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桃色の海

作者: 屑無吾妻

 僕は毎日街へ出て、かわいいものに出会う。

 今日は白い毛をした猫に出会った。歩き回るのに疲れてふと目についた公園で座っていたら、にゃあんと喉を鳴らしながら一匹の子猫が僕のそばに近寄ってきて毛づくろいを始めた。

 僕は大の愛猫家である。飼われている猫はもちろんのこと、例え野良であったとしても暫く見つめていると、実に様々な表情を見せてくれる。中でも僕はのどかな晴れの日、縁側でごろごろと日向ぼっこをしている猫の、目を細めた幸せそうな顔が一番のお気に入りだ。今、僕の足元に寄ってきた猫も、毛づくろいを終えるとそんな表情をしながら、丸くなって日向ぼっこを始めた。  

 その綿毛のようになった猫を見た僕は、発作的に握りつぶしたくなった。僕はかわいいものを見ると握りつぶしたくなるのだ。猫に鰹節、人間にかわいいもの。僕はきっと正常だろう。

湧き上がる感情を抑えきれなくなった僕はその白猫を思い切り、ぎゅっと握りつぶしてしまった。次の瞬間ぶよんという心地よい感触と共に猫はいくらか粘性を持った桃色の固体となり、僕の手の中に握られていた。

 僕は些細な罪の意識を感じながらもそれを左のポケットに突っ込んで家に帰った。そうしていつものように僕の部屋にその桃色を投げ入れた。

 何年も前から僕はこの桃色を集めてきた。この桃色はかつて小鳥だったこともあり、ハムスターだったこともあった。今ではそれはちょっとした寝床を作れるほどの量であり、そこに全身を埋めるのが僕の日課になっている。

 桃色の寝床はもよもよとした不思議な感触である。匂いはないが、弾力があり、包まれると妙な安心感と性的な高揚感がある。かわいいものを見ると感じる悶え、丁度あれが内からも外からも起こっているような、若しくはジェットコースターで頂上から急降下する時、下腹部に蠢く浮遊感のような、とにかく一度味わえばそれなしでは生きていけないほどの幸福感に包まれるのだ。

 勿論、生き物を握りつぶして桃色にしてしまうことがよくないことであるとは重々承知である。だが、握りつぶしたいという鬱屈した感情を、握りつぶすこと以外に晴らす術を僕は知らない。だが安心してほしい。僕はまだ人間を握りつぶしたことはないのだ。

 次の日も、その次の日も僕は街に出て、かわいいものに出会って、そして握りつぶした。何日も経つと、もよもよの桃色は遂に絨毯になった。毎日歩き疲れて、足が棒になった僕は、すぐに部屋に行き桃色の絨毯に足をうずめる。くすぐったいような、纏わりつくような不思議な感触で、桃色の絨毯は僕の足を包み込み、そして癒してくれた。

 もしこの桃色で満たされた湯船に浸かったならば、疲れも魂もきっとなくなってしまうに違いない。大量の桃色が僕の全身を包み込むのを想像しながら、僕はどうしてもある不埒なことを考えずにはいられなかった。今僕の足を癒している桃色は、全て小動物の桃色なのだ。もし、もしも人間の桃色を湯船にためられたならば、そこに浸かれたならば。日に日にその淫靡な妄想は膨らんでいく。ねえ、我慢することは健全なのかい。


 それは小さな、といっても僕とそう年の変わらない女の子だった。ある日公園横の交差点で信号が変わるのを待っていた僕は、彼女に出会った。いや、恐らく彼女は僕を認識していなかっただろう。なぜなら彼女は僕に気付く前に物思わぬ桃色になってしまったのだから。彼女の桃色はハムスターのそれとは比べ物にならないほど柔らかく、大きく、そして幸せであった。彼女は白い服を着ていた、気がする。大きな瞳で、赤が青に変わるのを今か今かと待っていた、気がする。今ではもうどうでもよいことである。

 もちろん罪悪感はある、しかし達成感もある。不思議な感覚だよ。恍惚と引け目は、ひょっとしたら同時に訪れるものなのかもしれない。とにかく彼女は桃色になり、僕の右ポケットにちんまりと納まっている。右ポケットにしたのは、多分彼女への細やかな後ろめたさからであろう。

 部屋の前に立つと、僕の心臓は大きく脈打った。胸が高鳴るのは人間の桃色に包まれることへの期待だろうか、それとも彼女への感謝だろうか。わからないまま、僕は部屋に桃色を投げ入れた。  

 瞬間、桃色はもりもりと盛り上がり始め、十秒と経たないうちに僕の部屋のドアを壊し、溢れ出てきた。

 僕は足から腰、腰から首へとせりあがってくる桃色を呆然と見ていた。感じていた、という方が正しいのかもしれない。何故桃色が爆発的に増えたのか全くわからない、桃色がどこまで増えるのかもわからない。しかし今や僕の頭の先まですっぽりと覆った桃色は、僕に痺れるような幸福感をもたらした。

 息なんてできなくても構わない。もしこのまま桃色が増え続けて世界を覆ってしまっても、皆がこの幸福感を味わうことができるのならば、案外それも悪くないかもしれない。そんなことを考えながら、僕は目を瞑った。


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