第二章 『火種は草へと燃え移り……』
続きです。自分でも驚くのですが、予想以上に長いので、しばらくお付き合いください。
シリアスになりきれないシリアスパート。
さすがに一部、書き直しをしております。のんびり更新していきます。
第二章 『火種は草へと燃え移り……』
「…………どうして俺という奴は、こうも不幸にできているんだろう……」
蒼い顔をしながら、コルンはようやっとそれだけの言葉を絞り出した。
ここは先程の酒場の中である。コルンの意識が一瞬飛んだ後、再び彼が気がついた時には、先程の騒ぎからたいして時間は経っていなかった。
が、どういう訳か酒場の客はきれいにいなくなっており、残っていたのはコルン達三人だけ。そして、そのコルンの目線の先には、ダリアナと先程の少女が、カウンターで楽しげに談笑していたのである。
「今回はあなたも悪いですよ、コルン様」
意識の飛んだコルンを、テーブル席まで移動させ介抱していたウェブが、相変わらず樽酒を飲みながら声をかけてくる。
が、その声にいちいち反応するのも面倒なのか、コルンはちろりと目線だけでウェブを睨み付けた。それを反論の意思と受け取ったのだろう、ウェブは続けて話をする。
「だってそうじゃないですか。あれしきの事で我を失うなんて、らしくないですよ。あんな事でいちいち呆然としてたら、私達の命なんていくつあったって足りません。大体あなたがぼおっとしたりするから、誰もダリアナ様の暴走を止められなくなって、こういう事態になるんですよ」
淡々とめちゃくちゃを諭してくるウェブに対し、コルンは半眼で呟いた。
「それは何をどうしたって、俺が悪いことにはならんと思うんだが……」
そして、思い出したように付け足す。
「それに、俺がしっかりしてようがなんだろうが、ダリアナは俺たちをなぎ倒して自分の思いどおりにするよ。一体今まで何度、あいつに殺されかけたと思ってる?」
「……………………」
返す言葉が見つからなかったのか、ウェブが黙り込む。その様子を見て、コルンは諦めたようにため息をついた。
「で、結局俺たちは、あの妙な『依頼』を引き受ける事になったんだな、一応」
「そうなりました。私が止める理由もありませんし、ダリアナ様に口出ししていいような立場でもありませんから」
さらに淡々と語るウェブを見て、コルンがうなだれる。
「なあ、ウェブ。俺だって人間だ。どれっっっだけあの馬鹿の後始末をしていても、どうしても対処できんことはある。例えば今回みたいに、あまりにも馬鹿げた話をあんなシチュエーションでされた日にゃあ、さしもの俺でも意識が飛ぶ」
「でも、私は平気でしたが。言うまでもないですが、ダリアナ様も」
ウェブの突っ込みを、コルンはあっさり無視した。そして、続ける。
「でな、そういう時にだ。正気のお前がダリアナ止めなくてどーするよ。お前仮にも俺たちのお目付役だろ? ダリアナの暴走止めるのは、俺は罪でもなんでもない、ごく一般的な平凡な仕事だと思うんだが、違うか?」
だが、コルンの問い掛けにも、ウェブは表情をほとんど変えずにこう返す。
「でも、私も一応、命は惜しいですから」
……沈黙。
「どおおおおおおして、ダリアナの暴走止めるのが命がけになるんだ、こんちくしょおおおおっっっ! 俺の人生大馬鹿野郎だああああああっっっ!」
いきなりせきを切ったように意味不明の事を叫びだすコルンに、ウェブは冷静な顔を保ったまま、彼の後ろ頭をスパーン、といつの間にか脱いだブーツではたき飛ばした。
そして。はたき飛ばされた格好のまま、唐突にコルンが動きを止める。そのまま彼は、恐る恐るウェブの顔を見た。
「おい、ウェブ。……ひょっとして、怒ってる?」
「いーえー、ちーっとも。体力無駄ですからー」
いきなりにこおっと笑ってみせるウェブ。コルンは一つの確信をもったらしく、あいまいに返事をしてから、そろそろとウェブの側を離れ、ダリアナの方へ歩いていった。
「で、話はまとまったのかよ、ダリアナ」
まだにこにこ笑っているウェブの視線に怯えながら、コルンがダリアナに問い掛ける。
「おお、コルン。気がついたか。ちょうど良いので紹介しておくぞ。こちらがわしらの依頼主、サリティア=ドゥーバス殿じゃ」
ダリアナが紹介すると、先程の少女がしおらしく頭を下げる。
「あの、私サリティアと言います。サラと呼んでください。今回は依頼を引き受けてくださるそうで、本当にありがとうございます。今まで本当に誰一人助けてもらえなくって、途方にくれていたんです」
そういって、サラはまた深々と頭を下げた。
よく見れば、かわいらしい少女である。歳はおそらくコルンと同じくらいであろう。オレンジの髪をポニーテールに纏めており、少女らしい大きな瞳は、髪と同じ色に輝いている。どちらかというとおとなしそうな印象を受けるが、そんな愛らしい顔だちとは裏腹に、彼女の着ている服は、間違いなく男物の戦士の服であった。
胸には革製のプレートを付けており、背中には身長ほどもある巨大な剣を背負っている。そして、腰のあたりにも一本、ショートソードが納まっていた。旅人というよりは、流しの傭兵といったほうが近い格好かもしれない。
「……ふうん。で、その背中の剣、誰の?」
コルンが興味なさげにサラに尋ねる。彼女は困惑したようにコルンを見た。
「……え?」
「いや、だって。君の腕細いし。それ、『バスタードソード』だろ? かなり腕力ある奴でも、扱うのにはかなり技がいる。その細腕じゃ、その剣は絶対に扱えない。筋肉もついてないし。それにその皮製のプレートも、君のじゃないな。ほら、大きさがあってないぜ。ぶかぶかだから、そんなにきつく締めてるんだろ? 肩のあたりとか、しわよっちゃってる」
コルンがめんどくさげに指摘してみせる。だがサラは、感嘆したように声を上げた。
「確かにこの剣と鎧は私の物じゃないですけど……すごい! よく分かりましたね」
「……たいしたこっちゃないだろ?」
想像以上のリアクションに、コルンは照れ隠しでもするように、小さく呟いた。
「まあいいや。一応自己紹介しとくよ。俺の名前はコルン=ダナウェイ。コルンって呼んでくれ。旅をしながら、その先々で仕事を引き受けて路銀を稼いで生活してる、ようは冒険者さ。おい、ダリアナ。お前ちゃんと自己紹介したんだろうな」
ふと思い出したようにコルンが問いかける。が、彼女からの返事は無い。黙って首を横に振るばかりである。コルンは深々とため息をついた。
「あのなあ……。じゃあ君、こいつの名前わかんないまま話してたの?」
サラは、ばつが悪そうにこっくりと頷く。
「仕方ねえな。こいつはダリアナ。ダリアナ=ドゥナルっていうんだ。一応俺の血縁だよ。認めたかないがな。妙な口調でしゃべるが気にしないでやってくれ。癖なんだ」
そして、後ろのテーブル席でまだにこにこしているウェブを呼ぶと、そのまま彼の紹介もしてやる。
「で、こいつはウェイスター=ディオナ。見た目はなんだが、これでも俺と同い年の十六でな。ドワーフクオーターだから、力も強いし頼りになる相棒だよ。一応、俺たちの実家にずっと仕えてくれている奴の息子でね。お目付け役ってとこだな」
その言葉を受けて、ウェブが恭しく礼をする。
「はじめまして。私、このお二方のお供をさせて頂いております。ウェブと呼んでくださいね。よろしくお願いします、サラさん」
そう言ってぺこりと頭を下げると、慌てたようにかしこまって、サラも頭を下げる。
コルンはウェブにサラを紹介してやると、そのままカウンター席に腰をおろした。
「で、ダリアナ様。依頼の内容はもう詳しく聞いたのですか?」
ウェブの問い掛けに、ダリアナは再び笑って、ゆっくりと首を横に振った。
「お前今までなんの話をしとったんじゃ……。延々長々無駄話かよ……」
コルンがどすの効いた声でダリアナに抗議する。が、本人はそしらぬ顔でただ笑っているだけである。彼は再び大きなため息をつくと、サラに話を促した。
「で、一体どういう依頼内容なんだい?」
だが、何故かその問いに、サラが酷く困惑したような表情を見せた。そして、答える。
「いえ、ですから。魔王が復活するんで、助けて頂きたいんですけど」
………長い沈黙が辺りを支配する。その沈黙を破ったのは、やはりコルンだった。大仰に笑いながら、額に冷や汗をたらしつつサラに再度話しかける。
「い、いやあ、俺も最近すっかり耳が遠くなっちゃってなあっ! 悪いけど、もういっかい聞くな! 依頼内容は?」
「いえ、ですから。さっきから何度も言っているとおり、魔王が復活するので、助けて頂きたいんですよ」
真顔で何度も告げるサラに、再び沈黙があたりに落ちる。
「あの、コルン様。意識を無くさないでくださいね」
ウェブの突っ込みに、コルンはハッとしたように目を見開いた。どうやらまた意識が飛んでいたらしい、とウェブがため息をそっとつく。
コルンはバツが悪そうに頭をガリガリとかくと、そのままサラを諭すようにゆっくりと話しだした。
「えっとね。魔王の降臨した『降魔大戦』は、もう千年近くも昔のお話なんだよ。しかもその時の文献はちゃんと残ってて、魔王は『殺された』の。勇者ソナウに。首までアスティナの王城に持ち帰ってて、その首もちゃんと始末したって歴史上でも資料で確認されてるの。ほら、アガスに首を埋めたって祠があって厳重な警備が今でもひかれているだろう?」
まるで小さな子供に言い聞かせるように、かんで含めるように話をする。
「だから、魔王は復活しない。絶対。分かったかい?」
「……いえ、そんな誰でも知っていることを言われましても、実際本当に復活するんですって」
なおもサラは真顔で食い下がってくる。どうやら本気らしい、と踏むと、コルンはふっと肩の力を抜いて、ほとんど憐れむような瞳でサラを見た。
「……分かった。じゃ、誰がそんな世迷いごとを言ってるのか、話してくれよ」
コルンの諦めたような態度に、サラはなおも真顔のまま、事情を話しだした。
「まず、私の事を詳しく話さないといけないのですが、私はソナウ教の民間司祭をしております。皆さん、ソナウ教は当然ご存じですよね?」
コルンは頷く。知っているも知っていないもない。ソナウ教とは名の通り、勇者ソナウを神として崇める民間宗教である。
このアスティナ大陸の住民の、実に八割前後がソナウ教の信仰者なのだ。いかに勇者の影響力が凄まじいかは、この数字でお分かり頂けるだろう。
「そして、ソナウ教の教えは、基本的には『危なくなったらソナウ様の復活を願おう』というものです」
続けたサラの言葉に、コルンは首を傾げた。
「いやえっと……そーだったかなあ……。なんかちょっと、だいぶ違う気がするんだが」
冷や汗を流しながら抗議の声を上げるコルン。が、サラはあっさり無視すると、そのまま話を続けた。
「私達は、この世界が危機に陥るたびに、必死にソナウ様の復活を願いました。ですが、ソナウ様は今までに一度も、私達の前に姿を現してはくださいません。そこで、私達は考えたのです。ソナウ様に再び降臨して頂くには、どうしたらよいのかを」
「もうその時点で、完全に本末転倒じゃねえか」
コルンが更に突っ込むが、サラは再びあっさり無視をして話を進めてくる。
「ソナウ様に復活して頂く最も確実な方法は、魔王が降臨することです。そこで私達は必死に文献を探しました。そして! 先日とうとう、ある書物から魔王が降臨するという文章を発見したんですっ!」
力説する彼女に、コルンはとりあえず突っ込みは無駄だと、仕方なく相槌をうってやることにした。
「なるほど。で、ある書物って、なんだ?」
「これです」
そう言って、サラは懐から一冊の黒塗りの革の表紙の付いた、重厚そうな本を取り出した。案外と見た目よりは新しいのだろう。比較的痛みの少ないその本を受け取ると、コルンはぱらぱらと本をめくってみた。
「……おい、これって……」
顔をひきつらせるコルンに、ダリアナやウェブが不審そうに本を覗き込んでくる。
「なんじゃ。悪魔崇拝の代表格、ダリュス教の教典ではないか」
ダリュス教。こちらもその名の通り、数百年も昔にアスティナに降臨した、かの魔王を崇拝する宗教である。いわゆる邪教だが、かなりの信者がいることは間違いない。ソナウ教を信仰しない残りの一割程が、ここに属している程の数を抱えている。
とんでもないダリアナの言葉に、しかしサラは得意気に胸をはって元気よく答えた。
「はいっ!」
「はいっ、じゃなああああああいいいいっっっっ!」
教典を引き裂かんばかりの勢いで、思わずコルンが絶叫する。
「あほかあああああっ! 勇者を神とする教義を持つ奴が、魔王崇拝してる奴らの教本真に受けてどおするううううっ!?」
だが、サラは何故コルンが怒るのか分からない、といったように反論してくる。
「何をおっしゃるんですかっ! ソナウ様に会うためには、魔王に復活して頂くより他ありません。当然ダリュス教の方も、ダリュス様に会いたいと思っています。お互いの利害関係が完全に一致しているじゃないですか! こんなすばらしい文献はないですよっ」
「文献解釈を利害関係で捕らえるんじゃないっ! 大体ソナウ教信仰のお前がどうやってこの本手に入れた!」
コルンが再び怒鳴る。
普通だったら完全に相対する教えである。当然、両方の信者の仲が悪いことなど言うまでもない。言うまでもないのだが……。
「決まってるじゃないですか! 私はソナウ様の教えを信じていますが、同時にダリュス魔王様のファンクラブ会員でもあるんです!」
大声でとんでもないことを叫ぶ彼女に、コルンは激しい頭痛を覚えていた。
「なんだ、それは一体……」
あまりの正々堂々っぷりに、コルンはただそう聞くより他なかった。それを受けて、サラが瞳をきらきらさせながら、一気にまくしたてる。
「だって、魔王様って黒ずくめの服に身を包んだとてもかっこいい人だったって言われているじゃないですか。ソナウ様でも伝承だと、とても背が高く、爽やかな方だったとか! それはそれで王道でかっこいいですが、やはり少し、人の道に外れた方のほうが魅力的ですよね!」
最早返す言葉もなく、コルンは頭を抱えた。確かにそういうファンクラブがあると聞いたことはあるにはあるが、まさかソナウ教の司祭までとは。この調子だと、当然ソナウファンクラブもあるのだろう。世の中平和すぎるのも考えものである。
「もういい。分かったから取りあえず話を先に進めてくれ」
コルンのぐったりした様子に本気で首を傾げながらも、サラは続けた。
「はあ、まあとりあえず見てください。ここの文章です。『魔王再び降臨せし時、世が最も安定している時である』って書いてあるでしょう? で、こっちのソナウ教の教典を見てください。『世が太平の時、再び魔王の恐怖が訪れる』ってなっているんです。偶然にしては、できすぎじゃないですかっ!?」
「いや、それは普通そういうものじゃあ……」
そうもごもごと口の中で呟いて、黙る。確かに、サラの意見は一見まともな理論に思えるのだが……。
そりゃもう、隅から隅まで、何一つ合っていないどころか明らかに間違っているという言葉を、コルンは辛うじて飲み込んだ。
「そういう訳で、私達は真相を確かめたいのです。実際、最近ダリュス教が妙な動きを見せています。まるで何かの儀式でもするように、人を集め信者を増やしています。そして何よりも、邪悪な気配が西の砂漠から、かすかにですが漂ってきているんです」
「ほほう。つまりこう考えたわけじゃな」
今の今まで押し黙っていたダリアナが、サラの説明に口出しをする。
「勇者は、魔王を倒しはした、一応な。じゃが、倒しきれなんだ。首を持ち帰りはしたが、なんらかの形で魔王は復活の可能性を残していたのかもしれぬ。それで、その復活のカギになるであろう首を封じる為に、砂漠に国を建て、外界から切り離して封印しておったと。それが、今何百年もの時を経て、復活するのやも知れぬと、そう考えておるのじゃな」
ダリアナの推測に、サラは力強く頷いた。
「はい、その通りです! それで、私達ソナウ教司祭を中心に調査チームを組んで、真相を明かすことになったのですが、その矢先にこの近くの街が一つ、消し飛んでしまった。これは偶然ではないと思うんです。私はその消えた街に行ったんですが、本当に何も残っていないのです。人だけではありません。なにもかもです。建物も、植物も、川や森すらも」
「サラ、君はその街を実際にみたのか。……本当に、なにもかも?」
コルンの言葉に、サラは頷く。
「ええ、更地ですよ。完全な更地。しかも、そんな風に消えてしまった街が、まだいくつかあるらしいんです。絶対、何かあります。それにおかしいじゃないですか。どうしてこれだけの事件に、国家が出てこないんです? 不思議だと思いませんか?」
コルンは唸った。確かに、サラの言うことには一理ある。ダリュス復活云々といった馬鹿げた話はともかくとして、街が消し飛んでいるにも関わらず、情報はシャットアウト、国家は沈黙を保っているということが腑に落ちない。
しかも、他にもそういう街があるらしい、という情報は初耳だ。そこまでの情報規制をするからには、何かあると考えるのが当然というものだろう。だが、しかし……。
「それは、取りも直さず、こんな馬鹿な依頼を引き受けることになるってことなんだよなあ……。しかもこの女に、信じてもらえたという、だいぶ妙な誤解を確実に与えそうだし……」
コルンが悩んでいる横で、サラが尚も持論をぶっている。そして、一段落つくと、何やらウェブに声をかけていた。どうやらコルンがこのパーティーのリーダーだと理解したらしく、コルンの返事を待っているような事を話している。
「ところでサラさん。確か調査チームといいましたよね? 他の方はどうされたんですか? 見たところ、あなたはお一人みたいですけど」
ウェブのその言葉に、先程までの勢いを一気に無くしたように、サラは顔を伏せた。
「選ばれたのは私を含めて十人。二人でコンビを組んだので、五組ですね。それで大陸各地に散ったのですけど、私は相棒と、ほんの少しの間別行動をしたんです。私が大きな街に寄って食料を買っていくと言ったら、次の街……その消し飛んだ街に先に行ってると言い残して、その人はもう、それっきりです。街が滅んだらしい、という噂に驚いて、慌てて駆け付けた時には、街はすでに跡形もありませんでした。不思議なことに、その街の入り口があった辺りに剣やら鎧やらが山積みになっていまして。この大剣と皮の鎧は、その山の中から見つかりました。これ、間違いなく彼の物なんです。どうやら街の人が持っていた武器が集められていたみたいで、何人もの人が、武器を抱えて泣いてましたから」
サラはそう言って、ため息を一つつく。
「それに、残りの仲間達との連絡も取れません。ひょっとしたら、もう……。だから、私はどうしても解明したいんです。これが魔王復活の兆しなのだと、私は信じて疑っていません」
彼女の決意に満ちた言葉に、ウェブは深々と頭を垂れた。
「すみません、辛いことを思い出させて。でも、サラさんはその方のために頑張ってきたんですね。素晴らしい事ですよ」
慰めの言葉にしかし、サラは弱々しく微笑んだ。
「ええ。だって私の相棒、私の婚約者でしたし。それに、あの街の消え方。不自然が過ぎます。何の死体も出てきていないし、だから私、諦めていません。彼を捜しに行くことが、私のこの依頼の目的でもあるんです」
「うむっ! わしは感動したぞっ」
突然ダリアナが声を上げた。驚いたようにサラがそちらを見やる。
「サラ、そなたも辛い思いをしたのじゃな。わしは大いに共感した。愛する者が原因不明で消えるなど、女には耐えられぬ事じゃ。よろしい。わしが協力してやろう」
途端に、サラの顔がぱあっと明るくなる。
「本当ですかっ! あっ、でもコルンさんが……」
そう言って、サラがコルンを見る。コルンは憮然とした顔でサラ達を見ていた。そして渋々と言ったように口を開く。
「そういう話を聞かされて、断るほど俺は人でなしじゃないんでな。その話が真実かどうかさえ確認しないのは、非っっっっっっ常に不本意なんだが、まあいいだろ。俺も消えた街のことは純粋に気になる。いいよ、引き受けてやるよ。これでいいんだろ、ウェブ、ダリアナ」
やった、と歓声をあげてウェブとダリアナが喜ぶ。サラも、深々とコルンに頭を下げた。
「ったく。こんなこてこての話もってきやがって。サーガじゃないんだってのに」
コルンは何やらぶつぶつと言いながらも、最早腹をくくったらしく、しっかり次の準備を始めていた。
まず手始めに、と前置いて、ごそごそと腰の革袋から一枚の紙を取り出してくる。
「で、聞くけど。依頼料は?」
何気なくコルンの口から出たその言葉を聞くなり、途端にサラがあさっての方向を向いて叫ぶ。
「ああ! 私の愛しいあの人はいずこに!」
「分かった……。もう聞かない」
諦め顔でコルンが呟く。なんとなく嫌な予感はしていたのだ。見るからに金を持っていないように見えたのである。
とはいえ、彼女がソナウ教の民間司祭なら、あとで教会から金をもらえばいいだけの話だ、とコルンは割り切って、話題をあっさり移す。
「じゃ、次の目的地とかは決まってるわけか?」
話題が移った途端に、サラはこちらを振り向いてはっきりと頷いた。
「アスティナの首都国家『アガス』です。それと、三大強国『テスカ』と『ドミカ』。現在の六か国は全て、この最強三国がまとめあげています。国家が動かないということは、その三国が指示を出していないことになりますよね? それに、アガスには『首の祠』があります。きっとそこに、何かあると思うんです」
その言葉に、コルンが不敵に笑う。
「ふうん。例えば、その三国が共謀しているかも、とか?」
その言葉に、思わずサラが吹き出す。
「ちっ、違いますっ! なんて罰当たりなこと言うんですか! 秘密警察とかに連れていかれて殺されちゃいますよっ!?」
「あるかっ! そんなもんっ! まあ冗談はともかく、その意見は俺も賛成だ。十中八九、その三国に何かがあったんだろう。俺は、最悪の結果の方が可能性高いと思っているけどな」
「だから、そういう罰当たりを……」
サラが再び怒ったように諭してくる。が、コルンはそれを遮った。
「違うって。ひょっとしたら、その三国が、命令や指示を出せない状態になってるんじゃないかって言ってるんだよ」
「もう既に、滅びてるかも、ってことですか?」
ウェブの恐ろしい言葉に、しかしコルンはあっさり頷く。
「ああ。ありえない事じゃない。ここんとこ、本当にこの大陸は平和だったしな。いくらあの最強と謳われた三国でも、こういう訳の分からん事件の類には歯が立たないんじゃないか?」
皮肉げにそう語ると、コルンはふっと笑みをもらした。
「まあ、一応俺も『街が消える』事件には大いに興味がある。何もなくなるっていうのは、魔術の匂いもするしな。真相解明くらいは手伝ってやるよ。じゃあ、首都国家をぐるっとまわっていけばいいわけだ。おい、ダリアナ。頼んだ」
「ふむ」
コルンの言葉に短く答えると、ダリアナは彼が手にしていた紙を無造作に受け取った。そしてそれを、別のテーブルの上にばさりと広げる。
それは、このアスティナ大陸の全地図であった。それを指差しながら、ダリアナが話し始めようとした、その矢先。
「おっ待たせいったしましたぁ~」
少々間延びした声と共に。いつ現れたのか、ウェイトレスの若い女性が一人、テーブルの側に料理を持ってにこにこと笑って控えていた。
そこにあるのは、まだ湯気をあげているチキンのソテーに、ミルクのスープ。そして、なぜか一杯のコーヒー。
「……あれ? ダリアナ、何かまた頼んだのか? ていうか、お前がコーヒー?」
コルンの問いに、ダリアナは気もそぞろという感じで頷くと、料理を隣のテーブルの上に載せるように頼んだ。そして、料理をみて満足そうに頷く。
「よしよし。さて、話の腰を折ったの。まあ、とにかくこれを見るのじゃ。ここが今わしらのいる国、『サガラ』じゃな」
そう言って、ダリアナが大陸の右端の国を指差す。
「そして、首都国家『アガス』はここじゃ」
指をつつっと移動させながら、今度は一番左端の上部の国を指さす。そして、そのまま更に指を今度は下の方に動かしながら続ける。
「最強三国は、この通り、砂漠を取り囲むように建っておる。上から順に、アガス、ドミカ、テスカの順じゃ。砂漠は言うまでもないな。伝説の国『ドナウブ』があるとされておる場所じゃの」
ダリアナが指し示したのは、大陸のど真ん中にある何もない地域。勇者ソナウが建国したという、幻の王国である。
その砂漠は、深い森に囲まれた中心にあり、その砂漠の中にその王国は存在するといわれている。
誰もたどり着けず、誰も見たことがない、しかし確かに存在すると、今もなお信じられている。各国において、砂漠には誰も侵攻しない、という不可侵条約まで結ばれている、謎多き王国である。
砂漠の周りの森は『迷いの森』と呼ばれ、またそこを抜けたとしても、砂漠に迷い込んだ旅人は、ついぞ誰も戻らない、ということでも有名なため、各国を巡るには、砂漠を中心に環状に走っている街道を中心に通っていくことになる。
「じゃあ、最短距離で行ける街道はどこだ?」
コルンの質問に、ダリアナはふむ、と一拍考えを置いてから、サガラに再び指を戻す。
「このサガラの国からだと、アガスに行くのならば『サイド街道』じゃな。北回りのこの街道なら、野盗も少なくおまけにアガスまではドミカを経由して一直線じゃ。じゃが、テスカを通るとなると話は別じゃ。街道は、この南回りで行く『ドルイ街道』になる。じゃが、これはちと面倒じゃぞ。あの『イリナ』を経由して、テスカ、ドミカ、アガスの順に北上していくことになる。ここは野盗もかなり出没するし、なにより『モンスター街道』と呼ばれておるほどじゃからの。といってもまあ、実際モンスターはそんなには出んよ。先の降魔大戦以来、モンスターは殆ど絶滅しておるからの。この街道沿いは、モンスターの住みやすい森が多いようじゃから、おおかた僅かな生き残りでもいてそれが繁殖しておるんじゃろ。こっちが何かせん限り、奴らは襲ってはこんよ。空腹だったら別じゃがな」 すらすらと答えるダリアナに、サラは感服したのか歓声をあげる。
「すごいですダリアナさん! よくこんなだだっぴろい大陸の事記憶してますね!」
冒険者をやっていれば、これくらいの知識はあっても当然なのだが、褒められてまんざらでもないのか、ダリアナは得意満面で胸をはってみせた。
「当たり前じゃ。わしはこれで結構若い内から冒険者をやっとるんでな。嫌でも覚えるよ。さてと、コルン。どうするんじゃ? どちらの街道で行く?」
コルンは、考え込むように腕組みをする。その様子を見て、ダリアナはさらに言葉を付け加えた。 「どっちにしろ、テスカへ行くには、あの『イリナ』を通らねばならんのじゃ。街道を通らないという手もあるにはあるが、荒野を突っ切っていくことになる。街道を逸れれば当然野盗もモンスターも増えるからの。急ぐのならば厳しい。細かな街道もあるにはあるが、あちこち道を逸れれば、余計に遠回りになる」
「……やっぱ、これ、『イリナ』通るの?」
コルンがげんなりしたようにため息をつく。
「そうじゃな。『テスカ』と『イリナ』はセットじゃからな」
ダリアナの言葉にコルンは呻く。
「おい依頼主。テスカはどうしても寄りたいのか?」
「できれば」
サラが強い表情で答える。コルンは、再び大きく息をついた。
「分かったよ。じゃあ、遠回りだが『ドルイ街道』を回っていこう。モンスターはちょっとやっかいだが、まあダリアナが大丈夫だって言うし。これでいいな?」
全員が意義なしというように、首を縦に振る。
「よっしゃ。んじゃ、さっそくお客さんみたいなんだけど」
そう言って、コルンは静かに立ち上がった。背中に手を回し、腰の辺りにさしてある剣の束に手をかける。その横には、いつのまに立ち上がったのか、ウェブが油断なく酒場の入り口の方を睨み付けていた。
「……え? な、何かいるんですか?」
サラが怯えたように問い掛けてくる。と、ダリアナがサラの方をちろりと見やった。そしてそのまま、黙っているように、というように目で合図する。サラの顔が一気に蒼白になった。
「静かに。来るぞ」
コルンは、剣を静かに抜いた。そして、構える。
酒場の扉は、予想に反して静かに開いてきた。そして、そこから黒いローブを纏った、一見何ということのない男が入って来る。だが……。
「……嫌な空気……」
サラが呟く。
コルンは額から、冷や汗がつうっと伝うのを感じていた。目に見えない、しかし強烈な威圧感が、その男から発せられている。禍々しい黒い感情が、肌にちくちくと刺さるように痛みを伴って押し寄せてくるのだ。
この感覚を、コルンは良く知っていた。気付くのも嫌なものなのだが……殺気である。
「さすがに、腕は立つみたいですね」
男は、唐突にそう言った。そして、そのまま足を一歩踏み出す。
「お前、何者だ?」
コルンは心ならずも一歩、あとずさって言葉を返した。下がらずにはいられないのである。それ程に、その男の発する殺気は凄まじかった。
「別に。ただのしがない旅の者ですよ」
「そんな殺気じみた『しがない旅人』なんぞいるものか」
端正なマスクに満面の笑みを浮かべる男に対して、ダリアナが吐き捨てるように呟く。
不気味だった。ただ歩いているだけなのに、異常なプレッシャーを感じる。
男がまた、足を一歩踏み出した。コルンはまた、一歩下がる。
「何が、目的なんだ?」
コルンは声を振り絞って問う。最早額には玉のような汗が浮かんでいた。
「忠告ですよ。この件には関わるな、ということです。手を引くのであれば、このまま何もいたしませんよ?」
丁寧な口調で、ニコニコと笑顔で語ってくる男に、サラがひっと悲鳴をこぼした。
「やっぱり、秘密警察があああっっ」
小声で叫んでいるサラをぎっと睨んで黙らせると、コルンは短く嘆息した。
話している最中から、何か外にいるなとは思っていたが、予想よりもかなりやばい相手が来たらしい。だが、絶望してはいても、ここで引くわけにもいかない。
「断ったら?」
「……まあ、その時は、死んでもらいますけどね」
そういって、男はにたあ、と笑った。 それは、とても人とは思えぬほどの、なんとも嫌な笑顔。
瞬間、ウェブがだん、と足を一歩踏み出した。両の手にいきなり光が生まれ、やがてそれは、彼の身長以上もある巨大な斧に姿を変える。彼の武器、バトルアックスである。
「おやおや。野蛮なことです。今ここで、やろうというのですか? この私と?」
男はにたにたと笑いながら、また一歩踏み出した。
「おい、サラ。伏せてろ。あいつ、どう答えても俺たちを殺すつもりだ。出来るだけ抵抗するから、お前、隙をみて逃げ出せ」
サラは、がくがくと震えながら何度も首を振ると、よろよろと床に頭を伏せた。そして、音を聞くのも恐ろしいのだろう、しっかりと耳を塞いでしまう。とりあえず、戦力として当てにならないのが動かないでいてくれるのは助かった、とコルンは一息つく。とても、サラまで守りきる自信はない。
そして、今度は反対側のテーブルに目を配る。
「ダリアナ。事態の深刻さをお前は本当に理解しているか?」
いつの間にか移動して、先ほど頼んだ料理をつまみに、カウンターで酒をかっくらっているダリアナに向けて、コルンは取りあえず釘をさしてみる。温かかったコーヒーはすでに冷めているのも構わず、リラックスしたままの表情で、彼女はへらへらと頷いた。
とりあえず、何を考えているのか分からないダリアナに、これ以上は構っていられない。コルンは諦めたように一つ小さくため息をつくと、再び男に話しかけた。
「お前、ダリュス教の手の者だろう」
男は無言で頷いた。
「じゃあ、やっぱり今回の事件には、お前らが関わっているんだな」
男は、今度は無言だった。だが、顔は実に満足げに笑っている。コルンはそれを肯定の意味に取った。
「では、問う。何故俺たちの前に現れた?」
男は、くつくつと含み笑いをした。
「我らが悲願、ダリュス様復活に、些細なことでも邪魔されたくないのでね。そういうものは片っ端から『消せ』というご命令だ」
そう言うや否や、男がいきなり間合いを詰めた。気配を感じ取っていたのか、コルンもすばやく防御の態勢をとる。が、予測して構えたにもかかわらず、その刃はあっさりと弾かれた。その勢いで、コルンの身体が紙のように吹っ飛んで壁に激突する。
「うおおおおおおおおおっっっ!」
コルンが吹っ飛ばされたのを契機にしたように、雄叫びと共に、ウェブがバトルアックスを振り上げて襲いかかった。だが、鋭い金属音と共に、ウェブの渾身の一撃が、男にあたる手前で見えない壁のようなものに弾かれてしまう。その勢いで、ウェブの小さな体はあっという間に壁際まで跳ね返されていた。
彼はすぐに立ち上がったが、その場でごとりと武器を取り落としていた。先ほどのあまりの衝撃に、手が痺れて、武器を持っていられなくなったのだ。
「ちいっ! フォースシールド使ってやがる」
予想外の情勢の悪さに、コルンは毒づいた。
その男は自らの身の周りに、薄い膜のようにシールド結界を張りめぐらせているのだ。もちろん並の能力ではない。魔法といわず攻撃といわず、ほとんど全ての衝撃をはじき飛ばしてしまうほどの威力を誇っている。並みの使い手ではない。
コルンは痛む体を引きずって体勢を立て直すと、剣を構えなおした。 実に頼り無い自らの武器に、心底絶望する。その手にあるのは、殺傷力のほとんどない、細身の刀身のレイピアなのだ。軽くて動きやすいため、身軽を身上とする彼には使いやすく、長年愛用している武器でもある。
人間や弱いモンスター相手ならばほとんどはこの剣だけで乗り切れるのだが、これだけ桁違いの強さの相手をするのは想定外である。これでは奴に傷一つつけることなどできないだろう。
(だが、これならどうだ?)
コルンは両手に力を込めた。その行動を見咎めたのであろう、未だ痺れた両手を抱えるように胸に当てたまま、ウェブが叫ぶ。
「コルン様! それはいけません!」
が、コルンはその忠告を無視して、一言叫んだ。
「炎よ、宿れ!」
一瞬後、ブゥゥン、と小さな音がして、その刃が紅い光を帯び、コルンの顔を照らす。
「……魔法剣ですか。これはまた、懐かしくも面白い技ですねえ」
男は予想外だったのか、感嘆の声をあげた。
ただの剣に魔法をかけることによって、何倍もの力を与える『魔法剣』。もちろん誰もが使えるわけではない。ある程度の魔力と魔法の知識が無くては使えない、かなり高度な魔法である。
現在では、冒険者ですらその使い手は少ない。使いこなせる者となれば、正直コルンは自分の師以外にはみたこともない。コルンは偶然適性があり、習得することは出来たのだが、どうにか使っている、というようなものだ。
ウェブが止めるのも分かっていた。元々廃れた理由が、そんじょそこらで売っているようななまくら剣にかければ、即剣が崩壊してしまう程の威力を誇るからなのだ。
間違いなく、この剣はダメになるだろう。それでも、ただ攻撃力が皆無に等しい剣を振るっているよりはいい。
ほとんど、最後の切り札といってもいい手段である。
一撃必殺でなければ、こいつには勝てない。危険をあえて侵して、コルンは刃に炎の魔法をかけたのである。
「くらえ!」
気合と共に、コルンがレイピアを両手で持って振り降ろす。男は、半歩のけ反った。真っ直ぐな剣先が、フォースシールドに阻まれる。が、すぐ次の瞬間。
ガキィィィィィィィィィンンン
耳障りな音と共に、無数の光が砕け散った。相手のフォースシールドと、コルンの剣が同時に粉砕したのだ。
「馬鹿者っ!」
ダリアナの声が飛んだ時には、コルンはすでに吹っ飛ばされていた。そしてそのまま、カウンターに激しく激突して背中をしたたかに打ちつける。コルンは思わず喉の奥でぐう、と呻いた。
(受け身すら間に合わねえ……)
声にならない声で呟くと、コルンはそれでもなんとか立ち上がった。何をされたのかは分からない。ただ、吐き気がするほどの威圧を感じた。殺気とはまた違う、別の力。
コルンは男を見た。彼は、その場から一歩も動いていなかった。ただにたにたと笑って、こちらを見ている。
「面白いですね。ちょっと気が向きました、名乗ってあげましょうか?」
その言葉に、心底ぞっとする。
「コルン。聴くでないぞ。そやつ、『魔族』じゃ」
食事を終えたのか、ダリアナがゆらりとコルンの隣に立つ。薄々気が付いていはいたが、嫌なものを聞いたものだ、とコルンは呻いた。
魔族。人とは違う、異形の種族。人の姿を取りながら、人とは決して相容れぬ、『魔王』を生み出した異種族。
それらが、こちらに何の見返りも無しに名前を名乗る。それはそのまま、こちらの『死』を意味するのだ。
コルンは、床を蹴った。一気に間合いを詰め、懐に隠していたショートソードを握り締めると、相手の懐へ飛び込んでいく。男は、動かなかった。コルンは瞳を閉じる。刺し違えは覚悟の上の行動だった。捨て身の攻撃でもしなければ、恐らくこの場から生還出来る者など、誰一人としていなくなってしまう。
だから、ここで自分が犠牲になっても、と考えたのだ。が、彼の刃が相手に達する寸前。
「ラ・シュア・シュイ・シユイリュウ・ヒュイラ・ヒュイサエ!」
突然、何かの『音』が響いた。それは、聞いたことのない言葉、そして人の言葉では不可能に近い発音。言葉にすれど、それは表せないもの。……魔術の言葉。
「げっ、だっ、馬鹿っっっ!」
コルンが慌てたように動きを止めて叫んだが、もう遅かった。
いきなり、体を猛烈な浮遊感が襲う。
その『音』を紡ぎだしたのは、ダリアナだ。彼女の言葉に呼応し、世界が力を発動したのである。
自由の効かない体で必死にもがいていたコルンは、諦めてがっくりとうなだれた。
とりあえず無駄だと知りつつも、辺りをゆっくりと見回す。ウェブもコルンと同じように諦めの色を表情に浮かべ、自らの武器を何とか握りなおしていた。ダリアナは嬉々とした表情で、発動する魔力を眺めている。そして、サラは未だその状況に気付く様子もなく、しっかりと耳を塞いで、その場にうずくまっていた。
そこまで確認してから、コルンがもう一度ため息を落とした、その時。渦巻く空圧と轟音の中で、コルンは目前にガシューの姿を確認した。肌が粟立つのを感じながら、慌てて両腕をかざして身を引くが、彼は何も手を出さなかった。
そして、困惑するコルンに向かってにいっと笑ってみせてから、はっきりと口を動かして、呟く。 「『ガシュー・ダライア』。私の名前ですよ。覚えておきなさい、人間よ」
その言葉と共に、ガシューの姿が視界から遠ざかった。一瞬にして起こった出来事に呆然としながら、しかし、最後に聞こえたその言葉だけははっきりと聞き取って、背筋に寒気が走る。
が、それを再び理解する間も、確かめる術もなく。
酒場もろとも(ダリアナも含めて)大爆発とともに、コルン達は遙か上空へ吹っ飛ばされたのである。
ありがとうございました。続きはまた近々アップいたします。物語が崩壊していきますが、大体犯人は「ダリアナ」で間違いありません。ではまた。