6.作られた聖者
彼女の目によればこの部屋のどこにも偽りは見えないということで(それがどういう状態なのかは例によって私には分からないのだけれど)、私たちは本当の話をした。
「私の母は狂信的な質でな」
彼女はおぞましい身の上を事も無げに語った。
「確かにその信仰は疑うべくもないが。だが、行き過ぎだった。 母は生まれてくる子に奇跡が顕現することを信じていた」
奇跡の顕現。それは世間の人々にとっては私のことだ。ばかばかしい。
「やがて五体満足で私が生まれて、結構なことだろうに母は不満――というより怒り狂った。それでも子供は成長する。世話は、してくれていたのかな。正直よく分からない。とにかく私は大病を患うことなく健やかに育ったよ。
でもそれも母にとっては許し難いことだったらしいよ。
しばらくは遅れて奇跡が訪れることもあろうという心持ちだったのだろ。でもそれすら裏切られたと言って、母は自分の手で私を聖者に仕立てた」
裏切り。子が健やかに成長するという、多くの母親に取っては幸せなことを裏切りだと呼ぶ、その心なんて私には分からない。
「目をね、凝り目を与えたのは母だよ。生まれもって与えられたのではない、この凝り目をね。 私が10歳になった年、母は焼いた金串で私の目を突いたのだよ」
そして私は聖者になった。淡々と彼女は語った。
「‥‥私。私は5つのときにこの神殿に連れて来られたの」
彼女の身の上話を聞いて、私は心を痛めるだけじゃすまなかった。私もまた、陰を抱いていると言ってくれた彼女に、私の多分闇の源を告げたかった。
「父も母も分からない。神殿の人の話では、どこぞの旅人が山の中を歩いていて、光に包まれた私を見つけたそうだけれど。案外それは嘘で、その人の子供だったりするのかもしれない。
この神殿は山を祀っているから、山の中にいた私を保護したそうだけど。でも今ではすっかり光の神殿ね」
山の名前さえ、私の出現は変えてしまった。この山は昔は光の山だなんて呼ばれていなかった。今じゃもうすっかり、その前の名は忘れ去られている。
忘れ去られた名。
それは私にも言える。
「私は自分の名前も覚えていない。ここに来る前のことなんて覚えていないし、神殿の人々は私を光の子、神の奇跡、としか呼ばない。私はどこの誰だったのだろう」
「名など」
彼女は自分の身の上は淡々と語ったくせに悼ましそうな顔をした。
「名など、本質を表すこともできないものだよ、覆われた闇。過去も、今のあんたを作り上げたというだけの意味しかない。私たちは本質的に独りだ。親子のつながりなんて無邪気に信じられるものではないだろうよ」
覆われた闇。彼女は私をそう呼んだ。光の子、神の奇跡と呼ばれるよりも、私にふさわしい呼び名だと思えた。そんなこと、神殿の人々は決して認めないだろうけれど。
彼女は矢継ぎ早に私を救う言葉を口にした。
「愛されれば幸福だ、それはもちろん。けれど愛されないことが不幸ではないよ、愛されない方が普通なのかもしれない。愛することができれば幸福だ、それが真実の愛ならば、その人も周りも幸福だろうさ。
けれど人は勘違いをする。自分は愛しているのだと勘違いをする。それは全く不幸なことだ。
覆われた闇、あんたは特異な人だけれど、別に不幸でも幸福でもないのだと思うよ。
あんたの不幸は人を知らないこと。あんたの幸福は人々に求められていること、それが本来のあんたではないにしても。
覆われた闇、不幸になるな。かといってあんたの幸福を求めても、それはあんたを殺すことだ」