第1章-3 大犯罪の共犯者
「…………………」
その取り出されたリュートを見て、アランは呆れて声も出ない。
吟遊詩人というのは本当らしい。
山中の行軍にそんな嵩張る荷物をよく持ってきたものだと感心せざるを得ない。こんな山奥まで詩の題材を求めてくる時点で相当な熱意だが。
それにアランは竜殺しという目的を吹聴してはいない。そんな噂を掴んで信じた――いや賭けたのである、山中の行軍を考慮すれば命さえ掛け金にして。優男然とした見た目に寄らないものだ。
ヴィートは姿勢をつくりリュートを抱え、ぱらりと一つかき鳴らした。
澄んだ旋律。
そこから続いて流れる流麗な調べ。水のような――川のような。
せせらぎとの協奏。
そして――天上の歌声。
深く澄んだ響き。
先程までの話声よりもずっと高い音域を豊かな声量で歌い上げる。
「―――――――」
アランはその美しさに息を飲む。
どこの国の言葉だろうか、歌詞はアランには聞き覚えのない言語だ。
――精霊の言語。
人には見えないが存在する、世界に宿る魔力の塊のような存在。彼らが話すのならきっとこんな心地良く耳に響く言語なのだろう。
これは吟遊詩人というよりも――
曲調が一転した。繊細で流麗な調べから音色が賑やかに囃し立てる。
声音が変わり、人の言葉を紡ぎだす。
「――さあ語ってみせよう、聞いておくれ
どんな話か知りたくないかい
俺が山で出会った男の話さ、そんじょそこらの山じゃあない
いくつも谷越え山越えまた越えて
水晶の森に横たわる躯
目を疑え、いや耳を疑え
事切れた竜が血の海に沈む
立つのは剣を手にした血染の男
ああなんという僥倖か、竜の騎士に出会えるとは――」
この軽妙軽快な語り口。即興でこうもすらすら出てくるとはさすが吟遊詩人だった。
なんという技量だろう。題材を求めてこんな山を登る熱意だけでなく、いやその狂ったまでの熱意を納得させる技量。
短いその演奏が終わるときには惜しく感じてしまった程だった。最後まで聞きたいと思ってしまった程に――その為にはアランがヴィートの頼みに応じて語ってやる必要が出てくるわけだが。
ヴィートはリュートをケースに戻す。
「どう? ちょっとは俺に歌って欲しくならないかい?」
不老不死を求めた理由を。この唄の続きを。
これはいい戦略だと認めざるを得ない。
そう言われて――いや聞かされてしまえばつい一考くらいはしてしまう。
竜の騎士の称号を求めた理由、それを得たうえでの目的を教えたらヴィートはさぞかし喜ぶに違いない。それくらい格好の題材にはなるだろう。
何しろ望むのは穏便に言って王の退位なのだから。
笑えるくらいに作り話のような半生だ。
けれど例えここまで世話をしてもらっても教えてやる義理はない。どれほど唄が素晴らしくてもだ。
「断る」
アランのその膠もない返答に、ヴィートは対して堪えた様子もなく苦笑しただけだった。
「腕には自信あったんだけど。まだ精進が足りなかったか」
「腕前はかなりのもんだった」
「それはお褒めに預かり恐悦至極。
――君は不老不死になって舞い上がっているようには見えない。竜の騎士になることは目的ではなく手段でしかないんだろう?
ならその目的に俺を利用しないか? きっと役に立つはずだ」
まだ諦めていないらしい。
こんな山奥にまで来るほどだ、そう簡単には諦めないかとアランは辟易する。
「吟遊詩人が何の――」
ヴィートはその言葉を遮ると事も無げに言った。
「イリヤというのはイリヤ殿下のことかい? リエト国の先王の一人娘」
「!」
どうして知っている――と声が出かかったが、そういえば気を失う前にその名を呟いた気がしないでもない。
そしてアランは明らかに正解だという表情、反応をしてしまっていた。
竜の騎士になるために力だけをひたすら磨いてきたのだ、こういう駆け引きには慣れていない。
「吟遊詩人は貴族の屋敷で演奏の依頼を受けることもある。
君の目的が貴族階級に絡むことであるのなら、どうだい、少しは役に立つ気がしてこないか?」
「―――――――――」
協力の申し出。
考えてもみなかった。
竜の騎士になることが計画の要であり絶対条件だった。それには協力など必要ない。ただひたすら己を極限に鍛えるだけだった。
けれどそれは達成したのだ。
どのみち王の退位が大事にならないわけはなく、隠し通せることではない。
噂――つまりは情報を集める能力もあるようだし、この吟遊の腕前も確かに役に立つかもしれない。見かけによらずこんな山に登る根性もある。竜の騎士となったアランに対し、謙りも持ち上げもしないところは悪くない。それに王を玉座から落とそうという重罪だ、自ら協力を申し出てもらわなければ巻き込めるものでもない。
こんな重罪を話せば警邏に突き出される可能性は十分にあるが、この恐ろしく熱意溢れる吟遊詩人なら唄の題材の為に罪を見逃すくらいやりそうである。それ以前にあんな話を信じるのかという懸念もあるが、ヴィートならば否定するより喜んで食いつく話だろう。創作でも構わないとするかもしれない。
目的の為に今までずっと一人でやってきたのだが――ここで通す意地よりも目的をより確実に、より嘆かせ後悔させ惨めに退位させる方がずっと重要ではないのか。
アランは答えを待つヴィートを見据える。
答えを待つ緊張感などない澄ました綺麗な顔の男がこちらを見返す。
ついて出た溜息は諦めか落胆か、アランは答えた。
「分かった。
ただし俺の目的が何であっても邪魔はするな。これが答える条件だ」
「いいとも。約束しよう」
その深く考える間も素振りもなく軽く出てきた答えに、アランは出したばかりの息を再び深く吐き出した。
「安請け合いはやめておけ。
俺が大犯罪を犯そうと画策してたらどうする」
実際その通りである。
しかしこの吟遊詩人はむしろ顔を輝かせた。
「それならそれで美味しいじゃないか。
軽犯罪ならせせこましいが大犯罪なら華々しい」
「呆れた奴だ。
唄の為に犯罪にまで手を貸すつもりか?」
「場合によっては人々の英雄にもなりうるってことさ。
竜の騎士になってまで成し遂げようっていう大犯罪だ、そんじょそこらの執念じゃない。そういう時は何かしらの事情があるんだよ、あるいは被害者にそれ相応の報いを受ける理由ってやつがね」
「―――――――――――」
目を瞠る。
その言葉は。
己さえも否定していた自分の行為を肯定してくれたように思えた。
「だから、聞かせてくれよ。
君は何故竜の騎士となった?」
竜の騎士を目指したその目的、目的とする理由。
他人に話したことはなかった。
話したのは養父くらいで、アランの出自を知っているのも彼くらいのはずだ。
それほど隠し通してきた事実だが――口の端で微かに笑う。この男になら話してみるのも悪くない。
アランはまるでどうでもいい雑談のように語って聞かせた。
話の重さとは裏腹のその語りの軽さ。
ヴィートははじめこそ目を見開いて驚いていた様子だったが、口には何も出さず聞き役に徹する。
そして話終わり神妙な顔をして聞いていたヴィートの第一声。
「で、イリヤ殿下は話にいつ出てくるんだい?」
「真っ先に言いたいことはそれか」
「そりゃあね。彼女が王位を継げば、その継承劇は後々まで語り継がれるだろう」
「お前が、だろ」
「違うさ」
意外にも否定した。真顔で否定して続ける。
「語り継ぐのはいつだって民衆だ」
「ああ――そうだな」
その通りだと、アランは同意した。
一握りの貴族ではなく、大多数の民衆。
「だが残念ながらイリヤはこの話には絡んでこない。――いや、先王の娘って立場上巻き込まれはするだろうが、これは俺が自分の為に勝手にすることだ、俺の話には絡んでこないさ。
親密だったわけじゃないし、お前がシルヴェストルの話を出すまで忘れてたんだからな」
「けど君は思い出したじゃないか。思い出して名を呼んだ。
何か思うところはないのかい?」
「思うところって――」
彼女に王位を。
確かにあの時そう思った。そう望んだ。
それは平静になった今でも変わらない。そして平静になった今だからこそ気づく。
リエトの当代王であるブラトには今二人の娘と一人の息子がいる。ブラトが退位したところで先王の娘のイリヤに王位が回ってくるとは限らないのだ。
憎むのはブラトただ一人であり、その子供まで玉座に着くのを積極的に攻撃的に妨害したいとは思わないが、どちらに王位を継いで欲しいかなど決まっていた。
「エリザベータの名を、イリヤに」
リエトの女王が代々襲名してきた王名であり、リエト建国の女王の御名。それがエリザベータ。
改めて口にすると、その望みがじわりと心と体に染みた。
イリヤ。
幼いあの日、幼い恋をした相手。
今まで竜の騎士になることだけに心血を注いできた。
それを成し遂げてもう注ぐ必要がなくなったからか。その下に、十年以上心の奥底にしまわれていた想いが浮かび上がる。それは取り出されてみれば十年以上も色褪せてはいなかった。
不死身の身になった今、もう報われることのない想いだというのに。
――シルヴェストル。彼の気持ちが分かった気がした。
そう教えたらヴィートは狂喜するかもしれないからやめておいた。