第1章-1 竜殺しの不死者
俺は男でよかった。男に産んでくれた母に感謝しようじゃないか
酒場の綺麗な娘を口説けるからかい?
いやいや娘が蝶よ花よと綺麗なのは今のうち
そうさ今だけなんてたまるものか。短いったらありゃしない
なりたいものは追いもしなけりゃ死にもしない、
まさに夢のごとくの不老不死さ
〝竜の騎士〟に〝一角獣の乙女〟
非力な女じゃ一角獣に見初められるしか手はないが、
一角獣は面食いで、器量よしに生まれなければ諦めろ
清らかじゃない遊び女も諦めろ
けれど男に生まれれば力次第、誰の天秤だって必要ない
見せてやろうじゃないかこの腕、この剣捌き
竜を殺してその血を浴びる
老いず死なずの竜の騎士
こんなときに頭をよぎったのが喜劇の一節だというのも、それまた喜劇だった。
「鈍ら剣」。意気揚々と竜の騎士を目指した男がその道中で挫折、戻ってきた男は不老不死がどれほど哀れか負け惜しみで語って聞かせたという笑い話だ。
あるいはそれを教訓話だという者もいるが―――むしろ大多数の者が―――アランにとってはただの笑い話だった。不老不死を目指しても無駄だというのが子供の頃に聞かされるこの話からの教訓だが、アランがあえてこの話から得た教訓を上げろと言われればただ一つ。
不老不死になれなければ笑い話だ。
「――――は、ははは……、はは…」
息も絶え絶えに口から乾いた笑いがこぼれた。
険しい山脈の奥深く、木々も生えない高山の頂。切り立った大きな岩は硬質な水晶岩で、辺りに巨大な棘のように乱立する。その半透明の岩にべとりと赤い血が滴った。どくどくと流れ血だまりをつくる。
鋭く尖った岩に無残に貫かれた翼膜。力なく尾を垂れ翼を伏せ地に横たわるその巨体。だらりと開いた口の中からは剣とおぼしき柄の先がのぞく。その亡骸でさえ威厳を持ち威圧感を発し、幻獣の頂点に君臨する王者としてふさわしい風格だった。竜―――その血は不老不死を与える最強の獣。翼膜と口内以外傷一つないその亡骸が、竜鱗の硬さと竜の強さを雄弁に物語っていた。
死してもなお残る誇りか。長い首の先が斜に突き出た岩に引っかかり、地に頭を着けることはない。
倒れたままのアランはようやく体を起こして立ち上がった。よろよろと竜の傍まで歩み寄る。
強張る手を伸ばし、その口の中に腕を突っ込む。
そして柄を握った。
躊躇はなかった。恐れもなかった。
あるのは思考が止まるほどの冷静さにも似た興奮。
腕に力が上手く入らず、何度か柄から手を滑らせる。高所の岩場から落ちるに任せた一撃で、根元まで深く剣は刺さっていた。手袋を外して足下の血だまりに落とす。素手で握って体重を使い、ようやく剣を口の中から引き抜いた。
勢いよく吹き出る鮮血。
捨て身ともいえるほど機動力を重視した為、鎧の類はつけていない。服はあちこちが破れ酷く焼け焦げ、肌やその下を露出させ、満身創痍で酷い有様だった。
その姿で頭から竜の血を浴びる。
生温かくべとりとした血が気持ち悪いどころか気持ち良い。背筋がぞくりとするほどだ。唇の端から口内へと入った錆びた味がとても甘美で、堪らず舌で唇を舐める。
真っ赤に染まる凄惨な光景の中、アランは唇の端を釣り上げて笑う。
―――なんて俺は幸運なんだ!
数の少ない竜と出会えたことも幸運であれば、その場が水晶岩地帯であったことも最後は幸運に働いた。この軽装の選択だってそうだ。
そして不老不死になれるほど幸運だった!
過去の不遇を埋め合わせるくらいには!
「ああ―――これで――――」
血が流れ出なくなったところでアランは剣を自らの喉にあてた。そして一息に一閃する。
不死の確認としても余りにも躊躇いがなかった。それで死んでもいいかというばかりに。
アランは離した片手で喉に触れる。
一閃した感触で分かってはいたが、そこに傷口はない。まったく切れてはいなかった。まるで鋼を切ったような感触だったのだ。だが触感は硬くなく依然と変わらぬ弾力があるのだから奇妙なものだ。
「おめでとう、これで君も不老不死だ」
アランはその声に振り向く。こんな奥地に人がいるとは思わなかったが、それに驚けるほど平静ではなかった。いや、不老不死が確定したこの瞬間、他に何が起ころうとも些事でしかないだろう。
そこにいたのは場違いなほどに優美な印象の男だった。アランよりも幾つか年上だろう、二十代半ばほど。金髪碧眼、眉目秀麗、こんな奥深い山によくも来られたと褒めてやりたくなる容姿だ。血に染まったこの姿を見て卒倒しないどころか青ざめてもいないことで褒めてやってもいい。
「それともご愁傷様と言っておこうか」
よく通る声で男はさらりとそんなことを言う。
称賛が皮肉でこちらの方が本心なのだろう。だが腹立ちはしなかった。自分でもその愚かさは分かっていたからだ。
それでもアランは不老不死を切望し、自らを地獄のような日々で鍛え上げた。
「君には一角獣に気に入られた幼馴染でもいるのかい?」
「シルヴェストルか。そんな奴―――」
アランは有名な詩曲の名を挙げた。幼馴染の為に不死を目指す男の話だ。そしてすぐに否定しようとして―――言葉が詰まった。
「イリヤ……」
その名が口をついて出る。ぐらりと眩暈がしたのは疲労ゆえだろうか。
どうして―――今まで思い出さなかったのだろう。
幼馴染というわけではない。イリヤは先王の一人娘。立場上、馴染むほどに頻繁に会ったことがあるわけではなかった。
それでもその鮮烈な印象は、あの日の記憶は、今この瞬間でも色褪せてはいなかった。今まで忘れていたのが不思議なくらいに。
不老不死になったことに対する後悔などない。それはイリヤのことを思い出したところで同じだ。
それでももう彼女と同じ時間を歩めないのだと思うと―――
標高のせいで体が冷えてきた。身震いがする。
―――ああ、そうだ。彼女がいい。
彼女に―――イリヤに王位を。イリヤに王冠を捧げるのだ。
あの男に王位など相応しいものか。
ブラトを、あの男を玉座から蹴落とす為だけに不老不死にまでなったのだ!
足が震える―――まずい。
立っていられない。不老不死になったからといって体調が万全に回復するわけではないらしい。血を流し過ぎたかもしれない―――自分の血を。
朦朧とする。
ぐらりと倒れた―――らしい。血の海が広がる視界でそれを判断する。あの男が慌てた様子で駆け寄ってくるのが視界の端に映った。
意識が途切れる瞬間、思い抱いていたのは王かイリヤか―――思い出すことはできなかった。