第五章 『光は闇へと侵される』
第5章です。なんとなくお気づきだと思いますが、章タイトルも文章が繋がっております。
本にしていた時は、ここから中巻になっていました。
今回も比較的シリアス回。それではどうぞお楽しみください。
第五章 『光は闇へと侵される』
一行が呆然とその男を見送って、小一時間程が経っていた。まるで夢か何かでも見ていたような奇妙な感覚に捕らわれながら、彼らは再び馬車に揺られていた。何もない、ただひたすら続く無限の荒野を。
あれから、誰一人として言葉を発していない。
サラは、ただ青い顔で、漆黒の男がガシューを切り裂いた剣を抱えて、馬車の隅にうずくまっている。ウェブは、コルンの横に座って、黙って自らの武器と、コルンの武器の手入れをしていた。
ダリアナは、再び御者台で手綱を握っている。ただし、今までになく厳しい表情でじっと前を見据えたまま。
そしてコルンは、ずっと外を眺めていた。思いつめたような顔をしながら、馬車の後方から少し足を投げ出して、ほおづえをついたまま、じっと考え事をしているようだった。
「ところで、ダリアナ。ずっと気になっていたんだけどな」
沈黙を破ったのは、やはりコルンだった。いつのまにか立ち上がり、馬車の中に歩いてきながら、ダリアナに問いかける。その言葉にはじかれたように、ウェブとサラがはっと顔を上げた。
「あ、期待させて悪いな。さっきの話じゃねえよ」
二人の反応に驚いて、コルンが弁解する。二人は明らかに落胆して、また再び視線を落とした。その光景に思わず苦笑する。
「まあ、今更だろ。だってダリアナがこの世に存在しないはずの魔法とか使えても、とりあえず驚かないだろ。大体が非常識の塊みたいな奴なんだし」
「コルン様、怒っているなら怒っていると言ったほうが……」
呆れ顔でウェブが突っ込んでくるが、コルンは相手にしない。
「だから、この件に関しては聞かない。聞いてもどうせはぐらかされて、体力無駄なだけだし。どうせいずれ黙ってられなくなって、絶対自分から言うから、ダリアナは。それにまあ、なんとなくだけど、知ってる理由に心当たりがあるからな」
それだけをぴしゃりと言ってから、コルンは再びダリアナの背中を見据えた。
「で、だ。俺はお前の非常識よりも、今どこにいるのかの方が気になる。どさくさに紛れてお前に手綱持たせちまったが、一体お前どこに向かってる?」
その言葉に。今度こそウェブとサラが顔を上げた。
「いやああああああ! ダリアナさんに手綱持たせちゃったあああああ!」
「本当にお主ら、結構酷いぞ」
絶叫に近いサラの叫び声に、さすがのダリアナも苦笑まじりに抗議してくる。
「お前の普段の行いがいかに酷いかの証明だ。にしても、あれだけやられると、さすがにウェブでも判断失うのな。今気が付いたんだろ? 俺たちがどこ走っているのかを」
ダリアナに冷たく答えを返したあと、慌てたように馬車のホロをあげて外を覗くウェブを見て、コルンが話しかける。
「……ここは……」
青い顔をして、ウェブが小さく呟いた。
「な? 俺たち今、『テスカ』にいるはずだよな?」
コルンの言葉に、サラとウェブは何度も頷いた。
『テスカ』というのは、法治国家『イリナ』に接する首都国家の一つである。別名『ブレイバー』、勇敢なる者、と呼ばれてはいるが、『イリナ』の庇護が最も厚い国で、特に取り立てて何がある国でもない。ただただ、のんびりした田舎の雰囲気がある。
が、それは表向きの顔。裏には、首都国家随一の『暗殺者集団』を擁する、影の防衛国家でもある。それこそが『ブレイバー』の名前の由来であり、なんでもない田舎都市が、首都国家であり続けた理由なのだが、まあ裏の顔を知る者は、当然だがごく一部に限られている。
「『テスカ』には、街道沿いに短い間隔でいくつもの街がある。この国に入ってだいぶ経つよな、俺たち。街、見たか? 誰か人に会ったか?」
続けたコルンの言葉に、ダリアナだけが小さく首を横に振った。その態度に思わず声をあげかけて、しかしコルンははたと動きを止めた。ちらりと見えたダリアナの横顔が、異常なほどにこわばっていることに気が付いたのだ。
「ダリアナ?」
怪訝そうに尋ねるコルンに、ダリアナは静かに呟いた。
「コルン。まあわしも普段の行いゆえ、疑われても仕方ないかもしれぬがの。ここは間違いなく『テスカ』の街道じゃよ」
その言葉に。コルンは言葉を無くして、慌てて御者台へ飛び移った。そして、絶句する。
「おい、ダリアナ……。これは夢だよな? 俺は悪夢を見ているんだろ? あり得ないさ、こんなこと……あってたまるか!」
ダリアナの手が、コルンの頭をぺちんとはたいた。その光景に、事態が飲み込めていない二人がぎょっとして立ちすくむ。
「しっかりせぬか、コルン。気持ちはよく分かる。じゃが、現実から逃げるでない。わしだとて、夢だと思いたいわ。しかし、これが現実じゃ」
そう呟いて、ダリアナは再び厳しい顔で前を見据えた。
見たところ、どうということのない風景だった。森が所々に点在し、あとはひたすら草原だったり荒地だったりする。街道は人っ子一人いない。すれ違う者も後から追いかけて来る者も、前を走る者もいなかった。
だが、この平和で静かな光景こそが、異常なのである。ここは仮にも首都国家。旅人や商人が行き交う交易街道でもある。この街道に人の姿が見えないことなど、決してありえないのだ。
そして、コルンが最も衝撃を受けたのは、街道を進むうちに、そこかしこに武器や防具が山積みされている場所があることだった。最初見たうちは、その意味が分からなかったのだが、サラの言葉を思い出して、顔から血の気が引くのをはっきりと感じ取っていた。
『滅んだ街の入り口付近に、武器や防具が山積みにされていた』
とてもではないが、考えられない事態だった。街は一向に見えてこない。ただあるのはひたすら、森か荒地か草原。そして、その合間を縫うように武器が山積みにされている。それが意味することは、ただ一つしかなかった。
「……『テスカ』が滅んだ……」
掠れるような声で、コルンが呟いた。サラとウェブも、外を眺めていてその状況の異常さに気づいていたのだろう。押し黙ったまま、コルンの言葉に返事を返そうともしない。
身を切り裂くような沈黙が、空気を支配していた。ただ、がたごとと馬車の揺れる音だけが、辺りに響いている。鳥の声も、何も聞こえない。ただただ、静寂だった。
「考えたくもないがな。たしかにわしは街道をまっすぐ進んできた。そしてじゃ。見るがよい」
じっとまっすぐ一点を見つめたまま、ダリアナがその視線の方向に指先を伸ばした。その指先を、三人の瞳が一斉に追う。
「この門に見覚えがあるじゃろう? ……ここが、元『テスカ』の王城じゃ」
ダリアナの言葉に、サラが小さく悲鳴をあげた。
そこは、巨大な空き地になっていた。つい数ヶ月前、コルンたちが旅の最中に通りかかった時にはそびえ建っていた、美しい王城さえも跡形がない。そこにあるのは武器の山と、そして今までに決して無かったものがそこに残されていた。
「砂だ……」
一旦馬車を止めて、コルンが近づいて確認する。
言葉どおり、それは砂だった。しかも尋常な量ではない。王城のあったと思われる場所全体に、コルンの身長ほどもうず高く盛られている。しかも奇妙なことに、辺りを見回しても、そのような砂はどこにも見当たらなかった。
「なんだろうな、これは。一体どこから……」
「風と砂の王国……」
コルンの呟きに答えるように発せられた、サラの突然の言葉に、コルンがぎょっとして振り向く。
「このアスティナ大陸で、砂が存在するのは、唯一あの砂漠しかありません。しかも、こんな大量にある場所なんて、あの砂漠を除いて……」
「ドナウブを悪く言うな!」
コルンの思わぬ強い口調に、サラが驚いたように言葉を止める。
「あそこは伝説の国だ。誰もたどり着けない幻の国だ。あの国が、今更この世界になんの関心があるっていうんだ。ドナウブは関係ない!」
ほとんどはき捨てるようにそう言ってから、コルンは3人の視線にはっとしたように口をつぐんだ。
「あ、いや。悪い。なんでもない、忘れてくれ」
顔を背けてコルンはそう小さく呟く。気まずい沈黙が辺りを支配していた。
「しかしのう。これはあの国以外に考えられんじゃろうて。お主がドナウブを敬愛しておるのはわしもよく知っておるが、こればかりは、ちとな」
沈黙を破ったのはダリアナだった。コルンをなだめるように言葉をかける。
「コルン君、『ドナウブ』が好きなんですか? じゃあそれで……」
サラの言葉を、ウェブが引き継ぐ。
「ええ、だからこそ、コルン様は魔王の復活などあり得ないと言っていたのですよ。尊敬してやまない『勇者ソナウ』を否定することになってしまいますからね」
その言葉に、コルンがため息まじりに苦笑した。
「まあ、そういうことだ。俺はあの国も、勇者ソナウも、伝説だとは思っていない。露ほどもな。見つけられないが、確かに砂漠に存在しているんだ、あの国は。ソナウは強かった。魔王を倒した英雄だという伝説が事実だと俺は信じている。こんなこと言うと、馬鹿にされるからあんまり言いたくなかったんだけどな。だが、本当にどうやらそんなこと言ってる場合じゃなくなってきたらしい。どういう形であれ、これは、『ドナウブ』が絡んでいるとみたほうが良さそうだ」
コルンは、そっと手を伸ばして砂をつかんだ。そして、それを握り締める。
「何が起こってるのか知らないが、俺たちの住むこの世界を滅ぼそうとしている奴は、許せねえな。絶対、阻止してやる。『ドナウブ』を利用したんなら、なおさらな」
その決意の言葉に、誰もが言葉なく頷く。コルンは、その砂を皮袋に入れて腰に下げると、ぎゅっとこぶしを握り締めた。
「行こう。この街道を進めば、もう『ドミカ』だ。そこで国王に会う。……もう遅いなんてことがないように願ってるけどな」
そして数刻後。『テスカ』を無事抜け、『ドミカ』に入国して、彼らは思い知ることとなった。願い虚しく、すでに手遅れであることに。
『ドミカ』も、『テスカ』と同じ状態にあった。街道に人通りはなく、やはり武器があちらこちらで山積みにされている。別名『マジスタリア』と呼ばれるにふさわしい、荘厳にして威厳ある美しい街並みを誇った、首都国家随一の商業都市は、見る影もなくただひたすらに荒地が広がっていた。
まさか、首都国家が対策に乗り出さず、しかも情報をシャットアウトしていた理由が、これほどの事態だったとは、予想だにしていないことだった。
道のりから考えて、王城に着くにはあと一日近くはかかる場所まで辿り着いた所で。とりあえずショックを癒すのも含め、コルンたちは、いい加減日が暮れかけた街道の、あまり目立たない一角に野営をはる準備をしていた。
森とは言わないまでも、木々がこもった辺りを適当に見繕って、テントをはるために一旦馬車を降りる。が、やはりその作業も余り手につかず、コルンはほとんど絶望に近い感情で、ぼんやりと周囲を見渡していた。他の皆も同じなのであろう。かろうじて手が動いているウェブでさえ、心ここにあらず、という感じで、ぼんやりとしていた。
コルンは一つため息をついて、幹の太い、重厚な木にどっかりと背を預けた。流れていく風に頬を撫でられながら、だんだん気持ちが落ち着いてくる。
(……あれ?)
心の中に、小さな疑問が浮かんだ。そういえば、『ドミカ』の状態で『テスカ』と決定的に違うことがある。誰に言うともなく、コルンは呟いていた。
「……木が増えている……?」
その言葉に、側にいたダリアナが小さく頷いた。
「やはりそう思うか? この国は『人』の国じゃ。随分森などが切り開かれ、今お前がもたれかかっているような大木など、ほとんど無くなっておったはずじゃ……。わしの知る限り、この街道にこれほど巨大な木は無かったはずじゃよ。それに、この森……」
前を見据えるダリアナの瞳は、まだかなり離れてはいるが、街道を覆うように広がる巨大な森を映していた。
「有り得ぬな。確信を持って言い切るぞ。このような森など、この国には無い」
断言するダリアナの言葉に、ウェブが口を挟む。
「……思ったのですが、あの森、王城のあった辺りまで広がっているように見えませんか?」
ドワーフクオーターである彼は、視力が抜群に良く、しかも夜目が利く。おそらくコルン達には見えない、かなり先まで見えているはずだ。
「……参ったな。この国も街は全て全滅で、王城までもやられてるのか……」
コルンのため息に、ウェブも一緒にため息をつく。
「なんの意味があるんだろうな。『テスカ』が砂、そして『ドミカ』が『森』か」
コルンの呟きには、誰も答えなかった。しばらくの沈黙のあと、サラが絞り出すように呟いてくる。
「首都国家が二都市も壊滅するんだから……。やっぱり魔族以外に考えられないですよ。こんなことが人間に出来るはずがないですし……」
サラの言葉にしかし、三人の呟いた言葉は、全く的が外れていた。
「これは最大の危機だぞ。俺たちの食料どうすんだよ……」
「もう二週間も補給してないですからね。そろそろ底尽きますよ」
「わしらを兵糧攻めにして餓死させるつもりかのう。だとしたら荒っぽい作戦じゃな」
「どうしていきなり、そーいう脳天気な会話ができるんですかっ!?」
思わずサラが叫ぶ。その言葉にコルンはため息をついた。
「仕方ないだろう。こっちは死活問題だ。食料尽きたら国を救うとかどころじゃなくなるんだぞ? そんな情けない理由で行き倒れたりしてたまるか」
「そうじゃぞ? 行き倒れたら本当になんにもならんのじゃからな」
「ええ、全くそのとおりで。行き倒れは駄目です」
何故か三人で力説する。あまりのことに、サラも呆れたように声をあげる。
「それにしたって緊張感無さすぎませんか?」
その言葉に、コルンがムッとしてサラを見た。
「じゃあ聞くけどな。お前まだ、何か俺たちに隠してることがあるだろう? この間魔族に襲われた時に助けてくれたあの男。ありゃお前の知り合いじゃないのか? 例えば、探していた婚約者、だとかな」
その言葉に、サラの表情が明らかに変わった。サッと顔から血の気が失せる。
「図星か。あの後のお前の様子を見て、おかしいと思ったんだ。大体……」
その言葉を遮るように。サラが声を張り上げた。
「だって! 分からないんです。……あの声は、私が探している『彼』の声に似ていた。でも、確信が持てないの! 大体、彼ならどうして私を無視していくの? 一言も私に言葉を言わなかった。でも、あの紅い瞳は彼のような気もする。……でも、分からない。分からないんです!」
途端に、サラの瞳からぼろぼろと涙が零れ落ちた。さすがにコルンも、ばつが悪そうに頭をかく。ダリアナがサラの肩を抱いて、ぽんぽんと背中を叩いた。
「すまなかったの、サラ。よう話してくれた。うちの弟の無礼を許しておくれな」
「ごめんなさい……確信が持てなかったの。だから、どうしても話せなかった」
涙を拭いながら、サラが頭をさげる。コルンも、悪かった、と一言呟いてそっぽをむいた。なんともいえない、微妙な空気が流れる。
「さて、ちょうど良い機会じゃ。ここで少しわしも疑問に思っていたことがあるのでな。少しばかり話を聞いてくれるかの?」
空気をとりなすようなダリアナの提案に、無言でサラとコルンが頷く。
「よし。まず最初に、サラがこの世界に魔王が復活する、その為にダリュス教の信者たちが不穏な動きをしていると言うておったな」
「え? は、はい」
「ふむ。ではその不穏な動きとはどんなものじゃったかの」
ダリアナの言葉に、サラはうつ向き加減で答えた。
「信者の数を増やしています。魔王ファンクラブがあるって言いましたよね? あれって要するに何も知らない若い人たちを、軽い気持ちで入会させるための手口の一つなんですよ。ブロマイドにメガホン、そして魔王のマントの豪華三点セット付き、とかうたい文句をつけまして。ああ、私もあれはちょっと欲しかったなあ……」
「待て、話がずれてるぞ」
それ以上突っ込めなかったのか、微妙に乾いた笑いを浮かべながら、コルンがサラの言葉を遮る。
「あら、失礼。まあ、私はかなり昔から入会していたのですが、本当はそういう代物ではなく、本当に遊び程度のものだったんですけど……」
「もうこの際、お前のいい加減さは置いておくとして。つまり、ごく最近、このファンクラブってのがおかしな方向に進み始めたんだな?」
コルンがため息と共にサラに問う。
「ええ、そうです」
少し小首を傾げながら、サラが頷く。
「ふむ。しかしそれにしては、信者の姿を今までに全く見かけなかったのう?」
その言葉に、コルンは苦笑した。自分と同じことを、ダリアナも気付いていたらしい。
「まあ、その件についてはよかろう。どうせ推測の域をでないことじゃからの。では、もう一つ。これがわしにはどうしても納得いかないのじゃが」
そう言って、一呼吸おく。
「何故、魔族はわしらをこうもしつこく襲ってくるのじゃ?」
その疑問に、はっとしたようにサラが息を呑んだ。
「お主がソナウ教から派遣された者だというのも分かるし、ダリュス教の動向を探っていたのも分かるんじゃがな。しかし、お主の相棒は行方不明。そして、仲間の消息も一向に伝わってこない。ソナウ教の本部から何か連絡があってもよさそうなのに、それもない」
そこで、ダリアナは再び一息ついた。探るような瞳でサラを見て、ゆっくりと続ける。
「わしだったら、例えわしらのような者をお主が仲間に入れたところで、奴らにとっては大した脅威ではない。従って、無視すると思うんじゃがな。ところが、襲ってくるのは上級の魔族で、しかもしつこい。……これは、どういうことなのじゃ?」
サラはうつむいたきり、黙ってしまった。明らかに何かを躊躇したそぶりに、コルンがいらついたように睨み付ける。しかしダリアナは、それを静かに制止していた。
「……私の口からは、なんとも……」
搾り出すようにそれだけ呟いてから、サラはぐっと唇を噛み締めた。
「……ふむ、ではコルン。言うてやるがよい」
ダリアナの言葉に、はじかれたようにサラが顔をあげてコルンを見た。なんとも言えない表情で、コルンはサラを見ていた。そして、諦めたように口を開く。
「まあ、憶測なんだけどな。俺もそれはずっと不思議に思っていた。どうして俺達をしつこく襲ってくるのか、ってな。正直サラがそれほど強いとは思わなかったし、そこまで魔族が執着するほどの重要人物にも見えなかった。……気を悪くしないでくれな、サラ。俺の正直な意見だし、多分間違ってないだろ?」
サラは、無言で頷いた。
「じゃあ何故だろう、と俺はずっと考えていたんだ。でも、やっと分かった」
その言葉に、びくっとサラが体を震わせた。
「……サラ。何故黙っていた? その剣は『アガスの剣』だろう」
その言葉に。ウェブが思わずえっ、と呟いて、絶句した。ダリアナも、それは予想していなかった言葉だったのか、びっくりしたような顔をしている。
「……そうです。これは伝説の『アガスの剣』です」
ほとんど消え入りそうな声で、サラはコルンの言葉を肯定した。
『アガスの剣』。名前の通り、首都国家『アガス』の名前を冠した剣である。そして、何よりも。これこそが、勇者ソナウが、魔王の首を討ち取った剣なのである。
この剣は、アスティナ時代当時、旅立つソナウのためにアスティナ国王が授けたものとされていて、魔王を倒したのち、『アガス』に伝えられたと伝承されている。そして今なお、『アガス』の国宝として祭られているものだ。彼女のような一司祭が持ち歩けるような代物では、決してない。
「俺が驚いたのは、それだけじゃない。この剣にはあるいわくがあってな。……抜けないんだよ。誰にも。勇者ソナウとその子孫以外にはな」
そう言って、コルンはおもむろに立ち上がると、すっとサラの手からその剣を奪った。そのままコルンは布でぐるぐる巻きにされた鞘から、剣を抜こうとする。だが、剣は、びくともしなかった。その様子を見て、サラががっくりとうなだれる。
魔族がこの剣を狙っていたのは、おそらく間違いない。勇者以外には誰にも抜けないというのは、魔族の耳にも入っているだろうが、わずかでも可能性がある限り、それを野放しにしておくのはとても危険である。
それゆえコルン達は、しつこくこの剣のために襲撃を受けることになったのだ。
「たとえ相棒の剣にしろ、サラが全く抜かないのを、ずっと疑問に思ってたんだよ。普通手入れくらいするもんなのにな。……抜かないんじゃなくて、抜けなかったんだな」
「ち、ちょっと待ってください、コルン様。では、この剣を持ち歩いていたサラさんの相棒で婚約者という方は、もしかして……」
コルンの言葉を遮るようにして、ウェブが言葉を発す。そう、ソナウとその子孫以外には決して抜けないその剣。それを持ち歩いていた人物とは……。
「……いや、少なくとも現在、『ドナウブ』の位置も確認されていないし、当然その子孫がいるかどうかなんてのも謎だ。だが、一人だけいるんだ。この世界に。この剣を抜き、そして使うことの出来る人物が。だろ? ダリアナ」
その言葉を受け継いで、ダリアナは深く頷いた。
「ああ、おるよ。ソナウ教の最高司祭直属、特別司祭『ルナス=ティア』じゃ。数年前に突如として現れた、まだ年若い、物静かな青年じゃよ。……そうか。あやつじゃったか」
そう呟いてから、ダリアナはため息を一つついた。
「ということは。先ほどわしらを助けた男も、ルナスだと思うのが妥当じゃろうな」
しかしその言葉に、サラは大きく首を横に振った。
「いいえ。そうとも限らないのです」
そう言って、サラは一息おいた。
「確かに、私の探す婚約者は、現代の勇者と称される『ルナス=ティア』です。彼が『アガスの剣』を抜けることは、ソナウ教の信者の間ではあまりに有名です。……ですが、一つだけ誤解があるのです。彼は、確かに剣を抜けました。ですが、それを使いこなすことは出来なかったのです。ただ、本当に抜けるだけなんです」
そこまで一気にまくしたてるように話してから。最後にサラは呟いた。
「だから、確信が持てないんですよ……あの男が、ルナスだとは」
沈黙が、辺りを支配した。いつの間にかとっぷりと日は暮れ、誰の表情も闇の中でよく見えない。
コルンは、あの男の見事な剣さばきを思い出していた。サラがなんとか背負っていられるほどの刀身、それをあそこまで軽々と操っていた。あれは、付け焼刃で身に付くような代物ではない。恐ろしく腕のいい剣士であることは、誰の目にも明白だった。
……重苦しい空気を断ち切ったのは、やはりダリアナだった。
「わしは、昔ちと『アガス』におっての。その時にルナスのことを少し見知っておるのじゃ。確かに、あの黒装束の男をルナスと見るには無理があるような気はする。じゃが、ルナスじゃと言われたら、そのような気もする。……分からないことを、いつまでも考えておっても、結論は出ないものじゃよ」
そう言って、サラの肩をそっと叩いた。
「サラ。例え分からないにしろ、ルナスが生きている可能性は高くなったのじゃ。元気を出せ。ひょっとしたら、お主の知らない何か特命でも受けておるのかも知れぬ。な?」
優しい言葉に、サラは小さく頷いたようだった。
「ま、とにかくそういうことだ。魔族はその『アガスの剣』を狙っている。魔王さえも打ち倒す威力を誇る、その剣をな。……そして、その剣を使える人物がいることも、向こうには分かったはずだ。……恐らく、ガシューは生きているからな」
そう言って、コルンはきっと前を見据えた。見つめる先は、日が沈んだ方角だった。
「分からないことはまだある。……『ドナウブ』だ」
コルンの言葉に、三人が静かに振り向いた。次の言葉を黙って待っている。
「ここまで近づいてきて、なんとなく感じていたんだが。……確かに、西の砂漠から、不穏な気配を感じる。サラが最初に言っていたこと、かなり半信半疑だったんだがな」
「結構酷いですよ、その一言……」
ウェブの突っ込みを無視して、コルンが続ける。
「だが、砂漠の国は『伝説』だ。例え文献が残っていたとしても、ソナウ教なんて宗教が存在しても、『ドナウブ』が実在するという、明確な証拠は存在しない。俺は信じているが、信じていない奴だっている。魔族がこの国に攻め込んだことは確かにそうらしいが、それだって俺たちからすれば、遠い神話のお話と一緒だ。だろ?」
コルンの言葉に、ダリアナは静かに頷いた。
「そうじゃな。確かに、西の砂漠の方角から、ただならぬ気配をずっとわしも感じておるよ。それが『ドナウブ』からのものかは定かではない。じゃが、『テスカ』には砂があった」
コルンは低く呻いた。
「そう、『砂』が、テスカの王城跡にあったことが気に入らない。『ドナウブ』を疑えと言わんばかりだ。どこの滅びの地を見ても、これまで砂一粒落ちていなかったのに、どうしてあそこだけ、『砂』がいきなり出現したんだ?」
「罠だって言いたいんですか?」
ウェブの言葉に、しかしコルンはかぶりを振った。
「そうとも言い切れない。とにかく情報が少なすぎる。だが、『ドナウブ』を見た者すら誰一人いないのに、あの国のせいにして暴走してしまうことが、実は一番恐ろしい気がする。まあ、そこら辺の心理的なものを狙ったんじゃないかと俺は思うんだがな」
至極まっとうな意見である。コルンの言葉に、ダリアナも素直に同意した。
「確かに。お主の意見は間違ってはおらんじゃろう。わしもそう思うておるしの。じゃが、それにしてもあの量の砂を運ぶには、ちと動機が弱すぎる。いずれにしろ、『ドナウブ』については真実は見極めねばならん」
そう言って、ダリアナは苦笑した。
「まずは、進むしかあるまい。信じがたいことじゃが、最強三国の二つまでもが滅びておるのじゃ。他の国もほぼ絶望と見て間違いあるまいて」
ダリアナの恐ろしい一言に、ぎょっとした瞳でサラがダリアナを見た。
「そう驚くことでもあるまい? たとえ平和に浸りきっていたとはいえ、『ドミカ』と『テスカ』じゃぞ? 最強と呼ばれるのは伊達ではないのじゃからな」
「それは分かっていますが……」
サラが蒼白な表情で呟く。
「結界国家『イリナ』がかろうじて残っていたとはいえ、『ゲート』は俺たちが破壊してるだろ? いくら簡易結界があるにしろ、回復にどれほど時間がかかるかは謎だが、遅れればあの国だって危険だ。もう俺たちに残された道は少ない。考えてる時間すら、きっともう無いんだよ。……行くしかないんだ、『アガス』にな」
最早自分たちに残されている道が少ないことは、誰もが理解していた。もちろんこのまま逃げてしまうこともできる。だが、滅びをおとなしく受け入れるほど、コルンたちは諦めが良くない。
「ええ、ですね。私、もう大丈夫です。そうよ、ソナウ様とダリュス魔王様の姿を見るためならば、命さえ惜しくないと常々思っていたんです。それに、ルナスも生きているかもしれない。例えあの男がルナスでなかったとしても、あの剣を抜けたということは……」
そこで、サラの目がきらきらっと輝いた。思わずコルンが後ずさりする。
「勇者様の子孫がいるかもしれないってことですものね! めちゃくちゃ楽しみです!」
「いや、それはそれで違うのでは……」
ぼそりと呟いたウェブをとりあえず無視して、コルンは頷いた。
「その意気だ。本当に教えが正しければ、会えるさ。ソナウは復活するよ」
いささか腰が引けた状態で、引きつり笑いをしながら。それでもなんとか元気を取り戻してくれたサラに、コルンは心底ほっとしていた。
そのまま、もう少し今後の対策を練ったり、話が微妙に紛糾したりしながらも。
何事が起こるでもなく、その夜は静かに更けていったのである。
そして翌朝。再び馬車は、街道を進み始めていた。最早足取りに迷いはない。
『ドミカ』王城のあったと思われる森を抜け、街道を半日ほど飛ばしていく。
そして、やはり何の事件も、魔族の襲撃も起きないまま。首都国家の中でも最も強大で、そして古代王国『アスティナ』の、最中心であった『アガス』へと、足を踏み入れたのである。
今までのお話のまとめと疑問点の洗い出し回でした。色々おかしなところがありますが、あまり気にしないでください若いって怖い(苦笑)。多少いじってはありますが、今回はほとんど誤字脱字だけの修正でした。
次回は、アガス編です。ダリアナ暴走回ですw