Lost the Key II
白く塗られた壁。白く飾られた部屋。白い風が揺れる窓。全てが白いこの部屋に、私はいつからいたんだろう。私はいつまでここにいればいいんだろう。
この部屋でたった一つの色、それは私。たった一人、私だけ。
「叶美ちゃん、お薬の時間だよ」
「……」
やっぱり白いその人は入ってきて、にこやかに薬を手に近寄ってきた。
何がそんなに楽しいんだろう。何がそんなに嬉しそうなんだろう。何がそんなに……。
「はい、口開けてぇ。あ〜ん」
苦い味が、渇いた喉を刺激して、去っていった。潤してくれたはずの水が、なんだか恨めしかった。
「じゃ、また次の時に来るからね」
手を振って去って言った白い人。どうでもいいのに、うらやましい。
私だってこんな所にいなかったら、あんなふうに笑ってられた。私だってこんな所に閉じ込められてなかったら、あんなふうに明るくなれた。絶対に、そう思う。
「……はぁ」
「つまらなそうですねぇ」
そして現れた。白以外の色。私以外の、色の持ち主は。
「つまらないときは、楽しい事を想像します。すると、何故だか楽しくなりますからね」
白じゃない人。その人は帽子を目深に被って楽しそうに笑っていた。ドアを背にして、そこに描かれた絵のように。
その被った帽子も、服も靴も、杖までもが真っ黒。綺麗な黒。この白い空間に、その人は浮いているように見えた。
「そんなにものめずらしそうに見ないでください。まあ、珍しいかもしれませんが」
そしてまた、楽しそうに笑った。
「どこが楽しい?」
思わず聞いてしまって、自分でもびっくりする。人と話をするなんて、すっごく久しぶりだったから。
「ふふふ。それはね、貴方とお話できる事、ですよ」
また楽しそうに笑って、杖をいじる。黒の手袋をした手は、鮮やかに、優雅に杖をもてあそんだ。時にくるっと一回転し、時にただ空中を彷徨うだけ。それでも十分、私の目には鮮明に映った。
「さあ、それより貴方にお渡ししたいものがあってきたのですよ」
「私に?でも、……ここより外に、友達なんていないわ」
だって、ずっとこの白い建物に閉じ込められているんだもの。友達なんて、絶対いない。
口だけで困ったような表情をし、その黒い人は困ったように呟いた。
「友達?はて、それはなんでしょうか?私の知りえないものですね」
「友達を……知らないの?」
「私には、必要のないものだからでしょうね」
「……」
友達が必要ないなんて、悲しい気がした。うつむいていると、すっと頬に手が触れる。暖かかった。
「私のために、悲しんでくださるのですか?貴方はお優しい方ですね」
クスッと笑ったかと思うと、その人はもう、離れていた。
「私、優しくなんかない。ただ、ちょっと……」
「ちょっと、なんです?」
自分でも分からない。なんでこの人に話してしまうのかも、それすらも分かっていないのに、質問に答えられる訳がない。
「まあ、そんな事はちょっとした雑談だったという事で。私がここに来た目的、それは貴方に『鍵』を渡す事です」
「か、ぎ?」
「そう、『鍵』です。とってもとっても大切な、『鍵』です」
また、薄い唇が笑う。また、黒い杖が空を舞う。
「私の言う『鍵』は、どこにでもある鍵ではありません。この世界にたった一つしかない『鍵』です」
「たった一つ?なんで??」
気になる。話が、もっともっと聞きたい。
「それは、記憶の『鍵』だから。大切な記憶の『鍵』だからです」
「記憶に鍵なんてないわ。あるのは扉の鍵だけ。他に鍵が必要なのは―――」
「それですよ。『記憶の扉』の『鍵』。ホラ、『鍵』の存在する理由ができました」
「でも、そんなの目に見えないわ。あったとしても、意味ないもの」
「それはどうでしょう?」
警告音のように、杖が冷たい床を弾いて、カツンと硬い音が部屋に響き渡る。
「目に見えないから存在しない?手で触れないから存在しない?そんなの、不公平だと思いませんか?」
「……」
言葉が出ない。黒い人の声に、杖の動きに引き付けられて、逃げられない。
「想像する事、それはとても素晴らしい事、素敵な事です。それなら、信じたいという気持ちも、大切にされますからね。目に見えぬもの、手に触れぬものほど、信じたい気持ちはみながもっています」
「……」
「さあ、そんな信じる気持ちを探しに行きましょう。大丈夫、何の心配もありません。ただ、失くしたものを探すように、『鍵』を探すだけですから」
「失くしたもの……『鍵』……」
「行きましょう、探しに。きっといい事が待っていますから」
知らないうちに、私は頷いていた。
最後に聞き取ったのは、再び響いた、杖の音だけ―――。
*
変わらない、白い部屋の中で、私は立っていた。いつの間にか、立っていた。
「さあ、『鍵』を探してください、時間が来る前に」
落ち着いた、あの黒い人の声がどこからか聞こえ、跳ね返る。それなのに、不思議とよく通る声だった。
「大丈夫、何の心配もありません。ただ、探せばいいのです、『鍵』を」
「場所はどこ?教えてよ!」
くうを見上げて、空に叫ぶ。……空?
「あ……れ?」
部屋だと思っていたのは、勘違いだった。ここは、あの部屋なんかじゃない。私が閉じ込められていた病院。その外だった。
「どうかしましたか?そんなに空が不思議ですか??」
落ち着いた声は、ただ響き渡る。私は何もいえないで、ただ空を見上げていた。
「さあ、探しましょう、『鍵』を。そしたらきっと、本物の青い空が見えますよ」
「本物じゃ、ないの?」
「ええ、ここは俗に言う異世界のようなもの。本物のはずがありません。さあ、急いで。時間がなくなってしまいます」
言われてみれば、普通の空じゃない気がした。雲が動かないから、そう見えたのだろうか。
「さっきから時間時間って、何かタイムリミットでもあるの?」
「ええ、時間に制限があります。ここは貴方達がいていいような世界じゃない。ですから、早く立ち去らなければならないのです」
「分かった。でも、せめて『鍵』の形だけでも教えてよ」
「『鍵』の形は決まっていません。人の記憶によって異なり、原型などありません」
「……じゃあ、何か特徴はない?」
「そうですね……。『鍵』のある場所だけは、色があります。けれど、私には認識できないので、それは事実か分かりません」
「認識できない?なんで??」
「それは秘密です。さあ、早く探さないと、『鍵』が消えてしまう」
その声に急かされるように、私の足はゆっくりとある場所へ向かって歩みを進め始めていた。
どこもかしこも、きれいな白。けれど、どこか違った雰囲気のそこは、静かで、時の流れを忘れているようだった。
人がいるはずのベットに、人がいない事に驚きつつも、ゆっくりと私は進んでいく。どこもかしこも白い中で、絶対に行きたくなかった部屋が見えてくる。詳しい事は覚えていないけれど、二度と近寄らないと誓った部屋。そこに周りと違った、白い色が付いているような気がした。
「……まさか、ここにあるのかな?」
ひょっこりと顔を出し、その部屋を覗くと、やはり色がついていた。見舞い客用のいすが、薄い水色をしているから、分かった。他の所は、全部真っ白だったのに……。
その主のいないベッドに、ほのかな光を放つものがあった。それに近付いてやっと、『鍵』である事が分かった。二つに枝分かれしたような『鍵』は、まるでハート型。それを飾るように、絡んだ蔦に花が咲き乱れていた。
「……これ、あったかい」
「……それが『鍵』です。よかった、早く見つかったようで」
「でも、これ、どうやって使うの?」
「胸に当てて、それで目を閉じる。それだけで、結構ですよ」
言われたとおりに暖かな『鍵』を手に取り、胸に当てる。その暖かさが服を伝って体に伝わってくる頃、私はそっと、瞼を閉じた。
―――カチッ
「さあ、思い出してください、貴方には必要な記憶です。大切な、思い出です―――」
*
「ねぇ、カナちゃんは、ここを出たら何がしたい?」
「え?」
私の声が、重なった。黒い人の声が聞こえ、急に不安になって目を開けた時、既にここに私は立っていた。場所は代わらないけれど、主のいなかったベッドに、人が横たわっている。そして、その子は私を『カナちゃん』と呼んだ。私の、たった一つのあだ名で。
「え?って、何??だって、明るい事を考えたほうが、楽しいじゃない!」
「でも、でもさ。病気が治らなかったら、一生出れないんだよ?」
「それでもいいの!考えるのって、結構楽しいもの!」
やっぱり、去年死んでしまった、同い年だった那美ちゃんだった。私も、彼女と一緒の病室にいた時の、ほんの些細な時間を過ごした、大切な友達だった。
「ねぇ、カナちゃんって、ピーター・パンとか信じないの?」
「うん。だって、本当にそんな人がいたら、大変なニュースになってるよ」
「アハハッ!そうかもね。でもさ、本当にいたとしたら、どう思う?」
「いないって」
「だぁかぁら、いたとしたらって言ったじゃない」
「……いたとしたら、私も一緒にネバーランドに連れて行って欲しいな」
「それで?」
「それで!?……う〜ん、たくさん遊んで、たくさん踊ったりして、笑って過ごしたいなぁ」
「そう!それよ!!」
「何!?急に大きい声出して。那美ちゃん、どこか痛くなったの?」
「違うよ、違う!それでいいんだよ、考える事って!」
変わらない笑顔で語る那美ちゃんは、とっても楽しそうなのに、何て私は不細工な顔をしているんだろう。なんで、私は、笑えないんだろう。
「考える事って、ホラ、さっきみたいな事って、楽しそうでしょう!?いつも無愛想な那美ちゃんだって、笑って過ごせるって思えるでしょう」
「……うん」
「だからね、きっと大丈夫って信じればいいんだよ」
「何を?」
「病気が治るって!病気が治ったら、私は、家に帰っていっぱいお母さんたちと遊ぶの!それでね、ずっとずっと笑っているの!みぃんなで、楽しく一日を過ごすんだ!」
「でも、治ったらの話でしょ?」
「だから、考える事!大丈夫だって、信じる事!そうすれば、夢だって叶うわ」
「そうかな?」
「そうだよ!お母さん、言ってたんだ。『もし、貴方が苦しい時、辛い時は、楽しい事を考えなさい。それで、その事を信じるの、信じ通すのよ』って。だから、私、楽しい事を信じるんだ!!」
「そうしたら、私も笑えるかな!?」
「うん!だって、楽しい時は、笑うでしょ?」
「そうだね……うん!そうだね!!」
……私が、笑ってる?この私が、笑ってる。不器用で、不細工で、汚いけれど、あれは笑ってる。とっても、とっても楽しそうに。
「だからね、カナちゃんがとっても寂しい時、悲しい時、嬉しい事とか、楽しい事を想像してごらん。きっと、ん〜ん、絶対笑えるようになるから!」
「いつでも、笑えるかな?」
「うん!」
「私でも、笑っていいのかな!?」
「うん!!もちろんよ!!」
きれいな笑顔の那美ちゃんは、私の汚い笑顔に向かって、本当に楽しそうに笑っていた。
「……じゃあ、もし、立ち直れないくらいの悲しみに私が立ち向かえなくて、笑えなくなったとき、どうすればいい?」
「……そしたらね、空に向かって、ピースして!そんで、叫ぶの!」
「なんて?」
「青空さんにお願い事があります!その蒼さに、私の悲しみを混ぜてもいいですかって!!」
「それ、お母さんが言ってたの?」
「ん〜ん。自分で考えたの!でもね、本当にそうすると、胸の辺りがスッキリするんだ!」
「だから那美ちゃんは、いつも楽しそうなの?」
「うん。空がね、私の代わりに悲しんでくれるから、私は笑っていられるの。空が笑えない代わりに、私が笑うの!!」
とびっきりの笑顔が眩しいのに、歪んで見える。きっと涙が瞳を濡らしているから、余計にこんなにも笑顔が綺麗に見えるんだね。
「じゃあ、私もやるね!」
「じゃあ、そのぶんカナちゃんは笑顔でいてね!」
「うん、約束する!」
「約束、だよ♪」
……ゴメンね、ゴメン。本当に、ゴメンね。今の私、那美ちゃんとの約束、思いっきり破ってる。ゴメン、ゴメン―――。
*
「嘉納 叶美、貴方は思い出せましたか、大切な記憶を」
ぎゅっと抱きしめた『鍵』の暖かさを感じながら、私はその声に頷いていた。
「約束事は、とても忘れやすく、脆いもの。破ってしまうのも、守り通すのも、とても簡単です。けれど、一度大切に守り通せば、とても輝く、心の光となります」
「……私は……私―――」
頬に、優しい掌の感触だする。あったかい、心が落ち着く。
「悲しみをバネに生きるのも、人の道。ですが、悲しみを乗り越えて進むのも人の道です。そのように、一つの選択肢だけでなく、いろいろな選択肢の中で、最も適したものを探し当て、それを道標に生きなくてはなりません。不自由なようで、とても美しい人の道です」
「……私には、護れないよ……」
「それもそれで、一筋の道となり、結果が待っています。けれど、結果は変えられます、貴方の生き方次第で」
「……」
「さあ、貴方はもう、大丈夫。独りじゃない事も分かっていますし、何より、約束という名の優しさが、貴方を護ってくれていますから―――」
*
次に目を覚ました時は、もうあの部屋で、寂しい気がした。けれど、本当は寂しくない。
「叶美ちゃん、お薬だよ」
「……はい」
ねぇ、聞いて、那美ちゃん。私ね、また、空にお願い事したんだよ。今度こそ、笑って青空さんに恩返ししますって。だから、もう心配ないよ?私は私なりの未知を信じて進むから。
もし、あの黒い人にあったら、言っといてくれる?一言でいいんだ、有難う。それだけでいいから、いっといてくれると嬉しいな。
拙い文章でしたが、どうでしたか?短編ですが、感想などいただけたら嬉しいです。今度の参考にしたいと思います。
では。