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第一部 第五章 第四片 影なす雲の上には光ある星ありて

―――――――――――――――――◆――――――――――――――――――


 父さん、お元気ですか。私は立派に女神様に使え務めを果たしています。

 母さん、あまり心配しないでください。もっと自分の息子を信じてください。大丈夫ですから。

 アンナ、しばらく見ないうちにきっと綺麗になったんだろうね。会える日が楽しみだよ。

 今回の任務が終わったら休暇を貰って帰郷します。     

親愛なる私の家族へ

                     ケンビッシュ・アッシュフォードより


 ―――――帰郷する、筈、だった。 わかっていた。神託の騎士団を全うできる人間は少ない。民を諌め、時には異教徒と戦い、矢に射ぬかれるか、刃に倒れるか・・・・でも――――――――

「あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁ」

 痛みなんてもう感じない。体が人でなくなっていく。鼻がない。耳がない。右目がない。右手がない。頭の皮がない。

 なんでだろう?なんで私は生きているんだ?何故死んでないんだ?

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁあ゛ぁぁぁ」

 見える世界が紅く染まっていく。

 男は無表情に人の体を違う何かに変えていく。

 皮膚の表面を刃が撫で、傷付けていく。血が浮かぶ。

  遅すぎた。ここに至って気付く。こいつは・・・悪魔だ。

「うわああぁ゛ぁ゛ぁぁぁぁ」

  助けて・・・違う・・・早く―――ハヤク・・・コロ・・・セ!コロシテクレ!

  それは口だけで笑った。まるでなにかに満足したかのように。

 傷付ける手が止まる。

 ただ自分を見下ろす。何の感情も浮かばない深緑の瞳。呑まれるほど深く、何もない。色がない。次に起こることが分からない。それは恐怖を増した。

「あ・・・あ・・・」

  逃げた。背を向け必死に。

 まだ立てる。まだ生きている。・・・・・・・・あれ、死んでない。だから、こんな目に会わないといけないんだ。

  死にたい。でも止まれない。止まればまた苦しまなければいけない。

  もう痛みも、苦しさすらないのに。

  ペチャペチャという血の音の中に確かに足音を聞いた。体中の筋肉が張り詰める。

 ただ本能が命じてくる。

 逃げろ、逃げろ、逃げろ、と。



 木々が開け、赤い光が見えた。女神の恩寵。教皇の奇跡。ノーミル・リュサールの聖光。人の御霊を女神のもとに誘う。

ああ、これでやっと――――――――

 背中に感じる悪魔の気配。・・・・きっと次の瞬間には刃が突き立てられ、安らぎに満ちていく。期待を胸にその時を待った。

 ズブッと音が体内に響く。見下ろすと刃が体を貫通していた。いつか裂かれた皮膚から臓物が溢れ出ている。

  生きている実感を感じた。そう、痛みを。

「ア・・・・ア・・・」

 僅かな視界の中で剣を構える赤く染まった仲間達は皆顔が強張っている。・・・いったい何故?

・・・・・・ああ――――私か――――

私?

 背後でそれは何か囁いた。

 倒れていく視界。光に埋まる世界。自分だった下半身から噴き上がる血。

勢いを失い、落ちて来た血が頬を濡らした・・・・












―――――――――――――――――◆―――――――――――――――――――

とても―――とても長い間ノーミル・リュサールの光に見惚れていた。見るのは今回で二回目。それでもノーミル・リュサールに――光る蝶の群れに圧倒される。これこそが女神様の御力なのだろう。それがかくも鮮やかに具現化する瞬間に立ち会える幸運にただ感謝せずにはいられなかった。

 周りの騎士達もまた同じ気持ちだったのだろう。その多くが美しい聖歌に耳を傾けながら天を仰ぎ見ていた。神託の騎士団に所属していたとしてもノーミル・リュサールを拝める機会は三年に一度あるかどうかなのだ。

今、この場には五十人にも及ぶ騎士が集結している。目的は聖域に侵入を試みる愚者を阻止すること。ラヴァ・フールだろうとラインビッヒ隊長は言っていた。この男とは森でいいようにあしらわれたという因縁があるが、それはそれ。聖約が結ばれた今なすべきは彼の保護であり、俺はただ与えられた任務に全力を尽くすだけだった。

決意を胸に目を閉じ拳を握りしめた。息を大きく吸い込みまぶたの裏の青い光を仰ぐ。

いくらラヴァ・フールが強かろうと所詮は人。常識で考えればこの人数に一人で挑むなんてありえない。来たとしてその時はチェックメイトだ。


ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛


 音が聞こえた。


 周囲でざわめきが起こる。


ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛


 

また聞こえた。間違いない。なんの音だろうか?声ともとれるが少なくとも獣の声ではない。もっと悍ましい何か。

「・・・アレン、これって悲鳴、か?」

「まさか・・・いや、これが悲鳴・・・・」

首筋をなにか冷たいものに撫でられたような気がして、顔が強張っていくのが判った

堪らず隣のフィッテの顔を見た。

「聞くなよ。俺だって知らないからな」

だがフィッテも解っているはずだ。あれが人の声だったなら、それは喜びから出たものでは断じてない。恐怖か絶望、ラヴァ・フールと戦っている仲間の断末魔の声にちがいない。

唾を飲み込んだ。その場にいる全員が固唾をのんで声が聞こえた方向を見続けた。

「なぁ、お前目標とやったんだよな。どんな奴だった?」

「中肉中背の美男子」

「ふざけるなよ」

「大真面目なんだけどな。お前、いったいどんな想像してたんだ?」

「そりゃあ、ラインビッヒ隊長とやり合うんだからニメートルを越える大男だろ」

フィッテは笑ったが乾いたものにしかならなかった。こっちも汗が額に浮かぶのを感じて心の中で自嘲した。

「若造ども」

 後ろを向くとニメートルを越える大男が立っていた。

 あげそうになった悲鳴を何とか飲み込む。

「私語は慎め。ここは儀式の場だぞ」

慌てて二人胸に手をあてて敬礼をした。

 テオドール副長は自分達から周りへと視線を移した。

「他の者達もだ。臆するな。相手は高々加治屋が一人。我等神託の騎士団が何故怯える必要がある?我等は大儀のもとに御旗をたて、そのかぎりにおいて女神の恩寵はともにある。我等が醜態を晒せばそれは教会の栄光に泥を塗ることになることをしかと肝に銘じておけ」

 副長は辺りを見回した後満足気に頷いて天幕の方へと去って行った。

「テオドール副長、相変わらずおっかねえや」

武のナンバーツー、テオドール・ハインベルク。文のナンバーツー、クレス・リッチベルととも騎士団の双璧をなす人物だ。体も厳つければ、顔も厳つい。だが、その剣技は軽やかで舞を舞うが如し、との評。実際、おっかないが面倒見がよく人望も厚い。俺の目標の人物の一人だった。

「そんなこと言ってるとまたどやされる・・・ぞ―――」


一瞬、自分の目を疑った。森から出て来た赤いそれは――――なんだあれは?足が二本。手は右手の先がない以外はたいしたことはない。だが・・・

たちこめる血臭に吐き気が込み上げてくる。その体は血に染まっていた。腹からは腸が垂れ下がり、それが一歩進むたびに揺れる。人なのは認めるとして、何故あれで動いているんだ―――

う・・・う・・・ぅ・・・

それは声とも呻きともつかない音を発して徐々に近付いてくる。

さがっていく人の流れに従った。きっとあれだけではない。彼をあんなものにした存在が来る。そう確信し、正直逃げ出したくなった。

「・・・誰か判るか?」

首を振って否定した。顔など誰か判断できるほどの形を残してはいない。加工の過程を想像して、すぐに後悔する。あまりにも悍ましい光景だった。

 来た。森から一つの人影が歩み出てくる。

間違いなく、ラヴァ・フールだった。

それは止まった。ラヴァ・フールは近づいていく。背後についた次の瞬間、どす黒い体を突き破って輝きが現れた。

「なれは不滅なる魂か」

刃が寝かされ、胴を断つ。男は左手で顔を引き倒し、右手で突き上げた。落ちる間に辛うじて人だったそれは肉の破片になっていく。残った下半身から引き出す血がラヴァ・フールを染め上げる。

ラヴァ・フールは早口で言葉を紡いでくる。

「いな、うつろなる心の神の子か。なんじらの心づかいが実らせし果実やいかに?腹みたせしものならず、徳積み上げるものにもあらずや」

それは歩みを進め出した。反射的に刀に手をかけ、柄に触れて初めて手の震えに気付く。

「なればその脈管の血潮をもって鮮血の誓いを結ばん。我は殉教者なりて」

駄目だ。膝が笑ってる。ただの言葉と一人分の血で、勝てない、いや殺される。本能がそう叫んでいた。

「うつろいさまようことを案じるは理なれど、痛みは安息への代価なりて、救済を望まば身を捧げよ。嗚呼、我が手、死を生みては業を重ねゆく。ただ、それ罰にあたわざるや。なれの躯、等量の血をもって清めらるるは、かくて人を越え、肉を越え、魂をも越えるべし」

その言葉は頭の中を通り抜けていく。狂人の戯言と聞き流せればどれほどよかっただろう。だが、狂人であってもその言葉に、少なくとも死というフレーズには、確かな響きがある。

柄を握りしめたが、震えはおさまるどころか、剣が震え、音をたてる。左手で手首を押さえる。だが、震えは止まらない。

「今結ばんと欲す誓約のもとに、永久に枯れることなき新たな泉を飲むぞ。されど―――」

ラヴァ・フールが剣を振った。不幸な先方が今際の叫びをあげる間もなく首を落とされた。

血が天につきあがる。

「其は諸衆飲むこと許されざるものなりて。故に我殉教者の名のもとに救い唱える」

ラヴァ・フールの頭が落ちた。そう思うぐらいに突然姿勢が低くなり駆けた。

「うわぁぁ!」

悲鳴が起き、反射的に剣を抜いていた。混乱の連鎖が立てるけたたましい音がラヴァ・フールの声を掻き消した。

 次々と仲間が殺されていく光景に確信した。あの剣はセイバロットだ。なぜ持っているのかなんて理由なんて関係ない。今あの男が持ってる現実だけが意味がある。

「なんなんだよ!」

フィッテの悲痛な叫びは虚しいものだった。

ラヴァ・フールの動きは何の迷いもないかのように真っすぐで鋭い。それにセイバロットの切れ味が加わって止めることはできないように思えた。その進路はただ直進。目的は聖域ヘの侵入に間違いない。その間に俺達はいた。

逃げなければ死ぬ。そうはわかっていても、神託の騎士としての誇りが任務を放棄することを躊躇わせる。

フィッテも、いや誰ひとりとて下がりはすれど、退かない。

死ぬことよりも、神意に背くことが怖かった。

「全員聖幕まで下がれ。ラヴァ・フールの相手は私がする」

よく通る声――――――隊長だった。

同時にフィッテが叫ぶ。

「退くぞ!」

命令とあらば願ってもない。背を向け、走った。背後で悲鳴が生まれては次の悲鳴に掻き消される。そのたびに背筋が凍り付く。

ラインビッヒ隊長が向かって来た。白いマントを靡かせ、恐れの色を少しも浮かべなずに駆けるその姿に見とれたのも一瞬、すぐに道を譲った。すれ違いざまに澄み切った音が響く。振り返って息を飲んだ。

すぐ後ろで二本のセイバロットが交差していた。

「よく部下の躾が行き届いているな」

「出来の良い部下が多いだけだ。すまないが今回は前回のように対等な賭けというわけにはいかない」

「構わないさ。もともとそんなもの期待しちゃいない。貴様を倒し、障害は廃除するだけだ!」

「アレン、フィッテを連れて退け!」

言われて、はっと右側を見て固まった。フィッテが倒れていた。肩口から先を失った右側は血で染まっていた。

「早くしろ。手遅れにならぬ内に!」

剣が爆ぜ、ラヴァ・フールが下がった。

「急げ、アレン!」

「は、はい」

フィッテの脇下に左手を回した。指先に血の粘りを感じ、同時にフィッテが痛みに呻く。憤りと恐怖が入り乱れくそ!と叫びをあげてフィッテの両脇を抱えてさがった。フィッテが足を引きずっていると仲間が一人走ってきてその足を両脇で抱えた。

背後では向かい会う二人は静かに会話を交わしていた。

「これより先は、神託の騎士団とて入ることが許されない聖域。それゆえに部下は君を通さない」

「殺さずにか?」

「そう、それが聖約だ。しかし、私もこれ以上部下を失うつもりはない。あの娘が止めに入る前に君を痛めつけておくべきだったと今になって思うよ。同じ轍は踏むまい。君は私が止める!」









――――――――――――――――――◆―――――――――――――――――――

 肉を切り裂く手を休めるとそれは逃げた。慌てて追う必要はない。辛うじて形を成しているだけの体では速さはせいぜいしれている。

 ゆっくり歩き出した。すると、それの歩みが僅かに速まる。

 しばらく追い掛けっこをしていると歌が聞こえてきた。女達の歌だった。言葉を歌うというよりはいくつかの楽器が奏でる賛美歌のように幾つもの音が重なり合い、ひとつの空気を造りあげていた。酒の様に甘美で、それでいて高貴なそれはこの場に相応しいのだろう。ノーミル・リュサールの光も増していく。その中心、エリスが近いことを意識し、記憶の奥底を詩篇を探した。第一句が浮かぶとあとはすらすらとでてきた。体に染み付いた血生臭い詞は、自分とエリス達の明確な線引きを自覚させてくれる。どれほど日の当たる場所に馴染もうと、自分の居場所は陰の方なのだと知った。

 今はそのことに感謝するべきなのだろう。おかげで戦える。

 森が開け、ノーミル・リュサールの光が俺を照らし出す頃には前を進む人間だったそれは血と肉の塊と大差ないものに変わり果てていた。

 もう昼の同じ位に明るい。ただその明るさはどこか夢心地な感じがし、その中で待ち構える五十人の騎士は突然現れた紅い何かに酔いを覚まされたようだった。

騎士達の後、天幕に遮られた岬を確認して、最後の仕上げに取り掛かる。

 それはノーミル・リュサールを見上げ、立ち止まっていた。その無防備な背中にソア・ソレスを突き立てる。血だまりに足を突っ込んだ時に似た音をたてて剣は吸い込まれていく。

「なれは不滅なる魂か」

ありがとう、と呟き薙ぎ払った。続けざまに三撃。そして肉の塊が地面に落ちると同時に歩みを進めた。

「いな、うつろなる心の神の子か。なんじらの心づかいが実らせし果実やいかに?腹みたせしものならず、徳積み上げるものにもあらずや。なればその脈管の血潮をもって鮮血の誓いを結ばん。我は殉教者なりて」

 ソア・ソレスをだらしなく垂らして、正面だけ見据えていた。先頭の相手との距離は十メートルほど。

「うつろいさまようことを案じるは理なれど、痛みは安息への代価なりて、救済を望まば身を捧げよ。嗚呼、我が手、死を生みては業を重ねゆく。ただ、それ罰にあたわざるや。なれの躯、等量の血をもって清めらるるは、かくて人を越え、肉を越え、魂をも越えるべし」

恐怖が生まれ、場を支配していくのを肌で感じた。歌声以外は静まりかえった空間に鉄が震える音がちらほらと聞こえる。

先頭の男は剣に手をかけ俺を睨んでいた。短く切った髪を後ろに上げきった額には汗が浮かび、流れ落ちた。

「今結ばんと欲す誓約のもとに、永久に枯れることなき新たな泉を飲むぞ。されど―――」

 視線を向けることもなくソア・ソレスを無造作に振るう。血が場を彩り、仕掛けようとしていた騎士達の動きが止まる。一歩踏み出すごとに、道を開けていく。

「其は諸衆飲むこと許されざるものなりて。故に我殉教者の名のもとに救い唱える」

 剣を様々に構え迫る陰が十ほど。歩みを緩め、しかし、そのまま進んだ。臆する必要はない。連中が女神に忠誠を誓う誇り高き騎士ならば、俺を殺さない。圧倒的な戦力はかえって生け捕りには不利だ。特に相手がそのことを知っていて、退く気がないときには。

 左手で短剣を抜き第一撃を受け止める。同時にソア・ソレスで喉元を突く。右に払いさらに一人。左は視線を向けるだけで止められた。圧倒的な力と血と言葉に対する戦慄は確実に場を占めていた。

 ――――マーチャーの詩。親父達が特権階級の連中を殺すときに歌った詩。恐怖と絶望におとしめ、命請いすら忘れさせる、悪魔の言葉・・・・その歌い手に必要なのは感情を殺すこと。容赦なく作業をこなすように人を殺めていく。

「ここより今はすべての希望を捨て、ただ懺悔せよ」

 背後に気配を感じ、四指でソア・ソレスを逆手に回転させるように跳ね上げた。悲鳴と背中を濡らす温かな血。匂いはもはや慣れて感じなかった。

「汝ら不義を恥じ贖罪を欲するならば、我ら安息を与え而して罪を重ねん」

ウィリアムの言葉通りノーミル・リュサールを形作っているのは蝶だった。一匹一匹の羽が青とも白ともつかない淡い輝きを発し、それがはためくたびに光は煌めき、集団としては幻想的な空間を作り出す。美しく、尊厳な聖歌は張り詰めた空気をさらに張り詰めさす最高の演出だった。

俺が進むのに合わせて包囲もまた、半円を維持したまま動いていく。背後で微かな気配を感じた。何人かが仕掛けようとして思いっ切りがつかない感じ。連中も生半可な行動が死に直結することが気付いるはずだ。

 聞き覚えのある声が響き、一人の男が歩みでてきた。

「お前達は聖幕まで下がれ。ラヴァ・フールの相手は私がする」

  騎士達の大半は即座に指示された通りに包囲を解いて下がっていったが、一部がもたつき進路を塞いだ。そこで初めて駆けた、あの男を倒すために。障害となるものはすべて薙ぎ払った。ラインビッヒも駆け、次の瞬間には剣が交差していた。

「よく部下の躾が行き届いているな」

「出来の良い部下が多いだけだ。すまないが今回は前回のように対等な賭けというわけにはいかない」

「構わないさ。もともとそんなもの期待しちゃいない。貴様を倒し、障害は廃除するだけだ」

 ソア・ソレスに気付いているはずだがラインビッヒに動揺の色は見られない。

「アレン、フィッテを連れて退け!早くしろ。手遅れにならぬ内に!」

剣が弾かれ、互いに退いた。ラインビッヒは振り返ることなく声を張り上げた。

「急げ、アレン!」

声に押され負傷した男を引きずってアレンと呼ばれた男が離れていく。

ラインビッヒは構えを緩め静かに言った。

「これより先は、神託の騎士団とて入ることが許されない聖域。それゆえに部下は君を通さない。あの娘が止めに入る前に君を痛めつけておくべきだったと今になって思うよ。同じ轍は踏むまい。君は私が止める!」

硝子を撫でたような透き通った音を響かせて剣が爆ぜた。

「それは殺さずにか?」

「そう、それが聖約だ」

 その右手に握られた剣はノーミル・リュサールの光を受けて、まばゆい七色の輝きを放つ細長い刀身の、それはセイバロットだった。

「今度は、本気というわけか」

「ラヴァ・フール、ひとつ聞いておく。君が持っているのはソア・ソレスだな?」

「たしか、そういう銘がはいっていたかな」

「・・・そうか」

 ラインビッヒは剣を構えなおした。

「多少なりとも情が移っていたが、それも断ち切られた。聖約に反しない程度の痛みは覚悟してもらおう。マーチャーよ!」

  二人ともが同時に駆けた。二本の剣がぶつかり合っては離れ、またぶつかる。七色の輝きと切れ味に加えてセイバロットにはもうひとつ特徴があった。セイバロットは驚く程に軽かった。普通の剣の三分の一以下か。ともかくそのおかげでセイバロット同士で打ち合った時の感触が狂う。無意識に覚悟する反動が反ってこないためにどこか違和感が生じる。

「やりにくかろう。私もこれに慣れるのにはかなりの時間を要した」

 不慣れさがために勝負は決する一撃にはなりえないと解りつつ後一歩踏み込むことが出来なかった。

「ちぃ、浅いっ」

 ラインビッヒは無理に攻めることをしなかった。奴の言った通りこの勝負はフェアではない。あちらが足止めだけでいいのに対して、こちらはラインビッヒを倒し、神託の騎士団を突破した上に、教皇を人質にしなければならない。加えて時間もない。 ウィリアムは無事なのだろうか?あいつの言葉を信じるなら、狙いは俺がたどり着き、騒ぎになった瞬間の奇襲だ。だが長年共に行動した者同士ならまだしも、先ほど顔をあわしたばかりの俺達がそれを合わせるのは、それこそ奇跡でも起きない限り不可能だ。たが、ウィリアムが俺を信じていると仮定したならただ一つだけ奇跡を必然に変える瞬間が存在する。

  繰り返される漸撃の中で、徐々にセイバロット同士の感触に慣れてはきていた。それでも、体に染み付いた感覚を完全に書き換えるには全く足りなかった。加えて、ラインビッヒは以前に使った技、すかしを警戒して、うまく刃をたてて打ち込んでくる。馴れないこの剣ですかしをするのはかなり分が悪い。

「懐かしかったよあの詩は。信仰を剥ぎ取り、恐怖を植え付けるーーーー」

 瞬間、剣が重なり爆ぜた。

「血と言葉で怒りを越え、戦意を削ぐ。それなりに効果はあった。冷たいその目また良い。だが、それでも私に−−」

ラインビッヒは初めて深く踏み込んで来た。再びセイバロット同士が交差し、乾いた音が響いた。

「サン・イグリートを抜かせた以上終わりだ!」

 ラインビッヒは何の前触れもなく半歩退いた。こちらが僅かにバランスを崩した所に下腕のスナップだけで一撃をいれてくる。それを間一髪で受け止めた。

太刀筋が前にも増して鋭かった。容赦のない攻撃は俺が寸前で止めることを前提に放たれていた。一瞬でも気を抜けば、セイバロットの切れ味と合間って、ラインビッヒの意思に関わらずこの体を断つだろう。

 だが、奴は俺を殺せない。 そこに勝機がある。そしてこの男倒せば贄としては十分だろう。足の震えの止まらない連中などどうとにでもなる。

 大振りの袈裟掛けの一撃を前に覚悟を決め、受け止めるはずのソア・ソレスを下げる。同時に右足を半歩退いた。

「っつ!」

 ラインビッヒは驚きの声をあげ、セイバロットの軌道が僅かにぶれた。もちろん、たとえこちらが後ろに退いたとしても避け切れるものではなく、今からでは右手のソア・ソレスも間に合わない。

 足を引いた際に前に出た左手を横凪に払った。ナイフとラインビッヒの剣が重なる。そして−−

「もてぇぇぇぇーーー」

 微かなすかしの残響は叫びに掻き消された。

  二つの刃物は重なり合って俺の右側に落ちた。自分の左腕が邪魔で、ソア・ソレスを振り上げることはできない。それでも勝機は今しかない。切り上げるというよりは、ただ剣を持ち上げる様に右手を突き上げた。

 すでにラインビッヒは退く体勢にはいっていた。が、ソア・ソレスは彼を捉えた。ただの剣ならばそれは鎧の表面を撫でるだけだったかもしれない。無理な攻撃がたたり、俺の手から離れたかもしれない。だが、それはセイバロットだった。 ソア・ソレスはラインビッヒの左手首から浅く胴体を切り、顔走り、左目を斬った。

「まだだ!」

 その体勢のままラインビッヒに体当たりをした。

 同時に振り切ったままの左手でその体を払らいのける。

  ラインビッヒは左側に転がり、慌てて呆けていた騎士達が動き出した。

 俺は二十メートル先の天幕に向かって突進した。もう、何人が行く手を阻もうと関係がなかった。

先頭で立ち塞がる兜にナイフを投げた。ナイフは兜隙間越しに顔に刺さり、そいつ は絶叫とともに道をあけた。

 ソア・ソレスと短剣を振い続ける。ある者は腕を、手首を、胴体を切り落とした。ただ最小の動きで突破することだけを考えた。

 後ニメートル。その時左太腿に激痛が走った。膝をつき、その瞬間に振り下ろさせた剣をソア・ソレスで辛うじて止めていた。受け止めたのは光を受け虹色に輝く刀身だった。

「・・・セイバロットっ!」

 その使い手はすぐに退いた。

 見ると左足には外側から弓が刺さっていた。堪らず左膝をつき、周りを見回す。ノーミル・リュサールのおかげでよく見える。優に五十人が間合いをとって取り囲んでいた。

 こちらの騒ぎが伝わらない距離ではないはずだったが、幕の向こうから聞こえてくる歌はまったく変わっていない。そのことに改めて気付き舌打ちをした。

「隊長!衛生兵、早く!」「急げ、止血を」

 歌声に紛れて人だかりの後ろから声が聞こえる。同じ方向から他にも俺が切り捨てた者の呻き、悲鳴が漏れ出ていた。

 正面に立つセイバロットの男が言った。

「詰みだ」

「・・・のようだな」

「ソア・ソレスを捨てて投降しろ。これ以上君を傷付けるのはこちらの望む所ではない」

 その男は三十代も後半、真面目そうな大男だった。だから、その無表情の仮面の下に潜む怒りがきつく閉じられた唇に、柄を固く握り締める右手に漏れ出ていた。

短剣を大地に突き立て、左手で矢を抜き捨てた。痛みを顔が歪むのを堪えながら男を睨み、出来るかぎり抑揚を殺す。

「今、この時に至って己の欲望を隠すか・・・。どうしたい?俺が恐ろしいのか?それとも殺したいか?」

 四方八方で殺気が高まっていくのを感じた。本気で殺されるな、と思った。

 俺は安い、それでいて感情を逆立てずにはいられない言葉を続けた。

「どうした?来いたらいい?それとも貴様達は処罰を恐れ、仲間を傷付けられても何も出来ない臆病者か?もしそうなら、そんな人間を抱える教皇の器もしれているな」

 応えたのは正面の男ではなく別の、だが聞き覚えのある声だった。

「・・・貴様」

後ろを振り向くと、やはりあの森で最後に倒した青年だった。

「アレン!」

  セイバロットの男は叫び、アレンと呼ばれた男は言った。

「セネカ聖士、この男は我等を、教会を、リースフェルン様を愚弄しました」

 期待していた通りのその激情に思わず笑みが浮かんだ。

「なんだ、あの時の雑魚か」

「なっ、貴様ぁー!」

 アレンが駆けた。それは周りに伝染した。俺を殺そうとする少数の者とそれを止めようとする大多数の者達。一瞬で鎧の起てる音で埋め尽くされた。

 エリスの顔が頭に浮かんだ。自分の体はもう血に染まっている。何人殺した?あと何人殺せばいい?意味のない問いを笑った。

 ああ、そうだ。今更弱気になったところでマイナスにしかならない。今はただ生き残ろう。それでやれることはなくなるだろうから。

 俺を庇う様に進み出て来たセネカの右手の五指をソア・ソレスを振るい、落とした。立ち上がりざまに、落ちてくるセイバロットを、柄に付いたセネカの指の一つごと左手で取った。

 セネカと視線が交わる。この男もまた潔く結末を受け入れていた。敵に背中を向けることを覚悟のうえで敵を助けに出たに違いない。―――そう、大馬鹿だ。

二本のセイバロットを構え、回転した。

「うおぉぉぉぉ」

 すでに一欠片の慈悲も、許容もなかった。

 ノーミル・リュサールの淡い光の下で、大地は紅く染まった。

 悲鳴と雑踏の中、誰かが叫ぶ声が聞こえた。

「馬だ。誰か奴を止めろ!」

 もう遅い。俺達の勝ちだ。 薄く笑いを浮かべ、蹄の音がする方を見た。一頭の白い馬が駆けていく。俺を囲んでいる者の内、遠巻きのおよそ半数が間に合わないと知りつつ走って向かった。

 人が減り視界が開け、幾多の屍と、衛生兵、負傷者の姿が露になった。

背後から声が聞こえた。

「・・・見事だ」

 ラインビッヒは鎧を外され、胸の傷の手当を受けていた。まだ、左眼を押さえる左手の指の隙間からは血が流れている。

「自身がウィリアムを通す囮となったか」

「お前達が俺を殺さないなら、これがベストの選択だった。まぁ、奴がここまで来れるかは、それとタイミングを外さないかは賭けだったけどな」

 騎士達があがきで放つ矢はことごとく外れ、ウィリアムの駆る白馬は、短い嘶きをあげて幕を飛び越えた。

「この光、悲劇のお姫様を救うは純白の馬か。まるでお伽話だな」

 そして周りを見下ろす。青白い光の下に広がる紅い血溜まり。正に地獄の風景だった。

「聖域にはお前達でも入れないと言っていたよな?この場合はどうするんだ?」

 ラインビッヒは右眼を細め、聖域の方を見た。

 歌声はいまだ聞こえ続けていた。

「我等は聖域には決して侵入しない。必要ないからだ」

「どういう意味だ?」

「この内には、教皇に仇成すものすべてを廃除する近衛隊ハイラブリオンが控えている」

「ハイラブリオン?」

 聞き返した時、悲鳴が賛美歌を覆い消した。

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 それはエリスの声だった。


                     第五章    完


次回更新は2月10日を予定しています。

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