第3幕【第1章ː地獄の合宿編】合宿1日目・個別練習(谷崎コーチ&井上編⑭)
メディシンボールをネットへ叩き込んだ余韻が、まだ体の芯に残っていた。
全身を一つの塊としてぶつける感覚――それは、井上にとって“新しいエンジン”を得たような衝撃だった。
谷崎コーチはすっとネット脇に置いていたボールバッグを手にし、硬式球を取り出す。
「……じゃあ、仕上げだ。普通のキャッチボールに戻るぞ」
井上は少し驚いた顔を見せた。
「キャッチボール、ですか?」
「ああ。だが、ただのキャッチボールじゃない。“回転”を意識しろ。今日のお前なら、それができる」
井上は無言で頷き、ボールを一つ受け取る。
距離はおよそ15メートル。捕手役を務める谷崎はミットを上げ、井上の動きをじっと見つめていた。
(回転……ストレートの質……力を抜いて、でも、抜けすぎず)
井上は一球目を投じる。すっとミットに収まったボールは、どこか軽い音を立てた。
「ほら、抜けてる。腕だけ振ってる。回転がかからない」
谷崎の声は厳しいが、どこか確信めいていた。
「回転は、“押し込み”と“指先”のバランスで生まれる。お前の場合、“力を抜け”って言われると、本当に全部抜いてしまう」
もう一球。今度は指先に力を残す意識で、ボールを投げる。
――パン!
高くも低くもなく、真ん中に収まった。回転数も、ほんの少しだが増したように感じる。
「そう。今のは、回転が“前に向かっていた”。押し込めたな」
谷崎は球を握りながら、ふっと言った。
「速球の質ってのは、“指先”の情報量なんだ。投げた瞬間の感覚が、そのまま回転に出る」
井上は、言葉の意味をかみしめながら、ゆっくりと首を縦に振る。
「……正直、感覚が言葉にならないです。でも、“良かった時”の感覚だけは、体に残ってる気がします」
「それでいい。投手ってのは、“再現できる感覚”を育てることが仕事なんだよ。数値じゃなく、体に刻み込め」
何球も繰り返すうちに、井上の投球に少しずつ“芯”が生まれてきた。フォームは大きく変わらない。だが、ボールが飛び出す瞬間だけが違っていた。
――パン!
谷崎のミットが音を立てたとき、彼の顔に薄く笑みが浮かんだ。
「今の、悪くなかったぞ。伸びてきた。ちゃんと指に“乗ってる”」
井上は思わず息を吐き出し、手のひらを見つめた。
(この感覚だ……。言葉にならないけど、確かに今までの自分にはなかったもの)
谷崎はキャッチャーミットを外しながら、最後に一言だけ口にした。
「これから先、球速はまだ伸びる。でも、“回転の質”を忘れたら、ただ速いだけのボールになる。今のお前がつかんだ感覚――それを、いつまでも投げ続けろ」
井上は深く頷き、拳を握った。
フォーム。体幹。回転。そして、指先。
それぞれが少しずつ噛み合いはじめた。
まだ道の途中。それでも今日、自分が一歩前に進んだことを、井上は確かに感じていた。




