08#素直になれない。
皆さん、おはようございます。
わたしです。アルアクル・カイセルです。
人はいつもと違うこと、突拍子もないことに遭遇した時、頭が真っ白になって、何も考えられなくなってしまいますよね。
勇者として魔王と対峙した時、魔王の予期せぬ攻撃を前にしても、瞬時に思考を切り替えて対処することができたのに。
最近のわたしは、やっぱりどこかおかしいです。
回復魔法を使ってみましたが、一向に改善されません……。
ファクルさんと一緒のベッドで寝た、次の日。
朝食の席で、あまりよく眠れなかったわたしは欠伸をしてしまいました。
「大丈夫か、嬢ちゃん?」
恥ずかしくて俯くと、隣に座っていたファクルさんが声をかけてきてくれます。
「ええ、はい。大丈夫です。心配してくださって、ありがとうございます」
「無理はするなよ」
ファクルさんがわたしの頭を、ぽんぽんと撫でてくれました。
単なる寝不足で、心配するようなことは何もありません。
でも、ファクルさんに頭を撫でてもらえたのがうれしくて、わたしは本当のことを言いませんでした。
ちょっぴり後ろめたい気持ちを抱きながらも、頬がゆるんでしまいます。
やっぱり、わたし、ファクルさんに頭を撫でられるの、好きです。
わたしが「えへへ」と笑っていると、ファクルさんのお母様が「あらあら、まあまあ」と穏やかに微笑みました。
「寝不足なアルアクルさん、それを心配し、気遣う息子……つまり、そういうことなのね」
「違うから!」
ファクルさんが否定します。
「あの、ファクルさん。そういうこととは、どういうことですか?」
「嬢ちゃんは知らなくていいことだ」
なぜかファクルさんの顔が真っ赤になっています。
周囲の方を見れば、わたしだけがわかっていない様子です。
何だか気になりますが、ファクルさんはわたしの頭を撫でるだけで、教えてくれるつもりはないみたいです。
こんなことで誤魔化されると思っているのでしょうか?
仕方ありません。今回だけ、今回だけ特別ですからね?
えへへ。今日は2回も撫でられてしまいました!
「あら、そうなの? 残念ね。息子のためを思ってがんばったのに」
「やっぱりお袋か! ……まったく余計なことをしやがって」
「本当に余計なことだったの?」
「………………あ、当たり前だろっ」
「今、返事をするまでに間があったわねぇ」
「ぐっ、と、とにかく余計なことをするな! 俺と嬢ちゃんの関係は――」
わたしとファクルさんの関係?
いったい何なのでしょう?
魔王退治の旅をしている時は、同じ目的を共有したパーティーの一員、仲間でした。
ですが、魔王討伐がなされた今、わたしとファクルさんの関係は、いったい何なのでしょう?
わたしはファクルさんのお料理が好きで、本当に大好きで、だからファクルさんを追いかけてきました。
そんなふたりの関係は――いったいどういうものなのでしょう?
それに――ファクルさんはどう思っているのでしょう?
「べ、別に何でもいいだろ!」
「……へたれね」
「……へたれたね」
「……息子よ」
答えなかったファクルさんを、ご家族の皆さんが生あたたかい眼差しで見つめます。
「う、うるせえ! どうでもいいだろ!」
ファクルさんは残っていた朝食を乱暴に口の中にかき込むと、大股で食堂を出て行ってしまいました。
どういう関係なのか知りたかったので残念ですが、何だかかわいらしいファクルさんが見られたので、結果はよかったように思います。
食事を終えて部屋に戻ると、ファクルさんがやってきて、町へ行こうと誘ってくれました。
「屋敷にいたら、またぞろ何をされるかわからねえからな」
「何か……ですか?」
「まあ、いろいろ余計なことだよ」
余計なことと言いながらも、家族のことをファクルさんの表情は穏やかで、家族のことを深く思っていることが伝わってきます。
「じゃあ、行くか」
「はい」
というわけで、出発です。
屋敷を出て、町の大通りを歩きます。
「そういえばファクルさん」
「ん?」
「ファクルさんの実家、貧乏だって言ってましたけど……貴族だったじゃないですか」
「貧乏だよ。貧乏貴族だ」
ファクルさんが言うには、あの屋敷は貴族としての体裁を整えるため、必要最低限のものを残しているだけだという。
「実際、生活は苦しいもんだ。食事だって、取り立てて豪華ってわけじゃなかっただろ?」
確かに、言われてみれば、そのとおりです。
「あれはお袋が腕によりをかけてがんばって作ってくれたものなんだ」
「え、お母様が作っていたんですか!?」
驚きです。
貴族といえば、調理する人が専門にいるものとばかり思っていました。
「家は兄貴が継ぐから、俺は俺で生きていくために冒険者になったわけだ」
けど、とファクルさんは通りを見つめます。
「貧乏ながらも、こうやって活気づいてる街を見れば、親父や兄貴ががんばって治めているんだなってわかるよな。こんなこと、俺にはできねえ。やっぱり家を飛び出して、冒険者になってよかった」
本気でそう思っていることが、ファクルさんの表情から伝わってきます。
「あの、ファクルさん、聞いてもいいですか? 今後のことなんですけど」
「今後?」
食堂を開く前に、家族に顔を見せたいとファクルさんは言っていました。
その願いが叶った今、あとは食堂を開くというファクルさんの夢を叶えるだけです。
「叶えるだけって……簡単に言ってくれるな」
「大丈夫ですよ」
「言い切ったな。その根拠は?」
「だって、ファクルさんのお料理は世界で一番おいしいですから!」
わたしは笑顔で言い切ります。
ふっ、決まった! と、ちょっと思ってしまったのは、ここだけの秘密です。恥ずかしいので。
そんなわたしをぼけーっと見つめた後、ファクルさんは顔を両手で覆ってしまいました。
ぷるぷる震えはじめます。
どうしたのでしょう。
「……そ、そうか。それは……その、なんだ。ありがとな」
「当たり前のことを言っただけですから!」
「くっ、それ以上はやめてくれ! 俺の生命力はもうないぞ!?」
ファクルさんが小声で何か呟いていますが、よく聞こえません。
「ファクルさんのお料理、わたし大好きですから!」
「お願い! お願いだから、もうやめて!」
ファクルさんがいよいよ激しく、その身を震わせます。
本当にどうしたのでしょう。不思議です。
しばらく震えていたファクルさんですが、深呼吸をして落ち着きを取り戻したようです。
「ふぅ、嬢ちゃんはいろんな意味で勇者だな」
「? はい、そうですね」
首を傾げるわたしに、ファクルさんは苦笑していました。どうしてでしょう?
「で、ファクルさんの食堂はこの町で開くんですか?」
「いや、もっと鄙びたところで開きたいと思ってる」
「そうなんですか?」
「ああ」
それからは、食堂を開くときの参考になるかもしれないと、街中をぶらぶら歩くことになりました。
食堂も何軒かありますし、屋台も出ています。
それに、人が多いです。
そのせいで、ファクルさんと離れ離れになってしまいそうになりました。
と、そんなわたしの手を、ファクルさんが握ってきました。
「あ……」
「嬢ちゃんは嫌だろうが、我慢してくれ」
「嫌じゃありません!」
ちょっと食い気味に答えると、ファクルさんが仰け反ります。
「そ、そうか」
「はい! そうなんです!」
こわごわと握ってくるファクルさんの手を、むしろわたしの方から積極的に握っていきます。
いいですよね? だって、これは離れ離れにならないために必要なことなんですから!
でも、そうやってわかっていても――なんだかドキドキしてしまいます。
「ファクルさんの手、大きいですね」
「まあ、嬢ちゃんのに比べたらな」
「それに、ゴツゴツしています」
「そうか?」
「そうです! これはファクルさんが冒険者としてがんばってきた証拠です。誇らしい気持ちになります」
「……嬢ちゃん、本当に俺の生命力を奪うのが得意だな!?」
「はい?」
「何でもねえ!」
頭をガリガリと掻きながら、そういうファクルさんでした。
そんなふうに大通りを歩いていたら、露天商さんに、恋人同士と勘違いされました。
「旦那。そのかわいい恋人さんにどうだい、このアクセサリーは」
「悪いな。この子と俺はそういう関係じゃないんだ」
「そうなのか?」
「ああ」
そのとおりです。
わたしとファクルさんは、そういう関係ではありません。
でも――露天商さんに間違われた時、わたしはうれしいと思いました。
そしてファクルさんに違うと否定された今、胸の奥が痛みます。
これは――どういうことなのでしょう?
「嬢ちゃん、どうかしたか?」
わたしが俯いていると、ファクルさんがわたしのことを心配して、気遣ってくれます。
「あの露天で売ってる菓子は、この町じゃちょっとは名の知れた――」
「いりません」
「お、おう、そうか。――じゃあ、あっちの店はどうだ? 綺麗な服とか売ってるんだが――」
「興味ないです」
「そ、それじゃあ……もう少し行ったところに、なかなかいい感じのアクセ――」
「見たくないです」
「……そ、そっか。なら、えーっと、その、なんだ」
ファクルさんが眉尻を下げて、困っているような、情けないような、そんな感じで笑います。
そんな顔……して欲しくないのに。
ファクルさん、わたし、お菓子、食べたいです! ファクルさんも小さい頃、食べたんですか? そんなお話をしたいです。
綺麗な服、興味あります! わたしに似合う服を選んで欲しいと、そう思います。
アクセサリー、見たいです! ファクルさんと同じものを身につけたいと、そんなことを考えてしまったりします。
いつものわたしなら、すぐに機嫌を直していたでしょう。たぶん……いえ、きっと。
でも、今日のわたしは素直になることができませんでした。
どうしてなのかはわかりません。本当にわからないのです。
こんなわたしが、自分でも嫌になります。
そんな時でした。
「おうおう、かわいいお嬢さんだな」
「そんな不細工なおっさんなんかほっといて、俺たちとイイコトしようぜ?」
下品な笑みを浮かべて、冒険者さんたちが絡んできました。
……ちょうどいいです。
素直になりたいのになれないモヤモヤ。自分でもわからない胸の内。この冒険者さんたちで晴らしたいと思います。
大丈夫です。いわゆるあれです。正当防衛? とかいうやつです。
それに、ファクルさんを悪く言うなんて、絶対に許せませんし!
わたしは聖剣を召喚しようとしました。
それに気づいたファクルさんが青い顔をして、何か言おうとしました。
ですが、その言葉が紡がれることはありませんでした。
第三の人が現れたからです。
「あんたたち、冒険者が人様に迷惑をかけていいと思ってるのかい!?」
気っぷのいい、姉御肌の女性です。
こんがりと褐色に焼けた肌、燃える炎のように赤い髪、切れ長の瞳。
綺麗なお姉さんです。
年はいくつかきになりますが、女性の年齢を詮索するのはダメです。絶対に。
それはさておき、何よりその女性で特徴的なのは、ぼん、きゅっ、ぼーん! のナイスバディでした。
くぅっ、羨ましくなんてありません! ……少ししか。
冒険者さんたちが女性を睨みつけます。
「誰だてめえ――って、お、お前は!?」
「冒険者ギルド一恐ろしい炎髪の受付嬢じゃねえか!」
「やべえ、逃げろ!」
冒険者さんたちは真っ青になって、先を競うように逃げていきました。
「助かったぜ、あんた。礼を――」
お礼を言いかけていたファクルさんが黙ってしまいました。
見れば、炎髪の受付嬢と呼ばれたお姉さんを凝視しているじゃないですか。
やっぱりあれですか。
男の人はあそこがおっきな人がいいんですか!? そういうことですね!
胸の内のモヤモヤが大きくなります!
でも、それはわたしの早とちりでした。
「お前……インウィニディアか?」
ファクルさんがお姉さんの名前を呟くと同時に、
「あんた……ファクル?」
お姉さんもファクルさんの名前を呟きます。
どうやら二人は顔見知りのようです。
ここはファクルさんが生まれ育った街です。
顔見知りがいるのは当然です。
でも……どうしてでしょう?
わたしの心は、お互いに見つめ合って固まっている二人を見て、どうにも落ち着かない気持ちでいっぱいでした。