第3幕【第1章ː地獄の合宿編】合宿1日目・個別練習(谷崎コーチ&井上編⑪)
柔軟性トレーニングを終えた井上宏樹の身体は、重たさと軽さが同居していた。疲労はある。しかし、関節や筋肉の動きは朝より明らかに滑らかだった。
「じゃあ次は、“タオル投げ”だ」
谷崎コーチがそう言って、バスタオルを軽く折りたたんだ状態で差し出す。
「タオル……ですか?」
「そう。重さのないタオルだからこそ、余計な力みがすぐに表れる。これは“感覚のトレーニング”だ。力じゃない。“滑らかに振る”ことと、“指先の感覚”に集中しろ」
井上はタオルを受け取り、しばらく手の中で感触を確かめる。想像以上に軽い。ボールとはまるで違う質感。だが、この軽さがあるからこそ、腕の振りが試されるのだと谷崎は言う。
「タオル投げは、“力を入れたら終わり”だ。腕に力が入ってると、タオルが引っかかって、ビュッと走らない。逆に、体の動きに乗せて“振られる感覚”を覚えれば、しなって走る」
井上はプレートの前に立ち、ゆっくりとワインドアップ。タオルを握った右腕をテイクバックして、投げる動作へ。
――ぶんっ。
空を切ったタオルが、小さな音を立てた。
「……ちょっと硬いな。肩で投げにいってる。もう一度。今度は下半身から、スーッと腕を引っ張り出してこい」
再び、テイクバック。今度は地面を軽く踏んで、骨盤から肩へと力を伝えるイメージで――腕をしならせる。
――シュッ。
先ほどよりも軽やかにタオルが空を走った。手のひらを抜けた瞬間、風を切る音がわずかに聞こえた。
「……今の、少し感じました。タオルが勝手に振られてくような」
「それが“しなり”だ。いいボールを投げる投手は、腕を振ってるんじゃなくて“体が振ってる”。タオル投げは、それを感覚で覚える練習なんだよ」
タオル投げは反復がすべて。井上は何度も同じ動きを繰り返す。肩や腕に力を入れない。ただ、体幹と股関節、足裏の感覚に集中して、リズムに乗せて投げる。
「いいぞ、その感じだ。今の動き、かなり滑らかだった。右足で地面を押したとき、腕が自然に引き出されてる」
谷崎は横から観察しながら、細かくアドバイスを挟む。
「それとな、リリース直前、指先で“抜く感覚”を意識してみろ。握りしめるんじゃなくて、“スナップを手放す”ように」
井上はうなずき、再び投げる。
(力を入れない。でも、速く。体に乗せて――指先で抜く)
――シュッ!
風を切る音が、最初より鋭くなった。
「……あっ……今の、抜けました!」
「そうだ。無理に押し込まず、“感覚で解放する”感覚が出てきたな」
タオル投げという“何も投げていない練習”の中で、井上はボールを持っているとき以上に、自分の身体の繋がりを実感していた。
「投手はな、力を抜くために筋力がいるんだよ。体幹が弱ければ、脱力はただのダラけになる。でも、芯がある状態で力を抜けば、それは“しなやかな力”になる」
谷崎の言葉に、井上は小さく息を吐いて頷いた。
――力を入れずに、速く、強く。
それは、技術でも筋力でもない。“感覚”の世界。
タオルが宙を舞うその一瞬に、井上は初めて“感覚で投げる”という世界に足を踏み入れた気がした。




