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第一部 第五章 第三片 影なす雲の上には光ある星ありて 

「俺は一生お前が二人にしたことを許せない。それでも、生きて償ってもらう」

 例え彼が数多の命を断つとしても僕に責めることは出来ない。彼はすべてを覚悟している。女神に背くこと。人を殺めること。その結果姉妹を苦しめることになっても、彼はそのすべてを受け止めるつもりだ。まして、仇であるウィリアム・プリスケンという死にしか贖罪を見出だせない存在をウォルフ・メシーヌという贖罪の手段にしようとまでしている。その覚悟があればこそ彼は冷酷なのだ。

それを決して求めようとは思わない。彼は間違いなく罪人であり、その罪は今この時点でさえいかなる理由があろうと許されるものではない。けれども同時にそれは一人の女性への想いの強さでもある。

 自分が対照され、小さく思える。今までこんなにも卑屈な感情を抱いたことはなかった。自分よりも優れた人物、例えばラインビッヒ隊長に畏敬は抱けどこんな強い感情を持ったことはない。

 噛み締めた唇から血の味がした。それは悔しさの味で戸惑いとなり広がっていく。

「・・・・・今はただ二人を救いたい。たとえ偽善であっても出来る限り血を流さずに。そして、彼女達に償いをしたい」

「だったら、死ねなよ」

「・・・・はい」

馬を再び走らせると、彼は言った。

「俺は何をすればいい?」

 横目で車内を見る。彼はナイフの刃を見つめたまま言う。

「俺には教会ことはわからない。だから、お前が策を立てるのが最善だろ」

 この人はやはり器が違う。実力もあれば、知性もある。この作戦を任せても――少なくとも彼の身だけは――大丈夫だと安心できる。

 言葉は躊躇いなくでた。

「リースフェルン教皇を人質にします」  

「教皇が来るのか?」

「はい、贄の儀式の進行を取り仕切るのは教皇ご自身です。その警備は信託の騎士団がおよそ百五十人」

「教皇の警備にしては少ないな」

 馬車の中から、鞘を剣が走っては戻り鞘に当たる小気味のいい残響が聞こえる。次第に背中に意識が集中していく。心配はいらないと頭では言い聞かせても、先ほどの惨劇を見た後ではあまりいい気分はしない。

「数こそ少ないですが僧兵の精鋭です。記録にあるだけでも過去行われた六百四の儀式で妨害ものが成功したものはありません」

「―――今まで教会に逆らう馬鹿がいなかったのか。それとも僧兵達が優秀なのかな」

「どちらにせよ、成功すれば歴史に名が残りますよ」

「俺は二人を助けれればそれでいいけどな。―――で、具体的には?」

「正面から突っ込みます」

短剣を玩ぶ音が止んだ。

「兵達の炊き出しの一部に幻覚作用のある遅効性の毒を仕込んでおきました。儀式が始まる頃には北側の守り、少なくとも二十人は崩れるはずです。そこを突きます」

それを手にいれるためにコルベールでは暗黒街にまで赴き大金をはたいた。毒の効き目は間違いないもので、それを部隊の資料で知っていたし、自ら服用し効果も確認した。

「過去、内部の手引きが行われたことはありません。そして、恐らく警備がそのように崩壊する事態を想定してはいないでしょう」

「あの男、ラインビッヒはそのことに気付いていないと思うか?」

「出来る限り善処しました」

 こちらの意図は間違いなくばれているだろう。先程まんまと罠にはまってしまったことがそのことを示している。隊長は僕が裏切る可能性を鑑みて、芽を早めに摘み取る処置をしたのだろう。だが、毒はばれて いない。そう祈るしかない。

彼がそこまで隊長のことを気にかけているのはやはり一度負かされたからだろうか。その認識は不幸なことに間違ってはいない。僕が知る限り彼には注意してし過ぎることはない。彼ほど教会に忠誠を誓い、指揮能力に秀で、思慮深い人物を僕は知らない。

「それにたとえ感づかれていたとしても―――」

「行くしかないか」

「はい」

 小さな溜め息の後、話は途切れ、後ろからは得物を扱う音が聞こえ続けている。少し間を置き冷静になると彼の先程の行動も理屈では納得がいく。いくら彼が強かろうとただの一人で守護者八人では、普通に戦って無傷で済むはずがない。そして、その場を切り抜けたとしてもそれで終わりではないのだ。後のために全力で立ち塞がる者を排除し、温存する。実に利に適った行動だった。そのかわり、そこには一欠片の慈悲も、許容もない。あるのは負の要因となる可能性のあるものすべてを消し去る恐ろしいほどに明確かつ単純な論理を纏った意思だけだ。それはある意味僕達のような諜報機関の人間には必要なものなのかもしれない。だが、これほどまでに非情になれる人間は神託の騎士団でさえ何人いるだろうか?これほどまでに非情に徹する必要はないし、またできるものでもない。まっとうな人間ならば揺るぎない信念と自己肯定の理があってはじめてそうふるまうことができる。普通、人は年を経てそれを得ていくはずなのだ。

ラヴァ・フールは若い。たぶん、自分と年は五つと離れていない。そんな彼を支えるのがエリス・ミシェルへの愛だけだというのならいささか納得がいかなかった。

「・・・ラヴァ・フール、貴方は誰なんですか?」

呟きに近い声で聞いていた。すぐに怪訝な声が返ってきて、言い直す。

「貴方は異常だ。ただの時計職人ではないでしょう。一体何者なんですか?」

「その質問、答えないと駄目か?」

「・・・・いえ。ただ、貴方がどういう人なのかを知りたい。・・・好奇心です」

彼はエリス・ミシェルを愛している。そのことに対する疑いは無い。ただそれだけで十分なはずなのに心に淀むものがある。一言でいえばそれは不安だった。過去を知らない人間に対し等しく抱く類のもので、命を預ける今だからこそそれは大きさを増してきたのだろう。

「お義姉さんの男だからか?」

突拍子のない質問に苦笑が漏れた。

「・・・そういうわけでは」

「ま、普通気になるよな。それに信用しきれないか・・・・・。ウィリアム、マーチャーって知ってるか?」

「マーチャー・・・盗賊団のですか?」

言って、車内を見た。彼は短剣を弄るのを止めて、今は副長のセイバロット製の剣の柄を握り締めていた。

 マーチャー。十二年前まで二十年にわたりこの教国を混乱に落としめた盗賊団。貴族、聖職者を襲い金銀を奪うだけではなく、皆殺しにする。しかし、使用人などにはただのかすり傷もつけない。その活動範囲は山中や辺境だけに留まらず、都市部にまで及び、最後には聖都ラクファカーンでも犠牲者がでた。そこに至って神託がくだり騎士団の手によってマーチャーは討伐された。団員四十余人に対し、部隊の損害は百人を越えたと言われている。

 生き残りによってその強さと恐怖は語り継がれ、盗賊団マーチャーは神託の騎士団内では悪魔という伝説になった。

  一昔前の伝説と眼前の現実の組み合わせはいやにリアリティがあった。

 彼は頷いて、言葉を続ける。

「俺はマーチャーに拾われた。貴族の屋敷の隠し部屋にいたらしいから、せいぜい馬鹿貴族の慰み物にでもなってたんだろうな」

 どういう言葉をかけていいのか解らず視線を動かせずにいると彼は左の頬を持ち上げて微笑んだ。

「おい、前を見ろ。こんな所で事故ったら困るだろ」

「あ、はい」

「そんな顔するな。別に気にしてないさ。その頃のことは何も覚えてないし、第一もうすんだことだしな。まぁ、そういう訳でマーチャーに拾われて色々教え込まれた。親父達は貴族を徹底的に憎んでいたから、奴らを襲う時は容赦がなかった。物心ついた時から悲鳴と血に囲まれて過ごしていた。おまえが心配するの普通の反応だと思うよ。俺だってこんな人間とは一緒にいたくない」

 マーチャーは聖職者、貴族に凌辱限りを行ったという。できる限りの苦痛を与え、許しを請わせ、絶望を与える。その上で命を奪う。その光景を目撃した使用人が言葉を失う程の惨劇を演出した。資料でこんな記述を見た―――マーチャーは人を捨て恐怖を生む殉教者だ、と。

 彼はそこで一度言葉を切って、続けた。

「あの日、教会の兵が襲撃してきた時、たまたま市に使いに行っていて俺だけが生き残った。その後は流れに流れてル・アヴールに辿り着いて加治屋に拾われ、今は時計職人見習いさ」

「そのことをエリスさんは?」

「言ってない。だけど、今回の件で薄々気付いているだろうな。俺が普通じゃないって」

「そうですか」

 この人は恩人であるマーチャーを討った教会を憎んでいたのだろうか?マーチャーは非道な特権階級しか狙わなかったと聞いている。それでも女、子供まで殺してどこに正義がある?彼等は討たれて当然だった。今この時にあっては、僕がそんなことを考えるのは偽善以外の何物でもない。だが、彼がそんな人間であるのならエリス・ミシェルを任せたくない。だから信じたかった、ラヴァ・フールが人を殺すことに微塵でも躊躇いを持っていると。

「悪い、俺は少し寝るから適当に起こしてくれ」

  後を振り返ると彼はすでに腕を組んで目を閉じていた。操馬に集中する。

 今は月明かりだけが行く道を示してくれている。その光は皆に平等に降り注ぐ女神の恩恵。女神は、だがすべてにおいてそうであるわけではない。教会がそうであり、貴族がそうであり、エリスさんまたそうなのだ。一人に背負わせはしない。皆が平等に共に苦しみ、喜び、歩んでいく。それが女神が望まれる夢である、はずなのだ。










――――――――――――――――◆―――――――――――――――――――

「ラヴァさん、起きてください」

声に促されて目を開けると、視界に映るのは相変わらず品の良い黒の車内だった。

「着くのか?」

そう訊いて、何気なく窓から外を覗き見て息を呑んだ。つづくウィリアムの言葉は耳を左から右へと抜けていく。

「ノーミル・リュサール、昔の言葉で『聖なる道を形作りしもの』という意味です」

冷々とした月光に照らされた黒の大地を、山を、淡く、鮮明な蒼白い固まりが覆っていた。それは霞のように漂い、しかし確かな意志を持ってなにかを取り巻くように動いている。幾本もの細長い光がゆっくりと天へと延びていく様はあまりにも幻想的で、神々しい。人を圧倒するなにが眼前に存在していた。幽霊だとか神代の怪物を思い浮かべ、すぐに違うと否定した。それは確かに存在している。

「・・・あれは?」

「蝶の群れです」

「蝶・・・?」

「そうです。あれこそが教皇を教皇たらしめる証であり、御霊を女神のいらっしゃる月へと誘う存在です」

  あれが蝶の群れだというなら、その数はゆうに十万を越えている。第一、光り輝く蝶など見たことも聞いたこともない。

「霊光蝶は教皇と選ばれた女性達のみが呼び出すことができる奇跡。あれによって教会内の女性最上位構造が成り立っているといっても過言ではありません。土着の伝承の多くがノーミル・リュサールを見誤ったものだと言われています」

「あそこにエリス達がいるのか?」

ウィリアムは窓越しに頷いた。

「あれがあるということは僕達に残された時間は後二時間と少し。それまでにリースフェルン教皇のもとにたどり着けなければ、エリスさんは救えません」

そう、戸惑っている時間はないのだ。何が立ち塞がろうと、たとえ、ウィリアムの策が効いていなかったとしても、エリスを救うためにやることは何も変わらない。やるしかない。

「いいんだな?」

「覚悟だけは貴方と同じつもりです」

「その言葉信じるからな」

「はい」

 会話が途切れ、馬車のスプリングが軋む音が単調な車輪と石ころのリズムに映える。目を閉じて椅子にもたれると、体が沈み込む慣れない感触。ソフィアがこの馬車に乗りたがっているとエリスが言ってたことをふと思い出した。

あいつの願い、叶えてやれそうにないな・・・・・

目を閉じると瞼の裏に柔らかな光を感じ、すぐに目を開け流れる景色を横目で見送った。




「馬で行けるのはここまでです」

 しばらくして馬車は止まった。降りると、上方には蒼月へと続く道を少しずつ、だが確実に延ばし続ける塊があった。その表面を幾千もの光の筋が、下方にある闇を吸い出すように上昇していく。そして放つ輝きが眼前に広がる森を青白く照らし出していた。

 ウィリアムは手際良く馬を車を外し、鞍を付け、車内から運び出した装備を積み始めた。

「ラヴァさんは徒歩で森を進んでください」

「お前は?」

「僕は少ししてからこのまま道を進みます」

「言っただろ。死ぬのは許さない」

 木々が鬱蒼と繁った森を馬が進めるはずがない。馬が通れるとすればそこはクルシュ岬に続く道唯一つしかない。当然警備は厚いはずで、毒を盛って警備を無力化した森を進むのとはわけが違う。自殺行為としかいいようがない。

「死ぬ気はありません。それに貴方の囮になるつもりも。たった二人で戦力の分散も何もありません。どちらかが教皇のもとに辿り着ければいいのなら、各々が少しでも可能性が高い道を選択するべきです」

 いくつかの条件が揃っているならば、それは正論だろう。だが、少なくとも俺にはそれほどの馬術はない。

「信じていいんだよな?」

ウィリアムは静かに頷いた。

「わかった」

「ありがとうございます」

 ウィリアムは作業を再開し、俺も車から必要な装備を選び身につけ始めた。一番に手に取ったのは先ほど神託の兵から奪った剣だった。

その県には語り話の中の英雄が使っていそうな豪華な装飾が施されていた。元から先まで走る四本の金飾り。鍔は広げた二対の翼を模していて、その中央には蒼い珠が一つ埋め込まれている。そして何より特徴的なのはその刃だった。剣を引き抜く。金属ではない、透明な宝石のような刀身は前方の光を受けて虹色に色づく。樋には文字が刻まれていた。

「ソア・ソレス・・・・。なあ、この剣、セイバロットか?」

その問いにウィリアムは驚いたようにこちらを見た。

「どこでその名前を?教会の外にはセイバロットは出回っていないはずです」

「昔親・・・マーチャーで使っていた男がいたんだ。さすがに教会のお抱えともなるといいのを持ってるな」

 親父はよく自分の剣を俺に見せびらかした。酒に酔うといつも、「この世に断てないものはない。あるとすれば男と女の運命の糸だけだ」と柄でもないことを言っては一人でウケて笑っていた。あの剣もこれと同じ美しい宝石の輝きを放っていた。言葉通りすべてを断つ不思議な剣は子供の欲望を掻き立てるには十分だった。俺がねだると、親父はそのうちなといつもたぶらかした。それが今この手にある。

「セイバロットは希少ですし、その固さのために加工も難しいんです。神託の騎士団でも与えられているのはわずか五人しかいません」

「ラインビッヒは持っているのか?」

「もちろん持っています」

  あの男はこれを持っていて使わなかった。やはり、手加減されたということだろう。

「おそらく、エリスさんは貴方とソフィアさんの保護を犧の代償として要求したはずです」

「そのためにラインビッヒはセイバロットを使えなかった、か」

「貴方程の人なら尚更手など抜けないでしょうから」

「ものは言いようか。そのおかげで今ピンピンしてるんだから良かったと思うべきなのかな・・・・」

 剣を後腰にベルトで固定し、ナイフをさしたベルトを手首に、そして胸に巻いていく。最後に鞣革の手袋を身につけた。

「ウィリアム、先に行くからな」

 森に向かって歩き出すと、後からウィリアムが言った。

「ラヴァさん、御武運を」

「ああ、そうそう」

  思い出したかのようなふりをして、立ち止まる。

「ウィリアム、お前はお前の分だけをしっかり背負えばいい」

  言ってから少しキザ過ぎたと思えてきて、それを気取られる前に歩き出す。

それが決して許すことのできない、不器用な男にできる唯一の不器用な言葉だった。

守りたいと思うものが似ているからか、それとも、純粋に気が合うのか。記憶の奥底に沈み込ませていた昔話が出来たのはあいつが初めてだった。別の出会いが出来ていれば、きっと良い友人になれただろう。―――生きてさえいればいつかはウィリアムを心から許せ、エリス達と四人で過ごしていけるかもしれない。

正直、世間から離れて暮らしながら二人を支えていく自信はなかった。 だから、もしあいつが死んだら、死ぬまで呪ってやろう。生きて会えたなら逃がしはしない。一緒付き合ってもらう。

そんなことを考えながら、光照らす森へと入っていった。










白く照らされた森の中、気配を殺し慎重に足を進めていく。

森で出会った一人目はひたすら木に剣を打ち付けていた。二人目は木によじ登っていた。三人目は地面に膝をつき、頭を抱えて嗚咽をかみ殺していた。四人目、五人目は互いに枝を手に対峙していた。

そして、六人目。伝わってくる殺気は確かなもので、まだ見ぬ相手は構え微動だにする気配もない。木陰から様子を伺いあらぬ方向を一心に睨む姿を見て息をついた――――

 


ノーミル・リュサールに近付く程に、森はその明るさを増していった。三十分程歩きそろそろ岬までは後半分といったところに差し掛かり、初めて 正気な人間の声が聞こえた。距離は近かった。続いて鎧がたてる音が二手に別れる。

 素早い状況判断だった。状況の異常さを計り、一人は状況の把握に、一人は報告に行ったのだろう。これで隠れる必要がなくなった。

 まずは近付いて来る方をやり、次に報告に向かった方を始末する。存在を知られるにはまだ早い。

 一気に距離を詰めた。葉々が盛大に音をたて、こちらの接近に気付き男の手が剣に動く。

 こちらも腰に手を回し、逆手で柄を握った。そして、間合いにはいった瞬間引き抜く。振り下ろされる剣と、上げられる剣。力関係では明らかにこちらが不利。

 だが、刃に触れる刹那に刃を引く。ソア・ソレスはただの鋼鉄の上を走り、切断し切っ先はそのまま相手の肩を鎧ごと切り裂いた。その間も俺は前進を続け、視線が横目で擦れ違う。一瞬で驚愕に開かれた目が視界の端に消え、直後に鍔を首筋に振り下ろした。苦悶の声を上げ、そいつは倒れた。

次を求め、視界を走らせる。報告に走った兵は先程と同じ方角、今は右前方にいた。

「どうした!」

「敵襲か?」

 周囲から叫び声が聞こえる。今夜は静か過ぎるのだ。森のざわめきは何の音も消してくれはしない。加えてノーミル・リュサールの光は俺を照らし出す。

 人々が集まってくる音を聞いて、残った片割れは逃げるのを止め、こちらを向いて剣を構えた。

 どうして、まぁ判断が的確だ。ここで時間を稼がれて人が集まってくれば流石に厄介なことになってしまう。

立ち止まって訊いてみる。

「提案が在るんだが通してもらえないか?」

「な・・・馬鹿にするな!」

 溜め息をつく。

「だよな」

 剣を振るい、剣ごと相手の胸甲を切った。血飛沫が顔を濡らす。それでも彼の傷は致命傷ではないはずだ。この程度の相手ならば手加減ができる。

 俺は光の中心に向かって走った。行く手を阻む影が三つ、弓を構えていた。

 速度を緩めることなく、左手で右の袖口からナイフを三本取り出し放つ。内二本は二人の肩に刺さり、少なくとも三人ともを一瞬怯ませた。続いてさらに三本を放つ。今度はすべてが手足に刺さり、放たれた弓があらぬ方向に飛んで行った。その時には互いの距離はほとんどなく、ソア・ソレスの一閃で道は開けた。

近付いて来る足音はすでに十に近かった。

「流石に早いな」

 幸い、そのほとんどが左右からで前から来るのは二人だけ。向こうは鎧を着ているので一度リードしたら、おそらく追い付かれることはない。

 ナイフの残りは十二本。もともと無駄に使う余裕もない。そんな中で出来る最善の選択はただ全力で走ることだけだった。

剣を鞘に戻して走った。すぐに二人の男が見えた。二人は真っ直ぐに突っ込んで来ていて、足の差で一人が先行する形になっている。

「邪魔だ!」

 叫び、再び抜いた剣と剣がぶつかった。だがすぐに期待外れの手ごたえを感じた。押し切ろうとすることなく、相手がすぐに引いたのだ。間髪いれずに攻めるが、それを後続の一人がとめる。その剣もまた同様に手応えなく引かれた。

「いかにセイバロットといえど触れるだけで切れるものではない」

 また、中途半端な感触を味わった。ソア・ソレスが相手の刃を走る前に剣が引かれる。

 この二人は違う。領主館で倒した連中と同じくらいに強い。相手の実力を見誤ったことは認めよう。

 俺が振り下ろした太刀筋は甘く、相手は剣で受けることなく一重でかわした。

「ぬるい!」

 がら空きの懐。完璧に不意を突かれた斬撃のカウンターが滑り込んでくる。だが―――

「そっちが!」

 左で後腰から短剣を抜き、ラインビッヒの時と同じ様に一閃を受け流した。同時に右手は避けられて振り下ろした勢いのままソア・ソレスを捨て、手首を捻り袖口から抜いたナイフを相手の顔面に突き立てた。剣を捌いた透き通った残響は、すぐに悲鳴に掻き消される。

男は吹き飛び、左目を押さえていた。

「マルク!」

 地面に突き刺さった剣を抜き、もう一人に切っ先を向ける。

「その男を連れて退いてくれないか?」

 声をあげたのは目を失った方だった。

「ふざけるな!」

 男は左目に手をあてたまま立ち上がって、俺を睨む。怒りだとか憎しみだとかあまり向けられたくない感情を浴びて、やはりいい気はしない。

「我等は誇り高き神託の剣だ。たとえ、目を失おうとも、この腕をもがれようとも−−」

 再び悲鳴が森に響いた。一瞬前まで腕がついていた肘から鮮血が青白い光の中森に映えた。

「これが最後だ。この男を連れて退け。立ち塞がるというなら構わない。だが、その場合は犬死にだ。後の連中も見逃してくれないか。お前達程なら相手の力量も計れるだろう。六人程度ではどうにもならないぞ」

 すでに後続に追い付かれ囲まれていた。一応彼ら二人の企みは成功したことになるのだろうか?

 片割れの男が言う。

「こちらが退かぬこと解らぬわけではあるまい。マルクが言った通り我等は神託の剣。君を行かせるわけにはいかない!」

  咆哮に合わせ彼等は一斉に襲い掛かって来た。

「ちっ」

 忘れていた。この手の輩は危機感というかその類のものが鈍い。

左は三本のナイフを放ち、右はソア・ソレスで薙ぎ払う。ソア・ソレスは先ほどの二人を含む三人を手首ごと胸を裂き、放ったナイフ一つは真ん中の頸動脈を断った。噴き出す血に左の一人、六人の中で最も若いやつが怯み、結局、間合いに入れたのは一人だけだった。彼の切っ先が左肩に伸びて来る。瞬間、体を回転させた。

 突き出された剣は肩口を外れ空を突き、代わりにソア・ソレスによって持ち主の首は飛んだ。

唯一無傷で残った男を睨んだ。

「退いてくれないか?」

 彼は目の前に広がる惨状に動揺したのも一瞬、すぐに剣を構えて言う。同じ言葉を繰り返した。

「私達は神託の剣。贄と女神の御寵たるリースフェルン教皇の間で交わされた聖約を護ることが使命。此処で退くというのなら、私は死を選ぶ!」

 彼らの攻撃には憎悪はあっても殺意はなかった。だから避け切れた。狙いはあくまでも急所以外。その男の場合も、右の手首から先を失い怯えこそ目に浮かんだものの後悔は微塵も感じられなかった。ただ悔しげに唇を噛み締めただけだった。




 男は仰向けに倒れ痛みに顔を歪め、その額には汗が浮かんでいる。それでいて清々しささえ感じる表情をしていた。

「悪いがこのままにしておいてやれない。時間を取られすぎた」

「・・・私を・・・人質にでもするつもりですか?・・・そんな価値・・・ないですよ」

「人質が通じる相手ならそうしたい―――」

ソア・ソレスを天に向けた。男はその切っ先をまっすぐ見つめていた。

「聖剣に殺されるのも・・・・悪くない」

剣を振り下ろした。


次回更新は新年1月10日ごろを予定しています。

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