襲撃
ついに、皆既月食の夜となった。
上空には、つい先程までまん丸の月が出ていた。
それが今、三日月より細くなってきている。
やがて、もっと細く、その代わりに今度は全体が赤っぽく見え始めた。
岩戸も、わずかに振動しているように見えた。
今、この場に待機しているのは、俺とユナ、ミリアとウィン。
さらに、前回の魔獣の襲撃で活躍した、この国の英雄、ムサシも前線にて待機している。
彼は三十歳ぐらいの非常に大柄な、見るからに戦士という感じの男だった。
話してみると、世界各国を旅しているというだけあって共通語も堪能。
今回の警備と俺たちの目的のための打ち合わせに関しても、特に揉めることもなく段取りを進めることができた。
彼は、こう言っては失礼だが、以外と温厚で知的だった。
そんなムサシだが、いざ戦いとなれば誰よりも勇敢に、積極的に敵陣に攻め込んでいくのだという。今夜も、大きな斧を持ち、腰に刀を三本も差している。
なお、俺たちの後には、数十人の一般兵も控えている。
もし岩戸の向こうから魔獣が攻めてきて、俺たちやムサシがやられてしまったなら、居住区への進行を食い止めるのは彼等しかいなくなる。
普段戦闘など訓練でしか経験したことのない彼等、かなり怯えている者もいるようだった。
ちなみに、警備の者達を除いて、一般住民は全員、四キロ以上離れた場所へと避難していた。
やがて月の明るい部分は全て消え去り、暗い赤に染まった。
それを合図に、岩戸はゆっくりと開いていった。
「……眩しい……」
ユナが一言、呟いた。
岩戸の向こうからは、白く、明るい光が漏れだしてきていて、その先に何があるのかは見えない。
皆既月食状態であれば、この岩戸は開いたままだということなので、全員少し様子を見ている。
……一分経っても、何も起こらない。
ただ、ものすごく長い時間に感じてしまう。
と、その時、ずっと後方で喚き声が聞こえた。
何事か、と一瞬そちらを振り返る。しかし、前方の光の中に何か異変が起きて、それを見逃すのもまずいと視線を戻す。
ところが、後方の騒ぎはますます大きくなる。
全員が、前と後に頻繁に顔を動かす状況となってしまった。
そうこうしているうちに、警備兵の一人が、後方から息を切らせて走って来た。
何か喚いていて、待機していた他の一般兵も騒然とした様子になった。
「……地下牢獄に閉じ込めていた魔獣が、動き出したらしい。今、格子や扉を破壊しながら、地上に出ようとしているということだ」
ムサシが、忌々しそうにそう話した。
「そんな……大変じゃない! ……でも、私達……」
ユナが困ったような表情を浮かべた。
「ああ、その岩戸の中に入らないといけないのだろう?」
ムサシの言う通りだった。
岩戸が開いている時間はあと数分。今から、動き出した魔獣を何とかするために牢獄に向かうと、間に合わなくなってしまう。
ウィンから伸びる『運命の糸』は、今までよりずっと強く、くっきりと、岩戸の奥、光の中へと続いていた。
「……では、俺だけ牢獄へと向かおう。ここでお別れだ、また半年後にお互いの戦果を報告し合おう」
彼はそう言い残し、爽やかな笑みを浮かべ、何人か兵を連れて、風のように牢獄に向かって走り出した。
「……さすが英雄と呼ばれることはあるな……あの様子なら、多分大丈夫だろう」
残ったユナ、ウィン、ミリア、そして一般兵に声をかける。
「……我々の、自慢です」
共通語の分かる一般兵が、微笑みながら訛りのある言葉でそう話した……と、次の瞬間、青くなりながら岩戸の方を指差した。
慌ててその方向を見てみると、光の中に、黒いシルエットとして、その魔獣が浮かび上がっていた。
「うそ……二体……いえ、三体!?」
ユナが、思わず叫び声を上げた。
一体でこの下町を焼き尽くした魔獣が、三体同時に出現した。
これらの進行を食い止めながら、時間内に岩戸を突破しなければならない――。
俺は剣を強く握り直したのだった。