第3幕【第1章ː地獄の合宿編】合宿1日目・ケースバッティング(1年生編⑨)
――ノーアウト二・三塁。
空気が張り詰める中、井上は次の打者を迎えていた。
ピンチは続く。すでに4本のヒットを浴び、守備陣が声を出しても、流れは相手側に傾いている。
(絶対に、これ以上はやらせない)
井上はそう心に誓いながら、再びストレートを選んだ。もはや、それしか投げられる球がなかった。
初球――
内角の直球を強引に引っ張られる。
「打った――!」
三遊間。強いゴロ。三塁寄りに守っていた千堂陸の前に、鋭く転がっていく。
誰もが「抜けた」と思った瞬間、千堂が一歩、いや半歩早く反応していた。
(間に合う――!)
鋭く左足を一歩踏み出し、身体を低く沈めて滑り込むようにダイビング。
「ゴンッ!」
グラブに収まる鈍い音。千堂は地面を滑る勢いのまま、グラブから素早くボールを引き抜き、膝立ちの体勢から一塁へ送球――
「アウトォォォォ!」
一塁塁審の大きなコール。
ランナーは三塁から還ったが、千堂のプレーが確実にピンチの拡大を防いだ。
「ナイスプレー! 千堂!」
「よく止めた!」
ベンチから歓声が飛ぶ中、大山監督は腕を組んだまま微動だにしなかったが、その目は明らかに緩んでいた。
隣で谷崎コーチが呟く。
「今の……よう止めましたね。あんな打球、普通は抜ける打球なのに。カバーどころか、流れごと止めましたね」
「あいつの守備は、確かに信頼できる。とっさの動きに迷いがなかった」
「“準備してる”ですね、あれは」
谷崎は先ほどの守備を見ながら、さらりと言った。
「疲れていつもより体が動かない中で、打球方向や打者の癖を頭に入れて、予測をした。その結果、足の一歩目が速くなった、才能だけじゃねえ。意識の賜物だ」
大山監督は唇の端だけをわずかに上げた。
「試合で生きるプレーが、できるようになってきたな」
その言葉に、谷崎も頷いた。
「ま、それが常にできるようになったら、あいつの守備はもう、“一年生の守備”じゃなくなりますね」
千堂は一塁側ベンチに向けて軽く手を挙げると、無言でポジションに戻った。
派手さはない。だが、確実に、井上の気持ちを救ったプレーだった。
マウンド上の井上が、帽子のつばを一度だけ触った。
ほんのわずかに、力が戻ってきていた。
――まだ、終わりじゃない。
この一本が、再びチームに流れを呼び戻し始めていた。




