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黒白の螺旋

作者: 柳夕雨

ユーラシア大陸の極東の国―日本―

先進国であり世界有数の経済国である。

数多くの高層ビルが立ち並ぶ首都、東京。

この街には黒と白を司る者が人々に紛れ生きていた。

白は天使を、黒は悪魔を意味している。

だが、まれに成人になる過程の者が下界に堕ちることが在る。彼らは、白使い、黒使いと呼ばれ善良な涙と憎しみの血を得ることで成人できる。

ただし、未完者が下界に居る事が出来るのは七日間のみ、その期限を過ぎると、この世界から消滅してしまう。

―そして、この街に一人の白使いが堕ちた。



「っ痛!何処だ?此処・・・」

満月の夜、一線の光を帯びて一人の少年がやって来た。少年は腰を強く打ったのか苦痛で顔が歪んでいる。

少年の名は、慈雨。一目で人間ではないと分かる。髪は白銀、瞳は鮮やかな翡翠。額には薄碧色の石が光り、左腕に白い刺青が浮かび上がっている。

「此処が下界?・・・嘘だろ・・・」

慈雨は辺りを見回し驚愕した。辺りは青々と茂る深い木々に囲まれていたのだ。見知らぬ世界に紛れ込み、不安と恐怖がジワリと押し寄せてくる。

慈雨は身震いした。

一刻も早くここを動かなければ・・・慈雨は周りから覗く無数の気配に身の危険を感じた。気配の大きさと気迫の強さに動きが止まる。

 緊迫した時は長くなるほど慈雨の体力を消耗してゆく・・・

一筋の汗が流れた。

一瞬、小さな気配が消えた。すると一気に無数の気配が音もなく消えていった。

消えた?・・・慈雨は中腰だったのか足に力がぬけ、その場に仰向けとなり意識が薄くなっていくのがはっきりとわかった。

このまま意識を預け深い眠りに身を委ねたかった。だが本能が邪魔をし、身体を震わせた。

そうする内に、眠気は消え果たものの体力の極限の消耗は身体を動かすことさえも儘ならない。

慈雨は額を左腕で覆い、時間が経つのを忘れ空を見上げた。

「あそこから堕ちたんだよな・・・」

言葉は心なしか弱々しい。

いつの間にか、身体が動かせることに気が付いた。ゆっくりと身体を起こす。

身体が軋み、痛さがジワリと広がった。

だが、それは一瞬だった。あとは無意識に動かせた。

立ち上がると、眩暈が奔ったが右足で地面を強く踏む。

朝になっていたようだ。光が広がり、太陽が顔を見せる。白光の熱の強さに瞼を閉じる。

それから何時間過ぎたのかわからない。

何時の間にか、朝は昼へと変わり、太陽は真南になろうとしていた。



森は簡単に抜けた。抜けた先に見えたのは、高く聳える建物が犇めく都市だった。

 これが東京・・・慈雨は胸の高鳴りによる好奇心が抑えきれない思いだった。

今にも飛び出してしまいようになりながら押し留まる。

人間にこの姿を見せるわけにはいかなかった。理由は、わからなくとも、そう学んだからだ。

そうこうするうちに日は暮れていた。出歩くのは夜中だけ。

眠らない街、東京。

人知れず動くには住宅街を行くしかなかった。すると、左腕の刺青に痛みが広がる。

慈雨は必死に左腕を押さえた。震えが止まらないのだ。

顔は苦痛に歪み、強く噛んだせいか、唇から血が流れ出る。

ポッタ・・・血が地面に落ちた。瞳を見開いた瞬間、痛みは消えていた。

突然の痛み・・・全身から怯えが伝わる。

―下界に落ちた白使いたちは始め刺青の激痛から消滅の恐怖が襲ってくると言う・・・―

慈雨は頭の中でその言葉を何度も繰り返した。

腰を下ろして夜が来るのを待つことにした。

何時の間にか、薄っすらと星の光が見え始め、街が人工の光りに包まれてゆく。

もう出歩いて良いだろうか・・・慈雨はゆっくりと立ち上がり、フードを被った。

身なりは、人間たちの服装とよく似ていた。パーカーとズボン。フードを被れば正体は分からないだろう。

坂を滑り降り、周りを見る。この辺りには家が少なかった。

人が数人近づいて来た。一人はフードを深く被っていて顔がわからない。

慈雨は嫌な感じがした。

「・・・白使いか・・・?」

横切ろうとしていた数人の一人が小さく呟いた。

慈雨は見開きした瞳を一番後ろにいた、フードを被っている男に向けた。

男はゆっくりと此方に向き直し、フードを取った。

黒髪に赤紫の瞳と葵の石が額に埋め込まれている。右腕には黒の刺青・・・。

彼は黒使い。

では他の数人は?・・・強い風が下から射るようにして巻き上がる。辺りの鴉が飛び立って、黒い羽が舞った。



目を開いていられないほどの強風が静かになって、瞳を開けると黒い翼を広げ、充血したかのような焔色の瞳で此方を見据えた悪魔が立っていた。身体中の血が噴き出してしまいそうに熱い。

「なんで・・・成人者が、未完者と一緒に・・・?」

慈雨の身体は小さく痙攣し始めた。声は震えと恐怖で聞き取れにくい。

成人者、悪魔は白使いを殺すことがある。ただでさえ悪魔と天使は仲が悪い。まだ力の無い白使いを一瞬にして死に至らしめる存在が目の前に立っているのだ、慈雨は身動き一つ動けないでいた。

「別になんでもないさ。さっき出会ったばかりだ。」

リーダー格らしい悪魔は淡々と言った。

表情に感情は見られず、何を考えているのか分からない。悪魔とはそう云うものなのだろうか?

 すると、後ろの方で此方の様子を静かに見ていた黒使いが突然口を開いた。

「お前・・・ジウ・・なのか?」

黒使いの瞳に薄暗い影か映る。

「どうして僕の名前を知ってるんだ・・・。」

慈雨は驚きを隠せない。

「覚えていないのか?・・・当たり前か・・俺が記憶を消したんだ。覚えている筈が無い。」

「え?」

黒使いの突然の言葉に慈雨は思わず聞き返してしまった。

「俺は葵羅。お前の双子の兄だ。」




晴天の空に雲は無く、其れを見て一筋の涙を流す者がいた。

天と地の真ん中、其処に少女は居た。けれど、少女には何も無かった。誰かを思う気持ちも、誰かを憎む気持ちも、感情と呼べる全てのモノが無かった。

少女の名前は灰璃。瑠璃色の瞳、黒に近い灰色の髪、青白い肌。その姿は儚く触れただけで崩れてしまいそうに弱々しい。

灰璃は森の中の小さな教会の中で生きていた。物心付いたときから当時の神父に育てられ、聞くところによると生まれたばかりの赤ん坊が教会の前で捨てられていたそうだ。その赤ん坊が灰璃だった。

その神父も何者かに殺され、今は灰璃ただ一人・・・

 静かに時が過ぎていたある日の真夜中、東の空から一線の白光が此方に向かって堕ちて来た。


―なんだ?―


音も無く、それは堕ちた。灰璃はゆっくりと歩み寄った。

何かが動いたのか、灰璃は草木に素早く身を隠した。

其処に居たのは美しい少年だった。けれど人間でないことは一目瞭然だった。

 白銀の髪が鮮やかに瞳の中で揺らめいた。

これは何というモノなのだろうか?灰璃は心の中で初めて浮かび上がるモノを感じた。

これが感情だった。けれど灰璃は知らない。今生まれゆくそれは灰璃にとって未知なる物だったからだ。

 少年が此方を振り向いた。鮮やかな翡翠の瞳。それはどこか不安の影を帯びているようだった。

灰璃は自分の瞳に宿らぬその瞳の美しさに眼が離せない。

それは何とも言えない感じだった

気が付いたときには獣たちの中に紛れ込みながら人間ではない少年を凝視していた。身の危険など気にはならなかった。それよりも彼への興味が増していた。

何も動かない。

静か過ぎる緊迫感・・・

一筋の汗が流れ、何も考えられなくなる程の時間が流れた気がした。

それでも経過した時間は僅かだった。

どちらも全く動くことはなかった。それが煩わしく思えてならない。

少年が小さな吐息を吐いているのが微かに感じた。

灰璃は竦みそうな体制から身を翻してその場を抜けた。

後ろから少年の倒れる音が響いた。


「痩せ我慢・・・」

少女は呟いた。ココロの響きが無いままに・・・




「どうした?久しぶりの再会を喜ばないのか」

悪魔は充血した焔色の瞳を面白げに細めて鋭く此方を射抜く。

何の力か知らないが背筋が凍る。

鳥肌が全身を包む。

「・・・黒使いと白使いの双子なんて聞いたことがない!」

身体の強張りを気づかれないように強い口調で言葉を紡ぐ。

「ハッ!そんなこと・・・」

悪魔が口を開こうとしたが・・・

「お前には関係ないことだ。」

言葉を重ねて葵羅が言う。言葉を遮られた悪魔は少し機嫌が悪いようだが、何も言わず葵羅と慈雨の様子を傍観している。

まるで黒使いである葵羅の方が悪魔よりも位が高いかのような振る舞いだ。本来ならば過程者の黒使いは悪魔に絶対服従する血の契約を刻まれているはずだ。

その痕が右腕の黒の刺青。葵羅の腕にも確かにあった。

慈雨は思想を深くした。だが、眼前に居るのは敵である。

そう、駆け巡る疑問さえ考えられる間など与えられるはずが無い。慈雨は一瞬の隙を敵に見られていたのだ。

「とにかく、お前は邪魔なんだ。」

悪魔の声が耳元に響き、いつの間にか背後に立っていた。

「なっ!」

後ろで腕を組まされる状態で慈雨は眼を見開く。

顎に手を添えられ顔を無理矢理上げられた。葵羅の顔が近づく。額にある葵の石が白く光った。-まるで地上に堕ちた時の白光のように・・・

―眼を開けていられない―

そう思ったのも束の間すぐに左腕に激しい激痛が慈雨を襲う。

「うあぁあー」

捻じ込まれるほどの痛み、周りが敵だらけであること忘れ暴れる。その様子を悪魔は破壊の瞳を奇妙に輝かせて狂喜の笑みを浮かべている。

葵羅は眼を細め穏やかに慈雨に話しかける。

「慈雨、本当のお前は白使いでも黒使いでもない・・・」

慈雨はひたすら呻き泣き、葵羅は耳元で囁く。

「・・・お前は人間だ・・・」

見開いた瞳から色が消えた。


一粒の雫。雷鳴が天と地を繋いだ。



灰璃は綺麗な少年の傍らに座っていた。

雷鳴の響き渡る豪雨の中少年も灰璃もずぶ濡れだ。頬から顎に伝わる雫がポツンと落ち掌に弾く。

「ねぇ・・・貴方は死んでいるの?」

問う声に答える声は聴こえてこない。少年は左腕から血痕が溢れている顔色も灰璃よりも青白く雨のせいもあるのだろうがとても冷たく生きているとは到底思えなかった。

灰璃は静かに少年の頬に手を添える。

「・・・動かない。」

ピクリ。灰璃の言葉が聞こえたのか少年の瞼が動いた。

灰璃はぐったりとした少年の身体を抱えた。細身の身体の何処にそんな力があるのかと思わせるように少年を軽々と持ち上げ教会に向かった。

少年の身体は軽かった。

死んだときの神父の重さとは比べる程でもないくらい軽かった。

「軽い。」

一言呟いて少年の顔をまじまじと眺める。

綺麗だった。初めてみた神父以外の人間。この瞼の裏に隠れている翡翠の瞳を見たかった。声を聴きたい。

初めて欲望を願った。


ピチャ・・・ピチャ・・・

教会の中を不似合な音を響かせて灰璃は奥へと進む。

奥にある小さな個室のドアを開き簡素なベットに少年を寝かせる。少年は身動き一つしない。対峙したときと同じだった。

タオルを持ってきた灰璃は少年の濡れた身体を優しく拭く。額に張り付いた白銀の髪を払う。すると額の中央に輝く薄碧色の石が顔を覗かせた。コツンと石に触る。ひんやりとした冷たさが心地よかった。

灰璃はベットの隣にペタンと座り、少年の横顔を眺め、いつの間にか睡魔が襲った。


ただ静かに昏々と眠った。





白い世界だった。

真っ白な何もない世界に自分は立っていた。何もかも忘れて、溶け込んでしまいそうになるのを誰かが引き止める。

―誰だ?―

無音な世界に響く声。眼を閉じる。

次に眼を開くと白い世界は消え、小さな小部屋に居た。

鳥の囀り、木々の葉が織り成す音と光。穏やか朝を感じていた。


もう夢は覚えていない・・・



「此処は・・・?」

呟いて身体を起こす。周りを見渡して呆然とする。

ガチャ。

ドアの開く音がして一人の少女が立っている。儚い印象を持たせる少女だった。

「起きたの?」

眼を細めて薄く笑っている。でも、どこか違和感を感じるのは気のせいだろうか。

「君が助けてくれたの?」

「そう。見つけたとき死んでいるのかと思ったけど大丈夫みたいだね。」

ゆっくりとベットの近くに来る。

「君は誰?」

違和感を感じずにはいられない。少女は全く感情を示さない瞳をしていたのだ。悪魔や天使の中には表に感情を出さない強情な者も居るが基本的に感情はある。極端な感情の差はあるが人間と同じだ。だが、この少女は人間だ。しかし、まるで心の無い人形のようだ。

「私は灰璃。貴方は?」

灰璃はゆっくり話す。静かで清浄な世界に透きとおって響く。

「僕は慈雨・・・」

「ジウ。・・・よろしく。」

朧ながら告げられた自分の名。何故だか少女の発する言葉一つひとつに命の欠片が埋め込まれているようでとても不思議だった。少女自身には感情の無い命を持たぬ人形のようでその矛盾が身を燻らせた。

―この少女を善意者にすれば自分は天使になれる!―

その言葉に胸を躍らさせた。けれど、脳裏に焼きつくあの言葉・・・

―・・・お前は白使いでも黒使いでもない・・・人間だ・・・―

アイツ、葵羅の言葉は自分を陥れるための偽りなのか?

自分と良く似た姿。放たれる残酷な言葉。何が本当なのか、分かるはずが無かった。慈雨は灰璃の目の前で蹲る。

灰璃には感情が無い。彼が何故蹲っているのか分からない。心配や気遣いの言葉は知っていても何処で使う言葉なのか分からない。

灰璃は静かに部屋を出て行ってしまった。



何時間もただ蹲った。答えなど出るはずも無いのに・・・



窓から映る木々の影、深緑の森は白い教会を隠して時さえも見放されたように穏やかな姿を感じさせた。

灰璃は教会の礼拝堂に座っていた。椅子ではなく地面にペタンと腰を下ろした状態で。天窓から優しげな光が木漏れ日となって差し込む。ステンド硝子の鮮やかな色が幻想的に十字架を照らした。

此処は心地が良かった。灰璃は一日の大半をこの場所で過ごしている。三年前神父が死んで、一人きりになった時もこの場所でこの十字架を眺めていた。

神父は生前灰璃を教会のある森からは出さないようにしていた。

何故かは分からず、一度だけ理由を聞いたことがあった。

―この森の外は君を脅かす者が居るんだ。この森は君を隠してくれる。

この森の外には出ては駄目だよ。―

神父は何か隠していたのだろうか?穏やかな神父がこの時とても焦っていたのを覚えている。

この場所に居るとフッと自分は誰なんだろう。と思ってしまう。感情のないおかげで恐怖することも不安になることもないが唐突に考え込むのだ。


礼拝堂にある白い十字架には緑の苔が生え、罅割れ、オルガンは音も出ず、荒廃の兆しが浮かび上がる。それを観ても積年の思いなどあるはずもなく、ひたすら崩れゆく姿を眺めるだけ。灰璃の瞳に光の帯が映る。人間のようで人間ではないその姿に扉の奥から慈雨は見つめていた。

「あの子は人間なのか?」

その言葉を発して苦笑した。自分は作り物の白使いなのではないかと。天にいた頃から自分は欠陥品だった。何をしても上手くいかず、仲間だった者は天使になって置いて行かれる。

もしかしたら葵羅の言葉は真実で、自分は堕ちたのではなく帰ってきただけなのでは?双子ということは嘘だとしても人間だったならあり得る。

コツコツ・・・

教会の割れたタイルの上を歩く音がする。木霊のように慈雨の耳にも届くその音は此れから起こる予兆の不安・・・

「・・・君が黒白の者?・・・」

灰璃の真後ろで止まった音は冷たい言葉を灰璃に告げる。言葉自体が冷たい訳ではないのにその人物の口から放たれるものは全て凍る氷石のようで慈雨は身を強張らせた。

その声は聞き覚えがあった。

―葵羅!・・・―

言葉を飲み込む。葵羅の言葉を瞬時に脳の中に刷り込ませる。彼は灰璃のことを“黒白の者”と呼ばなかったか?

黒白の者――善にも悪にも染まる唯一の存在。

その存在は白使い、黒使いに多大な力を与える―

まさかこんな所に・・・

「貴方は誰?ジウの知り合い?」

灰璃は後ろを向かず瞳は十字架のみを映していた。

「ジウ?奴を拾ったのは君か・・・どうりで何処にも居ないはずだ。」

そこで言葉を止める。ゆっくり扉の奥を見据えた。

「慈雨。其処に居るのだろう?出てこい。」

冷たい視線は慈雨を捕らえていた。もはや逃げも隠れも出来ないことはわかりきっていたはず。今更アイツの前に出ることなど何でもないはずだった。だが、足が竦む。未だ奴に恐怖しているのか?

「どうしてアンタが此処に・・・?」

言葉を発せたのはまぐれに過ぎない。それども葵羅と対峙しなければならなかった。葵羅の側には灰璃が居るのだ。

「強がりだな。俺のことが怖いのだろう?それともまだ足掻きたいのか人間の癖に諦めの悪い・・・」

「煩い!僕は白使いだ。人間じゃない!」

葵羅の言葉を遮って強がりしかない言葉を吐く。効果なんてないのは重々承知の上だ。地面に強く踏み込んでジワリと汗がにじむ。

「お前は人間だよ、慈雨。十六年前に天使に命を貰った俺の双子の弟。分からないか?血でお前と俺は繋がってるのさ。」

眼を見開く。たしかに、天使が人間を同族にすることは出来る。だが、その行為は禁止されているはずだ。何故ならば自分の命を譲り渡す行為だからだ。悪魔も確か同じなはず・・・

「・・・十六年前生まれたばかりの俺たちは大きな地震に巻き込まれ死ぬはずだった。その地震は天使と悪魔の抗争によるもの。人間には害のないように配慮されているはずだったが、運が悪いのかその場所に俺たちは捨てられていた。」

言葉を止め、瞼を閉じる。何かを思い出そうとしているのか、その姿は苦しげだった。

「俺は悪魔の貴族に命を貰った。その悪魔の力、能力、地位全てを取り込んで・・・お前は落ちこぼれの天使に助けられたんだろう。こうして俺たちは離れ離れになった。どうだ?これが真実だ。」

「・・・そんなの・・・。」

信じたくなどなかった。嘘だと思いたかった。でもそれが真実だと分かっていた。自分と葵羅は確かに双子だと知らずうちに感じ取っていたから・・・

「フッ。今はお前のことなどはっきり言って如何でも良い。用があるのは黒白の者だ。」

見つめていた瞳を灰璃に向ける。

怪しげな葵羅の様子に不審を覚えたのか眉間に皺が寄っている。

「それは、私のこと?」

「そうだ。三年前に死んだ此処の神父・・・大天使が隠していた子供が”“黒白の者”だ。つまりお前のことだよ。灰璃・・・」

葵羅は穏やかな様子に似つかわしくない地響きのような低い声で灰璃を見据える。

「どうして、大天使が?」

慈雨には分からない。天使の中でも神に近いとされる者が黒白の者を保護するとは思えない。あくまで、重要視されているのは白使いと黒使いの間だけ、成人者特に大天使など一般の人間とそう変わりないはず。

「それは俺が狙っていると知ったからだろ?その大天使は俺が殺したんだからな・・・」

「なっ!そんなの嘘だ・・・」

たかが黒使いに大天使が遅れをとる等考えられない。この男はどれほどの力を身の内に隠し持っているんだ。

「・・・どうして私を狙うの?」

灰璃が二人の間に入る。もっともな意見だ。これほどの力を持っていれば黒白の者など必要ないのではないか?何故・・・

「それはお前が十六年前の大地震の引き金を引いた張本人だからだよ。」

言葉が天井に響いて広がる。

この後、僕らの歯車は動き出す。本当の真実に向かって・・・


これは僕らの最後の物語。





葵羅の言葉の意味が分からなかった。十六年前の天使と悪魔の抗争を引き起こした張本人が灰璃だと言うのか?

こんな少女の何がそんなのを引き起こせるきっかけを生むと言うのだ。

「お前には分からないか?」

ククク・・・不気味な笑いを響かせて葵羅が言う。その言葉には慈雨を馬鹿にしている様子がひしひしと感じられた。

「灰璃は創主の御霊を宿す器だ。ただの黒白の者など興味がない。」

葵羅は呆然とする慈雨の耳元で囁いた。

まさに悪魔の囁きに似た其れは浸水のごとく心に隙を与えてしまう。

「おしゃべりはもう終わりだ。」

その刹那――

疾風のごとく舞い上がったタイルの欠片。その欠片が慈雨の周りを飛び回る。一欠片が慈雨の頬に掠り血がにじむ。

「くっ!」

後ろに一歩下がるが、もう逃れることが出来ない。

教会の壁まで下がり行き場を失う。目の前には、ほくそ笑む葵羅の姿が映った。灰璃は何が起こっているのか把握できずただ呆然と眺めているだけだった。

灰璃には危害を加えないようだが此方には本気で殺すつもりだ。

力の差は歴然としている。

落ちこぼれの出来損ないである自分が成人者の悪魔でさえ頭を垂れるほどの実力者に適う筈がない。だが易々と殺されるつもりもなかった。

慈雨は壁に凭れ掛かりながら地面を強く踏む。あの欠片の嵐に飛び込むのは自殺行為だが其処しか脱出経路が見出せない。

――ならば・・・

覚悟は決めた、後は行動のみ。強く踏んだ足元から風が巻き上がる。髪が逆立ち、いつもは髪で隠れている額にある薄碧色の石が露になる。この石は白使い・黒使いの力の源。これを壊せば死ぬ――

「うあぁぁあー!」

力の限りを尽くし拳に風を巻き込んでいく。これが慈雨に出来る唯一の攻撃。此れ自体に大きな殺傷能力は皆無に等しいが、拳に巻きつけ嵐のような回転力を付ければ額の石を崩壊することが可能になる。だがそれには一つ欠点がある。それは距離が極端に短いのだ。そのため自ら敵の懐に入り攻撃しなければならない。そして、最も重大な問題は慈雨に実戦経験がない事だった。

悪魔と対戦さえなければ平和を好む種族。また、天界は平穏そのものの世界だ。争いがあるはずない。

それに対し葵羅は実戦を積んだ恐ろしく強い黒使いだ。如何足掻いても勝てる見込みなどない。

「その程度の風で俺に勝とうと思っているのか?フッ笑わせるな!」

葵羅は自分の周りの風を強めた。大きな十字架を取り込むほどに強く、慈雨の比では無い。しかも、相手に近づくことも不可能になってしまった。

「く・・・!」

――このまま僕は死ぬのか?

弱気な心が呟いた。もう反撃する余地さえ奪われてしまった。このままあっけなく消滅するのか?・・・

慈雨の心は折れてしまった。

「・・・待って!」

葵羅の後方から声が降る。灰璃の声だ。

「なんだ?灰璃。お前は邪魔だ。退いていろ!」

葵羅の冷たい声が突き刺さる。けれど灰璃は物怖じせずに話しかける。

「本当にジウを殺したいの?本当は殺したくないんじゃないの?」

問いかける声は落ち着いている。そして静かな静寂が始まった。

「・・・。」

言葉はなかった。葵羅は僕を殺そうとしているのではないのか?何故灰璃はそんなことをいうのか。灰璃には感情、心がないはず。他人の感情を感じれるわけが無いはずなのに・・・

「ッチ、創主の御霊が崩れかけているのか・・・」

舌打ちをして葵羅が灰璃に近づく。灰璃の顎に手を添え、上に上げる。瑠璃色の瞳を眺め、口を開いた。

「やはり、感情が出始めている。もう時間が無かったのか。」

感情?灰璃は口に出してその言葉をなぞった。このもやもやした物が“感情”。初めて知った。大切なもの。スッと瞳から雫が流れた。

綺麗な瑠璃の色を映し輝いていた。



「感情が出始めたってどういうことだ?」

慈雨は葵羅を睨み付けるように言葉を放つ。先ほどとはうって変わって眼光が鋭くなった。死を待つ者の眼ではなかった。

「・・・・・・御霊の器は“器”になった時に人としての全てを失う。家族・記憶そして感情。それが出始めたということは“器”であることが不要となったと言う訳だ。つまり御霊は崩壊し始めたんだ。」

渋々ながら答える葵羅。この様子からでは嘘ではないようだ。灰璃は感情が戻ってきたことが嬉しいのか涙を流している。多分本人は無意識なのだろうが。

「・・・崩壊し始めたとすれば“器”の命もあと少しだな。」

「どういうことだ!・・・灰璃が死ぬのか?」

葵羅の突然の告白にわが耳を疑い目を見開いた。何故灰璃が死ぬのだ?

「言っただろう?人としての全てを失うと。命だって例外じゃない。命だけじゃない自分の時でさえ失うんだ。灰璃は神父に拾われた時から歳をとっていないはずだ。そうだろ灰璃?」

灰璃は昔の自分を思い浮かべた。言われてみれば確かに歳をとっていない。神父も歳をとらなかったせいもあるのだろうが、少なくとも五十年は同じ姿のままだ。十二歳の外見のまま・・・

「じゃあ・・・灰璃は」

「もうすぐ消滅する。跡形もなくな。」

「・・・!」

さすがの灰璃も驚きが隠せないでいた。どうしようもない真実。指先の感覚が無くなり少しずつ色素が消えてゆく・・・

「あ・・・あぁ・・・・・」

見る見るうちに身体が透けだしてゆく。灰璃は此方に駆け出してきた慈雨を懸命に掴もうとするが、もう触れない。

「灰璃!」

顔色も青白くなり瞳から雫が溢れ出てきた。

「葵羅!どうしたら灰璃は助かるんだ?」

慈雨は葵羅に助けを請う。しかし、葵羅は依然冷たい眼をしたままだった。

「何故助ける?たかが人間に。もしかして黒白の者の力が欲しいのか?今更助けたところでその力は無いぞ。黒白の力も創主の御霊のおかげだからな。」

「違う!・・・僕はそんなの欲しくない。ただ灰璃を助けたいんだ!やっと感情を思い出したのに・・・・・・死ぬなんてあんまりじゃないか・・・」

慈雨は必死に葵羅に訴えた。慈雨の眼には涙が溜まっていた。

「・・・一つだけ助ける方法がある。」

慈雨の気迫に負けたのか葵羅が重たい口を開いた。

「何?」

「・・・黒使いか白使いの石を飲ませるんだ。」

「!」

呆然とした。石というのはきっと額の石のことだろう。だがこれを取り除けば確実に死ぬ。慈雨は迷った。

灰璃は助けたい。けれど死にたくない。そんな葛藤が心の中で繰り返される。

ゆっくりと目線を下げる。目線の先には歩くことも出来なくなった灰璃が蹲っていた。

「・・・分かった。僕の石を灰璃に譲り渡す。」

「!良いのか?死ぬんだぞ!」

「良い。覚悟は決めた。其れに・・・このままでも君に殺される。だったら人助けで死にたい。」

そう、覚悟は決まった。苦しそうな灰璃をみたら居た堪れなくなったからだ。こんなの自己満足でしかない。だけど、助けたい。人としての幸せを灰璃にあげたい。自分が出来なかった分まで・・・

「・・・・・・そうか・・・だがもう一つ足りないものがある。ここまで進行してしまっては白使いの石だけじゃ補いきれない。・・・白使いと対に在る黒使いの石が必要だ。」

慈雨はどうしようもない絶望に襲われた。黒使いの石などどうやって入手すれば良いんだ!人間に命を易々とやるような奴など居ない。それに黒使いなど目の前に居る葵羅しかいない。葵羅が渡すとも思えなかった。

「・・・・・。」

「・・・・欲しいか?此れが・・・」

葵羅が自分の額の石をコツンと指差し慈雨に問う。

「・・・・・・欲しい。」

素直に渡すとは思えなかったが最後の望みだった。

「・・・灰璃が言った『本当は殺したくない』の言葉は本当だ。お前は覚えていないだろうが一度だけ天界と地界の狭間で逢った事があるんだ。あの頃は人間だった頃の記憶が残っていた。だからすぐ俺を兄だと知り駆けてきたんだ。だが、天界で幸せそうにしているお前に黒使いの兄が居ると知ればお前は堕天使になる。それだけは嫌だった。だから・・・お前の記憶を封じた。下界したのも確かに御霊の件もある。だけどお前が堕ちたと聞いて逢いたくなったんだ。・・・お前を殺すつもりなんて更々なかった。・・・それだけは知っておいてくれ・・・」

額の石に手を添える。

葵羅の言葉それは優しいもの、そして謝罪だった。否定の言葉を言うのは簡単だった。けれど其れを言えなかったは葵羅を兄だと思ったからだ。

離れ離れだった。ずっと記憶を封じて自分だけ孤独と闘った兄がなんだか酷く悲しく思えてきた。其れと同時に自分はこの人の弟なのだと確信した。

「・・・やるよ。」

「え?」

「石。もう俺には必要ない。お前の好きにしろ。」

葵羅はそういうと自分の手で額の石を取り出す。血が溢れ、顔中が紅蓮に染まった。

「葵羅!」

石を外しても即死するわけではない。ゆっくりと眠気が走り、次第に消えていくのだ。安楽死に近い死である。

「もうお前の顔も分からなくなる。その前に良く見ておきたい・・・」

まるで恋人に言う様な台詞を吐き、両手で慈雨の両頬に触れる。葵羅の血が頬に触れ生臭いにおいと暖かい血が酷く心に突き刺さった。

「・・・・・・兄さん。」

「・・・。」

一瞬、笑ったのかと思った。優しげな静かな笑みが見えた気がした。



ズボッ・・・

静寂な教会の中で不気味な音が響き渡る。

左手を紅蓮で染め拳の中に薄緑色の石が光を帯びている。そして、左手の拳には葵の石が握られていた。

「・・・どうして・・・?」

少女は掠れた弱弱しい息遣いの中に声を絞るかのような問いを少年に向ける。

少年は穏やかな笑みを浮かべ少女に近づく。

「君に幸せになって貰いたいんだ。僕らの分まで幸せに・・・・・・さあ、此れを飲んで早く!」

少年は少女の口に二つの石を差し出す。少女は其れを拒否した。

「・・嫌だよ・・・ジウやキラの・・・命を食べる・・なんて・・・」

「飲み込んで。じゃないと君が死んでしまう。葵羅と僕は無駄死になってしまう。だから君は生きて。」

酷く優しい笑顔だった。もう慈雨の瞳は閉じかけ緩やかに死へと向かっていた。

「・・・もう・・・逢えないの・・?」

「いつか逢えるよ。君が願えばきっと・・・。」

慈雨は灰璃の隣に座る。立つことが出来なくなってきたみたいだ。

もうそろそろ時間だ。

「じゃあ・・・私、生きる。いつか貴方たち逢うために・・・」

微笑んだその素顔が教会の天窓から毀れ、夜明けの朝日に照らされていた。

いつか、いつか君たちに出逢うために私は生きるよ。



数年後・・・

一人の女性が双子の男の子を産みました。

一人は黒髪の赤紫の瞳をした兄

もう一人は銀髪の綺麗な翡翠の瞳をした弟。

小さな教会で穏やかで静かな日々を・・・



――また、逢えたね・・・



これは黒と白を司る者のお話。

貴方の側にもきっといる。






                                【終】


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