19#霧の中の出会い。
皆さん、お久しぶりです。
お元気でしたか?
わたしです。アルアクル・カイセルです。
わたしたちの旅もだいぶ長くなってきました。
でも、それも終わりです。
目的地だったトリトス地方に、ようやく足を踏みに入れたのです……!
トリトス地方は他の地方より木々が深く生い茂った、緑豊かな土地です。
道を歩く今、木と木、葉っぱと葉っぱの間から降り注ぐ陽射しが、何だかやわらかい感じがして、気持ちがいいです。
ここに至る道のりは、決して平坦なものではありませんでした。
わたしは、つるーんとか、ぺたーんという言葉が決して好きではありません。
なので、それらを連想させる平坦という言葉も、当然のように決して好ましいとは思っていません。
思っていませんが、旅路というのは平坦な方がいいと思いました。
波瀾万丈はいらないです。
延々と続く灼熱の砂漠とか。
息も凍るほどの雪原とか。
もう嫌です。
勇者ならどんな困難にも立ち向かい、打ち破るべきだという声が聞こえてきそうですが、勇者だって逃げ出したい時があるんです!
「そうだよな。アルアクルは勇者である前に、ひとりのかわいい女の子なんだから」
わたしがついこぼしてしまった旅路の愚痴を聞いたファクルさんが、やさしい笑顔を浮かべてそう言ってくれました。
ファクルさんだけです。
そうやって、ありのままのわたしを受け止めてくれるのは。
時に叱って、時に褒めて。
わたしはいつだってファクルさんに心を揺さぶられます。
ドキドキさせられてしまうのです。
わたしばっかりそんなふうになるなんて、
「ファクルさんはひどい人です」
「え、俺、アルアクルに何かした!?」
なぜでしょう。ファクルさんの顔色が青くなりました。
「してないですね。というか、してないからこそ、逆にひどいというか」
「ファクルもアルアを愛するなら、もっと積極的になるべき」
そんなファクルさんを見て、クナントカさんとイズが何かを言っています。
「もっとも、ファクルが何かしようとしても、イズが全力で阻止するけど。だってアルアはイズの嫁だから」
イズが抱きついてきます。
3人が話す声が小さすぎてよく聞こえませんでしたが、とりあえずよしよしとイズの頭を撫でました。
「はふぅ。イズをこんなに蕩けさせるなんて、アルアは撫で撫での達人」
そんなことを言いながら、イズの表情はほとんど変わっていません。
いつもどおり、ぬぼーっとした、どこか眠そうな感じです。
でも、決して短くはない間、一緒に過ごすことで、わたしはイズの表情が微妙に変わることを知りました。
目がほんの少しですが、やわらかくなっています。
口許もむにゅむにゅ動いています。
これがイズの、蕩ける表情なのでしょう。
かわいいです。とても魔王とは思えません。
「イズはわたしの撫で撫でを褒めてくれましたけど、でも、わたし以上に撫で撫での達人がいることを、わたしは知っています」
「そんな人がいる?」
「います。すぐそこに――ファクルさんです!」
「え、俺?」
と、ファクルさんが驚いた表情で自分を指さします。
「はい、そうです。わたし、ファクルさんに頭を撫でられると、いつも胸の奥がふわふわドキドキして、大変なことになるんですから! ファクルさん以上の撫で撫での達人はいないと思います……!」
「ドヤ顔で言い切るアルアクルさん、かわいいです! 結婚してください!」
「あり得ませんお断りします」
「今日も『お断りします』をいただきましたぁ~っ!」
「クリスはどこまで変態を極めるつもりなのか」
「果てしなく」
ファクルさんの言葉に、イズが続きました。わたしもまったく同じ意見です。
そして度しがたいです、とつけ加えたいと思います。
「アルア、ファクルの撫で撫ではそんなにすごい?」
「最強です」
「最強?」
「史上最強です」
わたしの言葉に、ファクルさんが自分の手を見つめて「え、そうなの? マジで?」と呟いています。
そうなのです。マジなのです。
どれぐらいマジかといえば、本気と書いて本気と読むぐらいです。
「ちょっと興味が出てきた。ファクル、イズの頭を撫でてみる」
「は?」
「本来、イズの頭はアルア専用。アルア以外、触れることも撫でることもできない。でも、今だけは特別にファクルにも許可する。だから、撫で撫でする」
ん、とイズがファクルさんに向かって頭を突き出します。
「どんだけお前はアルアクルのことが好きなんだよ……」
「世界中の誰よりも」
「お、おう。そうか」
「ファクルにだって負けない」
「なっ、ばっ、お前!?」
ファクルさんの顔が真っ赤になりました。
ですが、すぐに「ひっひっふー」と深呼吸。
落ち着きを取り戻します。
「あのな、イズヴェル。好きとかそういうのは、誰かが誰かを思うのは、勝ちとか負けとかじゃねえよ」
ぽんぽんと、イズの頭を撫でました。
「そうだろ? ……な?」
「……くっ」
「おい、なんで悔しがる?」
「ファクルのくせに、かっこいいことを言うから。ファクルのくせに」
「今、ヘタレとか聞こえた気がしたんだが」
「気のせいじゃない」
「ちょっと待て。そこは気のせいって言うところだろ」
「うるさい。ファクルのくせに生意気。もっとイズの頭を撫でろ」
「あ?」
ファクルさんが変な顔をします。
「イズはファクルさんの撫で撫でが気に入ったみたいです」
素直じゃないイズの代わりに、わたしが答えました。
「アルア、それは違う。イズは別に気に入ってない。ただ、ファクルにイズの頭を撫でる時間を延長させただけ。無期限に」
「無期限!?」
「何か文句がある?」
「いや、別にないけど」
「ないなら、早く撫でる。イズの貴重な時間を無駄にするべきじゃない」
「無駄に偉そうだなぁ。まあ、魔王だから当たり前なのか」
言いながら、ファクルさんがイズの頭を撫で続けます。
「魔王の頭を、ずんぐりむっくりしたおじさんが撫でている光景なんて、ここ以外じゃ見られませんよねぇ」
クナントカさんの呟きが、妙に印象的でした。
「平和な光景ですねぇ」
確かにそのとおりです。
平和な光景です。
「というか、そんなにすごい撫で撫でなら、僕もちょっと撫でて欲しいんですけど。ファクルさん、お願いできますか?」
「は? おいクリス、お前本気か?」
「ええ。ちょっと興味が出てきました。試しに一回、お願いします!」
「嫌だよ! 何で野郎の頭を撫でなきゃなんねえんだよ!?」
「そんな意地悪言わないでくださいよ! ハァハァしちゃうじゃないですか!」
「お前の変態に俺を巻き込むな!」
「ファクルさん、僕たち、仲間じゃないですか!」
「なんていい笑顔だ! 思わず頭を撫でたくなっちまう!」
「遠慮しないで! さあ、思いきり! 僕の頭を撫でてくださいっ!」
「くっ、これでどうだ!?」
「ふぉぉぉおぉおおおおぉぉぉぉぉおおおおおぉぉぉぉっ!? こ、これはすごいです……!」
「クリスが壊れた!? ……いや、いつもどおりだな、うん」
そうですね。これがクナントカさんの平常運転です。
「アルアクルさんとイズヴェルさんの言うとおり、ファクルさんは撫で撫での才能がありますね! この腕前――マスター級!」
マスターというのは、その道を究めた方に贈る称号というか、尊称というか、そういうものです。
「料理だけじゃなく、まさか撫で撫でもすでにその域に達しているとは……ファクルさん、これでお店が開けますよ!」
「どんな店だよ!」
ファクルさんはツッコミを入れながらも、イズとクナントカさんを撫で撫でし続けます。
で、ファクルさんに撫で撫でされているふたりは、とてもしあわせそうな雰囲気を漂わせています。
ファクルさんの撫で撫でが認められて、わたしはとてもうれしいです。
だって、ファクルさんの撫で撫では本当にすごいですから。
でも……だけど……。
「わ、わたしも撫で撫でしてください……!」
「アルアクル?」
ファクルさんがふたりを撫でる手を止めて、わたしを見ます。
「だ、だって、ファクルさんの撫で撫でがすごいと最初に気づいたのはわたしなのに! ふたりばっかり撫で撫でするのはズル――よくないと思いませんか!?」
別にファクルさんの撫で撫でを独り占めしたいとか、そういうわけじゃないのです!
本当ですよ!?
でも、ふたりばっかり撫でるのはズル――じゃなくて、よくないと思うのです!
「アルアクルさん、ヤキモチですね」
「嫉妬するアルア……尊い。かわいい」
クナントカさんとイズが、いつもよりやさしい眼差しでわたしを見ている気がします。
「そ、そうか。そうだな。確かにふたりだけ撫でるっていうのは、よくないな」
「はいっ!」
「じゃあ、撫でるぞ?」
「よろしくお願いしますっ!」
ファクルさんの手がゆっくり伸びてきて、わたしの頭を撫で撫でします。
最初はちょっとぎこちなく、でも、そのうちにやさしく、わたしの髪をとかすような動きに変わります。
そんなしあわせな時間は、長く続きません。
「も、もういいだろ」
「だ、だめです!」
離れていきそうになったファクルさんの手を、わたしは思わず掴んでしまいました。
ゴツゴツして、固い手。
剣を握り続けてきたのがよくわかる、実直な手です。
「ふたりはもっと長く撫で撫でしてました! わたしも同じくらい撫で撫でしてくれないと、絶対にダメです!」
「ぜ、絶対か」
「はい、絶対です!」
「絶対なら仕方ないな」
「はいっ!」
というわけでしばらくの間、わたしはファクルさんに撫で撫でしてもらいました。
満足です!
あ、ただ、ファクルさんがクナントカさんとイズに詰め寄られて、何か言われていたようでした。
「いい雰囲気になったんだから告白すればよかったんじゃないですかねぇ」
「クナントカの言うとおり。でもファクルだから仕方ない」
「俺はヘタレじゃねえ! てか、明日からがんばるから問題ねえんだよ!」
「それ、絶対にがんばらない人の台詞ですよ」
「クリスのくせに生意気だ!」
――なんてことをやっていた数時間後。
わたしたちは道に迷っていました。
というのも、道を歩いていたら深い霧が発生したのです。
「この霧……普通の霧じゃない」
そう言ったのはイズです。
魔王である彼女は、そういうことを感じる力に長けているのでしょう。
「でも、邪な気配がするとか、そういう感じじゃない」
「なら、どういう感じだ?」
「わからない」
「そうか。とにかく気をつけて進めってことだな」
霧を抜けて魔物が襲ってくる可能性もあります。
なので、わたしたちは周囲を警戒して進みます。
「俺たち、ちゃんと進んでるんだよな。魔女に化かされているとか、そういうことはねえよな?」
魔女というのは、お伽噺に出てくる存在です。
深い森の中で暮らしていて、迷い込んだ人を襲ったり、食べたりして、とても恐ろしいのです。
孤児院では院長先生が、悪さをした子どもに、魔女が来て食べられるぞと脅したりしていました。
「ま、魔女なんていませんよ!?」
「アルアクル、声が震えてるぞ?」
「べ、別に震えてませんよ!?」
「まさか、魔女が怖いのか?」
「な、何言ってるんですか!? わたしはあれですよ! ほら、あれ!」
「あれ?」
「え、えっと、その、あの……そ、そうです! 勇者です! 勇者なのに魔女が怖いとか、あり得ません!」
「あ、魔女だ」
「ひゃあっ!? ご、ごめんなさい……っ!」
わたしはファクルさんの背中に、隠れるように抱きつきました。
「アルア、かわいい」
「かわいいとかどうでもいいです! 魔女ですよ!? 魔女が現れたんですよ!?」
「あー、その、すまん。今のは嘘だ」
「え?」
「だから魔女だってのは俺の嘘で――」
わたしは困ったように笑うファクルさんの顔をじっと見ました。いえ、見つめました。
「信じられません! ひどいです!」
「あ、おい! アルアクル、そんなに叩いたら――痛くないな?」
当たり前です。勇者のわたしが本気で叩いたら、ファクルさんは大変なことになっちゃいますから。
「もうっ! もうっ! もうっ!」
「悪かった、俺が悪かったから!」
「本当にそう思っていますかっ!?」
「思ってる」
「本当に本当ですかっ?」
「本当に本当だ」
「本当に本当に本当ですかっ?」
「本当に本当に本当に本当だ」
「ファクルさん、本当が一回多いですっ」
「それぐらい悪かったってことだよ」
「えへへ、じゃあ特別に許してあげますっ。でも、今回だけですからね? 次はありませんよ?」
「ありがとな、アルアクル」
「えへへ」
「それにしても勇者なのに魔女が怖いのか」
「勇者なのに魔女が怖いんです」
「あの、自然な感じにいちゃついているところ申し訳ないんですけど」
クナントカさんがわけのわからないことを言いました。
「わたしとファクルさん、別にいちゃついてませんよ? ね、ファクルさん?」
「……ソウデスネ」
「ほら、ファクルさんもこう言っています!」
「……いや、ファクルさんはそう思ってないみたいですけど」
本当に何を言っているのでしょう。ファクルさんが嘘をつくわけがありません。
まあいいです、とクナントカさんは咳払いをしました。
「あそこに光が見えるのは僕だけでしょうか?」
クナントカさんが指し示す方を見れば、確かに光が見えました。
「あやしい」
「イズの言うとおり、怪しいです。怪しさ満点です!」
「ということは、何かの罠……ということでしょうか?」
「考えられなくもないが……このままここで野営をするわけにもいかねえしな。危険だ」
霧に覆われ、周囲を見通すことができない状況で野営をするのは、ファクルさんの言うとおり、危ないです。
「大丈夫。邪な気配はしない。それに、何かあればイズがアルアを守る」
「ありがとうございます、イズ。わたしもイズを守りますよ」
「勇者と魔王がお互いに守り合う……平和ですね」
「だな――って、のんびりしてる場合じゃないな。いってみるか」
わたしたちは光の下へ向かいました。
果たしてそこにあったのは――。
「家か……?」
「いえ、違います!」
「アルア、今のだじゃれ?」
イズに指摘されて、気づきました。
確かにだじゃれになってます。
でも、
「ち、違います!」
「笑う? 笑う? あはは?」
疑問系で言ってる時点で面白いとは思ってないってことですよね!?
やめてください! 本当に今のは違うんです!
「真っ赤になったアルア、かわいい。好き」
「ありがとうございます――って、違います! そうじゃなくて! あれは確かにお家に見えますけど、木です!」
空に届くほど大きな木――その木が、まるでお家のようになっていたのです。
「うるせえなぁ。誰だよ、オレんちの前で騒いでる奴は。ぶっ飛ばしてやる」
そして、そんな大きな木のお家のドアを開けて、全身毛むくじゃらのおじいさんが現れました。
この出会いが、まさかあんな結末を迎えることになるなんて。
この時のわたしたちは、想像もしていなかったのです。








