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スラッガーにはなれないけど  作者: 世志軒
第1部 第3幕【第1章ː地獄の合宿編】

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第3幕【第1章ː地獄の合宿編】合宿1日目・個別練習(谷崎コーチ&井上編⑫)

タオル投げで“しなり”の感覚に手応えをつかんだ井上宏樹は、その余韻を腕に残しながら、谷崎コーチのもとへ戻った。


 コーチはすでに、小さなバケツに入った軟式ボールを手にしていた。見慣れた白球ではない、やや軽く、柔らかいボール。


 「次は、“軽いボール投げ”だ。肩への負担が少ないぶん、腕のしなりと“走り”に集中できる。今の段階でやるには、かなりいい素材になるはずだ」


 谷崎は、井上の手にボールをひとつ渡すと、距離を少し短く取ったキャッチボールの距離に立った。


 「無理に投げなくていい。力感はゼロで構わない。むしろ、“ボールが勝手に走っていく”って感覚を探せ。しなやかに、そしてリズムよく」


 井上はうなずき、構えを取った。足幅を調整しながら、先ほどのタオル投げの感覚を思い出す。


 下半身の力を使って、骨盤から肩へと力を伝え、腕が自然に引き出される――そのイメージをもとに、軟式ボールを握り込むことなく、軽く指先に乗せる。


 「……よしっ」


 振り切った右腕から、ふわりと白い球が飛び出した。回転は甘い。球速もない。


 が、谷崎は頷いた。


 「今のは悪くない。“腕を振った”んじゃなく、“腕が振られた”。それでいい。もう一回」


 井上は首を軽く回し、二球目を投げる。今度は腕のスピードが少し上がり、回転数もわずかに増した。軽いボールは、通常のボールより空気に引っかかるように動き、そのぶん“力の伝わり方”の粗さがはっきり出る。


 「軽いからこそ、“無駄な動き”がモロに出る。強く投げようとすると、腕が突っ張る。だから“脱力して、腕をしならせる”しかない。そこにヒントがある」


 井上は何球も投げ続ける。次第に、体の内側に“リズム”が生まれていく。


 下半身→骨盤→肩→肘→手首→指先――

 それぞれがバトンを渡すように力を送り、腕がムチのように走る。


 「……なんか、気持ちいいくらい、スーッて抜けていきます」


 「それが“腕が走る”ってことだ。今までのお前の投球は、体をぶつけるような感じだった。でも今のフォームは、“流してる”」


 谷崎は、井上のフォームを正面から眺めながら、口元を引き締めた。


 「この感覚を持ったまま硬式を投げたときに、どれだけボールが変わるか。それが、今日の終着点だ」


 井上はしばし無言で頷き、再びセットに入る。


 軽いボールだからこそ、自分の“押し込み”が通用しない。強く投げようとすれば、すぐに引っかかり、シュート回転を起こす。


 (力を入れない。でも、速く。……さっきのタオルと同じ)


 気づけば、井上は自然と笑みを浮かべていた。

 これまで“力を入れて投げる”ことしか知らなかった自分が、“力を抜いて投げる”ことで、より遠く、より鋭くボールを届けている。


 「谷崎コーチ。……この感覚、ずっと忘れないようにしたいです」


 「忘れなくていい。“身体に染み込ませろ”。これから投げるたびに、毎回この感覚を思い出せ。感覚は鍛えられる。何度も、何度でもな」


 その言葉を胸に刻みながら、井上はボールを一球、手の中で転がした。


 軽い。だが、そこには“重み”があった。


 感覚が研ぎ澄まされるにつれて、彼の投球もまた、静かに変わりはじめていた。

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