第3幕【第1章ː地獄の合宿編】合宿1日目・ケースバッティング(1年生編⑥)
風が止み、グラウンドは静寂に包まれていた。
午前のケースバッティングも最終盤に差しかかる。何人もの選手がプレーを終え、結果と課題を胸にベンチへ戻ってきていた。
「バッター、松岡! カウントはノーボールノーストライク、ランナーなし、アウトカウントもなし!」
放送のように響くコーチの声に、松岡竜之介はゆっくりと立ち上がった。
(また、回ってきた)
先ほどの打席――
甘い直球を見逃し、次の難しい球を振ってピッチャーフライ。
チャンスで流れを切った打席だった。
打てたはずの球を見逃した悔しさが、まだ喉の奥に引っかかっている。
(今度は、絶対に見逃さない)
気合ではない。むしろ静かだった。
握るバットは重くも軽くもない。手の中でしっくりと馴染んでいる。
打席に入り、構えたその姿に、余計な力みはなかった。
(いつも通り。俺のスイングで打てばいい)
ピッチャーがワインドアップに入る。
初球、外角低めのボール。冷静に見送る。
「ボール、ワンボール!」
次の投球、2球目。
――甘い。
インコース、やや高めのストレート。
おそらく「この場面なら振ってこない」と思われたボール。だが、松岡の中ではそれが完全に“来る”と分かっていた。
(前の打席、見逃したのはこれだ)
足を踏み込み、迷わずバットを振り抜いた。
全身の力を、軸の中心からバットの先まで乗せるようなフルスイング。
インパクトの瞬間、打球は乾いた“ドン”という音を立て、ライナーで舞い上がった。
「伸びてるぞ……!」
外野が背走する。
グラウンド全体が一瞬だけ静かになり――そして、
「入った!!」
ボールはライトスタンドのフェンスを越えて、すっぽりと吸い込まれていった。
ベンチがどよめく。誰かが「マジかよ」と呟いた。
松岡はゆっくりとベースを回る。
ホームラン。
打球が伸びていく間、彼の視線はずっとその先を追っていた。
「見逃さなかったな」
ベンチで谷崎コーチが小さく笑みを浮かべながら言う。
「今度は、“決めにいった”スイングだったな」
一塁、二塁、三塁と踏むたびに、先ほどの自分が遠ざかっていくようだった。
甘い球を見逃し、迷いに飲まれ、凡退した自分。
今の自分は違う。ちゃんと、あの球に反応できた。
(やっと、“自分に勝てた”)
ベースを踏み終え、ホームへ戻ったとき、彼の表情には誇らしさよりも、どこか安堵の色が滲んでいた。
ベンチに戻ると、何人かの仲間がグータッチを求めてきた。
「ナイスバッティング!」
「さすが竜之介!」
みんなの声が、今度は素直に心に届いた。
(これでようやく、チームに返せたかもしれない)
打撃練習で何本飛ばしても、試合形式で打てなければ意味がない。
誰よりもそう思っていたからこそ、この1本が持つ意味の重さを、松岡自身が一番知っていた。
静かに座り、グリップを見つめながら、ふと思った。
――自信は、こうやって少しずつ積み上げていくものなんだ。
小さな声で、松岡はつぶやく。
「……ありがとう」
自分の中の“諦めかけていた部分”に向けて。




