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第一部 第六章 微笑み、煌めきしは命の灯か・・・・・

第六章 微笑み、煌めきしは命の灯か・・・・・


 今ほど力を欲したことは、たぶんない。これからもたぶんないと思う。

 誰よりも強く、神さえも圧倒する力が欲しい。そうすればきっと、誰も傷つけずに済むだろうから。

 それが身勝手な甘い考えで覚悟の揺らぎ、弱さだとわかっていた。それでも、彼女の笑顔を思うとその願望を捨て去ることができなかった。






――――――――――――――――◆――――――――――――――――――

 蹄が大地を蹴る。そのたびに首は元の位置のまま体だけが上下し、合わせて手綱を引けばシオンの首と自分の胸が近づく。二つの呼吸が重なった今、微かな懐かしい感覚と昂揚が体を支配していた。頭の上に輝くノーミル・リュサールの光のおかげで進むべき道を見失う事はない。阻むものは弓兵が二人と道幅いっぱいの木柵。両側をうっそうと茂る木々で覆われ、道は正面しかなかった。五年来の付き合いの愛馬の名を呼ぶ。

「行こう、シオン!」

 応えるように嘶きが冷たく硬い大気を震わせ、蹄の音が一瞬聴覚から掻き消される。

 弓兵が弓を構え、矢を引き構える。すぐには放たない。じっくりと引きつけて狙いを定めて時を待つ。お互いの距離は五十・・・・・四十・・・・・三十・・・・・二十・・・十・・・・

 手綱を引いたのと矢が放たれたのはほとんど同時だった。シオンは筋肉を収縮させて姿勢を低くする。次の瞬間、力強い躍動でその巨躯は飛び上がり二本の矢は腹の下を通過した。着地、同時にシオンに足を踏ん張らせる。勢いのまま、砂同士が擦れる音をあげて蹄が地面の上を滑る。弓兵は弓を捨て剣を抜く。左で綱を引きシオンに体をひねらせ二人に側面を晒し、右で後腰に固定していた刃渡り一メートルの斧状の鉾槍――イクスヴェを抜いた。最初の一閃で二本の剣を断ち、続けざまにその穂先で胸元にかかった笛を突き壊す。

 頼む、このままいかせてくれ・・・・・っ。

刹那の祈りは虚しく、彼らは叫びをあげようとした。イクスヴェを振う。血が弧を描き大地を染めた。

「シオン!」

 溢れ出る感情のまま叫んだ。馬は駆け、ノーミル・リュサールの中心へと向かう。

 この先に六人、そして本陣を守る五十人もの守護者と剣が待ち構えている。さらに切り抜けたとしても、その先には・・・・・。自分ではハイラブリオンに勝つことはできないだろう。だが、それならそれなりにやり方がある。

 イクスヴェを再び腰に固定して変わりに三連銃を右太腿から抜いた。道は大きく右に蛇行し、道の左手に茂る木々が視界をうめたのも一瞬、体を内側にそらし一気に曲がりきった。百メートルほどさきに六人の騎士がいて、うち三人が弓を持っていた。すでに構えは万全。自分がここにいる意味を彼ら冷静に受け止めている。

「シオン!・・・っウィリアム!」

 聞き覚えのある声だった。迷いが生れ、思わず銃を向けようとした手が止まる。

 弓を構えているのが・・・・よりにもよってスール・アロー。訓練校時代同室だった、あいつが。百発百中を誇るあいつの弓の腕は確かだ。だからこそ、放たせるわけにはいかない。その前に撃たなければ。

 銃口をスルーに向けて引き金を絞る。指に力を込めようとすればするほど震えが照準を狂わせた。どいてくれ、という叫びは声になることはない。その言葉は互いの決意と信念を損ねる結果にしかならないとわかっていた。

 張りつめた弓の震える切っ先。そして、彼らの呼吸が止まりその迷いが消えた。やられるという確信が引き金を引かせていた。

 初弾でスールは倒れた。一度はじけた狂気はたやすく拡大し、続く二つの弾丸は正確に残った弓兵を貫いた。

 シオンが嘶く。

 銃を捨て、再びイクスヴェを手に取った。イクスヴェを右に水平に構え、男達と交差する瞬間に振るう。セイバロットの刃は彼らの剣と腕をたやすく断ち切る。少し遅れ背後で悲鳴が起こり、それを無視し馬を岬へと走らせた。両腕を失った彼らはすでに障害になりえない。腕を失くせば騎士ではいられない、そう知りながら殺すよりはと剣を振った。もし、自分が同じ立場になったなら、その相手を一生恨み、絶望のうちに呪い散らしただろう。

「裏切り者め・・・・!」

 背後から聞こえる悲痛な声。

 ああ、呪詛の言葉など甘んじて受けよう。あの男のように罪を背負い続けるのに比べたら屁でもない。誰かを救うということは、きっと誰かを見捨てることだ。それは立場が違っても変わりはしない。彼女が贄に捧げられるのと、彼女を救うために人が死んでいくことは命の等価交換をするという点では本質的には一緒なのだ。

「ヒヒーーン」

 シオンの声にはっとするとやけに風が冷たく感じられた。体が必要以上に熱を持っていることに気づく。

「シオン・・・・・・ありがとう」

 手綱を持ったまま左手で白いたてがみでおおわれた首を撫でると、シオンはこそばゆいのか短く啼いて首を振った。









 岬に出る一歩手前で道から逸れて森の中に入り、シオンから降りた。光の方向を見て、風にのって聞こえてくる美しい歌に耳を澄ませる。

 聞き知った讃歌の冒頭、「神を讃える歌 最終楽章」。この後「清き魂の凱旋歌」が続き、そして儀式は完成する。

 残された時間はあと十五分ほどだろう。

 どうやら先に辿り着いたのは自分のほうらしい。まだ、大きな騒ぎは起こっていなかった。一瞬、彼の身に何かあったのかもしれないという考えが頭をよぎったが、すぐに苦笑とともに消えた。セイバロットの剣にあの実力だ。万が一も起こりえないだろう。それに、初期の計画と異なり、こちら側に配置された騎士の数は五人にだけで、残りは全員南側、左手の方の森の前に集まっている。彼がいまだ神託の脅威となり続けてくれているのは明らかだった。

「さて、と。お前はどうする、シオン?このまま僕に付き合ってくれるかい?」

 彼なりの肯定の印なのか、そっと顔を撫でるとシオンは目を小さくつぶり鼻をひくつかせた。

 ここからはこいつにとって帰れない道だ。神託の騎士団の守るまっただなかを突っ切ればシオンは無事では済まない。例え無傷でリースフェルン様を人質にできたとしても馬は置いていくしかない。賢いこいつのことだからそれは解っているはずだ。それでもなおこんな自分についてきてくれるという。いや、もしかしたらシオンも彼女、ソフィア・ミシェルを救いたいのかもしれない。一度背に乗せた可愛らしい女性を。

「どっちなんだ、いったい?」

 それを彼は鼻息を吹きかけて笑う。野暮なこと聞くなと言うかのように。

 今一度その白い首を両手で抱き締めるように撫でた。その温もりは悲しく、頼もしく、それの決意応えるのはただ迷わないことだけに思えた。だから、それ以上はなにも問わず、浸らず、再びその背に乗った。ちょうどその時、あたりに「音」が木霊した。深く深い闇の底から響いてくるような呪詛の音色。地響きにも似ていて、ただの空気のうねりにも聞こえないことはない。それでもそれは人の声だった。しばらく様子をうかがう。胸の内では嫌な予感がしていた。それはラヴァ・フールの身に何かあったのではといった類のものではなく、彼が何かをした。そう、この戦場に立ち研ぎ澄まされた感覚は惨劇の残滓を感じ取ってしまっていた。

 いつでも飛びだせるように手綱を持つ手に力を込める。

 誰かが息をのんだ。音にも聞こえず、目でとらえることもできずともその気配は三百メートル離れたここにまで届いた。それは一瞬で騎士達に伝染する。岬の先へと下がっていく騎士達。だが、ここからではその原因、おそらくこの声の元、そしてそれを作り出したであろう男の姿は見えない。

 風と歌にかき消されてラヴァ・フールが何かを言っているとしかわからなかったが、言葉が終われば、あとは一瞬だった。男が駆け、血をまき散らせ、そして一旦止まる。ラインビッヒ隊長との対峙。それもつかの間、隊長が倒されたことで騎士達はパニックに近い状態に陥る。ラヴァ・フールはそれを見逃さずに攻め入る。だが、そんな無茶が続くはずもなく、矢に足を射抜かれたのだろう、倒れた。そこを騎士達は囲んだ。

「シオン!」

 限界だろうと、森を出ようとした瞬間、騎士達が血を噴き上げて一斉に倒れた。視界の端にその惨状を捉えながら、手綱を引いていた。

 不思議と罪悪感も、後悔も、悲しみも、何も感じなかった。ただ、目の前の幕の向こう、この場にあってこの場と異なる空間にだけ意識が集中していた。

目指すはリースフェルン教皇の御所。

遅れながらも騎士達がこちらに気付いて動く。走る者、弓を射る者−−−−だがすべてが明らかに遅かった。

眼前にこちらと聖域を仕切る布が迫る。いまだかつて越えられたことのない境界を、なんのことはない、シオンは一飛びで軽々と越えた。

ノーミル・リュサールの光の空に埋まった視界は、次の瞬間には味気のない裸地とそこに不釣り合いな豪華絢爛な光景を捉らえた。辺りを照らす数多の黄金の燭台。二十人程の豪華に着飾ったうら若き乙女達が大きく半円状に立ち、海の彼方に向かって聖歌を奏でている。その中心に使者はいた。そして、彼女と自分を繋ぐ直線と円の交じわるところでリースフェルンと彼女は、使者が片膝をつき祈りを捧げる姿を見ていた。

歌はやまず、リースフェルンも振り向かない。ただ、彼女だけがこちらを見た。

「ウォルフさん・・・・!」

距離は三十メートルを切っていた。彼女の声は馬の蹄音に掻き消され、だが確かに聞こえた。

 生きていてくれた、まだ。

 ただそれだけで涙が溢れそうだった。

「リィィィスフェルゥゥゥン!」

 黄金の刺繍で彩られた純白の衣を纏ったその方に僕は叫んだ。おそらく、その一声は過去との決別であり、新たな出立であり、そして、終りだった。

リースフェルンは何の反応も見せず、また聖歌隊も使者も同じだった。ただ、リースフェルンの背後に控える二つの影が動いた。一人は教皇の背を守るように立ちふさがり、もう一人は、灰色に近いローブで全身を覆ったその影は不意に駆け、こちらに真っ向から突っ込んで来た。いったいどこに全速で走る馬に突っ込む馬鹿がいるだろう。無謀、無茶で、まるで自殺行為。だが、そんなことをやってのける人間達を僕は知っていた。

恐怖が悪寒となって背筋を走る。その存在は予測の範疇で、だが、現実は想像よりも巨大で、絶望に染まり、恐怖を煽る。

そのすべてをごまかすように叫んだ。

「っ、死にたいのか!」

 すぐに気付く。その言葉が自分に対して発せられるべき言葉であることに。

 口元がひきつり、呼吸が止まった。

 下方から光が走った。シオンの体が大きく跳ねあげられ、僕は中へと飛ばされた。反射的に受け身をとって衝撃を殺し立ち上がると同時に――――

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーー!!」

彼女の悲鳴が響き、そこは血に染まっていた。血臭が辺りにむせかえり、吐き気がこみ上げてきた。ついさっきまで馬だったそれはただの二つの肉の塊になり果てていた。

胴を両断されたシオンはまだ息があるのか、その足は痙攣し震え続ける。

 怒りも悲しみもなく、ただ恐怖を抑え込むのに必死だった。

 彼女の悲鳴はその場にいる誰一人聞いていなかった。歌は奏でられ、祈りは紡がれ、舞は供えられる。ただ一人、僕は腰からイクスヴェを抜いた。

女は言った。

「母様、勝手なことしてしまいました。申し訳ございません」

「貴女は私を守ろうとしてくれたのでしょ。気にすることはありません、クラウ」

 背中を向けたまま、初めて、教皇が言葉を発した。

 二人の声は平坦で、温かさや人間らしさというものが欠如していた。

「わかっていますね、クラウ?後は頼みましたよ」

「かしこまりました」

 クラウと呼ばれた女は虹色に輝く細剣を胸の前で天に掲げた。

「私はハイラブリオン。ハイラブリオン・クラウディア・リースフェルン・・・・」

 右手で剣を掲げたまま、左手でフードを後に押しやった。瞬間、プラチナブロンドの髪が、光を浴び、輝く。

「教皇、エリミアート・フォン・リースフェルンの名のもとに、ウィリアム・プリスケン聖士に問います。選びなさい。潔い安らかなる贖罪か、絶望に染まった業火を。我が剣、エクレイユに誓い、貴方にそのどちらかを与えましょう。さぁ、どちらを選びますか?」

 生気が失せた、そう、まるで死んだ魚のような虚ろな瞳。紡がれる棒読みの台詞。そして、ため息をつきたくなるような美しい顔立ち。マント越しにすら明らかな華奢な少女の躯。

 初めて見た彼女達は噂と寸分も違わなかった。教皇を護る親衛隊、ハイラブリオン。それが女神の寵愛を受けた娘達からなるもう一つの神託を守る部隊の名。神託の騎士団が影ならば、ハイラブリオンは影の影。光にはあらず、常に

深淵の中のさらなる深みで鉄槌を下していく存在。

 この場にいるであろうことは分かっていた。そう、教皇が来ているのだ。いないわけがない。

 今の自分にアレを抜くことができるのだろうか?

 彼女を垣間見る。体中が震え、口元を両手で抑えたその表情は崩れる一歩手前まで張りつめていた。こちらの視線に気づくと、全身で首を横に振った。なんどもなんども、小刻みに。やめて・・・・と。

 目を閉じてここにいる意味を今一度思い返す。

それはただひとつ。この命すべてをかけて二人を救うこと。

イクスヴェを両手で構え、一度だけ深呼吸をしてハイラブリオンの女を睨んだ。

「そのどちらも選ぶ気はないです」

 女は表情どころか目にすらも動揺をみせなかった。ただ平坦な調子で言葉を続ける。

「誓いましょう。我が剣に賭して戦うは女神と教皇の旗の下であると」

ただゆっくりとレイピアの切っ先をこちらに向けて構えた。

 来るっ・・・!

 僅かな硬直の間、持てるすべての感覚をもって次の動きを感じる。

この二つのセイバロット同士の戦いは、おそらく一瞬でその雌雄が決する。受け損なえばこの身は断たれ、受けたとしても、わずかな動きの後に次の瞬間にはイクスヴェの長身の柄ごとやはり断たれるだろう。イクスヴェの柄はただの鉄。セイバロットの刃を受けるなど叶うわけがない。斧という大型重量武器の形をしたイクスヴェのそれが弱点だった。普段、鋼鉄の剣と交える時には問題にならない弱点。教会に属する限り、それは弱点であっても問題にはなり得なかった。

 だが、教会を裏切った今、目の前に存在するのはまごうことなきセイバロットの細剣だった。

 受けても、受けなくても手詰まり。だからといって、ハイラブリオン相手に捌いてその横を抜ける自信は微塵もない。ただ、ひとつ、槍斧だからこそできる奥の手があるにはあるが、それでもまだ、後控えるもう一人のハイラブリオンと対峙しなければならないことに変わりはなく、それを抜けて教皇のもとに辿り着くのは不可能に思える。

 だが、それでもやるしかない。選択肢など初めからなかった。

 今は、ハイラブリオンを一人でも抜くことができるだけで上出来と思おう。

 覚悟を決めたその時、がしゃんと背後で大きな音が響いた。

 振り向きはしなかった。今振り向けばそれは致命的な隙になる。それに、何が起こったのか大体想像がつく。彼が来たのだ。


「ラヴァさん!」

「ラヴァ・フール・・・・・」


彼女と教皇の短い叫び声が聞こえた。

背後から迫る疾風の音。少し遅れて鬼神の咆哮が大気を揺らす。

「うおおぉぉぉぉぉ・・・・・」

 好機は逃さない。今が最初で・・・おそらく最後のチャンス。

 左半身を正面にイクスヴェの切っ先をクラウに向けて姿勢を低く構える。

 四肢の筋肉が爆ぜさせると、七色の穂先は地面低くを撫でるように走った。

「やああぁぁぁぁ・・・・・・!!」

 女は細剣を大地に平行にまっすぐ構えて待ち構える。先行する自分の体を貫き、断ち、そのままの流れでラヴァ・フールを迎え撃つつもりだろう。二対一。三本のセイバロットに対し一本だけ。数がすべてでないにしてもその差は歴然。それでもクラウディアは微塵の動揺を見せなかった。

 油断ではないのだろう。だが、それは彼女の次の行動を示すという確かな隙を生み出した。

 イクスヴェの射程は二メートル半。相手の剣の長さは一メートル強。彼女との距離がその合計を割る一歩手前でイクスヴェの穂先を持ち上げた。同時に右手を滑らせ、穂先の方に移す。槍を横薙ぎに回転させた。

「・・・っ!」

 相手はすぐにこちらと意図に気付いた。だがその時には、彼女の剣を払い上げようとするモーションを下方に捉え、イクスヴェを支えに棒高跳びの要領で飛んでいた。

 上昇、そしてイクスヴェが大地に垂直に立つ。

「くっ」

 瞬間、手応えがなくなった。柄の下半分が両断されていた。だが、ここまでくれば、もはや棒はいらなかった。

「っけぇーーー!」

 着地後、そして、縮みこんだ足をバネにしてそのまま推進力に変えて駆ける。

 背後からの追撃はなかった。

 ハイラブリオンとてセイバロットを二本持つラヴァ・フールを無視することはできない。

 できない――――はずだった。だが、足が伸びきった瞬間、足首に何かが巻きついた。

「っ!」

 締め付けられ足首に容赦ない痛みが走る。あまりにも不意のことで受け身も取れず、もろに体を大地にぶつけてこけた。ほぼ同時に透き通った残響が響いた。

 かえりみて、己の憶測の甘さを呪った。

 クラウは右の剣でソア・ソレスを受けながら、こちらを振り返ることなく、左手からはワイヤーが僕の右足に伸びていた。

 さしものラヴァ・フールの顔も驚愕に染まっていた。

 圧倒的な力の差を前にして、僕の心はいともたやすく崩れた。

「千の光。千の闇。その全てが主の肉にして、主の心・・・・」

 教皇の声が光夜に朗々と染み渡る。

「我らが捧げるは清らかなる相同の魂」

 教皇は両の手を大きく掲げ、その場でゆっくりと回転した。霊光蝶は教皇を包み込んでいく。空から降る雪のように柔らかく、そっと・・・・・教皇はその身で受け止めるように回り続ける。

「ウィリアム!・・・・つ!」

 響く。セイバロットが音を奏でる。

「目を覚ませ!」

「え?・・・あ・・・」」

 自分の右足を見て、すぐにイクスヴェを振ってワイヤーを断ち切った。

 ラヴァ・フールとハイラブリオンの剣舞は荒々しく、それでいて繊細。何の型もないように見えて、洗練された舞踏のように緻密。だが、驚くべきはその戦いの場にあって顔色一つ変えず、こちらに視線をむけたハイラブリオン・クラウディア・リースフェルンだった。

 背後のハイラブリオンに気を回す余裕は微塵もなくなった。

 クラウはラヴァ・フールと密着した状態から、ハイキックを放った。ラヴァ・フールは後ろに退いて紙一重でかわしたが、続くエクレイユの斬撃が左肩を掠る。

 彼女が悲鳴を上げた。

「止めてください。約束が違います。傷付けないって」

「命は奪いません。リースフェルン様と貴女の姉君との聖約は彼の生命の保障です」

「そんな・・・・」

 あのハイラブリオンが言うことは正しいのだろう。だが、その言葉は残酷で理不尽だった。エリス・ミシェルが自らの命と引き換えにしてでも守ろうとしたものはその程度でないことは誰にでもわかることなのに。

「ふざけるな!」

 立ち上がって、ハイラブリオンを睨んだ。

「そんな屁理屈通じるか」

 目の前のそいつはなにも答えない。白地のローブの奥に宿る深緑の瞳には微塵の揺らぎもなく、死んだ魚の目を連想させる。

 教皇は朗々と祈りを吟じあげていく。

 背後ではセイバロットが死の音を奏でている。

 僕の背中を一筋の汗が落ちていく。

 イクスヴェを握る手に力が込められていく。

「情け深く、大いなる方よ、その尽きることなき慈愛をもってメディシスに恵を・・・」

そして、使者は立ち上がり舞い始めた。




嘆願の儀式はまず聖歌隊の請願の歌に始まり、教皇の祈りを経て使者による祈りと舞の奉納が行われ、最後に贄に捧げられる。

今、目の前で使者が舞う。

女神に使者を知らせるため、体中にちりばめられた宝石は、白地に金の刺繍細工の着物に身を包んだ彼女に輝きを添えていた。だがなにより彼女を輝かせていたのは、その躯の躍動、迷いなき舞踏だった。回り回り、右手を月にふっと伸ばす。その仕種は柔らかく、張り詰めた弦のようにしなやかで、情熱的で芸術的、そうとしか表現できない舞踊だった。けれど、生き生きとした舞と対照的にその目は死人のそれだった。なんの感情もない。僅かな揺れすらない。焦点すら定まらない視線の先にあるのは虚の空間だろうか?

汗が伝う白い肌に、振れ乱れる金の髪、力なく半開きになった虚ろな碧眼。あまりにも異様な自らの半身の姿に彼女は怯え、震え、肌は血の気を失い真っ青になりながらも眼だけは逸らさず、三人の人間をかわるがわる見ていた。大切な人間を失う覚悟をし、泣くのを必死に堪える彼女はあまりにも痛々しかった。

目の前にはハイラブリオンが一人。あのラヴァ・フールでさえ敵わない相手に対して自分が出来ることはほんの僅かしかない。それも捨て身の一撃。勝率は一割にも満たない歩の悪い賭け。だが、それでも――――聖士と呼ばれた、神託の盾に所属している、なにより一人の男としての意地がある。一度は捨てようとしたこの命。あの時とは違う、逃げではなく、必死に足掻き、ただ彼女の幸せだけを僕は願う・・・・・

「ラヴァさん!開けます!」

「待て、ウィリアム!・・・っ・・・!」

 前屈みの体勢で、肘は腰につけて両手で短くなったイクスヴェを構える。左肩をやや前に出して体当たりするようにハイラブリオンに突進した。

それは敬虔な祈りのようだった。願いを込め、ただ一心に彼女の幸せを想い、想いを貫き通す。

防御を考えず、全速で突っ込むこの突撃は止めることはもとより、教皇が背後に控えるこの状況では避けることもかなわない。まさに肉を断たせて骨を断つ攻撃だった。良くて相討ち。悪くても隙ぐらいは作ることができる。

深緑の瞳には、だが、一欠片の動揺も浮かばない。ハイラブリオンは何の動きも見せない。

二人の体が正面からぶつかった。






――――――――――――――――◆――――――――――――――――――

 エリスの悲鳴を聞き聖域に押し入った。ウィリアムに遅れること一分ほどだろうか。海風に乗って血臭が鼻をつく。胴で両断された馬の体を確認し、小柄な影と対峙するウィリアムを視界に捉えた。そしてその奥、数人の女の中に・・・・・・

「エリス!」

 小柄な影が女であると判断するよりも前に走り出していた。

「うおおぉぉぉぉぉ・・・・・」

ウィリアムも同時に女との距離を詰め、あと数歩でウィリアムの長斧の射程に入るというところであいつは跳んだ。長柄を支えにして空高く。女は咄嗟に反応して柄を斬ったが、ウィリアムを止めることは出来なかった。

俺も右手に持ったソア・ソレスを持ち上げた。

確かに疲労はあった。不慣れもあった。だが、しょせん男と女。明らかにか細いその体が一体どれほどの脅威になるだろう。加えて、容赦もなかった。確実にその一撃で相手を殺すつもりだった。

 振りおろす。

 カーン・・・・

先ほどまで何度も聞いた乾いた音が響いた。交差する七色の刀身。それに気づいたのは剣を振りおろそうとしたほんの一瞬前だった。

相手は細剣、それも片手剣。何かの間違いだろうか。なにかとてつもなく固い物に剣を振りおろしたような感触だった。咄嗟に剣を引き、片手で力任せに横に切りはらう。だが、それも同じように七色の剣に止められた。

 女の腕は細く、明らかに非力だった。技術でカバーするにしても限界がある。

 ハイラブリオン―――――すぐにその言葉が浮かんだ。

 目の前の女がラインビッヒが言っていたハイラブリオンなのだろうか。あの男があそこまで言う存在がこんな細い女、年の頃はエリスよりも若いかもしれない、少女と呼んでも差し支えない、だとは信じ難かった。だが――――

 突然ウィリアムが前のめりにこけた。ハイラブリオンの左手からウィリアムにワイヤーが伸びていた。足首に鈎爪のようなものが巻きつき、そこにワイヤーは繋がっている。

 女は視線どころか、表情すら寸分も変えていない。

 その現実に思考が一瞬凍りついた。

 認めないわけにはいかない。こいつは俺の常識の範疇の外にいる。

「邪魔をするな!!」

 休む間を与えないように力にまかせ強引に斬撃を続けて放つ。一方的な攻撃はだが、すべて受けられ、女は最小の動きで捌いていく。

ウィリアムはその光景に目を奪われ、茫然と地面に座りこんでいた。せっかくあいつが作ったチャンスも今や水泡に帰してしまった。だからといって、ウィリアムをこのままにしておくわけにはいかなかった。

「目を覚ませ!」

 ウィリアムはすぐに短くなった長斧でワイヤーを断ち切った。

 すぐにハイラブリオンがウィリアムに視線を向けた。それもこちらの攻撃を受けながら。

「くっ」

 悪態をつかなければやっていられなかった。女の体とは思えない力、それでも見た目は女の非力な細さを保っている。技術というより動体視力、反応速度が桁違いなのだろう。

 剣を振り下ろす。それを女は止める。硬直。すぐさま顎を狙ったキックが真下から来た。咄嗟に半歩後ろに下がって避ける。顎を先を風が走り抜る。だが、それで終わらなかった。ハイラブリオンは右足を垂直に蹴りあげた体勢で、上半身の回転だけで右手の細剣を突き出してきた。反応が追い付かなかった。だめもとで上半身を後ろに逸らし、次の瞬間鋭い痛みが走った。

「痛っ」

串ざしは防いでいた。骨も神経も生きている。ただ、肉を裂かれただけ。

「まだだっ!」

 ソア・ソレスを振るった。

まるでこちらの行動をあらかじめ知っていたように女の剣の切っ先は即座に動き、ソア・ソレスの刃に触れる。手首のスナップ。「すかし」に似た動き。だが、滑らかさは比べものにならない。二つの剣は女の左側へと軌道が逸れ、落ちていった。

 女の攻撃はそれで終わらなかった。止めとばかりに柄の底で右胸への一撃。肋骨が折れる音が聞こえた。

かろうじて立ってはいたが、痛みに汗が浮かび、呼吸も満足にできなかった。

「止めてください!約束が違います。傷付けないって」

 白いローブで体を覆った服装のもう一人のハイラブリオンが応えた。

「命は奪いません。リースフェルン様と貴女の姉君との聖約は彼の生命の保障です」

「そんな・・・・」

「ふざけるな!そんな屁理屈通じるか」

 ウィリアムは立ち上がって、ハイラブリオンを睨む。

「情け深く、大いなる方よ、その尽きることなき慈愛をもってメディシスに恵を・・・」

 時間がない。手もない。

 焦りが焦りを呼び、思考はただ「どうする?」―――そのフレーズで埋まった。

「ラヴァさん!開けます」

 

「待て、ウィリアム!」

 その意図を悟り、反射的に叫んだが遅かった。腰だめに折れた斧の切っ先をつきだして、あいつはもう一人のハイラブリオンに向って駆けだしていた。

 ・・・・差し違える気だと解っていてもどうする事も出来なかった。

次の瞬間には二人の体は正面からぶつかっていた。





 深緑眼のハイラブリオンは言う。ごめんなさいね、クラウ、と。

 ウィリアムはゆっくりと後ずさり、顔をソフィアのほうに向けた。

「――――いや・・・いや・・・・」

申し訳なさそうに口元を緩めた優しい顔が見えた気がした。結果に恨みも後悔もなく、ただソフィアを悲しまうことだけを心配して、きっとそれを見たら泣かずにはいられない純粋で卑怯の顔をしていたに違いない。

 鮮血がウィリアムの胸から噴き出た。あの密着状態でいつ、どうやって斬ったのかはわからない。ただ、鮮やかな紅い弧は白く輝くこの空間で際立ち、ゆっくりとウィリアムは倒れた。

「どいて!ウォルフ!ウォルフ!・・・・ウォルフっ!」

 真っ直ぐウィリアムのところへ走り出したソフィアを誰も止めなかった。ハイラブリオンでさえ半歩引き道を譲る。

俺は言葉にならない叫びをあげていた。頭が、目が火中のように熱かった。それがあの男が死んだからか、それともソフィアの悲痛な叫びを聞いたからか・・・・。ただひとつ確かなのは、どこからともなく溢れ出てきて体中を奔走する衝動。

このままでは終わらせられない。

 大きく、後ろに飛びながら左のセイバロットを力任せに投げた。着地と同時に右袖から残りのナイフ三本を放つと同時に再び大地を蹴ってハイラブリオンに迫る。ハイラブリンは剣で剣を薙ぎ払い、避け切れなかった二本のナイフを左手で防いでいた。二本の刃が白い肌に突き立つ。だが、その手は動きを緩めることなく、俺の右手首を捉えていた。

突き立てられた拳は、正確に手首の関節を打ち、意思に反してソア・ソレスが手から落ちる。だが、その程度では止まらない。止められない。右手がハイラブリオンの左手首を握った。

 右足を踏み込み、それを軸に左を前に出しつつ体を回転させる。体がなす流れのまま背負い投げた。

「えっ」

 漏れ出る幼い声。それはハイラブリオンが発したものだった。相手をすくい上げた左手はそのまま右手の袖からナイフを抜き、女の体が地面に落ちると同時に、その咽元にナイフをつき当てた。

 恐怖も、後悔も、悔しさも、何一つ読み取れないガラスのような瞳が静かに俺を見上げていた。

「・・・そこの女、武器を捨てろ」

 ウィリアムを殺ったハイラブリオンは一瞬教皇のほうを見た。教皇は詠唱を止め、うなずき、女の両手から七色の短刀が落ちた。

「教皇、こっちに来い」

 何の躊躇いもなく、教皇はゆっくりと歩き出した。

同時に聖歌が止んだ。二人のハイラブリオンは動かず、ソフィアは不安げなまま息をのみ、エリスは舞い続けていた。体が回る。美しい白亜の衣の飾り布が闇夜に映える。回りながらエリスは崖へと歩みを進めていった。霊光蝶がその体を取り巻いてゆく。

 教皇が静かに言う。

「もう止められません。使者は女神のもとへ召されます」

「っ、エリス!」

 エリスに向かって走り出していた。ナイフも気がつけば手にはなく、ただ、持てるすべてをもって、走っていた。

 教皇が道を譲る。ハイラブリオンが、数人の女が後に続き退く。


間に合え、間に合え、間に合え、間に合え、間に合えっ!


 あれほど遠かったエリスとの距離はいまや歩み一歩分。血で塗り固められた道はただ、エリスの触れるためだけの道だった。

 光に包まれ、エリスの体がゆっくりと海へと傾いていく。スローモーションな光景。ゆっくりと伸びていく自分の腕。エリスの顔がこちらを向いた。

「届けぇぇぇーーーー!」

 久々に、視線が重なる。確かにその時エリスの瞳が揺れた。

 霊光蝶が束の間の邂逅を遮った。伸びた手が空を掴む。

俺はそのまま地面に倒れた。

―――――ゆっくりとエリスの体は視界から消えた。





「エ・・・リ・・・・ス・・・・?」

 黒い海。地面を這って覗き込んだ崖の下にあったのはただそれだけ。


エリスは?


 いや、微かな光の残滓が波間に輝いていた。





『もっともっと、ラヴァと一緒にいたいよ。・・・・・でもね、二人だけはダメ。きっとさびしいと思う』


――――それでも、俺はお前だけいてくれればいい。



「ラヴァ・・・・・頼って・・・いいんだよね?」


――――約束した。救う、と。



「今までありがとう、ラヴァ」


――――守れ・・・なかった・・・・・




 叫んでいたのだろう。けれども、その声は俺には聞こえなかった。


第六章 完

長らくのご愛読ありがとうございました。

「双心〜SOSHIN〜」の第一部はこの話をもって終了です。ですが、ラヴァ達の物語はまだ続きます。

第二部開始までしばらくお待ちください。

順調にいけば二か月ほどで再開できると思います。

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