第3幕【第1章ː地獄の合宿編】合宿1日目・ケースバッティング(主力紹介⑦)
朝からグラウンドに響き渡っていた掛け声も、昼に近づくにつれて落ち着きを見せ始めていた。実戦形式の練習は続いていたが、ベンチやコーチ陣の視線が次第にある一人の選手に集まり始めていた。
「ほら、白井だ。あいつの頭の回転の速さには毎度驚かされますね」
谷崎コーチが思わず口にした声に、大山監督が小さく頷いた。グラウンドでは、次の打席に向かう白井翼の姿が見える。左打席に立つその姿は華奢にも見えるが、構えに無駄がなく、目の前の状況を見極めていることが一目でわかる落ち着きがあった。
「体格で押すタイプじゃないが……、あいつは“計算”で打席に立ってる。まるで数学者だな」
初球、ピッチャーが内角低めに変化球を投げた瞬間、白井は一瞬だけバントの構えを見せてバッテリーの意識を揺さぶった。だがそのまま見逃し、ボール判定。捕手が少し身を乗り出した。
次のボールは外角高め。今度は軽く踏み込むと、バットの先で逆方向に流し打った。三遊間を破る打球が左前に転がり、先の塁にいた走者を楽に三塁へと進めた。
「これでノーアウト一、三塁。つなぎの場面で、ちゃんと相手の守備位置まで見て選んで打ってる」
谷崎の声に、大山は笑みを浮かべた。
「白井はな、自分の打撃に無駄がない。データとか意識してるわけじゃない。“見て”覚えてる。クセとか配球のパターンとか、頭ん中で全部整理してる。……口数は少ないけどな」
白井はベース上でヘルメットを軽く持ち上げ、味方ベンチに小さくサインを出した。スコアリングポジションの走者と目配せを交わすと、二塁への盗塁のタイミングをうかがい始める。
ベースランニングの巧さもまた彼の武器だった。相手の隙を見つけて一気に二塁・三塁間をかき回す。
しかし、この日の見せ場は打撃だけではなかった。
その後、白井はレフトの守備位置に就いていた。打者が放った打球は、高く弧を描きながら左中間深くへ飛んでいった。センターが追いかけるには遠すぎる。だが白井は一歩目の判断が速かった。無駄のないコース取りで芝の上を駆け、ギリギリのタイミングでグラブを差し出す。
「……捕ったぞ、白井!」
ベンチから歓声が上がる。しかも捕球直後、体勢を整えながら素早く中継へ送球。ランナーは三塁からタッチアップを狙っていたが、その正確なスローイングで本塁突入を思いとどまらせた。
「打球判断、反応、送球まで完璧だ。……あれで2年ってのが末恐ろしい」
谷崎が感嘆を漏らすと、大山は目を細めて言った。
「今年の白井は『7番』だがな、来年は『2番』で戦術の核になってもらうつもりだ。守備でも、打撃でも、走塁でも。まさに“野球を知ってる”選手だからな」
ベンチに戻ってきた白井は、口数少なくチームメイトと軽くタッチを交わすだけだった。だが、その背中には、確かにチームを支える静かな信頼が宿っていた。




