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 それから僕達を乗せたベンツは圏央道に入り、青梅インターから下道に降りた。そして新青梅街道を青梅方面に進み、青梅市立美術館の脇を抜けて国道四一一号に入った。新しく建設された市立施設の前を左折して山梨方面に進むと、街並みは都会の雰囲気を一気に削ぎ落として、冷たく深い緑に包まれた山里の景色に切り替わった。緑の景色が目の中に飛び込んでくると、僕の中に溜っていた街の灰色の色が、艶の無い緑色に変色してゆく。

 軍畑駅を抜けると、風景からは街の構成要素と呼べるものが次第に姿を消して、人の気配と密度が急に薄くなった。道端にも観光施設などの看板が目立つようになり、僕達は遠い場所に来たのだと実感した。

「場所はどのあたりだい?」

 運転席の兄が後部座席の小川に質問する。

「この国道四一一号を抜けた、山梨の丹波山村と言う場所です」

 小川はそう答えた。兄は黙ってハンドルを握り続けてベンツを走らせ続けた。

 奥多摩の観光客相手の賑やかな界隈を通り抜け、小河内ダムに繋がる道を抜けた。山の谷間に作られた細い道を進み、橋を超えると山梨県に入った。そこからさらに山坂道を進むと、日帰り温泉が併設された道の駅の看板が見えた。

「もうすぐです」

 後部座席の小川が漏らした。やがて道の向こう、山の開けた辺りに家々の姿が見えると、小川は「あそこだ」と漏らした。

 兄は道の駅の入り口を通り抜けて、道路沿いに家々が立ち並ぶ場所に車を停めた。

「それじゃ、俺はここまで。後は気を付けて」

「助かった。ありがとう兄貴」

 僕は乗せてもらった人間を代表して兄に礼を述べて、手荷物を手に車を降りた。僕達が車を降りると、兄は軽くクラクションを鳴らして甲府方面へ走り去っていった。残された僕達は周囲を見回し、陸続きとは言え自分の知らない土地に来てしまった事を改めて実感した。

「ここから何処へ行くんだ?」

 僕は小川に質問した。小川はスマートフォンの地図アプリを使って、杉山が住んでいる場所を探していた。

「ここから少し歩く、川の対岸の畑の中に有る一軒家だ」

「杉山に連絡はした?」

「さっきショートメールを送ったよ」

 加藤が答えた。杉山が東京を離れて以来、連絡を取っているのは僕達の中では加藤だけだった。その言葉を合図にして僕達は目的地である杉山の家に向かった。

 僕達が降り立った丹波山村は村と言う行政区分だけあって、一軒屋の建物がひしめき合い、その間から山と曇り空が見えて人間の存在が小さく感じられた。改めて山を見ると紅葉はまだ今一つと言った感じだったが、冷たい空気と温かい季節の瑞々しさがなくなった緑からは水墨画のような落ち着きと静寂が漂っていた。

 僕達は細やかな賑わいを見せるエリアを抜けて川に掛かる橋を越えて、畑が広がる場所に出た。その広い畑の中に、昔話に出てくるような古い日本家屋がぽつんと、周囲に流れる時間から取り残されたように建っていた。

「あそこだ」

 小川がそう小さく叫ぶと、僕の気持ちは少し弾んだ。一年半ぶりに会う杉山はどんな表情だろうか、都会のごみごみした場所に住んでいた時より、表情は晴れやかだろうか。

 家の前に来ると、僕は珍しい摺りガラスのガラス戸の隣に設けられた呼び鈴を押した。程なくガラス戸の向こうで人の動く気配がしたあと、目の前に人のシルエットが摺りガラスに浮かび上がる。鍵が解除されると、そこには杉山の姿があった。

「ああ、千鶴に小川君。芦川君も来てくれたんだ」

 杉山は依然と変わらない声――僕達の目の前に表れなくなった時と同じ声で僕達を出迎えた。変わったのは服装が地味な物になったのと、軽く茶色に染めていた髪が艶やかな黒髪になっていた事だ。

「ここまで来るのは大変だったでしょう。中に上がってよ」

「それじゃ、お言葉に甘えてお邪魔します」

 小川がそう答えると、僕達は家に上がった。

 僕達来客三人は居間に通された。広さは六畳ほどの畳敷きで、冷え込みが強くなるのかすでに炬燵が用意してあり、石油ファンヒーターが用意されていた。

「ここには、美佳と誰が住んでいるの?」

 仲が良かった加藤が尋ねる。二人は同級生であった時、中の良い女子生徒同士で通っていた関係だった。

「私の親戚のおばさんと、地元で林業をやっている男の人。ちょっと特殊なルームシェアかな」

 杉山は来客用の湯飲みに急須のお茶を注ぎながら答えた。僕にとって、同級生に緑茶を入れてもらうのは人生で初めての体験だった。

「こっちでは何か仕事をしているの?」

 今度は小川が質問した。

「観光客相手のお店でアルバイトをしている。後は地域のイベントをお手伝いしたりとかもね。ここに居ると、都会に居た自分がいかに詰め込まれた思考をしていたんだなって思うようになった」

 杉山は湯飲みに注いだ緑茶を持ってきて、僕達に出した。淡い薄緑のお茶が、ほのかに甘い香りを放ちながら僕達の前で湯気を立てている。

「とにかく。元気そうで良かったよ」

 僕は最後にそう言葉を添えた。僕達にお茶を用意してくれた杉山からは、来客をもてなし明るく振る舞う余裕が感じられた。

「私は一人でここに来たからね。いつまでも過去の事を引きずっていたら何処にも居場所がないから」

「なんでここに来たんだい?」

 緑茶を一口飲んだ小川が杉山に訊く。

「私の家は片親で妹と弟がいるでしょ。だから、高校に行かないなら働けって言うことになってね。どこか働ける場所を探したの。そしたらこの村に住んでいる親戚のおばさんが来ないかってお誘いがあって、この村に移り住んだの」

「一人で不安じゃないの?」

 今度は加藤が訊く。

「大丈夫。私は高校を出た後短大に行って独り暮らしをしようと思っていたから。ちょっと予定は変わったけれど、気にしてはいない。私なりにいい日々を送っていると思う」

 杉山の言葉を聞いて、僕達は納得したように頷いた。杉山の心は都会の空気や水の様に澱んではおらず、この村の空気や川の水の様に、清らかで透き通っていた。

 そうこうしている内に、昼食の時刻に差し掛かった。振り子時計が正午を知らせる鐘を十二回鳴らすと、杉山は「お昼だ」と漏らした。

「お昼食べていないでしょ、折角だから何か食べにいこうよ」

「家に戻ってくる人は居ないの?」

 僕は杉山に言った。

「大丈夫。おばさんには今日友達が来る事を知らせているから、食事をしてくる書置きを残せば大丈夫だよ」

 朗らかな表情で杉山はそう答えると、炬燵から立ち上がって外出の準備に取り掛かった。

 それから程なくして僕達は準備を整え、家を後にして書置きを残し、観光客向けの料理店に入った。杉山はこの店の人と顔なじみらしく。アットホームな雰囲気が店内に生まれた。

「あら、美佳ちゃん。お友達?」

「東京から来た友達です」

 杉山が紹介すると、僕達は照れ臭い気持ちを隠して頭を下げて席に着いた。

 僕と杉山は隣合わせで席に座った。店内には地元の男性が一人、瓶のビールを飲みながらスポーツ新聞を読んでいた。僕達は舞茸の天ぷらが付いたそばセットを注文した。

「この辺りは蕎麦とキノコ類が美味しいよ。後は川魚とか」

「水が良いんだね」

 杉山の言葉に僕はそう答えた。やがて注文した品がやってくると、僕達は箸を手に取って料理を食べた。

「東京の方はどう?」

 今度は杉山が僕達に質問した。

「まあ、普通かな。就職する奴も居れば進学する奴も居るよ」

 小川がそう答えた。

 食事が終わり、僕達が杉山の家に戻ると、彼女の親戚で家の主である杉山のおばさんが帰宅していた。

「ああ美佳ちゃん。東京の友達と一緒だったのね」

「ただいま、貴美子おばさん。祐樹さんはまだなんだ?」

「ちょっと遅れるらしいわよ。さっき家に電話があったわ」

 貴美子おばさんがそう答えると、杉山は東京から来た僕達を紹介した。僕達はそれぞれ自己紹介をして、頭を下げた。

「遠いところをありがとうね」

 貴美子おばさんはそう答えた。

 それから僕達は、貴美子おばさんを交えて談笑し、僕と小川のメールアドレスを杉山に教えた。そして道の駅を発着する帰りのバス時間が近付くと、僕達は礼を述べて家を後にした。まだ日は高かったが、時間を逃すと帰りが夜遅くになってしまうので、早めに切り上げる事になった。

 帰りは道の駅のバス停まで杉山が見送ってくれた。奥多摩駅行きのバスがやってくると、僕達は杉山と別れの言葉を交わした。

「また何かあれば、こっちに来てね」

 杉山がそう言うと、僕達は「ありがとう」の言葉を口々に言ってバスに乗り込んだ。そして扉が閉まりバスが奥多摩に向かって走り出すと、窓の向こうで手を振る杉山の姿が小さくなっていった。

 僕達を乗せたバスは国道四一一号を奥多摩方面に向かって進み、山梨県を超えて東京都に入った。そして奥多摩駅にたどり着き改札を抜けて電車のホームに出ると、加藤がこんなことを漏らした。

「美佳はいい感じの毎日を送っているみたいだね」

「ああ、幸せそうで良かったよ」

 小川が答えた。そして僕は思い返した。彼女と過ごした良き日々の事を。

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