第3幕【第1章ː地獄の合宿編】合宿1日目・個別練習(谷崎コーチ&井上編⑥)
ブルガリアンスクワットを終えた井上の足は、まるで鉛でも詰まっているかのように重くなっていた。
それでも谷崎コーチは休憩を与えず、軽くグラウンド中央へ手招いた。
「次は“体幹走”だ。走るだけ、と言いたいところだが……これは筋トレじゃない。“動作づくり”の一環だと思え」
「動作づくり、ですか……?」
「そうだ。今からやるのは、“姿勢を崩さずに走る”練習。上下左右にぶれず、軸を保ったまま移動できるかどうか。これができるようになると、投球時の下半身主導が身につく」
谷崎が示したのは、20メートル程度の直線ライン。小さなマーカーが3メートルおきに置かれている。
「まずはこのライン上を、“姿勢を崩さずに”ダッシュ。胸を張って、頭を揺らさず、腕はコンパクトに。全身を“棒”のように保ったまま走れ」
井上は眉をひそめながらも、やってみるしかないとスタートラインに立つ。
「よーい、スタート!」
ダッシュ――と同時に、すぐに違和感が走った。
(あれ……なんか、ふらつく……?)
右足で蹴った瞬間に体が左に傾き、次の一歩でリカバリーするも、今度は肩が上下に揺れた。
走り終えた井上に、谷崎は即座に指摘を飛ばす。
「はい、アウト。全然、軸が通ってない。お前、“走る”ことに集中しすぎて、フォームを崩してる。スピードじゃない。“安定した速さ”が目的だ」
「はい……!」
再び走る。今度は頭の位置を意識して、無理に加速せず、テンポを保って走った。
「お、さっきよりはいいな。だが、まだ肩が揺れてる。体幹がブレるということは、投球でもリリースがズレやすくなるってことだぞ」
井上は息を切らせながら、後ろを振り返る。
「じゃあ、投げるときも……軸が曲がってたら、ボールが抜けたり、引っかけたり……」
「そのとおり。“ブレた状態で投げる”から、制球も球威も落ちる。だが、“安定した軸のまま動ける”と、同じ力でも無駄なく伝わる」
今度はサイドステップでの横移動が始まった。頭の高さを一定に保ち、肩と骨盤のラインを揃えながら、リズムを刻んで左右に移動する。
「右足で踏んだ時、体が流れてる。“止まる力”と“押し返す力”を同時に出せ。“止まる”のも立派な筋力だぞ」
井上は足を止め、口で荒い呼吸を繰り返しながらも、腹筋の奥がじんわり熱くなっているのを感じていた。
(走ってるだけなのに……腹も背中も、こんなに疲れるのか……)
「今のお前の体は、“全身がばらけてる”状態だ。でもな、バラバラのパーツが、芯でひとつに繋がったとき、体ってのは一気に力を出せるようになる。……それが、“体幹”だ」
谷崎のその言葉に、井上は初めて“走る”ことの意味を理解しはじめた。
投手にとって大切なのは、ただ強いだけでも、柔らかいだけでもない。
動きの“軸”をぶらさず、力を“伝える通り道”をつくること。
「じゃあラスト。まっすぐ→横移動→スキップの連続セット。どれだけ動いても、上体を崩すな。全部の動きに、“軸”を通せ」
「……はい!」
井上は歯を食いしばりながら、再びラインに立つ。
まっすぐ走る。腕を振る。足を運ぶ。地面を蹴る。
そのすべてを、頭から骨盤、膝へと“ひとつの棒”としてつなげる。
走り終えた時、谷崎はうなずいた。
「だいぶ、良くなってきた。この走りが“当たり前”になったとき、ピッチングも一段上に行ける」
井上は額の汗をぬぐいながら、ほんの少しだけ、自分の立ち姿が安定していることに気づいた。
(この練習が、投球に繋がる――)
疲労の奥に、確かな納得感があった。




