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それから僕は杉山の住む家に上げてもらい、ジープ帽と上着を脱いで出迎えてくれた貴美子おばさんに挨拶をした。貴美子おばさんは「寒かったでしょう」と言って僕を出迎え、茶の間の炬燵に通してくれた。茶の間の炬燵は暖かく、石油ファンヒーターも作動して暖かったが、急な寒暖の差に都会育ちの僕は根を上げそうになった。
僕は炬燵に深く入り、体が温まるのを待った。だが体の芯にある体温調節の機能が上手く働かないらしく、金属疲労のたわみとも古いパソコンの処理落ちともいえない不快な感覚が、僕の首筋辺りに襲ってきた。
僕の座る炬燵の向こうでは、陶器で出来た火鉢の炭で温められた鉄瓶の湯が沸き始めていた。僕が持ってきた東京土産のクッキーを、鉄瓶で沸かしたお湯で入れたコーヒーで飲もうという事らしい。テーブルにはインスタントコーヒーの瓶と色とりどりのマグカップが四つ並び、コーヒーを淹れる準備が整いつつあった。
「芦川はスティックのお砂糖入れる?」
杉山は僕に質問してきた。僕は普段コーヒーに砂糖は入れない主義だが、今回は杉山の厚意に甘える事にした。砂糖とバーボン以外のウイスキーをインスタントコーヒーに入れると、体が温まるアイリッシュコーヒーもどきになると兄が言ったのを思い出したが、ウイスキーを入れてくれとは口が裂けても言えなかった。
やがてインスタントコーヒーを入れた四つのマグカップにお湯が注がれ、甘ったるい香りを漂わせながら鉄瓶のコーヒーが入った。そして杉山が一つのカップにスティックシュガーの袋を破って入れると、ティースプーンでかき回して僕に出してくれた。
「はい、どうぞ」
その言葉が僕には女神の声の様に聞こえた。僕は小さく「ありがとう」と漏らして、コーヒーを一口飲んだ。水のせいか鉄瓶で沸かしたせいか、それとも杉山が砂糖を入れてくれたお陰なのか、今まで飲んだどのコーヒーよりも美味しく感じられた。
「遠いところをわざわざありがとう。有名店のクッキーまで用意してきてくれて」
口を開いたのは貴美子おばさんだった。僕は軽く一礼すると、視線を僕の左に座る祐樹さんに移した。
「東京の様子はどう、もう寒くなって受験シーズンが来た?」
杉山が僕の右側から尋ねた。
「後もう少しすれば来るかな。まだ平穏な空気だよ」
「大学受験か、俺も貴美子さんも高卒だから受けた事なかったな」
祐樹さんが口を開く。どうやら高卒で地元の企業に就職したのだろう。
「日高さんは何をされているんですか?」
僕が祐樹さんに質問すると、彼は僕の方を見てこう言った。
「俺は一番近い塩山の高校に通ったあと、この丹波山村に戻って就職したよ。仕事は林業。森と一緒に生きる仕事。この村で自然に囲まれて育ったから故郷に愛着があるんだ」
僕は無言で頷いた。自分を育ててくれた故郷とそれを囲う自然を愛するのは、都会で生まれ育った僕には中々思い浮かばない。恐らく僕とは別の景色を見て育った人なのだろう。
「そう。ずっと故郷を想い続けているなんてすごいよね。私も見習いたい」
杉山は嬉しそうに答えた。彼女の放つ一つ一つの言葉に、祐樹さんに対する敬愛と羨望が混じっているのを僕は聞き逃さなかった。
「美佳ちゃんにも出来るよ。誰にでも持っている気持ちだよ」
祐樹さんは優しく包み込むような声で杉山に返した。二人の会話を聞いて、僕にはもう取り付く島が無くなったような疎外感を味わった。
「芦川君はどうだい。生まれた故郷に愛着は有るのかい?」
余裕を持った声で祐樹さんが僕に質問する。僕は故郷と聞かれていつも通学で利用する駒込駅東口を思い浮かべたが、次が浮かばなくなった。それに代わって真っ黒で頭に響く痛みが僕の中を支配してゆく。
「芦川、平気?」
杉山の声が、僕の中で水の波紋の様に広がって消えて行く。




