40#雨は止み、月が出て。
皆さん、お元気ですか?
わたしです。アルアクル・カイセルです。
何かに失敗してしまった時、こんなふうに考えることはありませんか?
あの時、もっと違うやり方があったんじゃないかって。
そうすれば、今、こんなふうにはなっていなかったんじゃないかって。
でも、そんな考えは無意味です。
だって、あの時に戻ることなんてできないんですから。
今を受け入れることしか、わたしたちにはできないのですから……。
空を覆っていた黒い雲は夕方を過ぎた頃から、大粒の雨を降らし始めました。
まるで今のわたしの気持ちを表しているみたいです、そんなふうに考えてしまうのは、少し自意識過剰かもしれません。
だって、空模様はわたしの気持ちと関係ないんですから。
憂鬱な時なのに、雲一つない晴天だったりすることだってありますし、その逆も当然あります。
今回はたまたま、そう、たまたま合致しただけ。
「……どうすればよかったのでしょう」
頭の中でずっと考えているのは、フォルティくんのことです。
今日はファクルさんのお店がお休みの日。
だからフォルティくんに元気を出してもらって、みんなで楽しく過ごそうと思っていました。
でも、結果は散々。
なぜかフォルティくんを怒らせてしまいました。
それだけならまだよかったのです。
いえ、決してよくはないんですけど……!
フォルティくんとアモルちゃんが喧嘩することにまでなってしまったのです。
「こんなことになるなんて考えてもいませんでした……」
フォルティくんのことを思って、今日を迎えて、夜にはみんなで笑っていられる――そんなふうに思っていたんですけど。
「はぁ……」
本当にどうすればよかったのでしょうか。
同じことばかり考えてしまいます。
だからでしょう。
気がついたらわたしはファクルさんの部屋の前に立っていました
……いえ、それは嘘です。
ここにはわたしの意思でやってきました。
一緒の部屋で寝ているイズやアモルちゃんを起こさないように気をつけて。
ファクルさんなら話を聞いてくれる。
わたしが抱えている悩みをすべて受け止めてくれる。
だって、ファクルさんはやさしいですから。
だからこんな夜中にわたしが尋ねて来ても、迷惑そうな顔などせず、笑顔で出迎えてくれるに違いないのです。
ファクルさんの笑顔が見たいです。
どうしても見たいです。
そう思いながらわたしはドアに手を伸ばそうとして――止めました。
確かにファクルさんはやさしいです。
すごくすごくすっごくがつくほどです。
ですが、そんなファクルさんに甘えてばかりでいいのでしょうか?
明日はお店を開く日です。
当然、朝、まだ日が完全に上りきる前から、一日分の仕込みを始めなければいけません。
いつもお客さんが押し寄せて大変なのに、お休みの次の日は前日がお休みだった分、お客さんがいつも以上に料理を注文して、本当にすごいことになるのです。
たとえるなら、一匹見つけたら、最低でも100匹以上いると思った方がいいと言われるゴブリン。
そのゴブリンの巣穴に単身で挑んで、しかも30分くらいで壊滅させなければいけないくらい、大変なんです。
まあ、それでも、わたしは勇者だったこともあるので、余裕で片付けられるんですけどね!
ですが、魔物や魔王を倒すことはできても、お店の仕込みを手伝うことはできません。
だってわたしの料理は殺人兵器なんです……!
変態さん――じゃなくて。
あ、いや、間違いではないですが。
クナントカさんも手伝うとはいえ、休み明けの仕込みは本当に大変なのです。
ここはファクルさんのお店で、お客さんはファクルさんの味を求めてやってくるわけですから。
ファクルさんが一番がんばる必要があるのです。
それなのに、そんなファクルさんの貴重な睡眠時間を奪うような真似をしてもいいのでしょうか?
いいわけがないです!
戻りましょう、自分の部屋に。
そう思ってきびすを返そうとした時でした。
ドアが開いて、ファクルさんが姿を現したのです。
偶然でしょうか?
いえ、ファクルさんは引退したとはいえ、凄腕の冒険者でした。
おそらくわたしの気配を感じて、何かあったに違いないと部屋から出てきたのです。
間違いありません!
「そうですよね、ファクルさん!」
わたしの言葉に、ファクルさんが、
「え!? いや、普通に違うが……」
なんてことを言いました。
ふふ、わたしは知っています。
ファクルさんは奥ゆかしいのです。
だから、普通には肯定しないのです。
「わかりました。そういうことにしておきますね」
「いや、本当に違うんだが!? トイレに起きただけで!」
本当にファクルさんは奥ゆかしい人ですね。
尊敬します!
リビングで待っていて欲しいと言われて、いつもみんなで食事を取るテーブルについて待っていると、ファクルさんがやってきました。
その手にはマグカップが握られています。
中身は人肌に温めたミルクでした。
「気持ちが楽になる」
わたしの隣に座ったファクルさんに促されて飲んでみます。
なるほど確かにファクルさんの言うとおりです。
お腹がじんわり温かくなって、それが体全体に広がって。
そして確かに気持ちが楽になりました。
「やっぱり、ファクルさんはすごいです!」
「そんなことない」
「そんなことないことないです!。本当にファクルさんはすごいです!」
ファクルさんがテーブルに頬杖をつくようにして、さりげなく顔を逸らしました。
真っ赤になった顔を見られないようにするためだって、わたし、知ってます。
でも、ファクルさん?
ほんのりと赤くなっている耳が隠せていませんよ?
ふふ、照れているファクルさんは本当にかわいいです!
フォルティくんのことばかり考えて、心が重く、苦しくなっていたのに、ファクルさんと会って、ファクルさんと話すだけで、こんなにも心が軽く、弾んでくる……。
どうしてなのでしょう。
こんなふうになるのはファクルさんに対してだけです。
「アルアクル、どうかしたか?」
やわらかいファクルさんの声が、やさしく響きます。
わたしのことを思ってくれている、それがとても伝わってきます。
「いえ、何でもありません」
「そうか? けど、何かあるなら、ちゃんと言ってくれよ? 言ってくれないと、何もわからないんだからな」
「はい!」
どんな時でもわたしのことを心配してくれる。
ファクルさんは本当にやさしい――いえ、やさしすぎます。
「で、こんな時間に部屋を尋ねて来たのは、フォルティのことか」
そのとおりだったので、わたしはうなずきました。
フォルティくんを元気づけたかったのに、結果は……。
アモルちゃんと喧嘩して、状況はさらに悪くなってしまいました。
「こんなはずじゃなかったのに」
「ああ、そうだな」
フォルティくんのため、ファクルさんは一生懸命、料理を作ってくれました。
わたし以上にショックだったんじゃないでしょうか。
「けど、アルアクル。人生なんてそんなことばかりだ。俺だってそうだ。こんなふうに食堂を開くことになるなんて思ってもいなかった。だが、開いた。それはアルアクル、お前と出会ったからだ。アルアクルには本当に感謝している。ありがとな、アルアクル」
「ファクルさん……」
そんなふうに言ってもらえるのは本当にうれしいですけど、たとえわたしに出会っていなくても、ファクルさんならば食堂を開いていたに違いないです。
だって、ファクルさんの料理は本当においしくて、みんなを虜にしてしまう味なんですから。
そんなファクルさんを放っておくわけがありません。
だからわたしがいなくても……とそこまで考えた時、胸の奥が痛くなりました。
どうして痛くなったのでしょう。
……いえ、今はそのことを気にしている場合ではないです。
フォルティくんのことです。
「ファクルさんはどうすればいいと思いますか?」
「……そう思い詰めるな」
ファクルさんが腕を伸ばして、わたしの頭を撫でました。
そのぬくもりに、わたしはわたしの心が再び冷たくなっていたことに気づかされます。
「今のフォルティにはおそらく、何をやっても逆効果だ。唯一、俺たちにできることと言ったら、それは――」
「それは?」
「そっとしておくことぐらいだろう」
「そっと……? 何もしないということですか?」
「そうだ。だが、ただ放っておくわけじゃない。何かあった時、フォルティが助けを求めた時、手をさしのべられるようにそばに居続けることが大事なんだ」
「………………」
「何もできないまま、ただそばに居続けるってのは大変だよな。苦しいし、辛いし。けどな、一番忘れてちゃいけないのは、フォルティが一番苦しい思いをしてるってことなんだ」
そのとりです。
言われるまで、わたしはそのことに気づいてもいませんでした。
「見守ろう、アルアクル。今は。フォルティのそばにいて。寄り添って。な?」
「……はい」
「よし」
「でも、その」
「どうした?」
「それはとても大変なので、少しだけ元気をもらってもいいですか?」
「え?」
わたしはファクルさんに近づきます。
「え、ちょ、ア、アルアクル、おまっ、い、いったい何をしゅるつもりら……!?」
ファクルさん、噛み噛みです。
かわいすぎます。
そんなファクルさんにわたしはもっとずっと自分の体を寄せて、そして――。
ぽすっ。
ファクルさんにもたれかかりました。
「……あ、あの、アルアクル……?」
「こうしてファクルさんを感じていたいんです。そうすれば勇気がわいてくるから。……駄目、ですか?」
「い、いいや!? ぜ、全然駄目じゃないぞう!」
なぜかファクルさんの声が裏返っています。
「……俺の馬鹿野郎!? 何を想像してるんだよ!?」
小声で呟いているため、内容がわかりません。
ですが、ファクルさんのことですから、わたしを気遣う言葉に違いありません。
わたしがファクルさんにもたれかかっていれば、ファクルさんは散々手をわちゃくちゃさせた後で。
ぽんぽん、とわたしの頭を撫でてくれました。
「ほら、アルアクル。見てみろ、窓の外」
ファクルさんに促されて見てみれば、いつの間にか雨は止んで、月が出ていました。
「明日は晴れそうだ」
「はい」
いい日になるといいなと、そう思いました。
読んでいただき、ありがとうございます。
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