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帰宅しても、さっきの言葉が頭から離れない。
今更になって杉山に恋をしているみたいじゃないか。と僕は自分で訝った。本当なら僕は推薦入試で大学に入る事を口実に少し気楽な気分で残りの高校生活をより良い日々に変えてもいいはずなのに。杉山との過去を蒸し返したせいで、あちこち思考に杉山が割り込んでくる。確かに杉山の事があの新宿での待ち合わせ以降、クラスの女子生徒によって歪められ僕の中で傷跡になっているのは事実だ。その後は順調な高校生活と言うファンデーションと長袖の服によって、表には出ない筈だったのに、どうして今更になって出てくるのだろう。僕は勉強机に向かって考えたり、或いはベッドの上に横になったりして考えた。そうして気付かないうちに、僕は眠りに着いてしまっていたらしい。目が覚めると、枕元のデジタルクロックは午後七時二十一分を表示していた。
空腹感と共に、僕の隣にある兄の部屋からドラムマシンの音が聞こえて来た。曲は古いヒップホップミュージックで、英語のラップが聞こえてくる。僕は起き上がって自分の部屋を出ると、隣にある兄の部屋の扉をノックした。
「入るよ」
僕が寝ぼけ眼で扉を開けると、部屋からは香水とスナック菓子の臭い、そして度数の強い酒の臭いが鼻先に漂ってきた。部屋の中では兄の恋人である愛美さんと兄が、酒に酔った顔で僕を見ていた。
「なんだ、無粋な弟よ」
酒で上気した兄の表情はだらしなく、僕を道化のピエロでも見るような眼差しで見つめていた。知ると僕は兄の向かいに座る愛美さんと視線が合い。愛美さんが小さく手を振った。
「お邪魔しています」
愛美さんは可愛らしくそう挨拶した。彼女の手にはタンブラーに入った飲み物があり、その傍らにはヘネシーVSとジンジャーエールの二リットルペットボトルがあった。
「何をしているのさ?」
僕は兄に質問した。
「愛する人と酒を飲みながら、いろいろ語っているのさ」
「そう。飲んでいるのは何?」
「ヘネシーのジンジャーエール割り。今聞いている2パックの曲の歌詞に出てくるの」
僕の質問に愛美さんが答えた。音楽は兄のスマートフォンからUSBケーブルでCDコンポに繋がれて流れているようだった。耳を澄ますと、「シャンパン」と「ヘネシー」と言う言葉が聞こえた。
「本当はシャンパンとヘネシーなんだけれど、シャンパンは高いからこいつって訳。お前も飲むか?」
「いやいい。大学進学を控えた身分が未成年飲酒はダメだろ」
僕が当たり前の事を言うと、兄はクスクスと笑った。
「父さんと母さんは?」
僕は兄にまた聞いた。
「今夜は帰りが九時半頃になるそうだ。さっきLINEで連絡があった。お前晩飯はどうする?」
「自分でカップ麺でも食べるよ」
僕はそう言って部屋を後にしようとした。両親が返ってくる前に宴を終わらせてくれよ、と心の中で吐き捨てると、ある事がまた雷光の様にひらめいた。兄と愛美さんを見て杉山と二人で何か話したい。と言う気持ちが僕に芽生えたのだ。
「なあ、兄貴」
「何さ?」
兄はすっかりアルコールに濡れた唇でそう返した。
「また、奥多摩の先の丹波山村まで送ってくれないかな?」
「なんでまた」
「行きたいから」
僕はそう即答した。消えていた筈の杉山への思いが今ここで現れるとは思わなかった。
兄は暫く考えたあと、こう答えた。
「自分で帰ってこれたんだ、今度は一人で行ってみろよ。交通手段は分かっているんだろ?」
「まあね」
僕は曖昧に語尾を濁らせた。
「それなら、行って来いよ。俺には俺の都合もある」
兄がそう答えると、僕は何か言おうとした言葉を飲み込んで兄の部屋を後にした。ドアを閉めると、それまで流れていた曲が変わって、「Don't Sleep!」という凄みのある言葉が繰り返される曲になった。
今度の休みに、杉山の元へ行こう。僕はそう決心した。




