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風砂の王国  作者: 藤木一帆
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第九章 『やがて破滅の鐘が鳴る』

更新しました。第9章です。いよいよ佳境に突入してきました。

ここから物語は一気に収束していきます。

それではどうぞお楽しみください。

第九章 『やがて破滅の鐘が鳴る』


その光景は、まさしく『イリナ』の『ゲート』破壊の再現であった。威力と見た目は、数倍派手ではあったが。

どういうわけか、砂ミミズは神殿にぶつかって跳ね返されるのもなんのその、とにかくその場でのたくって暴れまくった。さすがに神殿は頑丈で、最初の一撃辺りはものともしなかったのだが、もちろん乗っているほうはたまったものではない。振り落とされそうになりながら、必死に『砂ミミズ』の頭部にしがみついていたが、サラあたりは途中であっさり吹っ飛ばされて、結界にがんがんぶつけられていた。

ようやく収まったのは、たっぷり二時間も経った頃で、その時には、さすがの神殿も跡形もなく破壊され尽くしていた。

暴れる砂ミミズを遠巻きに眺める信者たち、そして瓦礫とすら呼べないほどまでに粉砕された大理石が、その凄まじさを物語っていた。

で。当のその砂ミミズの上では、平然とした女性が一人、半死半生と言った顔でへたっているのが二人、そしてどうみても明らかに死んでいるとしか思えないほどぐったりとした女性が一人。

もちろんどれが誰だか説明するまでもないだろう。

「おおー。しかしまあ、ものの見事に崩壊したものじゃのう」

ダリアナが喜色満面の笑みで、砂漠に降り立つ。そのままぐるりと辺りを見渡しながら、感心したように呟いた。昨夜は一晩走り続け、そして今も力の限り暴れ尽くした砂ミミズは、さすがに精魂尽き果てたのであろう、ぐったりとしてぴくりとも動かなくなっていた。

「あ、ありがとう神様……。生きていました……」

笑顔のダリアナの後ろで、まだ頭部にしがみついたままのコルンが、胸で聖印をきって、涙を流して祈りを捧げている。

あたりは、実にすがすがしい空気に満ちていた。美しい太陽が燦々と照り輝き、あの『邪気』特有の、むせるような気持ち悪さが消え失せている。

信者たちの瞳も、いつの間にか正気に戻っていた。なぜ自分たちがここにいるのか分からない、と言ったような会話があちこちで聞かれ、ざわざわとざわめいている。

コルンはようやく落ち着きを取り戻し、ゆっくりと立ち上がってその光景を見ながら、どうやら復活の儀式は阻止されたらしいことを理解していた。

「よかった。間に合ったみたいだぞ……」

そう呟いて、安堵する。ふと横を見ると、同じく立ち上がって周囲を見渡しているウェブと、目があった。お互いにこりと笑い合うと、がっちりとガッツポーズを作って、そのまま握手をする。

実際、コルンは今でも、『魔王』が復活するとは思っていなかったし、この儀式がたとえ成功していたにしても、勇者『ソナウ』に殺されている魔王が蘇るはずがないとは思っていた。が、それでもあのような儀式を目の前で見せられれば、何か魔王とは別のものが召喚されていたかもしれないな、と思わざるを得ないだろう。

コルンは、砂ミミズの上から身軽に飛び降りると、くるりと頭を巡らせて、ダリアナを見た。そして、同じく下へ降りてきたウェブを連れ立って、かなり遠くに吹っ飛ばされていたサラの元へ歩み寄る。

そして、ようやくのろのろと起き上がってきた彼女に向かって、軽く手を上げた。

「おい、サラ。『邪気』はどうなった?」

額から一筋血を流して、くらくらと頭を振っているサラに向かって、コルンが陽気に尋ねる。

「ふへ? あ、あれ? 『邪気』が無くなっ……」

そこまで呟いて。サラが恐怖に顔を引きつらせた。と同時、猛烈な悪寒が周囲を駆け抜ける。

コルンとウェブは、慌てて武器を『旅珠』から取り出すと、ざっと構えた。ダリアナも、油断なく周囲を見回している。

まったく唐突に、上空からソレは現れた。先ほどまで吹いていた清々しい風がウソだったかのように、あまりにも強烈な『邪気』が再び渦巻いている。再び、信者たちがざわめき始めていたが、そのうちに誰もがうなだれるように地面に膝をつき、そして何事かをブツブツと再び唱えだす。

黒く周囲を埋め尽くすほどであった信者たちが、その渦を中心にして、徐々に、徐々に地面に向かって何かを唱えていく。異様な光景が広がっていた。

コルンは油断なく周囲を見渡し、そしてその渦の中心のあたりにいる「ソレ」を睨み付けた。そして、理解する。

慄然とした。その『邪気』は、上空ではなく、自分たちの足元から噴き出しているのだ。その意味するところは一つしかなかった。

「横へ飛べ!!」

ダリアナの鋭い叫び声に、コルンとウェブは同時に左右へ飛んだ。瞬間、彼らがたった今までいた足場が音もなく吹っ飛び、大きなクレーターを作っていた。逃げ遅れたサラの数センチ手前で、かろうじてその一撃は終わっているのを見て、肝を冷やしながらも、コルンは体勢を立て直した。ウェブも同じように体勢を整え、再び油断なく構えている。

何が起こったのか、瞬時に理解することは出来なかった。ただ、今この上空にあったはずの力が、いきなり地面から爆発したのは確かである。

「……なんだってんだ……」

小さく毒づいてから、コルンはさっと辺りを見回した。先ほど神殿から逃げ出した信者達が、先ほどの爆発で再び正気を取り戻したのか、蜘蛛の子を散らすようにして、慌てて砂漠の中へと逃げ出していく姿が見える。

その光景に少々安堵しながら、しかし油断なくコルンは、ダリアナとウェブに目配せした。二人は頷き、そして同時に走り出す。コルンも走りだし、やがて三人は同じ場所へと集まっていた。うずくまって怯えるサラを、守るような形で布陣を組むために。

そして、衝撃は突然訪れた。

深く地の底から這い出るような、低く不気味な地鳴りが巻き起こった。と同時に、雷鳴が大気を轟音に晒し、激しい稲妻が、大地を引き裂かんばかりに揺らしている。

「……き……来ます」

カタカタと小さく震えながら、サラがあえぐ様に呟いた。

もちろん言われるまでもなく、コルンもはっきりと感じ取っていた。人間が抗うことなどおよそ不可能であろう巨大な力が、今この瞬間、この地に舞い降りてくる、その恐怖を。

そしてほどなく。それは目に見える形で、はっきりと彼らの前に姿を現した。

「……そんな……」

ダリアナが小さく呟いて、顔を伏せた。珍しく、その華奢な肩が震えている。コルンは流れ落ちる汗をぬぐうことも出来ず、ただただその『恐怖』の象徴を、微動だにせず見つめていた。

厚く重い雲の中から姿を現したもの。それはまさしく『漆黒』だった。闇よりもなお暗く、『邪気』と呼ぶにはあまりにも邪悪で、全てを服従させるような、圧倒的な威圧感を身に纏っている。

見た目は、ごく普通の人間のようだった。深く濡れるような濃紫の長い髪、暗く不気味に光る血のような赤い瞳、そして、全身を覆う闇色のマント。それら全てが、その男を形作る上で何ひとつ欠かせず、また全てを物語っていた。

まごう事なき、邪悪の象徴にしてその全てを統べる王、すなわち『魔王』であると。

「……嘘、だろ? だって、だって『魔王』は……」

「コルン様!」

ウェブの、たしなめるようなきつい叱責の声に、コルンはそこで言葉を呑んだ。そして、青い顔のまま、ダリアナを振り向く。

「……今、起こっておることが、真実なんじゃよ。『ダリュス=ダナル』は死んではいなかったのじゃ。……今、こやつが目の前にいるのが、その証拠じゃろうよ……」

搾り出すように言葉を紡ぎながら、ダリアナは顔を覆った。

「……間違いなかろう。あれが、アスティナ王国を一晩で滅ぼした、『魔王』じゃ……」

「そんな……」

コルンは、絶望に震えた。ダリアナが、ここまで打ちひしがれている。誰に対しても一切態度を変えない、あの自信家のダリアナが。

それはそのまま、この事態がどうしようもないほどに、救い難いことを意味している。

「……弱き人間たちだな」

上空から、唐突に発せられた声に。コルンは全身が粟立つのを感じた。低く、低く。全身を逆撫でするような声。

その一言で、体がすくみあがっていた。

叫び声をあげて、今すぐこの場から逃げ出したい衝動に駆られながら、それでもコルンは、なんとかその『漆黒』を睨み付けた。背中を一筋、汗が伝っていく。それが気持ち悪かった。

そしてそのまま、不気味な睨み合いと沈黙がしばらく続いた。その沈黙に、コルンの精神が悲鳴をあげる、ぎりぎりのところまで来てから。

「ラ・ヒュイ・ヒュイサエ……」

突然の言葉に。全員がはっとして顔を上げた。力ある言葉の羅列に、コルンが数瞬遅れて、顔を真っ青にしながら大声で叫ぶ。

「伏せろおおおぉぉぉぉ!!」

全身から搾り出すように叫んで、体を投げ出すようにして大地に伏せようとする。が、一歩、間に合わなかった。瞬間、全員が爆風で、その場から数十メートルも吹っ飛ばされる。

「先日のお返しですよ……」

爆風の中から、聞きなれた低い声が発せられた。なんとか受身は取ったものの、大地に叩きつけられた衝撃で、喉が潰れてしまったかのように痛んだが、それでもコルンは振り絞るようにして、その男の名を叫んでいた。

「ガシュー・ダライアか!」

爆煙の中から現れたのは、はたしてガシューであった。その姿を見て、コルンが舌打ちする。

期待していた訳では無かった。無かったが、確かに。確かにあの時、黒ずくめの謎の男に切り裂かれたはずなのだ。

わずかでも傷が残っていてくれれば。そのダメージが、わずかでもガシューにあったならば。そんなコルンの願いを嘲笑うかのように、彼の体には、一切の異変を見つけることが出来なかった。

「さすがに『アガスの剣』で斬られて焦りましたが。致命傷で無い限り、私は何度だって蘇りますよ」

心の中の疑念に答えるように、コルンをゆっくりと見据えながら、ガシューが告げる。彼は、ゆっくりとコルンの様子を満足げに眺めると、くるりと向きを変え、跪いた。

「……『魔王ダリュス=ダナル』様……。ここはこのガシュー・ダライアにおまかせください」

上空から徐々に大地に降りつつある『漆黒』は、わずかに首を縦に振った。ガシューは一礼すると、再びコルンたちの方を向く。

「さて。今まで散々邪魔をしてくれましたが、われらが念願の『ダリュス=ダナル』様の復活は果たされました。さあ、どうする、人間たちよ。また私を倒し、そして魔王を倒すのですか? 勇者の剣を扱える者もいないままに」

鷹揚な口調で尋ねてくるガシューに、コルンたちはようやく体を起こしていた。思った以上に大きいダメージに足元がふらつくが、それでも気力だけは失せていなかった。

そう、たった今、ガシューが背中を向けた一瞬の間に、コルンは一筋の光明を見出しだのだ。弱々しいが、それでも確実に消えない、その一筋を。

「……あの『アガスの剣』を扱える奴は、あいにく留守でね。だが、お前くらいの小物だったら、俺でも倒せるさ」

コルンは胸を張って、精一杯声を張り上げた。その言葉に、ガシューが人を小馬鹿にしたように小さく笑う。

「はっはっは。今まであれほど苦労をしたというのに、いまさら私を倒せるなどと、よくそんな強がりを言えたものですね」

「別に強がりでもなんでもないけどな。おい、ウェブ、ダリアナ。手を出すなよ。こいつは俺が相手をする」

後ろでようやく起き上がってきた二人に向かって、コルンが告げる。

サラは、ダリアナの後ろで倒れていた。とりあえず息はしているようだが、起き上がってはこない。コルンは二人に、サラをしっかりと見ているように、と付け加えてから、ガシューに対峙した。

「そこまで自信たっぷりだという事は、少しは策があるのでしょうね」

余裕さえ感じるコルンの態度が癪に障ったのであろう、ガシューの少し皮肉まじりの言葉に、しかしコルンはにっと笑ってみせた。

「まあな。安心しろよ。たとえ魔王が復活しようが、お前がその魔王から力をもらっていようが、所詮は『過去』さ。一度、お前たちは『ソナウ=ドナウブ』に敗れている」

そう。例え今、ここに伝説として語り継がれている『魔王』が蘇ってしまったとはいえ、確実に一度、魔族達は人間に敗れている。それは史実であり、そして絶対の真実だ。それだけが、救いだった。

「やれやれ。何を言い出すかと思えば。あいまいな過去など、あなたたち人間の歴史においては、何の役にも立たないでしょうに。遺言はそれだけですか? では、お望みどおり、あなたから殺してさしあげましょう」

まるで過去など関係ない、というように、ガシューはせせら笑った。

「ああ、過去は過去だろうな。だが、意味なき過去ではない。ちゃんとここで、役に立ってくれる過去なんだよ!」

コルンの言葉に、ガシューから表情が消えた。と同時に、彼の手のひらから、魔法がいきなり放たれた。恐ろしいほどに至近距離であったが、それは予想していたのだろう。コルンはぎりぎりで体をのけぞらせてその一撃を避ける。

「見てろよ。人間がいかに学習する生物なのか、俺が証明してやる! 行け、『聖なる息吹』!」

コルンの掛け声のもと、彼の武器が、まばゆいばかりの白い輝きを発した。

「何が『学習する生物』ですか!? 魔法剣はきかないと言っているでしょう?」

ガシューが叫ぶと、その手に漆黒の剣が現れた。コルンの持つ武器よりも、若干大きい程度のロングソードである。だが、それでもコルンの細身の剣には、十分脅威の大きさだ。だが、コルンそれでも構わずに剣を振り上げた。


 ガキィィィン


耳障りな音が響き渡った。漆黒の剣と、光の剣が、がっちりと交わっている。

「砕けない!?」

声を発したのはガシューだった。

「砕けるわけないだろ! 俺がかけた魔法は、邪悪なるものを吸い取って力にする、ソナウ教が教える最強の『破邪呪文』だ!」

叫んで、後方へ飛んでガシューから一旦間合いを取るために体を離してから、コルンは再び体勢を立て直した。これなら対等に渡り合える、と自信を深める。

「これくらいのことで、いい気にならないでもらいたいものだな!」

ガシューの言葉と共に、その手のひらから強烈な黒い風が生み出された。そして、魔族特有の言葉と共に、呪文が読み上げられる。

「そんな魔法が効くものか! 『天使の囁き』!」

コルンの言葉に、彼の周りを白い帯状の魔力が駆け抜けた。そして、巻き起こる黒い風を、優しく癒すように振り払い、コルンの体に一筋すらあてることなく、あっさりと霧へと返していく。

少なからず、その光景にガシューは衝撃を受けたようだった。その表情を見て、コルンがにやりと笑ってみせる。

「無駄だよ。言っただろ? 俺たちは『魔族の魔法』を知っているんだ。俺だって、ダリアナに叩き込まれているんだよ、その魔法を。これがお前たちが使うものだと分かった時から、すでに勝敗は決していたんだ」

コルンの豹変ぶりに、困惑を隠せないガシューを見据えて、彼は静かに告げた。その言葉に、ガシューがこちらを睨みつけてくる。

「……分からないのか? 俺はこれでも『魔法』というものをある程度理解しているんだ。ダリアナには到底適わないが、それでも普通の人間に比べれば、遥かに魔法というものが何かを知っている。仕組み、そして構成。理。その魔法が、何を成し、どう効力を発するのかもな」

そこで、一息おく。そして、コルンはゆっくりと剣を降ろした。隙だらけの構えで、更に続ける。

「……つまり、お前たちが使う魔法の構成も、知り尽くしているのさ。『知らなければ使えない』。それが魔法だ。俺もダリアナもそれを『使える』。使えるということは、理解出来ているということだ。それを無効化、あるいは相殺する魔法なら、いくらでも知っている。いや、知らなくても、それを考え出すことが出来る」

コルンの言葉に、しかしガシューは小馬鹿にしたように笑った。

「ああ、それはなんとなく理解できました。確かによいアイデアです。そこは素直に褒めてさしあげましょう。だが、それだけでは私には勝てませんよ? 相殺や無効化、なるほど確かにそれならば、私に倒されることは無いでしょうね。ですが、あなたが私を倒すこともできない。……違いますか?」

コルンは、苦笑したらしかった。小さく顔を歪めて、なんともいえない表情を見せる。

「ああ、確かに無理だな。この方法では、どんなに頑張ってもお前たち『魔族』を倒すことはできない。防ぐことはできてもな。だが、別にいいんだ。俺は別に、それが目的じゃないから」

その言葉に。ガシューがはっとして振り向いた。……いや、振り向こうとした。もうその時には、ガシューの体には、深々と黒い刀身が突き刺さっていた。はた目にもはっきりと分かる。それが、致命傷であると。

突き刺さった剣が、一瞬大きく光った。その光にガシューが一瞬大きく目を見開く。

コルンには、それが魔法剣であると分かった。そして、それが神聖魔法の最高峰の一つ、『破邪崩壊』という、魔属性の者を一瞬で葬る、コルンやダリアナにさえも使えない最強の魔法であると。そんな魔法を使えるのは、コルンの知る限り、この世界にはほんの一握りしかいない。

……彼の思いは、確信に変わっていた。

もちろん、そんな魔法を使われては、ガシューとてひとたまりもない。悲鳴をあげる間すらなく、塵となってゆっくりと大気に流れ出していた。

その様子を静かに見守りながら、哀悼を捧げるように聖印をきって、コルンは呟いた。

「別に俺が倒さなくても良かったんだ。俺がやりたかったのは、お前を叩きのめすことじゃない。ただの時間稼ぎだったんだしな。ま、ガシューが出てこれば、必ずあんたが現れると思っていたし。……だろ? 『ルナス=ティア』殿?」

ガシューの体がさらさらと崩れていく先に、いつの間に現れたのか、あの黒ずくめの人物が静かに立っていた。その手に握られているのは、漆黒の刀身を持った『アガスの剣』である。

コルンは後ろを振り向いた。先ほどの戦いの間に気がついたのであろう。サラがその場にペタンと座ってこちらを見ていた。いつのまにか背中から剣を抜き取られ、呆然とルナスを見つめている姿を確認できる。

「よく、私がいると分かったな」

くぐもったような低い声が、コルンにかけられる。

「ああ。なんとなく、砂漠に入った頃から気配は感じていたんだ。砂ミミズに暴走されたからどうなるかとも思ったが、神殿付近でまたあんたの気配を感じてね。はったりかまして時間稼ぎさせてもらった。きっと、必ずなんとかしてくれるだろうと思ったしな」

その言葉に。相手は表情を緩めたようだった。くつくつと笑い声が聞こえ、呆れたものだ、と小さく呟いている。コルンはにっと笑ってから、真顔に戻ってすっと上を見た。

「ま、それはともかく。とりあえず見てくれよ。あれが、『魔王』ダリュス=ダナルだとさ」

 ガシューの死に眉一つ動かすことなく、冷徹な瞳でこちらを見下ろしている男に。コルンは剣を背中に一旦収めると、ゆっくりと後退した。同じようにその黒ずくめの男も後退する。

「ち、ちょっと……待って。あ、あなたは本当に『ルナス』なの?」

まるで当たり前のように会話を交わす二人を見て、サラがようやっとそれだけの言葉を紡ぎだす。皆が、サラを振り返った。

「……なあ。その布、邪魔だろ? 取って顔見せてやれば?」

コルンの言葉に。彼は仕方ない、といったようにするすると顔に巻かれた布をとった。そこに現れる端整で整った顔立ちに、思わずサラが息を呑む。

ショートカットの亜麻色の髪に、憂いげで、しかし鋭い紅い瞳が揺れている、まさに女性と見紛うばかりの、美しい青年だった。

「……やっぱり、ルナスだったのね……」

感激というよりはむしろ、呆然とした表情で。サラはそれだけ呟くと、ぎゅっと唇をかんで下を向いた。そんな彼女の表情を気遣うそぶりもなく一瞥してから、その言葉には答えず、ルナスは再び顔を布で覆った。

コルンは、なんともいえない表情をしてから、ダリアナを見た。彼女はまた、何故か下を向いて肩を震わせている。

「やっぱりも何も、さっきガシューを倒しただろ? あの時魔法剣を使ったんだ、こいつ。あれは、ソナウ教の特別司祭、そして最高司祭しか使うことを許されない魔法だったんだよ。だったら、もうこいつは『ルナス』以外の何者でもないさ」

それだけ言ってから、コルンは小さく肩をすくめると、感動の再会には程遠い雰囲気のサラをそっと見た。

「別に、私が名乗るまでもなく、彼女は気付くと思ったんだがな。残念だ」

冷淡に呟くルナスに、ダリアナがふと顔をあげて、そして、呟いた。

「はて、こやつ、これほどに淡白な男だったかの?」

その言葉が聞こえたのであろう。彼は苦笑すると、言い訳もせずに一言告げた。

「まあ、詳しい説明はまたあとだ。さて、コルンだったかな。これからどうする?」

何故かさっぱり動きを見せない『魔王』を睨みあげながら、ルナスが呟いてくる。

奇妙だった。先ほどまではこちらを見ていたのだが、今は明らかにこちらに注意すら払っていない。まるで虚空を探すように、『魔王』の瞳は焦点を定めていないのだ。とりあえず殺気も、先ほどあれほど感じた『邪気』も一旦収束しはじめてきており、一度体勢を立て直しにかかることにする。

「どうしたものかな。……不意打ちでガシューを倒せたとはいえ、『あれ』はまた桁違いの強さを誇ってるだろ。俺の子供だましみたいな魔法じゃ通用しないと思うけどな」

コルンの言葉に、ルナスがふむ、と腕を組む。

「ふむ。まあやってみなければ分からないだろうがな。そちらの魔法使い殿に頼んでみては?」

「だな。おい、ダリアナ。あの『魔王』にちょっと魔法ぶっつけてくれ」

「よしきた。爆裂魔法の最強アレンジ位なら、ちっとは効くかの?」

世間話でもするような、気軽なコルン達の会話に、サラが思わず吹き出した。

「何恐ろしいこと平気で言ってるんですか! あれは『魔王』ですよ!? 下手なことしたら本気で殺されちゃいますって!」

「でも、何もしてこないし、あれ」

コルンはルナスと共に、一緒に上空に浮かんだきり動かない『魔王』を指差す。

「あれ、なんとなく、まだ目覚めたばっかりでボケてるように見えません?」

ウェブまでもがとんでもないことを言っている。その言葉に、サラがとうとうぶちきれた。

「ちょっと皆さん! どうしてあなたがたにはそう、緊張感ってものが無いんですか!? 『魔王』が復活してるんですよ! あの『ダリュス=ダナル』ですよ、あれは! 例え動かなかろーがなんだろーが、あれは恐怖の象徴です!」

力説する彼女に、しかしコルンはぽりぽりと頭を掻いた。

「いや、分かってはいるんだけどさ。どうもいざ復活されたら、なんか妙に冷静になっちまってな……。実際ヤバいってのは分かってんだけど。なんかこう、気抜けしちまった」

「飽きっぽいにもほどがありますってば、コルン様」

ウェブが呆れたように呟いている。当然その言葉にも、緊張感のかけらも無い。

「だああああ、まったくもう! 信じられません! 私はとても怒っているんですよ! それなのになんですか!! 少しはあんな最低『魔王』に対して怒ってください!」

ふと。コルンは、サラの微妙なニュアンスの違いに気が付いた。『魔王』に『様』をつけていない。そして、心なしか扱いが乱暴になっている。

なんとなく気になって、コルンはそれをそのまま口にした。

「ん……? お前何に怒っているんだ?」

その言葉に。サラがくっと呻く。

「うわああああああんん!! 夢にまで見たあの『ダリュス=ダナル』様なのに、私のタイプじゃないいいいいいい! もっとこう、色気があって破滅的で、強くてかっこよくて冷徹じゃなくちゃ嫌ああああああんんん!!」

「お前が一番緊張感のかけらもねえじゃねえか! もういいから、一度あいつに殺されてこいよ!!」

もう何度目か分からない、サラの言葉に大声で叫び返してサラをはたき倒してから、コルンは同情的にルナスを見やった。

「ご苦労様……あんなじゃじゃ馬さぞ扱いに苦労しただろうに……」

「もう慣れた」

身もふたも無い言葉に、コルンは心底ため息をつく。つくづく、世界の破滅を目の前にした対応ではない。それに対して、小さく苦笑する。

「ところで主ら。お楽しみのところすまぬがの。さっきいきなり『魔王』の姿が消えたぞ」

呆れたように、ダリアナがコルンに突っ込む。

「ああ、ほんとだ。どこに……」

一瞬言葉を聞き流しかけて、軽く答えてから。コルンははっとして、周囲を見回した。そして、何かに気付いたのであろう、真っ青になって叫んだ。

「しまった! 急げ! 移動するぞ」

そう叫ぶなり、コルンは砂ミミズの元へ駆け寄った。が、疲れ果てた砂ミミズはぴくりとも動かない。

「いきなりどうしたんですか? コルン様!」

ウェブが追いかけてきながら、必死に砂ミミズを起こそうとするコルンに尋ねた。あまりの態度の豹変ぶりに、誰もが唖然としてコルンを見ている。

「このままじゃまずい。つい奴が動かないことに油断した! あの『魔王』、狙うのは『ドナウブ』なんだ! ……結界が破られたら……おしまいだ!」

「なんですって!?」

ウェブも青くなって叫ぶ。

「虚空を眺めているように見えたのは、多分奴が『結界』に気付いたからなんだよ。人間には見えなくても、奴には見えちまったんだ! 結界に気付いたってことは、そのままあの『ドナウブ』に気付いたってことにもなる。あの国乗っ取られてみろ。世界の破滅は確実になっちまう。ダリアナ! 方角どっちだ? 『ドナウブ』がやばい!!」

コルンの叫ぶ声に。ダリアナは小さく息を吐いた。

「もう遅い。見るが良い。……千年続いた結界が……終に解けるのじゃ」

ダリアナの視線と言葉の先に。コルンは、小さく息を呑んだ。

それは、実に奇妙で、そして不気味な光景だった。

空が、雲が、砂が。全てが瓦解していくのだ。まるで一枚の絵画のように、景色そのものががらがらと崩れ落ちていく。

その光景を、サラが呆然とコルンたちに並んで眺めていた。その間にも、次々と周囲の景色にいくつもひびが入り、ぱきぱきと小さな音を立てながら、細かく細かく砕け散っていく。

「……コルン君。今、どうして『ドナウブ』のことを口走ったんですか? どうして方向をダリアナさんに聞いたの? ……どうして、『魔王』の狙いが『ドナウブ』だと分かったの? ……ねえ。あなたたちは、何?」

サラの問いに、コルンは何も答えなかった。景色の崩壊は収まりつつあった。そして、その崩壊の先には、信じがたい風景が広がっていた。

そこに広がるのは、砂漠ではなかった。『アガス』の王城よりも大きいのではないかという、巨大な王城、そしてその周囲に広がる街を囲むように立てられた、城砦。それらが砂漠のど真ん中に、まさしくオアシスのように佇んでいた。

「これが……『ドナウブ』」

サラが小さく呟く。瞬間。コルンはサラを抱え込むようにして横に飛んだ。あまりのことに声も出ないまま、サラが気づいた時には、彼らが立っていたあたりの砂が、ざっくりとえぐられていた。

「ウェブ君!!」 

 サラが悲鳴をあげる。彼の小さな体が吹っ飛ばされるのが、一瞬目の端をかすめたのだ。全く受身を取ることなく、砂の上に落下した彼を見て、小さくコルンは舌打ちした。駆け寄るまでもなく分かった。……おそらく、あれは助かっていない。

コルンは激しく動揺する心をおさえ、さっと辺りを見回した。同じく、かろうじて避けきったダリアナとルナスが、かなり離れた場所にいることを確認して、少し安堵する。

そして、そのまま今度は、きっと上空を見据えた。視線の先、城砦の一角に、『魔王』は座っていた。先ほどの人形のような能面ではない。ぞっとするほどの冷たい笑みを湛えている。

「ここの空気はうまいな。人間よ。今まで暗く狭い空間に閉じ込められ、実に息苦しかった。魔力を含む空気は、そのまま私の体を潤してくれる。……心地よい目覚めだな」

魔王は嘲笑したらしかった。口の端を歪めて、くっくっと喉の奥で笑う。

「今まで人間にいいようにされてきたが、もうそれもここまでだ。あのガシューとかいう奴が、時間を稼いでくれたおかげで、ようやく復活できる。『魔王』を倒した『勇者』の国に救われるとは、これ以上の皮肉はあるまいに」

コルンは、低く呻いて下を向いた。庇うようにしてサラの上に伏せているが、これでは埒があかないことは、よくわかっていた。

こちらの油断から招いた、どうしようもない事態に、心底後悔する。とにかく、この状態をなんとかするしかない。形勢を逆転させるには、ダリアナの非常識なまでの強さと、決断力が一番あてになる。

コルンは、わずかに体を起こして、ダリアナに声

をかけようとした。だが。

「ふむ。まずは力試しだな」

その言葉と共に。突然殺気が辺りに爆発した。

偶然とはいえ、動き出していたことが功を奏した。訳もわからず悲鳴をあげて、コルンが結界魔法を展開する。間一髪、結界の完成が間に合っていた。耳をつんざく爆音と、猛烈な爆風が頭上を駆け抜けていく。よくは分からなかったが、爆砕の呪文のようだった。

「……ダリアナ……ルナス……」

ようやく収まった爆風から身を起こし、コルンは呆然とその名を呼ぶ。……返事はなかった。四肢を投げ出して、二人はぐったりと倒れている。一目で、息をしていないことが分かった。ルナスが握っていた『アガスの剣』も、粉々に砕け散っている。

先ほどの爆発を防ぎきれずに、粉砕したらしかった。こと、ダリアナの魔法が間に合わなかったことがにわかには信じられず、ぎゅっとこぶしを握る。

すぐ傍には、コルンがかばっていたサラが呆然と座っていた。

「ふむ。これほど魔力を使っても、ここにいるだけで、すぐに回復するな」

『魔王』は、手を何度も握ったり開いたりしながら、しきりに頷いていた。

(終わりだ……)

声に出すことなく、コルンが呟く。この状況に陥ってしまっては、最早現状では手の打ちようが無い。

ウェブを失い、ダリアナを失い、ルナスを失い、そして『アガスの剣』を失った。あるのは、自分の脆い命と、サラ。そして、あまりにも脆弱な己の武器。たった、それだけだった。

コルンは、ゆらりと立ち上がった。その様子を見て、『魔王』がにっこりと笑う。そして、興味深そうに、コルンに視線を投げてよこした。

「あのさ、サラ。よく聞けよ」

虚ろな瞳で魔王を見上げるサラに、コルンが話し掛ける。

「俺たちは、『ドナウブ』を知っているのさ。あの国は、砂漠の中に建てられた。そして結界魔法を張って、その姿を世間から隠したんだ。何故ならば、その国が建てられたところに、強大な魔力を封じ込めたからな」

 聞いているのかいないのか、サラがコルンを振り向いた。

「だから、俺たちはあの国を知っていても、世間に漏らさないようにしていた。でも、もう駄目だ。『ドナウブ』は姿を現し、そしてあの『魔王』は、その封じられた力を手に入れてしまった。……残念だが、もうおしまいだ」

そう言って。コルンは、静かに腰にぶらさげた鞘に手を伸ばしていた。背中に背負ったロングソードではなく、砕け散った己の愛剣の方に。

「まあ、この件については、君のほうが詳しいだろうけどな。……サラ」

コルンが、剣を引き抜いた。刀身のない剣がコルンの手のひらの中で、ざわりと蠢く。

「!?」

その気配を感じ取ったのであろう。いきなり正気を取り戻したように、サラがざっと飛びずさる。

「コルン君……? 何を言っているの……?」

その問いかけには答えずに。コルンは『魔王』を見た。その視線に気付いて、彼は小さく笑みを浮かべた。同時に、殺気が迸る。

「いい加減にしとけよ、ほんと!!」

コルンが叫んだ。その行動の意味が分からず、サラがきょとんとしている。

と、唐突に。コルンが腰からぶら下げていた皮袋が、ぐにゃりと生き物のように蠢いた。そして、あの『ドミカ』で見つけた砂が、一気に空中へと舞い上がる。

「ひっ!?」

思わぬ光景に、思わずサラが悲鳴をあげてあとずさった。それには構わずに、コルンは剣を天に掲げて大きく叫んだ。

「集え『砂』よ!」

その言葉とともに。コルンの剣の折れた刃が、ざらっと崩れた。砂のようにさらさらと手のひらから滑り落ち、しかし砂はそのまま空中を舞いながら、形を作っていく。

「我が意思に従って、元ある形へと姿を戻せ」

魔法、ではなかった。コルンの言葉に呼応して、剣そのものが反応している。やがて剣は砂に覆い尽くされ、一呼吸後、ざっと一気に崩れ落ちた。そして、そこに残っていたのは……。

「『アガスの剣』!?」

サラが驚愕の声をあげる。それは、まさしく『アガスの剣』だった。

濡れるような漆黒の刃、コルンの身長程もある巨大な刀身。荘厳かつ圧倒的な存在感。その全てが、寸分違わずそこに存在している。

だが、ひとつだけ違った。……『アガス』の王国の紋章が、刀身に刻まれていないのだ。そして、代わりにその場所には、サラが見たこともない、小さな紋章が刻まれていた。

コルンは、何も言わずにすっと静かに剣を構えると、それをぴたりとサラの喉元につきつける。

「……え?」

状況を理解しかねて、サラが呻く。

コルンは苦笑したらしかった。小さく顔を歪めて、ため息を一つ落とす。

そして、倒れて動かないウェブ、ダリアナ、ルナスをぐるりと見やって、最後に『魔王』に視線を向けてから。

コルンは厳かに、しかし怒りを込めた声で、一言言い放った。

「遊びは終わりだ。……サリティア=『アガス』=ドゥーバス!」

すみません、いわゆる「引き」という状態で終わってしまいました。

私もこんなところで章区切っていたのかと自分でびっくりしました……

この章から、本では下巻に移っていました。次回から、物語は一気に解決していきます。

ついでに、一人存在を忘れられている人がいますがあとで回収します。

それではまた明日。

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