367回目の10月21日
こうして机に突っ伏すのは何度目だろうか。手芸部員たちの話し声を聞きながら、陽介は寝たふりをする。それが許される程度に、この部活は緩い。
(あの夢って、やっぱり現実なのかな……)
たぶんそうだろうと思いつつ、陽介はまだ現実逃避をしている。あれが本当に現実なのだとしたら、自分がまともな状態でないことは明らかだからだ。
(死んだか、寝たきりか……。もしかして、このくり返しの方が夢なのか? ……そうだとしても、やることは変わんないか)
「涼……」
陽介は突っ伏したまま、口癖のように涼を呼ぶ。真っ暗な視界の中、「ん?」と優しい声が聞こえる。
「相談……聞いてくんね?」
「うん。なに?」
「……ちょっと、ここじゃ話しにくい」
「わかった。どこ行く? 空き教室? それとも帰る?」
陽介が顔を上げると、傾きかけの日差しが目に飛び込んでくる。眩しさを感じながら隣の涼を見ると、すでに裁縫道具を鞄にしまい始めていた。
どうしてそんなに受け入れが早いのかと思いながら、陽介も荷物をまとめはじめる。
「……帰る」
「ん」
部活を早退するというのに、涼はなんの抵抗もなさそうにうなずく。二人は鞄を背負い、部員たちにあいさつをして部室を出る。部員たちも、特に理由を尋ねてくることはなかった。
通学路を歩きながら、陽介は涼にくり返しのことを話す。もう百回近くしている説明は、詰まることも迷うこともない。
そして涼はいつもどおり、広い心でそれを受け入れる。
「そっか……。一人にならない方法を考えたらいいのか?」
「一人じゃなくても、周りの人が見えなくなるとダメなのかも。涼と二人でいて、停電で涼が見えなくなった瞬間に死んだことがある」
「うーん……難しいな……」
涼は困ったように腕を組む。陽介も足元に目を向けながら、ぼんやりと生き残る方法を考える。しかし陽介の頭から出せる案は、全て試した気がする。
「渋谷でも行く?」
涼の提案に、陽介は一瞬ぽかんとする。夕方から遠出するなど、陽介は考えもしなかった。
「え、夜に?」
「うん。人多いし夜でも明るいし、非常用電源入ってるビルも多いと思うから、一気に停電とかもなさそうじゃないか?」
「それはそうだけど、補導されね?」
「ちょっと大変だけど、逃げ回ろう。で、日付が変わったら交番行って怒られよう」
涼がニカッと屈託なく笑う。夕日に照らされるその顔は、太陽のように眩しい。陽介は少しそわそわした気持ちでうなずいた。
お互いの家まで一緒に行き、着替えて家を出る。親には「友達の家に泊まる」と嘘をついた。罪悪感はあるが、生き残るためには仕方がない。明日になったら謝ろうと陽介は思う。
人の少ない電車に揺られ、陽介はぼんやりと景色を眺める。線路沿いの山は緑一色だが、きっともう二、三週間もしたら紅く色づくのだろう。
「……涼は、なんでこんなに協力してくれんの?」
陽介がぽつりと言葉をこぼす。親友だからというには、涼の行動は少し行き過ぎていると陽介は感じている。
涼は視線を窓から陽介に移し、ぱちぱちと瞬いている。
「陽介が困ってるから」
「それにしても献身的すぎね?」
「そうかなぁ」
涼は再び、窓の向こうに視線を向ける。
「小学生のとき、俺が不登校になったの覚えてる?」
「覚えてる」
「あのときさ、陽介は毎日遊びに来てくれたじゃん。他にも友達いるのに」
当時の陽介にとって、涼の家に遊びに行くことに特別な理由はなかった。ただ涼とゲームをするのが楽しくて、かわいいちゃちゃ丸もいて、手芸という共通の趣味まであり、そこが一番居心地がよかっただけだ。
涼は懐かしそうに、目を細めて微笑む。
「陽介にとっては大したことじゃなかったんだろうけど……俺はあのとき、陽介に救われたんだ」
ほんのり愁いを帯びた涼の瞳が、夕日に照らされてオレンジ色に染まる。
「俺、本当につらくてさ。人生を終わらせようとまで思ったんだ。でも陽介が『また明日』って言うから、明日までは頑張ろうって……。それが毎日続いて、そのうちに親と先生が動いてくれて、なんとか学校に戻れたんだ。大げさに聞こえるかもしれないけど、陽介は俺の命の恩人なんだよ」
『また明日』
涼がいつもそう言う理由を、陽介はようやく理解した。
(オレの言葉、だったんだ)
陽介にとっては、もう記憶にないほど何気ない言葉だった。けれどその言葉が涼を救い、今度は陽介が救われようとしている。
陽介は膝の上のリュックサックを抱きしめる。
「本当に、大げさだな」
「ははっ。やっぱそう思うよな」
「でも……ありがと」
「俺のほうこそ、ありがとう」
ガタンガタンと、心地よい揺れで電車は進む。乗り換えの電車で人が増え、さらに先へ進むうちに、だんだんと景色から緑が減っていく。民家が並び、ビルが増え、とうとう「渋谷」のアナウンスが聞こえてきた。
二時間かけて来た渋谷は、日が落ちているのにずいぶんと明るく感じる。人も多く、眠らない街の恐ろしさを陽介は感じる。
(ちょっと怖ぇな……。でも、これだけ人がいたら安心かも……)
都会の空気に気圧されそうになりながら、陽介はかの有名なスクランブル交差点を渡る。思いのほか信号が短く、涼と二人で慌てて対岸に走る。
陽介はつい、お上りさんのように景色を見渡してしまう。輝くネオンに目がチカチカして、瞬きしたそのとき――
(……え?)
陽介を覆うように影が落ちる。見上げると、大きな看板が陽介に向かって落ちようとしている。
(なんで? 一人じゃないのに……)
そう思いながらも、陽介の意識は隣の涼に移る。このままでは、涼も一緒に看板の下敷きになってしまう。
「涼、危ねぇ!!」
陽介が涼を突き飛ばす。涼は驚きに目を見開きながら、影の外側で尻もちをつく。
ガンッと、脳天に重い衝撃が走る。手を伸ばす涼を見届けながら、陽介の意識は暗転した。




