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 土曜日は曇り空だった。北海道の西、樺太の南辺りから流れ込んできた寒気のせいで肌寒く、普段より一枚多く服を着る羽目になった。僕は山に行って急に冷え込んだ時の為に備えて、マウンテンパーカーを羽織って、アメ横で買った黒いジープ帽を被った。自分の準備が整うと、僕は家の外でベンツ・C200に掛かっていた銀のカバーを剥がしていた兄に声を掛けた。

「俺は準備出来たよ」

「ちょっと待て、俺はこのカバーを仕舞うから」

 兄はそう答えてカバーをスチール製の倉庫に仕舞い、車のドアロックを解除して運転席に乗り込んだ。僕も助手席に乗り込んでシートベルトを掛けると、兄がエンジンを掛けた。アイドリングが安定してエンジン全体にオイルが循環すると、兄はスマートフォンの2パックの曲を、オーディオに接続して再生し、サイドブレーキを解除しギアをドライブに入れて車を出した。高級そうに演出された車内に、2パックのアルバムから記録させた曲がランダムに流れ始める。タイトルは忘れたが、今オーディオから流れている曲は映画のタイトルにもなった、二枚組アルバムに収録されている最初の曲だ。

 家の近くにある二車線の道路に出るための信号で止まると、僕は兄にこう言った。

「この車にはもう慣れたかい?」

「一応な。自分の車だから体の一部にしないと。親父のレンジローバーよりは運転しやすいぞ」

「俺が免許を取ったら、ハンドルを握ってもいいかな?」

 僕は言った。早生まれなので免許取得よりも受験の方が僕にとっては優先事項だった。

「保険を書き換えたらな」

 兄が言うと、信号が青に変りベンツが走り出す。

 暫くして、僕と兄が乗ったベンツは僕の通う高校近くのコンビニに向かった。小川と加藤とはここで待ち合わせをして、車内で飲む飲み物などを調達する事になっていた。

 コンビニの前では、秋に山の方へ行く観光客のような服装に身を包んだ小川と加藤が居た。兄は車をコンビニの前に停めて、エンジンを切って車を降りた。僕も車を降りて小川と加藤を出迎える。

「よう、待ったかい?」

 同じように車を降りた僕は小川に訊いた。

「いや、そんなには待っていないよ」

 小川はそう答え、視線を僕から兄に移した。そして「今日はよろしくお願いします」と言って、加藤と一緒に頭を下げた。

「いえいえ、こちらこそ」

 兄は謙遜して、自分用の飲み物を買う為にコンビニへと入った。

 それから五分程で僕達は車に乗り込み、来た道を少し戻って川越街道に出ると、笹目通りを経由して大泉から関越自動車道に入った。目指すのは圏央道の青梅インター。下道でも良かったのだが、兄が気を利かせて時間短縮の為に高速を選んだのだった。

 三芳のパーキングエリアを通り過ぎると、少し緊張気味の後部座席の加藤が我慢できないように口を開いた。

「これから行く所って、どんな場所?」

「東京と山梨の境目にある村。周囲を山と深い森に囲まれている秘境だよ」

 助手席の僕はそう言った。奥多摩方面には、以前に家族で甲府に向かう時に車で通った事があるだけだったが、緑が豊かな場所だという事は記憶していた。

「なんで美佳は、そんなところに行ったのかな?」

「親戚の人が居るんだよ、仕事を何かをやっている。あいつが一人で引っ越す時に小耳に挟んだよ」

 小川が答えた。東京二十三区を離れているのは知っていたが、一人で引っ越していたのは意外だった。

 暫くして、気まずいような空気が車内に漂いだした。兄のスマートフォンに記憶されたウエストコーストのヒップホップは相変わらず流れ続けて、ドクター・ドレー、ウォーレンG、スヌープ・ドッグにアイス・キューブといった西海岸のアーティストの曲を流したが、もう僕は同じようなリズムの曲に聞き飽き始めてしまった。英語の呪文のような音楽が続いて、何だか宗教的な祈りをささげる場所に来てしまった気分になる。兄は上機嫌だろうが、同乗者の僕はそうでもなかった。後部座席の小川と加藤はどんな気分だろうか。

 流れていた曲が変わり、新しい曲が流れる。ヒップホップの曲だったが、ラップしているのは兄がよく聞く2パックの声だ。

「この曲の歌手は、なんて言う名前ですか?」

 後部座席の加藤が兄に質問する。

「2パックって言うラッパーだよ。二十年以上前にラスベガスで暗殺されたけれど。この曲は没後に発表された曲で、『ベターデイズ』って言う曲なんだ。聞き飽きたなら、別の曲にするか止めるよ」

「いえ、お構いなく」

 加藤はそう答えたが、兄は曲が終わるとインストゥルメンタルパネルの多機能パネルを操作して、スマートフォンに入っている曲を停めて、ラジオ放送を流し始めた。チャンネルはNHKラジオで、番組の合間に流す短いニュースを放送していた。僕は兄の世界から解放された気分になって、身体の中の緊張の糸が解れるのを感じた。

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