8.神殿と聖者
「いえ、こちらこそ、わが神殿にてそのような出会いが果たされたこと、光栄に思います」
神殿長の言葉は穏やかなのだけれど、物腰も穏やかで激したことなど見たこともないのだけれど、どうしてかとげを感じた。私が発するよりも余程柔らかな言葉なのに、何故だろう。
「けれど、そう、聖者様は広く世に渡るべき存在です。世にあり人々を救う、それが聖者様という存在ではありませんか?」
穏やかな微笑みで穏やかな声で、神殿長は言った。それは私から彼女を奪う。
「‥‥そのとおりですね。私は一つ所に留まるべきではない」
彼女の言葉は穏やかというよりは、全てを押し殺した言葉だった。全てを押し殺し、故に平坦に響く。
「あなたに出会えてよかった、光の御子。
‥‥幸福を願いましょう」
‥‥それはどういう意味だったのだろう。彼女が私の幸福を願ってくれるというのか、彼女と私とが共に人々の幸福を願いましょうということなのか。私は前者だと信じた。神殿の建前としては後者だろうけれど。
彼女は危なげなく立ち上がり、一同に向けて礼をした。その凝り目が私を射抜き、微笑んだ。
「救われたがっている人々の前に私は姿を現しましょう。だから、光の御子、あなたにもう一度出会えたらいいけれど、私はそれを望まない。本当は、こんな風に私の興味本位で行動することは許されないのです。
光の神殿の方々、あなた方はここから世界を照らし、私は市井に交じる。けれど望むものは同じ、人々の幸福だと信じます」
辞去の言葉は無かった。ただ彼女はいとも自然に扉を開き、出て行った。
「あ‥‥ありがとうございました。旅路の安全を祈ります」
その背中にぶつけた声が、彼女に届いたのかは分からない。ただ、それを聞いて私の世話係が慌てたように彼女を追った。多分、案内のために。そういえば彼女は目が見えないのだった。とてもそうは思えないのだけれど。
そして私は穏やかな微笑みの中に残された。
私も多分、似たような笑みを作っている。
「長様」
「何か、光の子?」
「凝り目の聖者様とは、一体どのような方なのですか?」
まるで幼子のように私は無邪気に質問を投げかける。
まるで可愛い弟子でも見守るようなふりをして、神殿長は笑ましげだった。それが本心を表すだなんて私でも思わないけれど。
「今の方のことですか?」
なんだか嫌な感じがしたので、私は首を傾げてみせ、ついで横に振った。
「いえ、聖者様とはどのような方なのですか?」
「聖者とは」
まるで講釈のように神殿長は言う、それはいつものことなのに、私は息苦しさを覚えてしまう。
「聖者とは、市井に交じり様々な奇跡を体現することで人々を導く人のことですよ」
「‥‥
私も聖者なのでしょうか?」
違うのだろう、と私は思った。だって私は市井に交じることなどできはしない。この光の為に。
分かっている。分かっているとも。私は市井に交じる、すなわち神殿から逃れることなどできはしないことくらい。