秘密にではないですよ、玉ねぎを剥きに剥いた、一番真芯の私にですよ。近所の子供たちに慕われ、その子たちの頭を優しく撫でて、笑顔でキャッチボールをしてやれる、庶民の心をも持ち合わせた、純心な私の方です。その私に惚れてしまった女性が、もし、いたとしたなら、どうなることでしょう。さてさて、彼女も他のつまらない女性と、時をほぼ同じくして、私に愛を打ち明けたとします。


 『あなたを影から支えられるのは、この私だけなのよ』


 そう告げてくれたとします。しかしですね、私にはその本心がまるで見えないんですよ。視力を二倍以上にまで底上げする高額レンズを購入したとしても、彼女の心はほとんど透けてくれない。魅力に満ちたその肉体は男心をくすぐるのでしょうが、時には歪んだ疑念をも呼び起こし、性欲という夢魔は常に判断の邪魔となります。その愛らしい笑顔も、上品な振る舞いでさえも、疑念に揺らされてしまった私の心には、何一つ響いてこない。伝わってくるのは、ただ、ひと気のない荒野を行き交う、からっ風のような、無機質な声だけです。私の根っからの庶民的な振る舞いに惚れてしまった、純心無垢な女性がですね、都心ならどこにでもいる、金髪やミニスカート、派手なワンピース、そう、つまりは、どれも同じような外観をした、他人の秘密を暴くことのみに興味を持って動き回る、浮かれきったワイドショー女にしか見えてこないわけです。テンカラットの宝石のような、純真な心を持っているはずの彼女が、秘密だけを目当てにして、こちらへと忍び寄ってきた、悪どい性悪女としか見えてこないのですよ。太りきった豪華な真鯛よりも、安くて栄養のある鰯の方が私は好きよと言ってくれた彼女の、本当の心が見えて来ないわけです。


 そういった女性から発せられる言葉のすべてを疑ってかかるわけではありません。しかしながら、頬をほんのりと桜色に染めた女性からのラブレターを、この手に受け取るたびに、黒革の鞄の奥底から、CIAから借り受けた嘘発見機を取り出して検査していくわけにもいきませんからね。『ブーブー、この人は完全に嘘を言っています。本当はあなたの傍にいたい、だなんて露ほどにも思っておりません。完全に秘密が目当てです。そして、あなたの財産も目当てです。万民は皆そうですが、この女もべらぼうに心が濁っています。出直してらっしゃいー。ブーブー』ってね。私の眼前に本当の女神・巫女・聖女が現れる日までは、毎回、純粋な乙女心に期待するたびに、そのような辛辣なコメントを何度も何度も聴かされる羽目になるわけです。私は現実的な男女関係など欲しくはないのです。つまり、結論として、ここで言いたいのは、私が秘密に頼らずに、真の愛、純愛というやつを手に入れるためには、いったい、どうしたら良いのか。その辺りをこの国の秘密管理の責任者であるあなたにお伺いしたいのです」


 書記官は私の長ったらしい話に、あえて嫌な形で応じるために、あるいは、すでに苛立ちを募らせていたのかもしれないが、カバのように一度大きくあくびをした。そして、こちらの主張に対しては、完全に興味を失ったかのように、ずいぶん長いこと、机の木目模様をじっと見つめながら、うつむいていた。数分後、彼は思い出したように、コーヒーカップをを勢いよく持ち上げて、一口すすった。そして、しばらくの間、すっかり放心したかのように、あてどなく天井を眺めていた。その様子は、何か複雑な思いを巡らしているようにも見えた。『うるさい奴だ、もう、この場から出ていってくれ』とでも言われそうな予感もした。やがて、回答の大枠が定まったのか、その冷たい目をこちらに向けた。


「それは愚問だね。秘密のあるなしに関わらず、この世の中のどこに目を向けたとしても、真実の愛なんてものは絶対に存在していないからだね。うん、君がこの意見を真っ向から否定したくなるのは、よく理解できるよ。君はそういうタイプの人間だ。歯車と常識の中でしか生きられないズボラだ。まあ、それでもいいだろう、とにかく、こちらの話を聞きたまえ。その主張だと、女性たちは、君の身体の内部に存在する秘密にのみ、すっかりその心を惹かれていて、それだけを目当にして、勘違いの恋を打ち明けている……。つまり、本当の心の外側にある偽の自分しか見てくれていない……。そのことがたまらなく嫌なんだと、それは男と女の付き合いとしては、きわめて不純であると、そう思っているわけだね。しかし、日々の天気のように絶え間なく移り行く凡人たちの心を、天界に設置された、顕微鏡を覗いて詳しく見ていくと、実のところ、その主張は世間に転がっている一般的な恋愛を語るのと、なんら変わるところはないんだ。それとも、世間の恋愛、ウォークマンのイヤホンを耳から垂らしながら、携帯電話片手にダラダラと通りを歩いている、あの頭の軽そうな若者同士による恋愛模様の方が、自分のそれよりも遥か上をいっていて羨ましいとでも思えるのかね? それはまったく見る目がないよ。彼らだって、別に特別ではない。やっていることはまったく同じなのさ。世間の人間が、必ずしも、君の場合より、もっと高尚な恋愛をしているわけではない。


 例えば、超人気スポーツマンに恋をした、ブロンド美女がいるとしよう。もし、そのスポーツマンが練習中に大きな怪我をしてしまい、丸二年以上にもわたり、公式の試合に出られなくなったとしたら、この恐るべき女は、当たり前のように彼を見限って、他の魅力ある男性の売り出し物へと視線を移すことだろう。君が秘密を失ってしまったときにも、これと同じような現象が起きるのではないかと、半ば不安に思っているわけだろ? それはそうさ、確かにその通りだ。そんな時、君はまるで鼻汁を拭き終わった後のちり紙のごとく、秘密を口から吐いてしまったその瞬間に、それを他人のあざとい耳に聞かれてしまったその瞬間に、何の理由もなく、音もなく、何とも味気なく、まるで首がもげたフランス人形のように、道端のゴミバケツの中にでも、ポイと捨てられてしまうだろうね。弱みを見せた自分を省みることなく、何の躊躇もなく我が身を捨てていった女性たちを後ろから恨めしく眺めつつ、その裏切りを卑怯だとでも訴えるのかい? しかしね、それは恋愛の上では至極当たり前の結果なんだ。女性は男性の最初(出会い)の印象、つまり、一時の魅力だけに反応して、その心を動かすからね。出会った瞬間における細かい仕草や凛とした態度や喋りくちや物腰が重要なんだ。そして、自分の心を強く突き動かしてくれる相手の行動を、無意識のうちに追い求めていくものなんだ。もし、対象が自己カメラの射程内に現れたなら、意識のスイッチを押す前に、自動的にシャッターは切られるだろう。そこに複雑な思考など働いているはずはない。ただ、獲物を見定めただけなんだ。もちろん、それが現実の相手であれ、テレビや映画の中の仮想の対象であれ、彼女らにしてみれば、大して差はないわけさ。


 要は対象に日々の退屈な生活に飽きた心の隙間を埋められる器量があるのかどうかだ。恋に夢を見る現代女性にとっては、現実も仮想もほぼ同じような恋愛対象となりうるからね。若き牝豹たちが、その視界に捉えた対象が、もし、大学の同級生であるならば、それは素敵な恋に違いないとか、外部から見ていて勝手に断じたりはしないだろう? 自分よりも十も若い童顔の男性アイドルに夢中になって狂い狂っている主婦たちの恋はすべて不純なのかい? 必ずしも、そうとは言えないだろう。限りなく仮想に近いわけだが、これだって立派な現実だ。しかし、そんなはちゃめちゃな恋愛を論理的に解説しろだなんて攻め立てられたら、それこそ、うんざりするわな……。そんな当てもなく彷徨う浮気な心に、いちいち、ついていきたいとでも思うのかい? むしろ、一時的にしても、長く続かない付き合いだとしても、とにかく巨額な資産を持っているとか、他人の持ち得ない才能が輝いているとか、実は、体内に秘密があるぞっていうのも、当てはまると思うのだが、そういう客観的な事実に何となく惹かれて始まった恋愛の方が、私に言わせれば至極まともに思えるのだがね。少なくとも、その恋愛世界の地面の上には、きちんとした杭が打ち立てられているわけだからね。


 違うかい? それとも、こちらの言ってることがよく理解できていないのかね? それよりも、男性のちょっとした仕草や行動、人前で派手に転んでしまったときに素早く駆け寄ってきて、そっと手を差し延べてくれたとか、突然の出費に困っていたときに、何も言わずに三万円ほど届けてくれたとか、デパートの駐輪場で自転車を見失ってしまったときに、真夜中になるまで、ずっと寄り添って、一緒に捜してくれたとか、そんなことを、そんな一時的で気まぐれな単純行動を、恋愛の本質なんだと主張したりはしないだろうね? なんてこった! 君ともあろう者が、真実の恋愛とやらの入り口が、そんなつまらない一時の親切行動の最中にしか発生し得ないとでも、主張するわけではあるまいね? いいかね、それは、きわめて浅はかなんだよ。どこにでも転がっていそうな、くだらない肩書きに釣られて、誰にでもフラフラと尻尾を振って付き纏っていく女たちよりも、さらに浅はかな恋愛妄想症候群だ。なぜなら、それこそ、実際には、恋愛もどきの思い違いってやつだからね。そう、確かにその思い違いをこちらの武器にして、『町で酔っ払って、道端に倒れていた彼女を家まで運んで介抱してあげたら、その後、連絡を取り合う仲に発展して、意気投合してしまい、めでたく、お付き合いすることになったんだよ、もしかして、来年には結婚しちゃうかも~』って、そんなくだらない、しかも不謹慎極まりない自慢話を、人の耳に恥じらいもなく堂々とぶつけてくる人間も世の中には少なからずいるわけだ。


 そんなもん、成り金男がキャバクラで札束をばらまくことで、何とか釣り上げてみせた、尻軽女との間に生まれた、究極的につまらない恋愛模様と本質的には何ら変わるところはないのにさ。本人だけはそれを何とか他人に聞かせられる美談にまで昇華しようと必死なわけさ。『俺は純愛を手に入れた。おそらくは、誰にも訪れたことがない、真の愛ってやつを手に入れたんだ』と周りに吹聴しながら、その話題に疑心暗鬼の友人を無理無理連れて、雰囲気のよい酒場を探して、街をうろついているわけだ。君がさっきから主張しているのは、もしかしたら、こういったことかね? こんなものは恋愛とは到底呼べない、ただのいい恥さらしさ。いや、本来ならば、効率の良い金策や生まれ持った才能を、とことんまで見せつけてやり、多くのライバルたちを蹴散らしていくことで手に入れた派手派手な恋愛の方が、よっぽど本質的なものさ。


 少なくとも、ここには前提となり得るものがある。散々時間が経った後で、この関係がミサイルで破壊されたビルのように根本から崩壊した際に、賢明なる言い訳や証書となり得るものがあるわけだ。世の中の絶対的評価の基準が金であるというなら、金で女を勝ち取った男こそが真の勝者になるはずさ。白銀の剣と黄金の盾を備えて、すっかり肥えたその身を武装して、町民に笑われ、うしろ指を刺されながらも、高笑いしながら堂々と街中を練り歩いていくことの何が悪いのかね? 社会的権力を持っている人間が、その腕をさらに伸ばして、次のお菓子棚まで……、ついでに人気ドラマ女優さえもその手に入れようとする。視聴者の間から、どれだけの嫉妬が発生しようとも、そのまま真っ直ぐに進むべきだ。私はそう思う。なぜなら、それは理にかなっていることだからさ。ところが、人間はしばしば何もない乾燥地帯に、つまり、雨など一滴も降らず、どこからも爽やかな風が吹いて来ない場所に、突如として、雑草のようにむくむくと生え出てくる、きわめて地味な結び付きの方に、高度な恋愛観を見ようとする。


『あの二人を見てごらん。彼女がうちの職場に配属されたことで、恋が芽生えたらしいんだ。実にお似合いのカップルだよな』


『あの夜、家に帰れなくて困っていた彼女を助けようと、懸命に寄り添ってやったんだってな、まさに運命の出会いってやつだな』


 そんなお寒い紹介文句を、本番の何日も前から準備しておいて、無理矢理、結婚式のお供え物にでもしようとしている。他には親族や同僚たちにひけらかす優良素材がまったく存在しないからね。でも、それだったら、さして仲も良くない同僚の出席なんて、まったく必要無いのにな。一番安い業者のところに駆け込んでいって、少しの金を払って、サクラでも雇えばいい。貧乏役者に頼った方が、よっぽど、普段からの友人らしく笑って褒めてくれるだろう。まるで馬鹿な話さ! 貧乏人がどんなに背伸びしたって、今さら何も変わりゃあしない。金と美貌とに頼った派手な恋愛が五年で破局するのなら、雑草のように生えてきた地味な恋愛だって、二年もしないうちにすき間風が吹くようになるものさ。金もない、才能もない、血まみれの幽霊でも出てきそうな、乾風の吹き渡るすすき野に、にょきにょきと生えてきた恋愛もどきが、濃霧と空想に満ちた、その怪しげな効果を十分に発揮していられるのは、せいぜい一年が限度なのさ。


『あの思い出の夜は、あんなに優しかったじゃない』


『何でこの指輪は買ってくれないの? お金は余ってるんでしょ?』


 数年も経たずして、そのような寂しい会話が乱れ飛ぶようになる。そうなれば、アパートの隣の部屋まで飛んでいくような、感情混じりの口喧嘩なんて日常茶飯事さ。なになに、派手な有名人同士がくっついた恋愛は、すぐに別れがくるんじゃないかって? それは貧乏人だって一緒さ! 八百屋や車の整備工や警備員の家庭だって、統計をとってみれば、だいたい、同じくらいのペースで、くっついたり別れたりしていることだろう。ただ、それが著名人同士の破局のように大衆の目に映ってこないのは、余りにもつまらなすぎて、全く報道されないからなんだよ。隙間風吹きまくる貧乏人同士のカップル、あの自転車を一緒に捜したことで付き合い始めた、いかがわしいカップルだって、土俵際の粘り腰なんて、まるで起こらない。終わるときは実にあっさりと終わるものさ。別れる間際に、自転車がやっとこさ見つかった夜の話を一緒にしながら、二人で涙にくれることぐらいは、もしかしたら、あるのかもしれんがね。


『あなたも、あの頃は本当に優しかったのにね……』


ここまで読んでくださってありがとうございます。

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