第四章 『水は枯れ果て風はすさび……』
続きの第4章です。比較的まともなパート。色々な謎が出てきます。
どうぞゆるりとお楽しみください。
第四章 『水は枯れ果て風はすさび……』
「あああ、ごめんなさいすいません、こんな過ち繰り返しません、だからあああ、ごめんなさい、許してください……」
うわ言のように呟きながら、サラはただひたすら頭を抱えて下を向いていた。
ここは国王との謁見の間に続く、小さな控えの間。コルン達以下四人はほぼ半日、この部屋に閉じ込められている。
「終わりだー、終わりですー、絶対打ち首ですー、あううううう」
「そうだよなー、こんなとこでまさかの死刑でおしまいっぽいよなー」
すでに諦めの境地なのか、コルンも諦め気味に床に足を放り出してゴロゴロしている始末である。
もはや跡形もなくなったゲートから、連れ出されて、というよりもほぼ救出されたような形でコルンたちはこの王城に居る。当たり前というか、あれほどの大騒ぎであったにも関わらず、全員ほぼ無傷であったのは、ひとえに『ジン』の魔力の強さゆえだろう。
ゴムボールみたいに馬車のほろの中で飛び跳ねるハメにはなったが、がれきに潰されることもなく、しかもご丁寧にゲートの塔が完全に破壊されてから、魔法の効力が切れて、そして無茶をしまくった馬車が崩壊した。
がれきのうえに、そのまま全員でべしょりと投げ出されて、半分気絶している状態でこの王城に来ている。
「二人ともうるさいぞ。まあ良いではないか。皆こうして無事であった。これ以上のことはあるまい」
ダリアナの言葉に、しかし二人は全くの無反応で呟き続けている。
と、今まで黙りこくって座っていたウェブが、ぼそりと言葉を発した。
「途中で随分人をはねましたけど。あと『ゲート』破壊してますし、馬車も破壊してますし、馬も使い物にならなくなりましたね。ああ、そうそう。『ゲート』周辺にいた人も怪我しました。でも、私達だけ無事です、はい」
ダリアナの言葉に、至極冷静にウェブが突っ込む。少々沈黙が辺りを包んだ。
「ああ。言い忘れていましたが、この『イリナ』はアスティナ大陸きっての軍事国家です。当然刑罰も他国より厳しいですし、まして国家防御の要である『ゲート』を完全粉砕していますので、それなりの覚悟をした方がよろしいと思いますよ」
そこまで言って、ウェブはふう、と大きく一つ息をついた。
「さらに言い忘れました。『ゲート』を一箇所破壊すれば、残りの『ゲート』も全て機能を失います。リンクしてますからね、あの結界は。損害は甚大という言葉では言い尽くせないと思われます。修復にどれほど時間がかかるのでしょうねえ……」
のほほんとした口調で、まるで他人事のように呟いてから。ウェブはいきなり真顔でダリアナに問いかけた。
「遺書にはなんと書きましょうか? ダリアナ様」
「……すまんかった……わしが悪かった」
さすがのダリアナも、がっくりと肩を落としてウェブにすがりつく。
「漫才はもういいから。取りあえず事情説明の余地も無しなんてこたないだろ?」
「漫才なんですか?」
コルンの言葉に、サラが小さく問い掛けるが、誰も答えない。サラはそれ以上尋ねるのが恐ろしくなって、そこで口をつぐんだ。
「まあ牢屋に入れられていないだけでもよしと考えるんだな。まだ助かる余地は十分にあるってことさ」
コルンは小さく肩をすくめて、いつまで経っても開かない王の間へ通じる扉に、そっと目をやった。
そう、少なくともすぐに殺されることはない。ここは確かに刑罰の厳しい国だが、決して無意味に人を殺めることはしない。しないが……。
「それでも、どう考えても死刑だよな、この仕打ちは……」
小さく呟いて、呻く。さて、どんな言い訳をしたものか、とコルンが再び腕を組んで、思考の海に身を投じようとした、その時だった。
バターーーーーーーーーンッ!
耳をつんざく勢いで、王の間へと続く扉がいきなり開いた。コルンは椅子ごと背中からひっくり返り、サラは手に持っていたグラスを放り投げて、頭から水をかぶっていたりする。ウェブは唖然として音の方向を向いており、そして言うまでもなく、平然としているのはダリアナである。
数日前に同じことをしていたな、とぼんやりコルンが思っていると、いきなり一人の青年がずかずかと部屋に入ってくるなり、大声で叫んだ。
「お前たちか! 『ゲート』を破壊してこの国へ入国した者達は!」
見た目の歳はコルンとそう違わない青年である。コルンは迷わず言い訳の言葉を口にしようと口を開きかけたのだが。
「おお、そうじゃ。わしらが『ゲート』を破壊した」
ダリアナがあっさり肯定する。いきなり退路を絶たれた形になって、コルンは心底から頭を抱えた。
「ストレートに言い切りましたね、ダリアナ様」
ウェブも諦めたように呟く。コルンは一つ、大きくため息をついて起き上がった。
「あーもー、はいはい、そうです。俺らがやりました。もーいいから、さっさと死刑にするなりなんなりしてください」
投げやりにコルンが呟いて、どっかりと椅子に腰を降ろしてふんぞり返った。もうここまで来たら怖いものなしである。だが……。
「よく、よくやってくれた! 礼を言うぞ、旅の者達よ!」
思いもよらぬ青年の言葉に、コルン達は、一瞬言葉を失う。そして、最初に出た言葉は実に間抜けな一言だった。
「は?」
我ながら馬鹿みたいだな、と冷静に思いながら、コルンが聞き返す。
「おお、申し遅れた。私は『イリナ』国王、パタ=イリナ十三世である。私からお前達に正式に礼を言う。お前達はこの国の英雄だ」
「国王陛下!?」
とりあえず意味の分からない礼を言われたことはさておいて、サラが思わず青年の口から出た思わぬ言葉をそのまま叫ぶ。
「そうそう、『イリナ』は二年程前に代替わりをしておったな。コルンと歳の変わらぬ年若い国王であったと記憶しておる。そうか、お主が国王か」
「ダリアナ!」
失礼な口をきくダリアナの口を慌てて押さえつけると、コルンは最敬礼をした。
「これは失礼を致しました、陛下! で、何故私達があなたのような方からお礼を言われるのか、よく分からないのですが……」
さすがに低姿勢になって、コルンがパタ国王に尋ねる。
「謙遜するのはよせ。『イリナ』は情けないことに、この一カ月、監禁状態になっていたのだ。たった一人の魔族に攻め入られ、全ての『ゲート』を乗っ取られてしまってな」
その言葉に、驚いたようにサラが叫ぶ。
「え!? 全ての『ゲート』をですか?」
「いや、正確には少し違うがな。実は『ゲート』には一つ弱点があってな。五つの『ゲート』を纏めている、中央制御塔を完全に制圧されてしまうと、全ての『ゲート』が機能しなくなるのだ。もちろんこれは一部にしか知られていないことだし、当然その対策もされていたのだが、あっさり防御の魔法を破られて乗っ取られてしまった。おかげで外からも中からも入れない状態になっていたのだよ」
あまりにも意外な言葉に。コルンは唖然としてその話を聞いていた。と、ふとダリアナが思いついたように尋ねる。
「はて? 街の外から近づけないならば、中から『ゲート』に近づいて、そやつを倒せばよかったのではないのか?」
その言葉に、パタは残念そうにかぶりを振った。
「『ゲート』には誰一人近づくことができなかったのだ。五ヶ所全てのゲートに、強烈な電撃の魔法を放たれてしまってな。近づいた者が何人か命まで落としている。色々と対策は立てたのだが、残念ながら手をこまねいて見ているより他なかったのだ。
……しかし! お前たちは果敢にも、乗っ取られた『ゲート』へ単身馬車で立ち向かい、そして見事我等を開放した!」
「いえ、知らなかったぐがっ……」
正直に話そうとしたサラの口を慌てて塞ぐと、コルンは深々と頭を下げた。
「いえ、めっそうもございません。私達は当たり前のことをしたまでです」
「わしの力が物を言うたな。わしの魔力でなければ『ゲート』を破壊することなど到底無理じゃった。よく感謝するとよい……」
最後の言葉が終わらないうちに、今度はダリアナの頭をはたき飛ばして、コルンは息を荒くしながらにっこりと笑った。さながら鬼のような形相で。その表情に気圧されたかのように、パタがひきつり笑いをしながら、再び深々と頭を垂れた。
「ま、まあよい。とりあえずどんな事情であったにせよ、お前たちは乗っ取られた『ゲート』を破壊し、先ほどその魔族の死体も瓦礫の中より見つかったと報告があった。私は『イリナ』を代表してお前達に礼を言う。ありがとう。本当に助かった」
心よりの感謝の言葉を聴きながら。あまりにも出来すぎな幸運に、コルンは微妙に納得いかないものを感じていた。
偶然ダリアナが魔法で馬車を暴走させ、偶然乗っ取られた中央制御塔の『ゲート』を破壊し、偶然そこにいた魔族を倒しているのだ。出来すぎなどというものではない。
まあその疑問をここで口に出して、事をややこしくすることなど考えてもいなかったが。それを問い詰める相手は、国王ではなくダリアナである。
「ところでパタ国王」
「なんだ? 何でも申せ。褒美は好きなものをとらせるぞ」
その言葉に、コルンは苦笑してから、話を切り出した。
「いえ、少々お聞きしたいことが。実は最近、このアスティナ全土で異常事態が発生しています。街が、消えるのです。ご存じでしたか?」
歳若い国王は、大きくうなずく。
「知っておる。その報告を受けた翌日、見知らぬ男がこの『イリナ』に現れてな。あっと言う間に結界を乗っ取られてしまったのだ」
やっぱり、という言葉を飲み込んで、コルンは顔をしかめた。
「その男というのはひょっとして、小柄で黒いローブを着た、腰の低い男ではなかったですか?」
コルンの質問を受け継ぐようなウェブの言葉に、彼は首を振った。
「いや、私は姿までは見ていないのでな。だが、姿を見た者は、あれは魔族としか考えられない、と皆口を揃えて私に報告をしてきた。人間や亜種族が持ち得ない殺気と威圧感を持っていたのだ、と言ってな。……ここまで圧倒的な力を見せ付けられてはいたが、今一つ半信半疑だったのだが……やはり、いるのだな? 魔族がこの世界に」
コルンは、小さく頷いた。
現実に考えれば、これは恐ろしいことだった。今この世界で最も脅威なのは、このイリナが誇る『ゲート』の魔力だ。あらゆる物の侵入を阻み、それでも無理に通ろうとする者には容赦なく裁きの鉄槌が下る、無敵の結界魔法。
この結界があったからこそ、この国はアスティナ最強の軍事国家となり、同時に国家防御の要となった。戦い方のノウハウも、どの国よりも数段レベルが高い。
その国家が、いともあっさりと『ゲート』を突破され、そして無力化された。しかも、たった一人の魔族に為す術もなく、である。不意をつかれたにしろ、その衝撃は大きい。この国でこの様では、他の国家などとても……。
そこまで考えてから、コルンははたと思考を止めた。
「……あれ、待てよ。この防御国家が機能していない、ということは、当然首都国家も大変なことになっているんじゃないのか?」
コルンの素朴な疑問に、パタ国王の顔からさっと血の気が引いた。
「そうだった! ここ何十年と平和な生活が続いていたので国民にはとても言えないのだが、『テスカ』も『ドミカ』も、軍隊こそいれど、飾り物でしかないのだ。この世界を支えている『アガス』が辛うじて機能しているくらいであろう。これはまずい! 一気に攻め滅ぼされてしまうぞっ!」
「ちょっとまてい!」
さすがにコルンが叫ぶ。国王の言った話が本当ならば、この大陸を唯一守っていた『イリナ』が一ヵ月も機能していなかった話になる。相手が余程のまぬけで無い限り、あっというまに攻め滅ぼされていてもおかしくない時間だ。
「ということは、まず一番危険なのは、『イリナ』のすぐ北に位置する『テスカ』じゃな。あの国は完全にこの国に依存して存在している国じゃからの」
「悠長なことが言っていられない状況になってますね、これは」
ウェブが小さくため息をついて、コルンを見た。ダリアナも、じっとコルンを見つめている。サラも、コルンに視線を注いでいた。そして、パタ国王でさえも。
「……俺に、行けって言いたいのか?」
コルンが、呟く。誰も頷きはしなかった。ただ、無言で少し目を背ける。
「相手の目的は不明。力は俺たちより確実に上。しかもこっちは単なる旅人だ。腕は確かにそんじょそこらの奴らよりは立つが、だからと言って、魔族に素手で対抗できるほどは強くない。むしろ、『イリナ』の軍隊出したほうが、よっぽどか役に立つだろうよ」
そう言って、コルンは顔をしかめた。
「だが、今軍隊を出すのは不可能だろう。でしょう? パタ国王」
話を振られて、彼は苦々しげに呻いた。
「君の言うとおりだ。一ヵ月の監禁で、この国は弱っている。体力だけではなく、気力までもな。『ゲート』攻略のため、ほぼ一ヶ月全軍が全ての『ゲート』に対して動き続けていたしな。今すぐ軍隊を出せと言われても、どんなに頑張ってもあと半月はかかる」
「半月でこのアスティナ全土が戦火に包まれると断言できるよ、俺は」
コルンは椅子にどっかりと身を預けると、不敵に笑った。
「コルン様、またそんな挑戦的な態度で……」
ウェブが軽くたしなめるが、コルンはくくっと含み笑いをした。
「気にするなよ、ウェブ。俺だってこんなこと言いたくないんだからな。でも、ダリアナが笑ってる。やれって言ってるんだよ、あいつが」
ウェブが振り返った。ダリアナは笑っていた。口の端をきゅっとあげて、実に妖艶な笑みを顔いっぱいに浮かべて。
コルンは、そのままダリアナを睨んだ。彼女は小さく肩をすくめてみせる。
「……ちょっと待て。つまり、お前達がこの件に関し、解決したいということか?」
その様子を見て、慌てて尋ねてきたパタ国王に、しかしコルンはかぶりを振った。
「いいえ。魔族相手にそんな大それたことなど出来ませんよ。ただ、俺達に出来ることをすると言っているんだ」
そう言って、コルンは再びダリアナを見た。彼女は小さくうなずく。
「今、望みをつなぐには、一刻も早くこの異常事態を最強三国に伝え、そこから作戦を立てること。国が協力し、情報を仕入れなければ、それこそ魔族の思うがままに事が進んでしまう。で、俺達に出来ることっていえば、もう一つしかない」
その言葉に、パタ国王も大きく頷く。
「伝令、だな」
コルンは、大きく頷いた。
「了解した。では、これを正式な依頼としよう。アスティナ時代に魔族すら跳ね返したこの『ゲート』を、果敢にも破壊し我等を救ったお主らだからこそ、私は依頼するのだ。報酬はすぐには用意できないが、作戦に見合った軍資金は出そう。お主の名前は?」
「コルン。コルン=ダナウェイです」
そう答えて、残りの三人も簡単に紹介すると、国王は満足そうに微笑んだ。
「ではコルン。これは王命だ。すぐに国書を持って『テスカ』へ向かい、国王にこの事態を報告しろ。そして同時に『アガス』『ドミカ』へも向かってくれ。事件は最早この世界の存続に関わるものとなっている。お主達には伝令役としてこの任務を与える。くれぐれも無理はするでないぞ。よいな?」
その言葉に、コルンは深々と頭を垂れて、最敬礼の状態で返事を返した。
「御意。国王陛下」
「さてと、まずは『テスカ』だな。危険ではあるが、この街道を進むのが一番早い。馬車も新しいものを調達してもらったし、これですぐに『テスカ』を目指す。何か問題はあるか?」
王城の外門の前で、かなり高そうな調度品をあしらった馬車を眺めながら、コルンが全員に意思確認をする。もちろん、誰も異議を唱える者などいない。
「なら決まりだな。馬車は俺が操る。ウェブ。ダリアナに魔封じの札貼っとけ」
「了解」
「待てい、主ら」
何のためらいもなくさっさとダリアナをはがい締めにしているサラと、そのダリアナに何やら書き込まれた包帯の様な布を腕にぐるぐる巻きにしているウェブに向かって、ダリアナが笑顔で突っ込む。
「待ても何もあるか。順調に進むはずの旅が、お前のせいで全部はちゃめちゃになっとるんじゃ。暫く魔法を使うことは俺が許さん」
コルンが冷静淡々とダリアナに指を突きつけて言い放つ。どうやら相当怒っているらしく、こめかみの辺りがひくひくと痙攣している。
「まあ無理もないです。正直私も命が惜しいです、ダリアナ様」
「お主も裏切りか、ウェブ……」
大仰にため息をついて、ダリアナはふうと息を吐いた。
「まあよかろう、ただし何があってもわしは知らぬぞ。いくらお前とウェブが魔法が使えるとは言うても、わしとは比べ物にならぬほどの腕じゃ。今回の相手が魔族と考えると、わしの魔法が無いのはかなりの戦力ダウンじゃと思うがのう」
至極もっともな意見に、コルンは一瞬ぐっと詰まった。
確かにダリアナは強い。その魔力の強さといい、尋常ならざる判断力といい、どれ一つとってもコルンとウェブはダリアナには適わない。魔法使いを生業とするダリアナに、所詮戦士である二人が勝てるはずがないのだ。
加えて、今回の相手は魔族である。対峙したのは一度だが、コルンがある程度自信を持っている魔法剣ですら、全く通用しなかったのだ。到底、普通の武器で太刀打ちできる相手ではない。
今この時点でダリアナの魔法が無くなることは、正直相当の痛手にはなる。
「確かに痛手だ、お前の魔法が無いのは。でもな、お前が魔法を使うと、俺たちの命まで危なくなるんだよ。敵を倒す云々の前に、味方同士で自滅しそうなんだよ……」
コルンのその言葉に、深々と頷く二人。これにはさしものダリアナもふくれっ面をして黙ってしまった。……一応自覚はあるらしい。
「とにかく北上するしかない。もうこれは、サラの恋人の一件云々の問題じゃ無くなっているからな。もちろんその依頼に対しては協力するが、解決できないことかもしれない。それだけは覚悟しておいてくれよ」
ダリアナを無視して、コルンがサラに告げる。サラは小さく頷いた。
「じゃあ、行くか。そして、祈ってくれ。『テスカ』に無事に辿り着けるようにな」
この先の道中が過酷なものになるのは分かりきっている。絶望にも似た気持ちで、コルンはそう呟かずにはいられなかった……。
予想に反し、旅は順調だった。監禁状態になっていた『イリナ』は、どういうわけだか全く無傷に近い状態だった。どうやら『ゲート』を乗っ取られたとはいえ、そのすさまじい魔力を操りきることができず、そのまま魔族の侵入さえも防いでいたらしい。不幸中の幸いとでもいおうか、二日程で『テスカ』との国境ゲートにまで一行はたどり着いていた。
「恐ろしいほどこの国は平和だったな。まあ、監禁されていたにはいたが、思ったほどには弱っていないみたいだ」
がたがたと馬車に揺られながら、コルンが御者台の横に座っているサラに声をかけた。
「ええ。ちょっと気味が悪いくらいですね」
そう言って、弱々しく彼女がほほえむ。この平和が不気味だとでもいうように。
サラの考えは、よく分かった。この道中、コルンはずっと考えていたのである。この国内での襲撃を当然予想していたのだが、その気配すら全くなかった、という矛盾を。
そして、もう一つ。どうにも気になっていることがあった。仮にも巨大な国家である。そこで、見るはずの「ある姿」を見ていないのだ。
(ダリュス教の動きが無い)
声に出さずに呟く。
確かに今現在、この世界の大半の人々は、ソナウを神と崇めて生きている。かと言って邪教であるダリュス教の人間が迫害されているわけでは決して無かった。まあ、さすがに一緒の集落に住んでいることはないが、それでも表立った対立や戦争などは、今まで本当に不思議なことに、起こっていなかったのである。
サラの話を鵜呑みにしたわけではない。魔王復活など、今でも馬鹿馬鹿しい、とコルンは思っている。
しかし、今回はあまりにも一方的にダリュス教が暴走している。まるで何かに操られたかのように、集団で動きだしているのだ。今回ここまでたどり着く間に、ダリュス教の信者を誰一人として見ていないことが、その考えの根拠にある。
コルンが知っている限り、イリナの中にもダリュス教信者の集落が二つほどある。偵察も兼ねてそちらへ馬車を回したのだが、やはり信者の姿は全くなかった。純粋に、ただ町から人がいないだけであり、街が建物ごと、跡形も無く消えていた訳でもないのに、である。
その意味するところを考えるが、どうしても一つの結論にたどり着いてしまうのだ。それは、魔族を陽動に使い、『魔王』を復活させる準備をしている、という……。
「あ……、国境です。『テスカ』への『ゲート』が見えてきましたよ」
ほとんど堂々巡りに一人考え込んでいたコルンに、サラが気づかうようにして声をかけてくる。コルンはその言葉ではっと我に帰ると、手綱をサラに渡して、ほろの中のダリアナに声をかけた。
「ダリアナ。来たぜ、国境だ」
その言葉に。ダリアナとウェブが立ち上がった。
ウェブの手には、以前戦闘で使った巨大な斧が収まっている。
ここまで襲撃が一切無かったということは、まず間違いなくこのイリナには、魔族が『入り込めていない』ということになる。
中央制御塔が麻痺しても、各『ゲート』単体でもある程度の時間は簡易結界を張り続けられる、とパタ国王が言っていた。恐らくそれが効いているのだろう。
ならば、狙われるのは、国境。抜けた瞬間に、馬車ごと魔法で吹っ飛ばされる可能性も高いのだ。
ここからは慎重に馬を進めていく必要がある。そして、いつでも戦える準備も。
「コルン様、こちらをどうぞ」
そう言って、ウェブは空いたもう片方の手で、オレンジ大の大きさの真っ赤な宝石を投げてよこした。
「ああ、『旅珠』か」
それを受け取りながら、コルンはふっと息を吐く。その瞬間、『旅珠』と呼んだその宝石が、淡い光を放った。光はそのまま大きく膨らみ形を成して、遂にはコルンの手のひらの中に、彼の身長ほどもある、巨大な剣を出現させていた。
「ほらよ、ダリアナ。お前のだ」
重そうなその剣を、コルンがダリアナに無造作に突きつける。ダリアナは、常に持ち歩いている銀の錫杖をコルンに手渡しながら、少し苦笑した。
「おお、『クレイモアー』ではないか。久々に握るのう、このような大剣など」
「魔法が使えない以上、それしか武器は無いんだからな。大事に使ってくれよ」
ほとんど吐き捨てるように呟いてから、コルンは嘆息した。
この『旅珠』とは、旅をするのに欠かせない、この世界ではポピュラーなアイテムだ。どんな物でもある程度の量までは封じ込めておくことができる。
あまり巨大な物は無理だが、三人程で旅をする際、必要な食料だとか、武器だとかはこの珠一つで十分事足りる。封じ込める時は、封じ込めたい物に珠を押しつけるだけだし、取り出したい時には、あらかじめ決められているキーワードを唱えるだけでいい。
その手軽さと便利さが旅人に大変受けて、今や持っていない方がどうかしている程に普及した『マジックアイテム』である。
ちなみに今までウェブがアックスを取り出していたのは、この珠からである。
そしてこれこそが、このアイテムが普及した最大の理由で、この世界の旅人に、武器の携帯という最もやっかいな問題を解決させた。
しかも緊急の戦闘時にも、簡単に呼び出して使えるという、最大の利点がある。
「そういえば、コルン君の剣って折れていませんでした?」
「ああ、折れたな。そういえば」
横から問い掛けてきたサラに、コルンは気のなさそうな答えを返してから、腰の鞘に手をやった。ほとんど自らの体の一部と化している程、馴染んだ感触が手のひらに伝わる。この『旅珠』が普及してからは、コルンのように武器をぶらさげて歩いているのは、かなり珍しくなってしまった。
今、この剣に刃は無い。その分微妙に重さがずれてしまい、少し歩きにくい思いをしていたりする。実際、気が無いように答えてはいたが、内心は相当の痛手とコルンは考えていた。だが、彼はこの剣を手放すつもりは無かったし、まして『旅珠』にしまっておくことも考えていなかった。
「気にするなって。腰の剣は、俺の体の一部みたいなものなんだ。代わりの剣なら、ほらこのとおりさ」
その言葉に、『旅珠』が再び光を放ち、細身のロングソードがコルンの手に収まっていた。腰のレイピアに比べれば、幾分かましな強度と威力は持っているが、それでも正直心許ない。
「はあ、すごいですねえ、皆さん。私にはろくに武器が使えなくて……。元々は魔法使いなので、こういうの本当に苦手なんです」
サラが感心と自嘲の入り交じった声で、ため息まじりに漏らす。
「まあ、出来る限りの対策ってやつさ。この先なにがあるか分からないしな。ほら、抜けるぞ、国境」
コルンはそう呟いてから、馬車から降りた。次いで、ウェブとダリアナがそれに続く。そのままコルンは馬車の左側、ウェブが右側、そしてダリアナが後ろ側についた。
目の前には、巨大な『ゲート』がそびえていた。つい数日前に、馬車で跡形もなく破壊した塔と、ほとんど変わらないデザインである。
現在、この塔の結界機能はろくに働いていない。が、それでも緊急用の簡易結界は張り巡らされているので、普通に抜けることは出来ない。
『ゲート』には、衛兵が一人立っていた。彼に通行証を見せて、通り抜ける。抜ける瞬間に攻撃が来るかとも思ったが、予想に反して、何事もなく無事に『テスカ』に入国した。
「なんだか思っていたよりはあっけなかったな」
必要以上にゆっくりと歩みを進める馬車と、静かに歩調を合わせながら、コルンが呟く。
「ええ、ちょっと意外です」
がちがちに辺りを警戒していたサラが、少し肩の力を抜いて、御者台の上から声を返す。
「お二人とも、油断は禁物ですよ。安心したところを狙ってくるのが、奴らです」
ウェブのたしなめる言葉に、コルンは分かっているさ、と呟くと、再び剣を構えなおした。
「あ、そうだ。一応俺とウェブとで、簡易結界を張っておこうか。いきなり襲われて、馬車を壊されちゃたまんないからな。アガスまでは持たせないと、こっちがやってられない」
そう言って、コルンが一瞬馬車に気を取られた。
「ほう、なるほど」
声は、唐突だった。いきなり背後から発せられた異質の声に、コルンは小さく息を呑む。気配すら感じなかったことに戦慄を覚えながら、それでも彼は一気に振り返った。
「なかなか感心な心がけですが、たどり着けませんよ、貴方たちは。何故なら、私がここにいるから」
「お前はっ!」
名前を叫びかけて、コルンはぐっと言葉を飲み込んだ。ウェブもダリアナも、表情を強張らせたまま、立ちすくんでいる。
「ガシュー・ダライア……」
サラが小さく呟いた。その言葉に、コルンがはっとして振り返る。サラは無意識だったのだろう。コルンの表情を見て、さっと顔が青ざめる。
「いえ、いえ! 違いますコルンさん!」
必死でサラが否定の言葉を叫ぶ。コルンはそれを静かに制止した。
「ダリアナ、ウェブ。俺、怖くて聞けなかったんだ。……聞いたのか? その名を」
返事を待つまでもなく、コルンには分かっていた。サラにも聞こえていたとなれば、最早疑いようもない。聞いているのだ。この目の前にいる魔族の名前を、ここにいる四人共が。それが少なからず、コルンにはショックだった。
「あううううう、こ、殺されてしまいます……」
言葉にならない言葉で、サラが小さく悲鳴を上げる。
「まあ、安心なさい。死とは大して苦しいものではないのですよ、人間」
「やかましいわ」
ダリアナがウェブとコルンを押し退けて、一歩前に出た。サラを後ろに下がらせて、自らの身を盾にするようにして立ちはだかる。
「……ふうむ。少し興味があります。さて、貴女の名前は?」
ダリアナは、その言葉に、にいっと笑みを返した。と、すかさずウェブがダリアナをかばうようにして、再び前に出る。
「お下がりください、ダリアナ様。名前を名乗る必要などありません」
びしっ
奇妙な音と共に、ダリアナの手刀が、ウェブの脳天を直撃した。全くの不意打ちになったのだろう。避ける間もなく、その場でウェブが昏倒する。ほぼ全員が同時に言葉を失った。ガシューすらも。
「ふむ。わしの腕も鈍ってはおらんのう。さて、ガシューとやら」
興味深そうな瞳で、ガシューがダリアナを見据えた。ダリアナも負けじと笑みを湛えたまま、視線をそちらへ返す。
「わしの名前はダリアナじゃ。そこで倒れておるのがウェブ。そして、コルンにサラじゃよ。これがわしらの名前じゃ」
「ンダッ………!」
声にならない声でコルンが叫ぶ。だが、ダリアナは気にした様子もなく、呟く。
「相手の名前を聞いたら、こちらも名乗り返す。これは礼儀であろう?」
「魔族相手に何言ってやがる!? 遂に脳が沸いたか! ぐああああああ、教えてどーするーっ! 終わりだ、俺たちは終わりだああああああ」
頭を抱えて絶叫するコルン。
「何を企んでいるのですか、ダリアナとやら」
油断なく構えながら、ガシューが問うた。だが、ダリアナは当然答えない。
「ちなみにコルン。この魔封じの御札はいつまで効力があるんじゃったかの?」
「しかも弱点までばらしてんじゃねーよ、この馬鹿」
思わず真剣に突っ込んでしまってから、はたとコルンは動きを止めた。
(なるほど! その手があるか!)
コルンが気づいたように思わず瞳を見開く。ダリアナは目配せだけで、そのコルンの考えを肯定した。極力コルンは相手に気づかれないように、そのままうずくまって頭を抱える。
「何を企んでいるのか知りませんが。どうやらその魔封じの札はまだ有効なようですね。……さて、魔法なくして、一体私とどうやって戦うのです? 剣の効かぬこの私に」
見下すようにガシューは笑うと、彼は一歩足を踏み出した。と……。
「ラ・ヒュイ・シュアヒ・ホウ……」
ダリアナの詠唱に。世界が力を発動した。明らかにガシューが狼狽する。
「なんだと?」
「シュア・ヒュイラ・ヒヨゥシュ・ラシュア」
ほとんど人間の発音では無理と思われる言葉が、朗々と読み上げられる。まるで異国の歌を歌うように、美しい音色を持って。
「馬鹿な! 何故魔法が発動するのだ! いや、それよりも。それよりも! 『人間』が何故その『呪文』を……!」
「この間もダリアナは唱えていただろ?」
突然耳元で聞こえたその声に。ガシューは振り向く間もなく、剣戟で吹っ飛ばされていた。剣を振り下ろしているのは、コルンだった。いつの間にか、ガシューの間合いに入っている。
「いつのまに……?」
ガシューの言葉が終わらないうちに、再びその体が宙に吹っ飛んだ。確かに昏倒していたはずのウェブが、巨大な戦斧を振り切ったところだった。
そして、その体が大地に激突する前に。ダリアナの呪文が完成した。
「ヒュイラ・ヒュイサエ!」
爆音が耳をつんざくより早く、閃光が爆発した。ガシューの体が、壊れた人形のように閃光に飲み込まれて、激しくのたうつ姿が一瞬見えて、消える。もうもうと立ち上がる煙と、砂埃がある程度収まって、辺りに確かにガシューの姿と気配が消え失せたのを確認してから、ダリアナはようやく一つ息を吐き出した。
「サラ、大丈夫か?」
ダリアナが振り向くと、サラはがたがたと震えながら、耳を塞いでうずくまっていた。どうやら無事らしい。
「コルン、ご苦労じゃった。ウェブももうよいぞ」
その言葉に、コルンがすすまみれになりながら、ダリアナの後ろから現れた。その光景に、思わずサラがきょとんとした顔をする。
「……え?」
「うまくはったりかましたな、おい」
けほけほと咳をしながら、コルンが笑う。
「ほらほら、サラさんが理解していませんよ?」
ウェブが苦笑しながら、戦いの場から戻ってきて二人をたしなめた。
「一体何が起こったんですか……? ど、どうして魔封じの札が……。ウェブ君も確かに気絶してたのに……それに、なんでコルン君がダリアナさんの後ろから出てくるんです?」
「さっきのは、俺が呪文を唱えたのさ」
素っ気無いコルンの言葉に。サラが驚いたようにえっ、と言ったきり絶句する。
「説明してやろうかの。わしの魔封じの札はこれこの通り、健在じゃ」
そういって、ダリアナが簡単な火の魔法を唱えるも、その手からはぷすん、という小さな音とともに、煙が出るだけである。
「今この時点でも、ほとんど魔法は使えぬ。じゃがそれをばらすことによって、相手に油断を与えた。ウェブをはたき倒したのも、相手を油断させるための手段の一つじゃよ。わしの行動にいち早く気付いて、ウェブが芝居を打ったのじゃ。コルンもわしの作戦に気付き、わしの声を使って魔法を唱えたんじゃよ」
「ダリアナさんの『声』で……?」
サラの疑問の言葉に、コルンがいたずらっぽい笑顔を浮かべて、答えた。
「そうじゃよ」
コルンの口真似に。サラが驚いて振り向いた。
「すごい。そっくり!」
その言葉に、何故かダリアナが得意そうに言葉を返した。
「そりゃ、わしの弟じゃからな」
「あれ? でも、じゃあさっき攻撃したコルン君は? 詠唱しながら戦うなんて、そんな器用なこと出来るんですか?」
サラの至極もっともな意見に。今度はウェブが笑って答えた。
「あれは私です。一応これでも簡単な魔法は使えるんですよ。なので、コルン様そっくりに私が化けたのです。コルン様の剣も持ってね」
そう言って、ウェブは何事か小さく呪文を唱えると、ぽん、という小さな音と共に、その姿がコルンそっくりに変化した。思わず感嘆の声をあげるサラ。
「これで、居るはずのない場所に、居るはずのない人物が登場して相手を驚かせたのじゃ。コルンがわしの声で魔法を唱え、その間わしははったりをかまして口を動かす。相手が狼狽したすきに、ウェブが間合いを詰めてコルンの姿で奴を斬り、続いて変化を解いてもう一撃。で、コルンの呪文でフィニッシュじゃ」
「それは要するに、お前がなんにもしてないってことだけどな」
コルンの突っ込みに、ダリアナが豪快に笑う。
「まあ、そういうことじゃ。じゃが一応これで、奴は大きな打撃を受けたはずじゃよ。惚れ惚れするほどに、見事に攻撃が決まったからのう」
その言葉に、コルンもはっきりとうなずく。
「ああ。手ごたえがあった。ウェブ、お前もそうだろう?」
その言葉に、ウェブは曖昧に微笑んだ。
「ええ、、まあ一応……。相手を吹っ飛ばすためだけの『チャージ』を使っただけなので、手ごたえも何もあったもんじゃないんですけどね」
その言葉にコルンも苦笑する。
「まあ仕方ないだろう。武器の攻撃は一切効かない以上、強烈な魔法をぶつけるためだけの、囮攻撃にしか使えないからな。上手くいって良かったよ」
そう言って、コルンは安堵のため息を落とした。
「なるほど、確かに面白い作戦でしたね」
その声に。再び四人は驚愕して振り返った。確かに吹っ飛ばされたはずのガシューが、そこに無傷で立っているのである。
「……ばかな……。ありえない」
コルンが、あえぐように呟く。
「ありえるわけがない。俺は確かに魔法を完成させた。完璧だったはずだ。この世界に、あれ以上の威力の魔法は存在しないとダリアナも言っていた。それがきちんと発動して、手ごたえもあったぞ! 制御も完璧だった。それなのに、何故だ! 何故無傷で……!」
「魔族の呪文が、そうそう魔族に効くわけがないでしょう?」
その一言に。コルンは驚いたように言葉を止めたあと、弾かれたようにダリアナを振り返った。彼女は、なんともいえない瞳でガシューを見つめている。
「魔族の……呪文?」
初耳だった。
確かに、ダリアナは人間に発音不可能な魔法を唱える。普通の魔法使いが、この国の言葉で理を成し、魔法を唱えるのに、彼女だけは時々こうして異質な魔法を唱えた。コルンは、ダリアナのオリジナルの魔法だと思っていたのだが……。
「どういう、ことなんだ?」
コルンの疑惑のまなざしに、ダリアナは薄く笑った。そして、静かに告げる。
「まあいかにも。これは魔族の呪文じゃな。じゃが、大変魔族に有効だと、わしの先生から教え聞いていたんじゃがのう」
「まあ確かに有効ですがね。しかも完成度が高い。とても人間が唱えたとは思えない、すばらしいものでしたよ。おかげで私も少しばかり効きましてね。人間の唱える魔法よりも、ずっとこの魔法のほうが痛いのですよ」
ガシューは顔を歪めた。怒っているのは明らかである。
「コルン。策はあるか?」
ダリアナが、汗を一筋流しながら、それでも不敵な笑顔で尋ねてくる。
「あるわけないだろ。あれが最後だ。もう俺にはあれ以上の魔法は使えない。ていうか、あれがお前に教わった、知ってる限り最も強力な呪文だ。お前がそう言ったんだから」
「そりゃそうじゃ。わしも、あれ以上の呪文はちと命が惜しい」
そして、ダリアナは振り返らずにウェブに問うた。
「ウェブ、おぬしはどうじゃ?」
ウェブは軽くかぶりを振った。
「無理です。私の知っている魔法は、全てああした変化を目的にしたものですから。手の内がばれている以上、こちらの策は効きません」
(万策尽きたか……)
コルンは呻いた。にたにたと残忍な笑顔でこちらを見ているガシューに、何もすることができない。思わず無意識に、コルンは腰の剣に手が伸びた。
(いや、刃がない!)
束に手をかけてから、しまったと思った時には、もう遅かった。その動きで、ガシューが一気に間合いを詰めてくる。
「ええい! ままよ!」
ダリアナが叫んで、手に携えた巨大な剣を両手で持って振り下ろす。が、それはあっさりはじき飛ばされると、真っ二つに折れてダリアナの手から離れてしまう。
それでも間一髪、ダリアナは突進してきたガシューを避けるのに成功していた。すぐに体勢を立て直して、構える。
「素手で何ができるというのです、人間」
もはや武器はウェブの戦斧だけだった。コルンの剣は、先ほどの戦いでウェブの旅珠にしまわれてしまっている。武器を手放したのは失敗だった、と悔やんでみても、仕方が無い。
(何か、何かあるはずなんだ。策を考えろ! こんなとこで終わってたまるか!)
コルンは必死に頭を巡らせた。明らかに獲物をいたぶるように、何度も襲ってくるガシューを紙一重でかわしながら、コルンはいくつもシミュレーションを重ねてみる。明らかに向こうは余裕をもって遊んでいるのだ。油断している今しかチャンスは無い!
「……さて、私にも仕事があるのでね。そろそろ死んでもらうことにしましょうか」
その言葉に。絶望の面持ちで、コルンはダリアナを見た。彼女の瞳は、まだ絶望に染まってはいなかったが、明らかにコルンに何かを訴えている。そして、ウェブの瞳にも。
「もう、これまでか……」
コルンは呻いて、そしてサラを見た。ここで『この手』を使うことに、一瞬ためらいが生じる。
そして、彼女の背中にふと目が行った。頭の中に、一瞬にして別の作戦が駆け巡る。
(馬鹿か俺は! 武器があるじゃねえか!)
叫びそうになる衝動を抑え、ガシューの動きを注視しながらサラに近寄ろうとした、まさにその瞬間だった。
ザシュッ!
彼女の背中に括り付けられた巨大なバスタードソードが、音も無く抜き放たれ、あっと思う間も無く、ガシューに突き刺さったのである。
「何!?」
コルンとガシューと、叫んだのは同時だった。当のサラでさえ、一体目の前で何が起こっているのか理解できない、と言った表情で、自らの婚約者の剣を見つめている。
誰も、動けなかった。ただ一人を除いて。
ズバァッ……
再び、その漆黒の刃がきらめいた。その大きさからはとても想像のできない、とてつもなく滑らかで軽快な動き。そのまま、深々と刺さった剣が、返す刀でガシューの体を一気に切り裂いていく。効かぬはずの刃が、ガシューの体をあまりにもあっけなく。
そして、その人物は再びサラの背後に回り込むと、無言でその剣を再び彼女の背中の鞘の中へと、静かに収めた。
それを合図にしたように、ガシューは一声ぐうっと呻くと、そのまままるで闇にでも溶け込むかのように、突如現れた渦の中へと姿を消した。
あまりにも。あまりにもあっけない、その結末に。誰も声さえでなかった。ウェブや、あのダリアナでさえも。
「……お前、誰だ……?」
コルンが、ようやく口に出来たのは、そんな言葉だった。
そこに立っていたのは、コルン達四人の誰でもなかった。ただ、漆黒の鎧を纏い、顔を同じく黒い布で覆い隠した、背の高い男だった。少なくとも、コルンに見覚えは無い。ただ、恐ろしく腕の立つことは確かだ。あの巨大な剣を、あれだけ軽々と扱うのだ。並大抵の腕ではない。
男は何を言うでもなく、ただじっとこちらを見ていた。そして、一言も発せず、その場を立ち去ろうと歩き出す。
相手のその様子に、ようやくダリアナが正気を取り戻したように、一言叫んだ。
「お主は何者じゃと聞いておる!」
その声に。男は布から唯一外気にさらされている、ぎらりと赤く光る瞳を一行に向け、そしてサラを見据えた。思わずコルンの後ろへと、身を隠すサラ。
コルンは緊張した。たとえガシューを一撃で退けたにしても、こいつが味方とは限らないのだ。武器が無いまま、コルンはそれでもサラをかばうように素手で構えた。
「行け。テスカとドミカは落ちた。最早アガスしかない」
唐突なその言葉に、コルンは拍子抜けしつつも、困惑した。
(なに? こいつ今……なんて言った?)
だが、その疑問を口にする前に、サラが悲鳴にも似た声で叫んでいた。
「あなたは!」
驚いてコルンが振り向くと、サラが驚愕したように、大きく瞳を見開いていた。ガクガクと震え、信じられないものでも見た、というようにぱくぱくと口をあけて喘いでいる。
「……? おいサラ。どうしたんだ!? おい! あんた一体何を……」
激昂したように質問を投げかけるコルンに、しかし男はそれを遮るようにして、もう一度だけ言葉を発する。
「行け! アガスだけだ。もう時間はない。行け!」
そして。誰かがもう一度何か言葉を発する前に。その漆黒の男は、魔法でも使ったかのように、姿が掻き消えてしまったのである。まるで、砂嵐に煙る蜃気楼のごとく……。
比較的シリアス回でした。謎の男も登場して、ますます混迷を極めておりますが、今後もこの調子で大体暴走していきます。
ではまた次回。
ちなみに気になる人もいるでしょうけど、馬はちゃんと生きてて無事ですw