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第一部 第四章 第二片 去りゆきしは安息なる時なれど、愚者は諦めることはなし。

―――――――――――――――◆――――――――――――――――

あいつは女の手をしっかりと握っていってしまった。あいつのあの他者への気遣い、あの時の自分になかった、それは強さなのだろう。

家に入り、どこか自分が寂しく感じていること驚いた。だが、すぐにもう二十年近くも一人で生きてきたのだから、なにをいまさらと思い、すぐにそんな感情を振り払った。

自分は不器用な人間なのだ。その不器用さがために、素直になれずいつも後悔する。そういう人生を送ってきた。

あの時もそうだった。

私には、いや、私にも双子の兄弟がいた。私達は共にこの世界に生を受け、物心ついたときからいつも共にいた。だから、漠然といつまでも二人並んで歩み続けていくのだろうと思っていた。

しかし、その幻想はたやすく崩れた。

いつまでも続くと信じて疑わなかった日々は本当にあっけなく終わり、世界は一瞬のうちに変わってしまった。

まだ十五の頃、私達兄弟は時計職人を目指し修行を積んでいた。親方からの理不尽な扱いに耐え、逆にそれをばねにして技術を磨いていった。弟子入りして一年と少し経った頃、私達は一人の青年と知り合った。鉱山から掘り出された金属を工房に売るため、それまでの初老の男に代わり彼は来た。私達が親しくなったのは年が近いというのもあったが、なにより彼が私達に練習用にと端の金属をくれたからだった。彼は工房を訪れるたびに欠片こっそりと渡してくれ、次第に打ち解けていった。

私達はよく屋根の上でお互いの夢を語り合った。私達兄弟は一人前の時計職人になり成功をすること。彼はいつか鉱山を掘り当てて自分の会社を持つこと。それはやがて私達が一人前になるまで彼が助け、成功した後は私達が彼を助けるということへと変わっていった。それから時は流れ今から二十年前、やっと一人前と認められ親方から独立しようとした時、彼は我々の前に現れて教会の名の下に兄が生贄に選ばれたと告げてきた。

名目はフランシスカ地方の干ばつを終わらせること。

兄は私の商売の保護を条件にその運命を受け入れることを決めた。

私は必死で説得したが、兄は意志を曲げなかった。ただ、女神の意思なのだとだけ言い続けた。

悲しいことに、その当時の私には女神を疑うという考えはなく、納得しないまでも心のどこかで受け入れ、諦めがあった。

兄が死んだ後、莫大な金と工房を教会から与えられた。ただ虚しさだけがその大きさを増していった。それが山を越えた後溢れ出てきたのは後悔ではなく、あの男に対する憎しみだった―――――





鎧を着た人間がたてる、独特の騒々しい音が私を現実に帰させた。

「・・・来たか」

音がやみ、扉が叩かれる。

立ち上がり、扉を開けると、そこには意外な人物がいた。私は内心の動揺を隠して言った。

「何のようだ?」

目前にいる男の後ろには、鎧を着て武装した僧兵が六人ほど。その中の一人が私の態度に腹を立て、叫んだ。若い男だった。

「貴様!我らは教会のものだぞ。それを!」

目前の男がすっと右手をのばして青年を制した。

「失礼、スコール・ミニスター。私達は教会に所属する者です。こちらにラヴァ・フールはいらっしゃいませんか?」

私は即座に鼻で笑って、男を睨み返した。

「知らぬな。あいつとはもう師弟の縁を断った。それに知っていたとしても私がお前に教えるわけがなかろう、ラインビッヒ・フォルシュタイン」

男は動じなかった。それが拍車をかけ、私は過去から湧き上がる憎悪を抑え切れなかった。

声が自然と低くなる。

「神託の盾か?」

「守護者です」

「ふん、出世したものだ。いったい何人の幸せと命を奪ってその地位を得た?その穢れた権威で何人の人生を乱し、奪ってきた?」

「貴様、我らを侮辱するか!」

先ほどの青年が剣に手をかけて、叫んだ。

「やめんか、アレン!」

ラインビッヒの一喝にアレンと呼ばれた男は動きを止めた。

「二十九人です。私もあなたと再び会うまいと思っていました。・・・これも縁なのでしょう」

私はただただ目の前の男を憎しみを込めて睨んで応えた。

「ラヴァ・フールはここにいないのですね」

「知らぬと言った」

「そうですか。手間をおかけしました。―――いくぞ」




ラインビッヒは去り際にこう言い残した。

「許されるとは思っていません。しかし、彼らの犠牲により多くの人が救われたのは事実です」




言われずとも、そんなことは解っていた。だからこそ、納得ができない。守れなかった、勇気が持てなかった自分が許せない。あの男の裏切りが憎い。

それでも、過去のすべてを憎しみの対象にすることはできない。できるはずはない。それが悔しかった。憎むべき相手を憎めないことはつらい。ただ憎むだけならどれほどか気が楽か。

奴と共有した時間は自分中で、いまだ輝いていて、それでいて深い深遠への入り口だった。


「アル、あの時のお前は・・・・・あの言葉は嘘だったのか」





『金を稼いだら、アルに好きなだけ貸してやるよ。もちろん利子なしで』


私の言葉を聞いて、あいつは無邪気に笑った。


『なら、僕の夢は貴方達に一人前に育ってもらうことですね』




遠い遠い懐かしい日々。


思い出はただ、悲しみ、虚しさを久しく胸に甦らせる。

それを振り払うように、声を出して言った。

「ラヴァ、お前は守れよ。・・・・・絶対に教会になんぞ奪われるなよ」

風が吹き、木々が乾いた音をたてて去っていった。












―――――――――――――――◆――――――――――――――――


森のこんな奥深くに入ったのは十年ぶりだろうか。

昔、ソフィと二人好奇心に負けて森の中に入り込んだことがある。両親にきつく禁じられていたからこそ、あの頃は森という不思議な場所に興味があった。

右も左もわからず、二人抱きしめ、慰め合い、日が暮れていく森を泣いてさまよった。森がざわめく度に、獣の声が聞こえるたびに、何か人外のものに二人脅えた。子供ながら死を覚悟したとき、父が現れた。父は私たちの頬を打ち、そして、強く抱きしめてくれた。

今度もまた、つい先ほどまで私は死を意識していた。

不思議なものだと、考えていたら木の根に足を取られた。

こけると思った瞬間、がっしりとした腕に私は支えられた。

「気をつけろよ」

「・・・うん」

その腕につかまって体勢を戻す。

もうかれこれ三時間は森の中を歩いていた。ラヴァが道を作りながら歩いてくれているおかげで私たちは比較的楽に歩けていた。

「ねぇ」

「ん?」

「スコールさん、大丈夫かな?」

「心配することないさ。―――あの人は大丈夫だ」

「でも・・・」

ラヴァは背中に背負った荷物を横目で見て言った。

「せっかく、こうやって荷造りまでしてもらったんだ。師匠のためにも今は逃げることだけを考えたほうがいい」

私たちが小屋に着くと大きなリュックを渡された。その中には食料や着替えといった必要最低限のものが入っていた。彼はフレデリカを家に帰したとだけ伝えると、ラヴァにそれを渡し私たちに早く行けと言った。有無を言わさない強い口調だったが、その厳しい瞳の奥はとても優しかった。

「私、スコールさんのこと少し誤解してた。すごくいい人だったんだね」

少し息を乱して言い、ソフィは目を細める。

私も同感だった。あの人も立場があるだろうに、ここまでしてもらって私たちは何のお返しも、お礼さえ言えなかった。

「あの人は不器用だから、誤解されても仕方ないさ。自業自得だよ。でも、ソフィアがそう思ってくれると嬉しいよ」

「・・・・また、会えるよね」

ソフィの顔が曇った。きっと私も。

ラヴァはもう一度こっちを見た。

「時間はかかるかもしれないけど、必ず俺が何とかする。だから、二人そろってそんな顔するな。今は笑っていたほうがいい。気持ちが楽になるし、それに・・・」

「それに、何?」

「俺がそのほうが嬉しい」

「もう」

ソフィがくすくすと笑った。私もつられて笑う。どこか儚い笑いに感じられた。それでも、こんな風に笑い合えることが嬉しかった。ラヴァの言うとおり、笑い合える限り、それを守るために私はがんばれる。



突然、彼が立ち止まった。私も止まり、訳を聞いていた。

「ラヴァ?どう――」

「静かに」

彼の声はとても厳しく、胸騒ぎがおこり、不安で胸が一杯になった。

「エリス」

「・・・・・・なに?」

「この先の湖、わかるよな」

反射的にうなずいてから、当たってほしくない確信に似たものを胸に彼を見た。

「ラヴァ・・・」

「追っ手がきてる。少しだけ時間を稼ぐから、二人は先に行って待っててくれ。」

その瞬間、私は泣き出しそうな顔をしたのだろう。そんな私の袖をソフィが引いた。

「行こう、エリス」

優しい微笑が私を促す。

「心配するな、すぐに追いつくから。先に行って待ってくれ」

「・・・・」

「ラヴァさんむちゃくちゃ強かったじゃない。大丈夫だよ」

頭ではわかっていた、自分にできることはただ逃げることだけなのだと。

気を使ってくれるソフィの言動がいとおしく、うれしい。でも・・・

私は守られている。大切な恋人のラヴァに、守るべき家族のソフィに。

私は無力だ。

それがどうしようもなく悔しかった。

彼に軽いキスをした。それが今の自分にできる精一杯のことだった。

「無事に帰ってきてください」

「ああ、二人も気をつけて」

遠ざかっていく彼の後姿が見えなくなるまで、私は動けなかった。

彼を信じている。でも、それでこの不安がなくなるというわけではない。自分のためにあの人が傷付くかもしれない。そう思うと胸が耐えられないほどに締め付けられた。

「エリス、行こう」

「うん、・・・・そうだね」

ぎこちない微笑しか浮かべられなかった。

「信じよう。ね、エリス」

「うん、そう、だね。ありがとう、ソフィ」

励まそうとする彼女の笑みに私はたった一言返すことしかできなかった。

歩きながら私は女神様にずっと彼の無事を祈った。それはもしかしたら彼を裏切る行為だったのかもしれない。それでもあたしは祈らずにはいられなかった。


















――――――――――――――◆――――――――――――――――


聖都ラクファカーン教会直属、「神託の騎士団」。その名を知る人間は少ないだろう。教皇を通じて女神からもたらされる神託をあらゆる手段を講じても実行することを目的とし、そのために様々な特権が教皇の名のもとに与えられた特殊部隊。教会の設立の直後からその影となり、教会を支えてきたと伝えられている。

「神託の騎士団」は大きく三つの部隊からなる。一つは、教皇の命を直接受け、全部隊の指揮をとる「神託の守護者」。一つは神託実行に伴う障害を取り除く実働部隊「神託の剣」。一つは神託にかかわる要人を保護する「神託の盾」。

「神託の騎士団」は僧兵の中から選ばれた精鋭中の精鋭からなり、さらに「神託の守護者」は下部のどちらかの部隊で多大な功績をあげた者から選ばれる。

六年前、私はその名誉ある長に選ばれた。

与えられる主な任務は全国で発生する天災を静めるための儀式の護衛だった。



それは生贄の儀式だった。






此度御使いに選ばれし女、エリス・ミシェル。その行方はいまだわからなかった。私が関わる聖なる贄は盾だった頃から数えて、彼女でちょうど三十人目。

三十、私はそれを罪の数だと思っている。神に許されど、人に許されざる罪。贄の周りには様々な人間がいた。喚起の中、娘を送り出した家族。悲しみを隠し息子を差し出した敬虔な夫婦。絶望、慟哭、そして、自ら最大の咎を犯しこの世を去った者。今でもなお、目を閉じれば彼らの顔が鮮明に甦る。

彼らの隣にはいつも、神に疑問を投げかけ、運命を呪い、自分が残ることを後悔する贄の半身がいた。

彼らを見るたびに私は自らの行いの是非を神に問うた。

問答を繰り返す中、確かに悲しみの後、儀式により女神の采配により救われる多くの人々がいた。

それゆえ私は決心した、自ら悪になることを。誰かの犠牲の上にしか幸福をつくることができないのなら、私は汚れ役を、憎まれ役を喜んで買おう。それは、神が与えたもうた試練であり、幸福を奪った人々に対する贖罪だった。




ノックの後、部屋の扉が開いて一人の男が入ってきた。

「隊長、先ほどのスコール・ミニスターあれでよろしかったのですか?」

「相変わらず耳が早いな、クレス」

自分の片腕である男の顔を見た。

「アレンから聞いたのか?」

「ええ。不満たっぷりに。―――どうしたのですか、あなたらしくないですよ」

そう言って浮かべた涼しげな笑みは見慣れた私から見ても絵になっていた。

「別になんでもないさ。アレンが軽率な行動をしかけたから諌めただけだよ」

「確かに彼は若いですからね。―――ただ、私には話を聞くとそれだけではなったように思えます。隊長、貴方には及びませんが私とてこの職を授かって十年です。心中も少しなら。ですから、無理はなさらないでください」

話すことを無理に促さない物言いだった。それがかえって私に口を開かせていた。

「スコール・ミニスターは二十年前の楔だ」

クレスは眉をひそめて驚きを表した。

「そして、その時の盾が私だった。私はアルフォンス・オーランドと名乗り彼ら兄弟と接触した。二人は時計職人を目指していて、私はそんな二人を助け、いつしか友情と呼べるものさえ芽生えていた」

そう、それは自惚れではなかったはずだ。

「知り合ってから三年が経った頃、兄が贄に選ばれた。・・・・・私はな、任務を承りながらその意味することを解っていなかったのだ。彼ら、特に兄は運命を粛々と受け入れた。本当に潔よく、まさに信者の鏡だった。そんな彼を見て私は耐えられなかった。だから、彼を救おうとした」

そこで言葉を切り、クレスを見た。彼は軽くうなずき続きを促した。

「しかし、彼は私を止めた。自分が贄になるのは自分の意思で、だからこそ私が悩むことはないと、お前は女神の意思を遂行したのだから誇るべきなのだと、そう言ったのだ。私は彼の信仰に泥を塗る行いをした。そのことをただただ後悔した。彼が召された後、私は償いの手段を探した」

「隊長が入隊式でおっしゃられる罪を背負うという言葉はその答えですか」

「そう、彼の、いや彼らの思いを無駄にしないためにできることはそれしか思いつかなかった。そんな私がいまや「神託の騎士団」の長となっている。まったく、不思議なものだな」

「リースフェルン様はそんなあなただからこそ重用なされるのでしょう。・・・・しかし縁ですね。二十年前の悲劇が世代を変え繰り返されるとは」

「失言だぞ、クレス」

彼はあわてて口を押さえた。

「では、今の話はここだけの話ということで」

「すまんな。話して少し楽になった」

「いえ。私は剣出身なので過去の隊長のことはわかりません。それでも、守護者としては理解しているつもりです」

クレスが言い終えるのと同時に、部屋の扉が叩かれ従士が入ってきて言った。

「ラインビッヒ隊長、ホルムス大司教様がお会いしたいといらっしゃっています」

話の内容が内容だっただけに、思わずクレスと目をあわせ互いに苦笑をもらした。








「ご無沙汰です、ホルムス大司教。この度は如何なされましたか?」

「ふん、白々しいな」

肉がそげて、彫が深くなった窪みの奥の目が私を睨んでいた。ホルムスは向かいの席に座って言葉を続けた。

「ラインビッヒよ、なぜ、エリス・ミシェル失踪の件を私に報告しなかった?」

「我等神託の守護者には大司教に報告をする義務はありません。貴方様の職務は儀式の進行だけのはずですが?」

ホルムスは不快感を隠そうともせず顔を歪める。

「貴様に言われずともそんなことはわかっている。儀式も何も、肝心の使者がいなければどうにもならんであろう」

「ごもっとも。エリス・ミシェルは儀式までに貴方様の下にお送りします。それと、貴方様も勝手な行動は謹んでいただきたい。今回の件、もとはといえば、貴方が勝手にミシェル姉妹と接触したのが原因でしょう」

ホルムスは一瞬怯んだが、すぐに陰険な笑みを浮かべた。

「・・・・よかろう、その言葉女神様との聖約ぞ」

「もとより我等神託の守護者は御誓いの下に行動しています。必ず」

彼はそれ以上は何も言わず部屋を出て行った。

期日に間に合えばよし。間に合わずともそれはすべて私の責任となる。それを口実に意に沿わない私の足元をすくえる。せいぜいそんなことを考えていたのだろう。

「よろしいのですか?」

「かまわん。元はあの男の行動を許した我等の失態。我等は与えられた任務を果たす、それだけだ」

「そう、ですね」

クレスは言葉を濁らせた。

「・・・・ラヴァ・フール、何者なのでしょか?」

それはミシェル姉妹と共に逃げていると思われる男の名だった。

「シヴァとラウールはこれといって秀でた所はありませんが、それでも経験豊富な盾の兵です。あの二人がたいした抵抗もせずに倒されるなど、普通では考えられません」

「普通ではなかった。ただそれだけであろう」

「鎧の調査では十年以前の彼の経歴はまったくの不明でした。それに二十年前の楔だった男と師弟関係を持っている――」

「そこまでだ」手でクレスを制し立ち上がった。

「二人の件もある。そろそろ私が赴いたほうが良かろう」

「なにも隊長自らがお出にならなくても。下の者にお任せください」

「別に皆のことを信用していないわけではない。ただ、個人的にラヴ

ァ・フールのことが気になってしようがない」

「隊長・・・・」

「すまんな、クレス。けじめをつけさせると思って我儘を聞いてくれ」

クレスは肩をすくめて応えた。

「わかりました。馬を用意させます」

「助かる」

「ただし、私もお供させていただきます」

「ふぅ・・・仕方がないか。できたらお前に留守を任せておきたいのだが」

「ここの兵は優秀です。私などがいなくても大丈夫でしょう。それに状況が動くとしたらここではなくラヴァ・フールのところでしょうし」

「ふん、なるほど優秀だ」
















――――――――――――――◆――――――――――――――――


・・・・一人、二人、三人。


全員が森で移動しやすいように軽装した僧兵達だった。

今でちょうど四グループ十二人目。この広い森でこれだけの人数と出会うというのは、たった女二人にしては大げさ過ぎる。改めて教会というものの巨大さを思い知らずにはいられなかった。

確かに訓練された兵ではあったが、所詮は森では素人同然の騎士だった。

今までの全員がかかった同じ方法を使った。

紐の一端を樹に結び、それを枯れ葉で隠し、もう一端を持って樹を支点に紐の方向を変える。要するに足を引っ掛けるだけの単純なブービートラップをしかけ、兵達が来るのを樹の陰で息を潜めて待つ。

前の三度と同じく、三人は密集して互いに死角をカバーするように警戒しあっていた。


枯葉を踏む足音が徐々に近づいてくる。


足音が真後ろに聞こえ、遠ざかっていく。


まだだ・・・・


バカバカしいほど単純なブービートラップだからこそタイミングがすべてを握っている。

先頭の男が気付かずに仕掛けを通り越そうと足を上げた瞬間、紐を引っ張った。

男は足を引っ掛け体勢を崩した。短い悲鳴が上がり、一瞬で後ろの二人に動揺が走る。

「・・・遅い」

俺は呟き、駆けた。二人が剣を抜こうと柄に手を回す。

手に握った粉を彼らに投げた。

それは森で見つけた植物で作った一種の目潰しだった。目に入れば焼けるような痛みを生み出す代物だ。二人はとっさに反応することができず、顔にその粉をかぶり、先ほどとは比べ物にならない悲鳴をあげた。

その致命的な隙を見逃さない。一気に距離を詰めて、体を沈め、相手の顎を掌底で打ち上げる。相手は先頭の男を巻き込んで吹き飛び、それに留まらず、勢いを生かして残った一人に回し蹴りを打ちつけた。大量の涙を流す目を押さえながら最後の一人は吹き飛んだ。

彼らもただ一方的にやられているだけではなかった。先頭にいた男が覆いかぶさる男をどけ、立ち上がっていた。男はすぐに剣を抜き構える。その目はこの状況でなお冷静だった。

「貴様、ラヴァ・フールか?」

短く切った髪が印象的な青年だった。年は自分と同じぐらいだろうか?

「来い」

挑発に応えて、彼は剣を水平に構えた後すぐに咆哮と共に駆けた。

叫んだのは若いからだろう。前の三人はこの手の挑発には乗らなかった。

だが、その剣筋は劣らず鋭く、わずかな隙しかなかった。

体を逸らし突進を紙一重で避ける瞬間に首筋を打つと、青年は短い呻き声をあげて崩れた。

その後、俺は彼らの両手両足を手早く縛って木に繋げ、猿轡をかませて、その場を離れた。












俺達の村、ル・アヴールを北に十五キロ、セレス湖は比較的大きな湖で北半分を森に接し、南半分は岩山に囲まれていた。

その湖畔に着いた時、沈みゆく陽の光が水面に反射して美しい風景を醸し出していた。その光がふと目に入り、眩しさに目を細めた。

少し離れた水際に二人の人影を見つけた。

ソフィアは俺に気付くと、大きく手を振った。

「ほら、エリス!ラヴァさんが」

エリスは岩に座ったまま口元を押さえて、俺を見ていた。今にも泣き出しそうな顔で、すぐに穏やかな声で迎えてくれた。

「おかえりなさい、ラヴァ」

「ただいま」

駆けて来るエリスを強く抱きしめた。

「よかった、無事で。・・・・・・怪我はない?」

見上げてくる瞳に微笑み返す。

「少し擦り傷が痛い」

「・・・ばか」

目を細めて、彼女の体温を感じた。

そっと髪を撫でその感触を楽しんだ。

指でその白い頬を撫でた。

どれもがエリスで不思議ぐらい心が安らいだ。

「ラヴァ?」

「ん?」

「どうしたの?」

「いや、お前はお前だよなって」

エリスはキョトンとして俺を見上げたが、俺は無視してその頭を抱いた。

「本当に大丈夫なの?」

「ん・・・ああ、大丈夫だよ」

そのまましばらく抱きしめ合っていると、コホンと、居心地の悪そうな咳払いが聞こえた。

「あのー、そろそろ黙っているのつらいんですけど」

エリスは俺から離れてソフィアのほうを向いてにやっと笑った。

「ごめんソフィ、あなたがいるの忘れてた」

それを聞いてソフィアは顔を膨らませたが、その様子があまりにも子供みたいで俺は笑ってしまった。

「あ!ラヴァさん、何で笑うの!?」

「悪い」

あーと声をあげてそっぽを向いたかと思うと、ぶつぶつ愚痴りだした。

「そりゃあ、私は振られましたよ。子供っぽいですよ。どうせお邪魔虫ですよ。外見は一緒でも色気はないし。落ち着きがないし」

「そんなに拗ねなくてもいいのに」

「エリスはいいよね、優しい彼氏がいて余裕があって」

「なにも、そんな言い方しなくていいでしょう」

「ふんだ」

俺はそんな二人のやり取りを微笑ましく眺めていた。少しだけだが余裕が出てきたようで安心した。過酷な運命に翻弄されてきたとはいえ、今回のことは神を捨てることだから今までの人生の半分を否定することといっても過言ではないと思う。二人とも敬虔な信者だったから尚更だろう。少し無理をしている感があったが、どれでもこんな状況で無理ができるだけでもやはり二人は強い女だと思った。


・・・・・俺も負けてられないな。


「二人ともそこまでにしてそろそろ行くぞ」

さっさと歩き出すと、背後で同時に叫び声が上がった。

「あ、ちょっとラヴァ待って」

「あ、ちょっとラヴァさん待って」

慌てて二人は追ってくる。

「ねぇ、どうするの?」

「今日の寝床、あてがあるからそこに行こう」

「あて?」

「ああ、この近くにな」

さっとあたりを見回すと見覚えのある岩山があった。鋭く空にそびえる山。昔、俺達はそれをランスと呼んでいた。

そちらに向かって歩いていくと、ランスのすぐ手前に薄い林が広がっていた。その森に入ると、一度閉じた視界がまたすぐに視界が開けた。そこにあるのは森の中を丸くくりぬかれたように広がる芝の茂った空き地と奥の一面を占める暗灰色一色の岩肌だった。何枚もの細長い岩盤が重なり合うように積み重なりその山を形作っていた。

岸壁のそばまで歩いていくと、すぐに探していた岩を見つけた。

手で二人を招くと、その岩の裏側にあるものを見て彼女達は息を呑んだ。

「これって・・・人が作ったの?」

ソフィアが言った。それを俺は首を横に振って否定する。

「いや、たぶん自然のものだ。一応先に中を見てくるから、少しだけ待っていてくれ」

俺は荷物を下ろし、油袋を取り出した。落ちていた枝に油を浸し、火打石を片手に巨大な岩盤の隙間、男一人がやっとに通れるほどの隙間に身を通し、一人洞窟の中へと足を踏み入れた。

空気が一瞬で豹変した。冷たくそれでいてじめっとしていて、光がほとんどないのとあいまってあまり居心地のいい場所でなかった。

地面の中を蠢くような水の流れが遠くから聞こえている。

松明に火をともすと中の輪郭がうっすらと映った。奥行きがせいぜい十メートル。岩だけの光景。それ以外は植物も何もなかった。おそらく、ここは十年以上もの間誰に目に触れることもなくここにあり続けていたのだろう。岩壁に触れてみると意外にも乾いていて水気はなかった。

「・・・・親父、使わせてもらうからな」

呟いて、出口へと踵を返した。


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