26#同郷の思い、おっさんの勇気。
皆さん、大変なことになってしまいました。
あ、わたしです。アルアクルです。
わたしにとって、ファクルさんと一緒にいることはもはや当たり前になっていて。
それはファクルさんを手伝って、お店のためにがんばることも含まれます。
だから自分が劣悪な環境にあるだなんて、まったく思っていません。
むしろ、接客しかできない自分が情けなかったり、悔しかったりするぐらいで。
もっともっとがんばりたい――いえ、がんばろう!
そう思っているくらいなのです。
なのに、そう思わない人もいるみたいで……。
わたしは最初、ダーシェル兄が何を言っているのか、理解できませんでした。
――いえ、違いますね。
理解したくない、そういった方が正しいと思います。
ダーシェル兄は背筋を伸ばして立っています。
自分の発言は何ひとつ間違っていない。
正しいことを言っただけ。
そんな雰囲気を漂わせてすらいるように感じます。
ざわめくわたしの心の内なんて、まるで知らないみたいに。
「……ダーシェル兄、何を言っているんですか?」
そんなダーシェル兄を、わたしは真っ直ぐ見据えました。
「お、おい、アルアクル! 殺気を抑えろ!」
顔色を悪くしたファクルさんに言われます。
ファクルさんの言うことなら、何だって、どんなことだって聞きたいです。
だってわたしにとってファクルさんはとても大事な人ですから。
でも、今回だけは。
今だけは――。
「ごめんなさい。できません」
告げた途端、胸の奥に痛みが走りました。
魔物の攻撃を受けた時より、ずっと、ずっと痛いです。
ファクルさんが顔を歪めます。
胸の奥の痛みが、さらに強くなりました。
それでも、やっぱり、今だけは。
ファクルさんの言うことを聞くことはできないのです。
わたしは迷いを振り切るようにファクルさんから視線を外して、ダーシェル兄をさっきよりも強く見据えました。
ダーシェル兄の顔色は青を通り越して真っ白に。
そして、ガチガチと歯の根がかみ合わなくなっていて、かろうじて立っていることができる、そんな状態になりました。
ですが、それでも立っているのです。
わたしの、勇者の本気の殺気を受けているのに。
自分が怒っている理由も忘れて、わたしは素直にすごいと思ってしまいました。
「怒ってるよな、アルアクル」
当然です。怒っていないわけがありません。
わたしは大きくうなずきました。
「……だよなぁ。お前から感じる殺気がめちゃくちゃすごくて、今にも気を失いそうだよ。正直、立っているのがやっとだ」
わたしは、さっきすごいと思ったことを、ダーシェル兄に告げません。
そんな真似は絶対にしたくありません……!
当然、ダーシェル兄はそんなわたしの胸の内を知らないので、歯をガチガチ鳴らしながら、言葉を続けます。
「アルアクル、お前がどれだけこの人たちとの暮らしを大事にしているか。話を聞いただけで、充分伝わってきた。だから怒るのは当然だと思う」
「だったら!」
思わず大きな声で叫んでしまいました。
「だったらどうして、あんなことを言ったんですか!?」
そんなわたしに、とても強い声が叩きつけられました。
「わからないのか? アルアクルのことが心配だからに決まっているだろう」
ダーシェル兄――では、ありません。
「どうして……」
わたしは呆然となりました。
だって、それを言ったのが、
「なんでファクルさんがそんなことを言うんですか……!?」
信じられません。
わたしは愕然として、足下が揺らぐような感覚に陥りました。
食堂が沈黙に包まれます。
叫んでいたわたしが黙り込んでしまったからというのもあります。
でも、一番の原因は違います。
ファクルさんがダーシェル兄の肩を持つような発言をしたからです。
クナントカさんもイズも、信じられないものを見るような眼差しをファクルさんに向けていました。
わたしたちの遠慮のない視線に晒され続けたファクルさんは申し訳なさそうな感じの表情をしながら、言葉を紡ごうとします。
「待ってくれ。そこから先は俺が言うべきだから」
ダーシェル兄が遮りました。
「なぁ、アルアクル。俺が冒険者になるって言った日のこと、覚えてるか?」
何が言いたいのでしょう?
意図がわからず困惑しましたが、それでもダーシェル兄のことを思い出した時に、その日のことも思い出していたので、わたしはうなずきました。
雲ひとつない青空が広がっていたあの日。
一緒にご飯を食べて、一緒に出掛けて、一緒に遊んで、一緒に悪戯をして、一緒に院長先生に怒られて、一緒に「怖かった」と笑い合って、一緒に寝て――そんなふうに同じ時間を過ごしてきたダーシェル兄が。
自分は冒険者になると言い出しました。
最初は何の冗談かと思いました。
でも、院長先生にまで言いにいった時、本当のことなのだと、そう思いました。
寂しかったですし、悲しかったです。
だって、同じ時間を過ごして、いろんなものを共有してきたんですから。
当たり前じゃないですか。
「あの時、俺はどうして冒険者になるつもりなのか、言わなかったよな」
それは、とダーシェル兄が言葉を続けます。
「みんなの家を作りたいと思ったからなんだ」
「みんなの家……ですか?」
「ああ。孤児院はいつか必ず卒院しなければいけない時期が来る」
そのとおりです。
みんなと一緒に、いつまでもいられるわけじゃありません。
成人したら、出て行かなければいけないのです。
「けど、成人したからって卒院して、上手いことやっていける奴らばかりじゃないだろ?」
ダーシェル兄は言いました。
自分より先に卒院した者が、食べるものに困り、罪を犯し、奴隷になってしまっているのを見たことがあると。
「そういう奴らの受け皿を作りたいと思ったんだ」
「……確かに冒険者なら、実力次第でかなりの大金を稼ぐこともできますからね」
クナントカさんが呟きました。
「だからアルアクル、お前も俺の家に来い! こんなところにいたらダメだ!」
ダーシェル兄がわたしに手を差し出します。
この手を取れと、そう言っています。
「わかりました」
「アルアクル!」
ダーシェル兄の顔に、笑みが浮かびます。
反対にクナントカさん、イズの顔には驚愕が。
何よりファクルさんの表情は――あれ? 変わっていません。
口をギュッと引き結んだ、真面目な顔です。
もしかしたら……わたしがどんな選択をしても、それを指示してくれると、そういうことでしょうか。
わたしのことをそれだけ信頼してくれていると思えばうれしくなりますが、もしそうじゃなかったら……?
もし……万が一……。
わたしのことなんか、これっぽっちも、全然、まったく興味がない……なんていう理由だったとしたら?
わたしは立ち直れないかもしれません。
いえ、絶対に立ち直れません!
その自信があります!
どっちなんでしょう? 知りたいです。
でも、今は、ダーシェル兄に返事をするのが先です。
「勘違いしないでください。ダーシェル兄が冒険者になると言っていた理由がわかったと、そういう意味で言ったんです」
答えなんて最初から決まっています。
「わたしはダーシェル兄の家には行きません」
だって、と続けようとしたのに、言葉が出てきませんでした。
本当はこう続けたかったのです。
『わたしの家は、ファクルさんがいるここですから!』
でも、さっき思ったことが頭を過ぎってしまって……。
もし、ファクルさんに否定されたら……?
そんなこと、怖くて考えたくありません!
「ダメだ。絶対に許さない! お前は俺の家に来るんだ!」
ダーシェル兄の手がわたしを捕まえるために伸びてきます。
力尽く――つまり実力行使ですか?
いいでしょう。ならばわたしも本気を出すまでです。
これでもわたし、魔王を倒す程度には強いですからね?
負けるつもりはないです!
聖剣を召喚して、構えます。
ダーシェル兄は一瞬だけ怯みましたが、諦めるつもりはないみたいです。
「アルアクル、わがままを言うんじゃない!」
わがまま?
これはわたしのわがままなのでしょうか?
その時でした。
「ダーシェルさん、ちょっといいか?」
ファクルさんが口を開きました。
ダーシェル兄がファクルさんに厳しい眼差しを向けます。
「これは俺たち家族の問題だ。口を出さないでくれ」
家族――同じ孤児院で育ったので、そう言われればそうかもしれないとは思います。
でも、今、ダーシェル兄のことを家族と思えるかと言えば、答えは決まっています。
思えません。
ですが、ダーシェル兄は本気でそう思っているようで。
表情から並々ならぬ気迫が伝わってきます。
「そうやって言われてしまえば、確かに俺は部外者になってしまうかもしれない。でも、黙って見ているわけにはいかないんだ」
どうしてでしょう?
どうして黙って見ているわけにはいかないのでしょう?
その理由が知りたいです。
「確かにダーシェルさん、あなたが言うとおり、ここには変態がいて」
「そんな褒めないでくださいよ~」
クナントカさんが照れています。まったく褒めていないのに。
「魔王もいて」
「まだ世界を滅ぼしてない」
物騒なことをイズが口にします。
「それに労働環境も、決していいとは言えない」
「だったら」
「それでも!」
ダーシェル兄の言葉を、ファクルさんが遮りました。
それでも?
どう言葉が続くのでしょう?
ファクルさんを見ます。
ファクルさんはわたしが見ていることに気づくと目を丸くして驚き、「あ」とか、「お、おう」とか、言葉にならないうめき声みたいなものをしばらく漏らして。
「やっぱりファクルはヘタレ」
「ですねー」
イズとクナントカさんにそんなことを言われてしまいます。
いつものファクルさんなら顔を真っ赤にして怒るところです。
でも、今日は違いました。
深呼吸をしてから、こう言ったのです。
「それでもアルアクルはここがいい、ここにいたいと言ってくれている……なら、俺はアルアクルをあなたに渡すわけにはいかない!」
その瞬間、わたしの心臓はかつてないほど力強く脈を打ち始めました。
どきん、どきんと、痛いくらいです。
でも、この痛み、わたし嫌いじゃありません!
「アルアクルは俺の大事な人だから!」
「ヘタレががんばった、だと!? 天変地異の前触れ……!」
「明日、剣や槍でも空から降ってくるんじゃないですか!?」
イズとクナントカさんが騒ぎ始めましたが、心臓がうるさいわたしはそれどころじゃありませんでした。
ついさっき、頭を過ぎった不安は、もうどこにもありません!
今のわたしはどんなことだって、何だってできそうです!
無敵状態です!








