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精神病院

 奴らはしつこく繰り返し問うてきた。俺がどこから来て、なんの組織に属しているのか、あの見慣れぬ武器は何か、よくわからない鉄の箱はなにか、俺はどのような意思でここにいるのか。

 あの忌まわしい対戦の時の、徹底した思想弾圧と粛清によって悪の枢軸を作り上げたMPの制服に似た制服を着たアジア人の将校らしき男、打って変わって昔の王立陸軍ロイヤル・アーミーの将校のような軍服に身を包んだイングランド人の男が、イギリス訛りの英語を使って、険しい顔をしながら会話をしている。英語の中に時々、異国の言語が混じり、所々が理解できない。

 装備を剥かれて、木製の椅子に手錠で縛り付けられ、ジュネーブ条約を無視した、殴る蹴る水責めの拷問を受けさせられた。

 SASの隊員には、拷問の訓練を受けさせられている。そこらの特殊部隊のチンケな連中とは比較にならないような壮絶な拷問も想定されている。

 この程度で自分の所属を話すわけがない。

 俺は、国王陛下に忠誠を誓った王立陸軍兵士だ。

 祖国のためなら、母でさえ殺してみせる。


 × × ×


 拷問室もとい尋問室の鉄製の扉一枚を隔てた廊下で、カインケルス陸軍憲兵の少尉の男はカインケルス陸軍の大尉の男と事務的な会話をしていた。


「例の奴は、全然口を割ろうと致しません。我々はロシアなる国の諜報員であり、奴を騙しているのだと。そしてここはチャイナという国であり、我々は悪魔の侵略国であり、祖国は正義の鉄槌を我々に叩きつけ、我々は正義の名の下に串刺しにされると、繰り返し供述しております」


 典型的な日本人の顔つきの、日本人として平均的な身長をした憲兵少尉は、イギリス人の顔つきをした、高身長な陸軍大尉を毅然と見上げながら淡々と報告する。

 深い彫りの顔の陸軍大尉は、憲兵少尉の事務的な報告を聞きながら眉をひそめ、口をへの字に曲げている。彼は相当に苛立っていた。


「やはり奴は、ただの精神病患者のようだな」

「そのようです。我らはカインケルス臣民であり、ロシアなる極悪非道の国家ではありません」


 憲兵少尉は、その時代の帝国臣民のような極端な国家を神聖視した思想を持ち合わせてはいなかった。


「早々に精神病院送りにするのが宜しいかと」

「南部戦線も膠着、憲兵からも人員が割かれている。これ以上の手間は害悪であるか……喜べ少尉、貴様はもうこれ以上頭のイカれたクソ野郎に気を揉む必要はないようだ」

「はっ!ありがたき幸せ!」




 それから直ぐに、クリス・カリヤの精神病院送りが決定した。夜中、到着したトラックの中に両手両足を拘束された彼は無造作に放り込まれ、街灯のない夜道を激しく揺られながら山奥の木造の隔離病棟へと運び込まれた。


「…………。」


 クリス・カリヤは黙っていた。周囲の異常精神イカれた連中を鋭く睨みながら、前を歩く中年の女性看護師を追って歩く。拘束はこんな山奥では必要がないと取り外され、最後まで脱ぐことを抵抗した迷彩服の上下のまま、山奥の隔離病棟を油断なく歩く。


「ここ。風呂は3日に一回、朝8時、昼13時、夜9時は飯の時間だから食堂に来ること。外行ってもいいけど、死んでもしらないよ。まあ、その方が楽だけどね」


 その女は気だるげに言い終えると、そのまま来た道を引き返して行った。

 開けっ放しのドアから目の前の部屋に入る。窓は天井の天窓と採光窓のみ。ベッドの足は低く、固定されている。簡素な木製の机に椅子と、本棚のみ。その寂しい調度品の代わりに、騒がしいまでの壁の爪で引っ掻いて作ったであろうデッサンの狂った人物絵、よく分からない黒い何か、記されたインチキくさい予言の数々。

 そのイカれた内装を無視して、クリス・カリヤはベッドへと歩み寄り、その上でブーツを履いたまま、ドアの方を向いて座り込み、目を閉じた。




 目を開けると、夜だった。前日の任務の疲れもあり、すぐに熟睡してしまったようだ。

 GPSも無く、衛星通信もない。あっても使えない今のこの状況を打破する手立ては未だない。

 時計を見れば10時だった。とっくに夜食の時間は過ぎている。一週間飲まず食わずで森林をコンパスと地図のみで踏破する訓練のおかげで胃を小さくすることはいつでもできるが、食えるものは食っておきたい。


 食堂にいたのは、目を見開いて一心不乱にスケッチブックに鉛筆で意味のわからない絵を描き続けている奴と、マスクを着けていて、マスクに爪を立てては唸っている奴だけだった。あの女はおろか、誰もいない。

 食堂のテーブルに残された一人分の粗末な食事を見つけ、イカれた二人を警戒しながら素早く腹に詰め込む。

 食べ終わってから、誰もいないことを確認して、隔離病棟を探索する。

 二階建てのTの字型の建物で、二階は精神病患者の部屋、一階には風呂と食堂と玄関があった。ここは山奥であり、庭を超えた先には森が続いており、人里の光は遠く見えなかった。

 正門にいる警備兵二人。巡回制らしく4人常駐している。武装は二人がサブマシンガン、その二人より階級が上の二人は拳銃のみ。士気は、精神病院の警備ということで悪い。狙え目か。

 次の日から、その警備兵に取り入るために話しかけることにした。奴らは最初は無視していたが、俺が精神病患者とは違う普通の人間であることがわかると、段々と話をし始めた。

 奴らは24時間警備に退屈しており、賭けにも乗って来る。

 俺は、奴らの印象を良くしていきながら、脱出のチャンスを伺っていた。


 × × ×


 ある雨の日の夜だった。俺は警備兵の連中とポーカーをしていた。


「コール、スリーカード」


 一人の一等兵が手札を見せる。ハートのスリーカードだった。


「クソ、ツーカードだ」

「俺もだ」


 一人の伍長ともう一人の一等兵がスペードのツーカードを忌々しげに叩きつける。


「フォーカード。いただきだ」


 もう一人の伍長が得意げに手札を見せる。クローバーのフォーカード。その伍長は左頬を上げながらチップを回収しようとする。


「フラッシュだ」


 そう言って、俺はスペードのカード5枚を見せる。伍長の動きが止まり、その場の時間が止まった。


「俺の勝ちだな」


 俺は、奴らの顔に満足して、チップを全てたぐり寄せた。

 その時、隔離病棟から甲高い叫び声が聞こえて来た。直後、大地をピストンががなり立てる轟音が揺らす。


「敵襲だ!」


 敵爆撃機編隊の襲来だと察した俺は立ち上がった。が、警備兵の連中は何が起きているのかわかっていない様子で、むしろ俺の様子を怪しんでいるようだった。


「馬鹿野郎、手前ェらの頭ン中はWW1で止まってんのか⁉︎敵だ、敵の爆撃機だ!火の海にされるぞ⁉︎」

「何を言っているんだ、クリス。ここは南部戦線から5000キロメートルも離れているのだぞ。爆撃機など……」


 目の前の伍長の愚鈍さに腹が立ち、鋭く立っている襟を掴み上げる。


「本土空襲が最高の攻撃だ!なんせ、南部戦線にお熱のお前ェらじゃ敵の爆撃機を落とすなんて猿でもできる思考が出来ねェんだろうからな‼︎」

「き、貴様ッ!」


 二人の一等兵と残りの伍長が立ち上がって叫ぶ間にも、轟音は大きくなっていき、精神病患者の金切り声はとどまるところを知らない。


「外を見てみろ!」


 そう言って、ドアを蹴り破った。月明かりは既に無数の爆撃機に覆い隠されて見えない。直掩の複葉機が周囲を飛び回って索敵を行なっている。幸いにも見つかっていないが、これが敵の侵攻作戦だとしたら爆撃隊は前哨で、後方から敵のエアボーン隊が待ち構えている可能性がある。その上で後方から前線を崩し、機甲部隊で侵攻する。

 こんな危険が彼らには理解できていない。彼らはただ、上空の爆撃機を目を剥いて口を開けながら見つめている。


「死にたくなけりゃ、ここから出るぞ。協力しろ」

「しかし、ここの精神異常者を野に放てば……」

「その内のたれ死んでくれるさ。この森の中でな」

「そうか……」


 彼らが納得し、壁にかけていた武器を取ろうとした瞬間、車両のエンジン音がし、その内にいくらかの怒号が響いて、銃声がなり、精神異常者と女の叫び声が響いた。


「な、なんだ今のは⁉︎」


 伍長がヒステリックに叫ぶ。


「敵の侵攻部隊だ。森の中を突っ切るぞ」


 これは敵の一大攻勢だ。戦線からこれだけ離れたところまで車両を持って来て密かにキャンプさせ、爆撃隊とともに首都へと侵攻するつもりだろう。

 そんなことは関係ないことだが、俺も死ぬ危険がある。


「□×pえl△●──!」


 すぐ側から聞き慣れぬ言語の怒号が飛び交い、こっちへ向かって来る足音が聞こえる。


「敵が来た!銃を貸せ!」

「な、何をする気だ⁉︎」


 一等兵がサブマシンガンを抱えながら困惑したように言う。


「敵を殺すんだよ!」

「な──⁉︎」


 一等兵がそう叫んだ瞬間、戸口から銃声がして一等兵が倒れる。転がって来たサブマシンガンを拾うと、戸口を境に銃撃戦が始まっていた。

 生きている一等兵がサブマシンガンを乱射し、伍長二人が拳銃で必死に応戦する。敵もサブマシンガンを乱射する。一瞬の銃撃が終わり、両者が同時に倒れた。


「おい、大丈夫か!しっかりしろ!」


 一人無事な伍長の肩を揺さぶる。ヒステリックになっているようで、肩が震えている。


「立て、すぐにここを出るぞ」


 呻く一等兵からサブマシンガンの弾倉を抜き取り、伍長の死体からも拳銃を回収する。その他、小屋の中の予備弾倉と地図、コンパスに携行食料を目につくもの全て手に取り、置いてあったバックパックに詰め込む。


「ほら、早くしろ。追っ手が来ている」


 遠くから聞こえて来る怒号に脂汗を流しながら、生きている伍長を立ち上がらせて小屋を出る。


「ま、まて……置いていくな。やめろ」


 呻いていた一等兵が悲壮な顔をしながら、裏返った声で叫ぶ。


「おい、何をしている。やめろ、やめろッ──!」


 もったいなかったが、一発拳銃の弾を使った。仕方がない。戦場では何回も見て来た光景だ。こいつを助けようとすれば、俺たちも死ぬ。俺が狙撃したあの男のように、敵に狙われている状況で味方を構う暇はない。


「行くぞ。物音を立てないようにな」

「あ、ああ……」


 俺はその伍長と、森の中へと踏み出した。

 森の中をコンパスと地図のみで踏破する訓練は何回もしている。

 何も心配することはない。

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