21#真夜中の決意。
皆さんには、夢がありますか?
こんにちは。
わたしです。アルアクル・カイセルです。
親もなく、孤児院で育ったわたしには、夢というものがありません。
その日一日生きることだけでせいいっぱいだったからです。
だから、夢が実現した時、どういう気持ちになるのか、本当のことを言えば、よくわかりません。
でも、これだけはわかります。
夢を叶えることはすごいことです。
だって夢って並大抵の努力では叶えられないじゃないですか。
だから、夢を叶えられた人はすごいです。
尊敬します。
ゲンジさんは光の粒になって、消えてしまいました。
まるでその余韻に浸るかのように、しばらくの間、わたしたちは口を閉ざしたままでした。
どれくらいそうしていたでしょう。
「ふわっ」
誰ですか。欠伸なんてものを漏らしたのは。
……すみません。
わたしです。
窓の外を見れば、すっかり暗くなっています。
「欠伸をするアルアクルさんもかわいいですね。結婚してください!」
「全力でお断りします」
「全力で断ってくれてありがとうございます! ありがとうございます! あ、二回言ったのは、大事なことだからですよ?」
そんなこと聞いてません。
というか、断ったのにお礼を言うなんて。
「クリスはまったく度しがたい変態だな」
「変態に磨きをかけて、クナントカはいったいどこを目指すのか」
「ワクワクしますよね!」
まったくしません。
わたしたちがなんとも言えない眼差しを注いでいると、クナントカさんが身をよじり始めます。
「ちょ、そんなに見つめないでくださいよっ。興奮しちゃうじゃないですか!」
いったいどこに興奮する要素があるのでしょう。
「……クリスはもうすでに行き着くところまで行き着いてる感じがするんだが」
確かに。
「というか、行き着いていて欲しい」
「どういうことですか?」
ファクルさんに尋ねます。
「これ以上変態に磨きがかかったら、俺たちじゃ対処できなくなるからな」
納得です。
そしてそんなわたしとファクルさんの言葉を聞いたクナントカさんは「恐縮です」とうれしそうでした。
意味がわかりません。
「まあ、変態はさておき。今日はもう寝よう」
再び欠伸を漏らしてしまったわたしを見て、ファクルさんがそう言いました。
「お店の今後のこととか、考えるべきことはいろいろありますが……確かにそれがいいかもですね」
クナントカさんが最後にそう言って、わたしたちは寝ることにしました。
ゲンジさんの大きな木のお家は四階建てです。
一階が食堂。
二階と三階が宿屋。
そして四階が住居になっています。
その住居部分にある、ふたつの寝室に、わたしとイズ、ファクルさんとクナントカさんに別れてお休みすることになりました。
寝室の中に、ベッドは一つしかありません。
なので、わたしとイズは一緒に寝ることになりました。
「ふぉぉぉ。アルアとふたりきり。そして一緒のベッド。どうしよう。興奮して眠れそうにない」
なんて。
いつもどおりの、ぽや~っとした表情でイズは言っていたのに。
先に寝てしまったのはイズの方でした。
「……もう、イズったら。何もかけないで寝たら、お腹を冷やしちゃうじゃないですか」
寝具をイズに掛けてあげます。
むにゃむにゃ気持ちよさそうに寝ているイズ。
とても魔王とは思えません。
「さて、わたしも寝ましょう」
瞼を閉じれば、あっという間に眠りの世界に誘われることでしょう。
「おやすみなさい」
わたしは瞼を閉じようとして――。
――カタン。
とても小さな物音がしました。
何でしょう?
気になります。
わたしはイズを起こさないように気をつけてベッドを抜け出し、部屋を出ます。
――カタン。
またです。また音がしました。
しかも聞こえてきたのは下からです。
もしかして盗賊……でしょか?
わたしはいつでも聖剣を召喚できるようにしながら、ゆっくりと階下へと向かいました。
そして物音の正体を突き止めたのです。
「ファクルさん……?」
物音の正体は、厨房に立ったファクルさんでした。
厨房に現れたわたしを見て、ファクルさんは驚いた顔をしました。
口を開けて、ぽかーんとした感じです。
かわいらしくて、わたしは好きです。
でも、そんなファクルさんを見ることができたのは、ほんの一瞬でした。
すぐに申し訳なさそうな表情に変わってしまったのです。
どうしてそんな表情になってしまったのでしょう。
「起こしちまったみたいだな。悪い。うるさかったか」
わたしのせいでした。
「いえ! いいえ! 大丈夫です!」
「だが」
なおも謝ろうとするファクルさんに、わたしがここに来た理由を話しました。
「だから、ファクルさんが謝ることはありません!」
「だが」
「もうっ! 謝ることはありませんって言ったじゃないですか! それでもまだ謝るというなら」
「言うなら?」
「わたし、怒ります!」
「そうか、怒るのか」
「はい!」
「アルアクルに怒られたくないから、謝るのはやめておくよ」
そう言って、ファクルさんは笑ってくれました。
よかったです。
「それでファクルさん。こんな時間にお料理って……もしかしてお腹が減ったんですか?」
「違えよ。アルアクルじゃないんだから」
「ですよね――って何言ってるんですか!? わたし、腹ぺこ勇者じゃありません!」
ファクルさんをわたしはぽかぽか叩きます。
ちょっとひどいと思ったので、少しだけ本気を出そうかとも思いましたが、自重しました。
わたしは自重できる勇者ですから。
「で、どうしてお料理をしていたんですか?」
ファクルさんは置いてあったナイフを手に取ると、野菜を刻み始めました。
トントントン。
小気味よい音が厨房に響き渡ります。
それはとても楽しげで、どこからともなく妖精が現れて、今にも踊り出すのではないか。
わたしはそんなふうに感じました。
「ゲンジさんに教えてもらった調理方法を忘れないうちに試してみたかった。だが、それだけじゃない」
「というと?」
「食堂を開くのは俺の夢だ」
知っています。
そういう思いを込めて、わたしはうなずきました。
「ずっと思い描いてきた。それが今、ようやく叶おうとしている。だが、それは本当なのか? 現実じゃないんじゃないか?」
小気味よい音を奏でていた包丁が止まってしまいました。
「だって、できすぎだろ? 俺が理想としていたどおりの店なんだぞ、ここ。しかもゲンジさんというすごい人に店を任されることになって」
「……なるほど。そういうことですか」
呟いて、わたしは大きくうなずきます。
「ファクルさん。ファクルさんの夢はちゃんと叶いました。それは現実です。寝てみる夢ではありません。それをこれから、わたしが証明してあげます」
ファクルさんに近づきます。
「アルアクル、いったい何を――」
「黙ってください」
ぴしゃりと言い放つと、
「あ、はい」
ファクルさんが直立不動になります。
夢みたいな出来事に直面して、それが夢かどうか確認するための、もっともよくある方法はひとつです。
わたしはファクルさんの頬に手を添えます。
「ファクルさんもご存じのとおり、わたしは勇者です。そのわたしがこれから全力で――」
「ま、待ってくれ! 勇者の全力で頬をつねられたら大変なことになる!」
そう。
夢かどうかを確認する、もっともよくある方法は頬をつねること。
「大丈夫です。安心してください」
「安心できねえ! その笑顔が逆に怖い!」
笑顔が怖いとかひどくないでしょうか?
わたし、傷つきます。
なので、本当に思いきりやることにしました。
「覚悟してください、ファクルさん!」
「くっ!?」
ファクルさんは目をギュッと閉じて、襲い来る痛みに耐えようとします。
でも、そんなのはいつまで経ってもやってきません。
「な、なんで……」
何でも何もありません。
だって、わたしがしたことは、ファクルさんの頬を思いきりつねる――なんてことではなく。
ファクルさんを思いきり抱きしめることだったんですから。
「不安、だったんですよね? いきなり夢が叶って。しかもこんな素敵なお店をゲンジさんに任されて。自分で大丈夫なのかって――そう思ってしまったんですよね?」
「な、んで――」
「わかったか、ですか?」
かすれた声で、ファクルさんが呟きました。
「わからないわけ、ないじゃないですか」
だって、とわたしは続けます。
「どれだけファクルさんと一緒にいると思っているんですか? ファクルさんのことなんて、全部お見通しです」
「……………………………………そっか」
長い沈黙の果てに、ようやくファクルさんはそう呟きました。
「アルアクル。ありがとな」
「気にしないでください。わたしがしたくてやったことですから」
もう大丈夫だからと言うファクルさんの声に戻ったいつもの力強さを感じて、わたしはファクルさんを抱きしめていた力を緩めます。
わたしとファクルさんは向かい合って立ちました。
「俺、がんばるから。この店を俺に託してくれたゲンジさんと、――元気をくれたアルアクルのためにも、めちゃくちゃがんばるから。だから、見ててくれ。俺のそばで」
「はい……! ずっと見ています……!」
その時はファクルさんの強い思いが込められた言葉に、わたしも応えたくてそう言ったのですが。
後から考えてみたら、ずっと見ているとか、わたしはいったい何を口走っているのでしょうと、恥ずかしくなってしまいました。
だって、ずっとって、ずっとですよ!?
これから先もファクルさんのそばにいて、ファクルさんのことを見続けるってことじゃないですか!
勢いとはいえ、わたし、とんでもないことを口走ってしまいました!
でも――わたしの気のせいじゃなければ。
わたしがそう言った時、ファクルさん、うれしそうに笑っていたような気がするんです。
確かめたいです。
でも、わたしの勘違いだったら恥ずかしいですし……。
しばらくの間、確かめたい、でもできません! と、悶々とした日々を過ごすことになるのでした。








